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2015年9月 2日 (水)

私の眠り

終日我ながらよく眠る。

家内が不思議がるほどである。

が、私自身の観察では、まだ本格的な眠りとも思えない。

日だまりでの居眠りに似た感じである。

話し声でも聞こえれば簡単に目覚める。

夢うつつの境をさまよっているとでも言おうか。

さだめし、あの世との境をうろついているのだろうか。

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2015年9月13日 (日)

50年という時間

一昨日思い立って岩国に弟たちの家を訪ねる。

車の運転の確認のつもりもあった。

近く免許証の更新の高齢者講習があることに備えたともいえる。

別に問題はなかった。ただ試みにある老人マンションを所在を確認するために、岩国駅前地区をうろついたが、ややこしさにいささか疲れた。そして発見もできなかった。

車の交通時間帯でなかったから、まだ楽だったが、老人のすることではないなと後で反省したことではある。

それにしても街の変貌の激しさ、思いもかけなかった。

昔の知人の家もほとんど確認できなかった。見ず知らずの場所を訪ねると一緒だった。

50年60年という時間はやはりただ事ではない。

10数年も住み、人並みにこの地域で営業活動をして来たこの私でさえ、その地元がわからなくなるとは意外と思わざるを得ない。

ただ人間はよほど忘れやすい動物なのであろうか。

いや20年程度までなら、さほどでもないが、50年を過ぎることは、一世代は超えることだから、やはり全然別の次元の問題かもしれない。

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2015年9月15日 (火)

老人の夜更かし

先週後半、とうとう己斐に行く機会がなかったので、ずいぶん無沙汰しているような気がする。

昨夜はしびんの置き忘れかと夜中中、階上階下を探し回った。自分のボケを心配しながら。

ほんとは家内が掃除中ベッドの下に押し込んだに過ぎなかったのだが。

だんだん自身に自信が持てなくなった証拠か。

昨夜コーラック1錠飲む。今朝6時過ぎ下痢。少し苦って簡単に出る。15分んぐらいしゃがんでいたが、液状の後便が一度出たきり。

もう慣れっこで簡単である。

老人というものは眠くて1日昼夜を問わず眠ってばかりいる。そして私のように利尿薬を飲んでいると、いや、いなくても、小便が近くなるから何度となく起きて小便をする。

健康なものほど仕方のないもののようである。

生きて、飲んだり食ったり出来てる間は、新陳代謝、自然現象である。

夜中でもほとんど1、2時間おきに起きる。

昨夜も午前3時半起きて眠たくないので、1時間半ばかり本を読む。最近新刊の満洲国に関する本である。こんな本私くらいの老人でないと読む気を起こさないだろうなと思いながら、並べている書店が気の毒になって買い求めた。

読むうちに、走馬灯のごとく、当時の実景が脳裏をよぎる。

にきさんすけ、戦中戦後よく使った言葉だなあ。

私のように故郷を山口県に持つものには特に縁深い。さんすけは3人とも郷土の大先達である。中でも鮎川義介は私の人生初年兵当時の満洲重工業社長だった。

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2015年9月18日 (金)

戦中派老人の政治観

まさに暴力の応酬である。

国会のまどろっこしさ何とかならぬものか。テレビがご丁寧に空の委員会室を長々と描写する。置いてけぼりの国民はやり場のない怒りで興味を失う。

何をやっても国民は過半数は理解していないのが当たり前である。

古今東西これで過ごしてきた人間どもである。それでも禽獣にくらべれば民主的なのではないだろうか。

あれだけ新聞テレビが叫んでも、簡単には世論はついて来ない。

また反面簡単にひっくり返ったりするものでもある。実行する側だから、しくじったりしたら惨めなものである。

見苦しい暴力沙汰はやめてほしい。かりにこの暴力が通ったらまたその反動が恐ろしい。

大多数がその通り通ったのだからそれはそれで民主主義である。

国民の過半数は今自由に議論している。少数の思い上がり論議はもううんざりしている。

最後はやはり政治力を過半数に持って行く以外にない。

その日を反対派はじっくり力を蓄えて待っててほしい。

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2015年9月27日 (日)

人生を決める教え

私の幼い時はとても貧弱な体だったし、休学はするし、意志も薄弱でとても優秀な子供とは言えなかった思う。

どうしたことか、小学校5、6年になると、成績がずば抜けて良くなった。

ちょうど担任が中川安一先生に変わった時期である。

いい声をして、音楽が得意な先生で、スポーツも野球に積極的に力を入れ、昼休みなどには子供らを相手にノックして玉をひろはさせたりした。6年の時にはチームを編成し、当時近隣では強豪校として有名だった呉五番町小学校や、柳井小学校などを招いて他流試合を挑んだりさせられたこともある。

もちろん歯の立つ相手ではなかった。

彼らは堂々のユニホームに身を固めた本格的なチームであった。

私はこの先生にとても可愛がられた感じである。

声がいいとて、いつも教壇に引っ張り出されて独唱されらりした。実はこれは私はじつに嫌で嫌いだったのだが、仕方がなかった。4年生の時には担任の高木先生に音楽会に出るように指名されたが、音楽の先生が別の専門の先生だったので、逃げ隠れしてとうとうすっぽかしてしまった。

今度は毎日教えてもらう担任の先生だから、逃げるわけにはいかない。

全国学力テストで最高の成績を収めたと言って私を天才だと、他の生徒に広めたりされたものだから、逃げ場がなくなってしまった。

6年卒業時、君は軍人が向いているから軍人になれと個人懇談で言われたりした。

自分ながらえこひいきされてると感じたのであろうか、意に逆らって、商業の道を選んでしまった。

非常に短気な先生で、子供達をよく殴っていたので、生徒たちからは恐れられ、嫌われていたが、わたしには非常にいい先生だった。

卒業時には優等賞や高橋奨学賞を頂戴するなど、身に余る光栄に浴した。

中学校に入っても美声ということで、模範独唱は常々させられていたが、入学後しばらくして風邪をひいたことが原因で声が出なくなり、回復した後は声質が全然違ったものになり歌えなくなった。

中学2年の夏、元すぐ近所に住んでいて、2年前東京に引っ越していた山縣孝人さんが、今度高知高校(旧制)に入学したとかで、寄り道して岩国の親戚に来てしばらく滞在するという。

私一人しか親しい人がいないので、毎日うちに遊びに来て、話すうちに私が泳げないのを知り、教えてやるからと、一緒に海岸に出かけ手取り足取りで教えてもらうことになった。

熱心な指導で10日くらいですっかり泳げるようになり遠泳までできるようになった。

小学校の低学年時溺れて危うく死にそこねたことがあったので、海にはそれ以来何年も遠ざかっていた。

しかしこれ以来、すっかり自信をつけられたことは今も忘れられない。

なにはともあれ、教わるということは今にして思えばものすごく大切なことである。

人生はこの若き日の教育指導で決まるといってよいのではと、いまここに人生を終える間際、痛感するものである。

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2015年9月29日 (火)

私の暇つぶし

昔は「暇さえあれば」と、口癖のようにこの言葉を頻発したものだが、今は毎日毎日暇な時ばかりで、1日をどうして過ごすかに苦労している。

私の場合、音楽好きで、30代からずーっと、テープやCD,DVDそして、パソコンのHDまで利用して、主にラジオのFM放送を利用して、何千何万曲となく録音し、分類保存している。

おかげで、私だけでなく家内も喜んで暇つぶしにかけまくって楽しんでいる。

もちろん多くはクラシックだが、これにこだわることなく、古今東西、流行歌も外国の曲も、落語も漫才も、朗読も自分の思いつきでなんでも入れてある。

テープは半分は聞く機械の関係で捨てたが、途中で惜しくなって残りは保存してある。

機械さえ良ければいい音である。

目録はお手の物で昔はワープロ、パソコンが出てからはパソコンで、さっさと作って混乱を防いでいる。

己斐の家に週の半分住んでいるから、この時は特に暇で仕方がないし、マンションだから音響効果も申し分ないし、絶好の楽しみ時間である。

冒頭に苦労していると書いたが、実際は極めて満足し楽しく過ごしている次第である。

この月、高齢者自動車運転の試験があったので、近くの自動車学校で受けて無事合格証をいただいた。

あと3年、今まで通り行ったり来たりして、音楽も楽しまれそうである。

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