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2015年3月 3日 (火)

雛人形

午前中かなりひどい雨、ガス会社の宗村さんガス検知器を取り付けにやってくる。

5年の寿命だそうな。

私の部屋を覗いてゆく。遠慮会釈なくやってきたので仕方がない。

ガスでなくて火災報知機はどうなんだろう。

己斐のうちが増えたので経費関係が面倒である。

家計簿の帳付けも、同じ経費が二重に飛び交いややこしい。

この歳ではやはり面倒な仕事である。

そのうち手をあげることになるかもしれない。

やはり何事も単純な方がいいのかな。

家内はうちにも雛人形はあるのだがとぽつりと言う。飾れないことが悔しいのか。

倉庫の隅で虫に食われてしまっているのだろうが。

もう何十年になるのだろうか。

千代でもあと少しで60になるのだからなあ。

雛人形にふさわしい時代がもうこの世に来るとは思われない。

小さな島国に閉じこもってさも平和だとかこっていた時代にもどることは永遠にない。

世界に門戸が開くということは、数多の人種がせめぎ合いこそすれ、なごやかにお互いを尊重し愛し合うことからは遠くなるばかりである。

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2015年3月 4日 (水)

ありがたい私の音楽遺産

かなりの雲間から太陽が弱々しい顔を出してくれる。それでも結構今日は暖かそうである。

桜も開花を急ぎ始めることだろう。

温暖な伊豆河津ではもう咲き始めて観光客を集めているらしい。

行ったことがないのでわからないが、高遠の桜のような濃厚な色をしているらしい。

伊豆は戦中戦後を通じて度々訪れたが、河津は通り過ぎた。

剛勇河津三郎と曽我兄弟の育ったところだというくらいしか馴染みはない。

絵島生島の故事で名高い高遠の桜は濃艶で、なんとなく故事を思い起こさすに十分だったが、河津のそれは何を思い描かすだろうか。ともあれ、もう訪れる機会はなさそうだ。 

家内も私も音楽が好きで、暇を見つけては聞いている。特に己斐の家は音響効果に向いているらしく、時に聞き惚れてしまう。

昔録ったカセットテープもほとんどゴミとして廃棄してしまったが、惜しくなって残しておいたのが何百本かまだある。

若き日音に凝って録音しただけあって今聞いてもすばらしい。

余生を楽しむには十分である。

目も耳も往年の力はないが、近くで聞く分には関係無い。

ありがたい遺産といえよう。

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2015年3月 5日 (木)

便秘か

便秘気味で何日も出ないので少し心配している。

昨日はデイケアーに出かけて、無事運動ができたが、私の腹はどうなってるのだろうとやや不思議な気持ち。

最近は食欲は順調でなんでもよく胃袋に届けている。

長い腸だから少々の消化済みの残滓ぐらい、たくわえるのはなんでもないのかもしれない。

昨夜は下剤を又追加飲みしたので、明け方腹がにがり、再三起こされたがとうとう出なかった。

今朝はむかついて朝のパンも皆は食べられない。

腹の真ん中がきりきりと痛む。なんとも嫌な感じである。

全般に体調は悪くないのだから、私の思い過ごしなのだろうか。

医者に頼るほどのことでもないし、やっぱりがまんするか。

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2015年3月11日 (水)

天罰覿面

デイケアーの迎えの車が少し早く来たので、出るのを急いで庭先で私はよろけて転んでしまった。

迎えに来た難波さんがすぐそばにいて、とっさに私の手首をつかんでくれたので、ひどい尻餅はつかずに済んだ。しかし手首は内出血で真っ黒くなった。痛かったのなんの!

ありがたいやら痛いやら、が、ただひたすらお礼を言うのみだったが。

実は昨夜は買ってきたばかりのDVDプレーヤーで夜中の12時過ぎまで「清左衛門残日録」5巻を見た。

いいドラマだった。

久しぶりに熱中してテレビを見た、時間の経つのがわからなかった。

いいものはやはりいい。

しかし天罰覿面とはよく言ったものだ。昨夜の寝不足で体がふらついていた。

23年前、私の家内の父は車を押し歩きしていて、車が速く走りすぎて、体がついて行かず、尻もちをついて、腰骨を折ってしまった。不自由をかこちながら、4年後これが原因で死んだ。

私もその二の舞になるところだった。

難波さんはひょっとすると私の命を救ってくれたのかもしれない。

ありがとうよ。

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2015年3月12日 (木)

私も若い者の助けが要るのか

便秘気味だったので昨夜コーラックを飲んで寝る。今朝早々と効果覿面。

しかしたんびに薬のお世話になるのではなあ。

昨日今日とふらふら倒れがつづく。今朝も玄関の上がりたてでわけもなく転ぶ。横倒しだったから怪我にはならなかったが。

いささか気味が悪い。どうしてふらふらするのかよく分からない。

昨夜はよく眠ったし。

単純に老齢のせいばかりとも思えない。

若い者が一人いるかなあと思案投げ首。

手が空いてるのは晴子一人だが。

午後はいい天気になる。

いつか録画した”I love Chopin”を見る。めぼしい曲は全部ある。演奏者は歴代の日本人ショパンコンクール入賞者ばかり。4時間たっぷり。

こんなのが我がアルバムにあるとは知らなかった。

ショパンの曲はみんなが言うようにメロディが美しい。日本人の感性にぴったりだ。

日本で特にひろく国の隅々まで、その曲がよく知られているとのことだ。

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2015年3月13日 (金)

運転免許更新の悩み

朝はまだ冷たい。ストーヴなしには居られない。

昼中は14度くらいまで上がると言うが。

明日は己斐の内科に予約がある。午前中だから今日中には己斐のうちに入っていなければならない。

私も結構気ぜわしい身だ。

落久保内科もはやっているお医者さんらしく、いつも患者が多い。広島総合病院ほどでもないが予約があっても結構待たされる。待ち席は少ないし、嫌な待ち時間に変わりはない。

風邪でもはやっていると、却ってうつされそうで心配だ。

昨日は一度転び、一度転びそうになった。

一昨日から連続である。

もう限界が来たのかな。

運転してみるとまだ不安はない。コーナーの認識もちゃんとしている。

来年の免許更新は悩みそうだな。

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2015年3月16日 (月)

父の牛道楽

あまり天気はよくなさそうだ。

月曜日になるとすぐデイケアーが気になる。明後日のことなのに不思議である。

金曜土曜日になると日曜が気になった昔が思い出される。

今日のことより明日明後日の方が気にかかる。私だけの不思議な習性なのかもしれない。

今朝の食事はチシャをはじめ野菜がたっぷり、家内のおごりとも受け止める。

満足して胸を叩いた。

昔おやじが慈しんでいた我が家の牛の食事を思い出す。

80年以上前昭和初期私が10歳頃の話である。

朝一番、露の置いたのっぱらの草をたくさん刈り込んできて、まず牛に餌をやる。おやじの1日の仕事始まりだった。

私はまだ寝床にいて、途中から覗いて見るだけのことだった。

おやじの牛飼いは、あちこちで開かれる牛市に出かけて子牛を買ってきて、育てて売るだけで、野良に引き出して農耕に使うということはほとんどしなかった。せいぜい1頭か2頭の好きで飼ってるようなものだった。

子供の頃おやじの手伝いで、買った子牛を追って、何里もの野良道を歩く苦しさ、今でもしっかりと思い出す。

途中へばって動けなくなったことも2度や3度ではない。

今頃の犬や猫を飼うようなものである。趣味か道楽の一つとも言える。

そう言えば牛を飼ってる農家はあの付近には1軒もなかったなあ。

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2015年3月23日 (月)

我が家の騒音

退屈さは己斐も廿日市も変わらない。

生きることに興味がなくなったらしい。

もうダメだなとの思いが募るばかり。

昨夕は家内が夕食を抜いた。胃が悪くて吐きそうになるという。

昼も大したものは二人とも食ってはいない。なんでそうなるのかわからない。

私も食う意欲を失った。あり合わせをちょっぴり、かけ込んで済ませた。

今朝になっても格別空腹感はない。

春先の今頃はいつも変事が重なる。時候の挨拶か。

午前10時セキスイの郷原さん玄関改造工事の契約に来る。いつも時間はきっちりしている。

工事費用はすでに支払っているので、まずお礼の言葉からはじまる。

契約しないうちに代金決済が済んでいるのだから、工事屋さんも楽なもんだな。

工事の話より、戦争時代の話など余談が多い。

4月1日から工事にかかってくれることになる。

2週間ばかり工事の騒音で近所に迷惑をかける。すまないな。

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2015年3月30日 (月)

ブログのコメント

いい天気が続く。

ただ身辺は廿日市と己斐の往復を挟んであわただしい。

生き物だから食うことばかりは、その都度用事の一つになる。

ブログも最近は書き忘れがふえて、どうしたのかとコメントまで届く。

もう卒寿だから堪忍してほしい。

うっかりすると読者のコメントも目が届かなかったりする。

申し訳ない。

今日は思いがけず遠い昔同じ部隊にいた人で戦死した方の親族からコメントをいただいた。

これは知らぬ顔はできないので、返事を書かせていただいた。

ただ、中隊が別で知らない人だった。

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2015年3月31日 (火)

我が家の歴史

家内が本を片付けろと盛んに言うが、まだ生きてる限り読みたくなりそうで、簡単にはあきらめられない。

自分の手ではやはり無理なようだ。いつまで正気でいられるのやらわからないのだから。

見極めをつけたところで、そちらでやってくれというところだ。

目の前に私の印刷した日記やブログその他は、勿論私の手で焼却はできない。

子孫に残しておきたいから作ったものだ。読む読まんは任意だが、山崎くんのお孫さんのように亡くなるとすぐから、その遺跡が知りたいと私のブログを頼りに、追っかけてきたのだから。。

うちにも一人くらいはいるだろう。

私の先祖のようになにもないでは寂しすぎる。

大事な曽祖父清兵衛さんの高さ1メートルの自然石の墓までも本家の三郎さんが破棄してしまった。

せっかくこの世までも残されていたものを惜しいことさせてしまった。

私が事前に気付いていれば、譲り受けるか保存を頼むかしたものを、残念でたまらない。

最近しきりに古書の発掘があちこち行われ歴史の書き換えが頻繁である。

ようやく国民が目覚めた感じ。

つい先の戦争でも、すでに歪曲が行われんとしている。事実の位置付けは極めて難しい。

皆推測、想像の産物でしかないのだから、事実を細部まで掘り下げることは誰にでもできることではない。

その点書き残された書などは格好の事実である。

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