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2016年2月18日 (木)

長寿を生きる

私が現在通っているデイサービスなるものは、老人など要介護者のため作られた法律に基づくものだが、通うと言っても自分の足で歩いて通うのではない。

すぐ近くの何百米かを車で送り迎えしてくれるわけである。

私の場合は一番軽度の要介護支援者ということで、1週間に1度3時間ばかり体操のごときものをさせらるわけだが、なにもしないで寝起きだけしていた私には、結構楽な運動ではない。

94歳の時始めたのだが、もう丸2年を超えた。だから今96歳である。

同じ場所で同じことをしているものの内、私は2番目に年長だが、一番は女性で20日年上である。

ここでも女性天国だが、老人の7、8割を占める女性天国の日本だからしかたがない。

毎月一度きちっと測定してくれる、健康度も良くはなっても悪くはならない。どうも効果覿面といったところらしい。

膝や足腰がいつも痛くて、このままでは間もなく歩けなくなるぞと思っていたのが、いまは嘘のようにどうも感じない。

心臓もわるくて、息が苦しくて横にもなりにくくなってたのが、これは医者のせいもあるだろうが、1キロ2キロただ歩くのではなんでもない。

つい最近人に煽てられて、百歳まで生きられると言われ、その気になってるのだが、私の親戚を見渡しても、百に近づいた人は一人もいない。

一人家内の妹の一人が嫁いだ先のばあさんが98歳で最近なくなったのがづぬけているだけである。

あの有名な郷土の女流作家宇野千代女史は家内の伯母の若き日の仲間だった関係上、我が家の話題にはよく現れたが、これとても百歳以上生きると公言したが、98歳でこの世を去った。

百にはやはり鬼門がありそうだ。公言はやめとくことにしよう。

昨日今日の体調の変化によっては、明日がわからない。

やはりはかないものである、人生は。

今日を自覚ししっかり生きていくしかない。

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