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2016年3月 9日 (水)

新聞の時代は終わったか

朝かなりの雨、しとどに濡れた木々の間を、新聞を取りに出る。

幸いポリ袋で包んであったので、新聞は濡れてはいない。

濡れると新聞はもうたわいもないゴミである。

乾燥さしても昼までかかる。

最近はあまり新聞を読まない。テレビやラジオ、そのうえパソコンなどの影響らしい。

そちらの方がえらく鮮新に思える。

ニュースは只今のことでないとダメになりつつある。昨日では古いのである。

新聞もさるもの、事件ニュース性のものにはさして力を入れないで、読み物本位の彩りを添え、あるいは国外などの報道に力を入れているように見える。

私が愛読していたある雑誌が最近廃刊した。

新しい資料を見つけ出しては、世の思い込みを是正さしてくれたりした。良い雑誌だったのに、ネタが尽きたというのか、経営に破綻が生じたというのか、私にはわからない。

さして競争が激しくて敗れたとも思えない。只残念である。

新聞にも地方紙など苦しいとか、そういえば町村単位の小新聞の類はもうまるで影も見えない。

新聞のページ数は極端に増えた。読者の幅を増やすためか、雑誌並みである。

座してネタの拾い込みを待てば成り立った商売はもう過去の夢である。

これでは儲からないだろう、新聞も難しい商売になったなあ。

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