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2015年2月10日 (火)

私の3ッ目の手

朝下剤が効いて7時ごろ下痢。

みぞれ混じりの朝、寒いやら忙しいやら、早い夜明けになる。

食が細いと便秘になるのか、これからも下剤を頼りに繰り返すことになるかもしれない。

己斐への往来が昨今激しく、家内などは息を切らしている模様。

電車往復がなくなっただけ、今後は気持ちが楽かな。

娘が反対していたが、当分自動車運転はやめられそうにない。

来年早々の免許更新は是非ともかちとらなければならない。

思えば車で走り抜けたような私の一生、兵隊以来の自動車人生だった。

こんな人生が待っていたとは、夢にも思わなかった。

兵隊になることから予想してなかった。徴兵検査でまさかこの私が0.1の近眼で貧弱な身体だし、合格することなど思いもしなかった。

ろくな兵隊になれないことは入隊する前から自覚があった。

それが意に反して、中隊長に任ぜられるほど軍人向きにさせられるとは。

おそらく輜重兵と言う兵科で自動車隊にいれられたことが、私にふさわしかったに違いないと今でも思っている。

入隊するまで、軍隊に自動車隊があることは知らなかった。

ただ昭和15年の当時、もうこれからは自動車の時代になるなと云う予感はしていた。

だから就職試験の第1弾は満州自動車株式会社であった。

予備はなかった。ひたすらにその入社試験に挑んだ。

残念ながらこの会社は募集広告はしていたが、採用者はなかった。

満州国のお国事情か、経営企業満州重工業会社(満業)の企画倒れか、会社の発足はなかった。

九州帝国大学の試験場で行われた入試で、試験官の林庶務課長の発言で、今回はまだ満州自動車の採用はない。傘下企業の中、満州鉱山が向いているようだからそちらに行けとさとされ、仕方なく承諾した。

他日同じ系列の企業だから、転任もあるだろうと未熟な年頃だから考えたわけだった。

運命はどう転ぶかわからない。徴兵検査の結果、満州ハの53部隊への入隊命令で、広島の袋町小学校に昭和16年1月25日集合を命ぜられ、宇品から御用船に乗せられ、朝鮮の羅津に上陸、向かったは北満斐徳という寒村だった。

原野のど真ん中、あるは兵舎ばかり、対ソ戦に備えて、まさに新式機械化部隊の集中地だった。

広野の中に並んだ2個聯隊の自動車部隊のうち、自動車第3聯隊というのに入隊させられたことは、その日になるまでわからなかった。

こうして運命に引きずられるままに、一人前の自動車兵に仕立てられ、4年目に支那大陸縦貫作戦に転用されるということまで行って私の兵役は終わった。

結末は敗戦、そして帰国、破壊され尽くした故国、故郷、我が家、全くの一からの出発だった。

唯一の技術自動車の運転は私の職業に彩りを添えた。

爾来70数年間、私の今度は社会生活戦線の武器となった。

いまさらこの武器を捨てろといわれても90のこの歳で捨てようはない。

両手のそばに生えた、もう一つの手のようなものである。

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コメント

高齢者は、危険な運転をしていても自覚がない、無意識にしている違反行為(信号無視・急な車線変更など)をよく目撃します。
自分だけは大丈夫だと言った根拠のない自信は捨てて、運転免許証は自主返納してください。
事故をおこしてからでは遅いのです。

投稿: 老いては子に従います | 2015年2月13日 (金) 18時48分

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