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2015年9月27日 (日)

人生を決める教え

私の幼い時はとても貧弱な体だったし、休学はするし、意志も薄弱でとても優秀な子供とは言えなかった思う。

どうしたことか、小学校5、6年になると、成績がずば抜けて良くなった。

ちょうど担任が中川安一先生に変わった時期である。

いい声をして、音楽が得意な先生で、スポーツも野球に積極的に力を入れ、昼休みなどには子供らを相手にノックして玉をひろはさせたりした。6年の時にはチームを編成し、当時近隣では強豪校として有名だった呉五番町小学校や、柳井小学校などを招いて他流試合を挑んだりさせられたこともある。

もちろん歯の立つ相手ではなかった。

彼らは堂々のユニホームに身を固めた本格的なチームであった。

私はこの先生にとても可愛がられた感じである。

声がいいとて、いつも教壇に引っ張り出されて独唱されらりした。実はこれは私はじつに嫌で嫌いだったのだが、仕方がなかった。4年生の時には担任の高木先生に音楽会に出るように指名されたが、音楽の先生が別の専門の先生だったので、逃げ隠れしてとうとうすっぽかしてしまった。

今度は毎日教えてもらう担任の先生だから、逃げるわけにはいかない。

全国学力テストで最高の成績を収めたと言って私を天才だと、他の生徒に広めたりされたものだから、逃げ場がなくなってしまった。

6年卒業時、君は軍人が向いているから軍人になれと個人懇談で言われたりした。

自分ながらえこひいきされてると感じたのであろうか、意に逆らって、商業の道を選んでしまった。

非常に短気な先生で、子供達をよく殴っていたので、生徒たちからは恐れられ、嫌われていたが、わたしには非常にいい先生だった。

卒業時には優等賞や高橋奨学賞を頂戴するなど、身に余る光栄に浴した。

中学校に入っても美声ということで、模範独唱は常々させられていたが、入学後しばらくして風邪をひいたことが原因で声が出なくなり、回復した後は声質が全然違ったものになり歌えなくなった。

中学2年の夏、元すぐ近所に住んでいて、2年前東京に引っ越していた山縣孝人さんが、今度高知高校(旧制)に入学したとかで、寄り道して岩国の親戚に来てしばらく滞在するという。

私一人しか親しい人がいないので、毎日うちに遊びに来て、話すうちに私が泳げないのを知り、教えてやるからと、一緒に海岸に出かけ手取り足取りで教えてもらうことになった。

熱心な指導で10日くらいですっかり泳げるようになり遠泳までできるようになった。

小学校の低学年時溺れて危うく死にそこねたことがあったので、海にはそれ以来何年も遠ざかっていた。

しかしこれ以来、すっかり自信をつけられたことは今も忘れられない。

なにはともあれ、教わるということは今にして思えばものすごく大切なことである。

人生はこの若き日の教育指導で決まるといってよいのではと、いまここに人生を終える間際、痛感するものである。

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