« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »

2015年2月 3日 (火)

95歳の友と会う

10年ぶりぐらいになるだろうか、級友の福永君にこちらがそのホーム( 介護付有料ロージンホーム「ペララ」)に出かけて会う。

喜びだけで涙も何も出なかった。大きな声で叫びあった。私はまだ聞こえるが、彼はほとんどツンボで、何にも聞こえないようだった。

同級で同じクラスの席順も近かった。

何よりも下宿がすぐ近くで3、4軒目というところだし、従って食事の賄いやも同じだった。

思い出させてやろうという下心もあって、朝夕通った路地の写真をコピーして見せてやった。

又第2弾の写真は卒業第1年目(1940)の満州国新京での同窓会で、10数名集まった中に彼も我も存在していたことだった。

きゃあきゃあ言って喜ぶ彼。旧友たちの呼び名が連呼される。

お互い95歳の年齢を忘れるほどの記憶力である。

もっとも正確には、彼は3月14日が誕生日だから、数日足りない。

私は無事に誕生日を過ぎて今の数え方でも95歳であるが。

しかしあの戦争の中をよくぞ生き延びて来たものである。

生き残りは、この数年バタバタと死んで、この広島界隈ではもう彼と我だけになった。

 

全国では千葉で田島邦夫君が一人健在を誇っている。

彼はもう歩けない。私は歩いて、自動車も運転して今日この友を訪ねた。

廿日市から広島市可部町まで20キロは優にある。

ここ数年考えあぐんだ企画だったがついに成し遂げた。

もうこれが最後だぞと心で喝采した。

別れの握手は固く、痛かった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月 4日 (水)

国のありがたさ

昨日は大変な一日だったな!

気力だけで通り抜けた1日だった。

夜は早くからぐっすり。何も肉体的には疲労の原因はないにもかかわらず、よく休まれる。

なすべきことをなした思いで、今は快適である。

明日をも知れぬ今となって、人生の重み、有意義さをつくづく感ずる。

おお、栄光の95歳よ!

午後のデイケアーもなんらの支障もなく過ごす。歩行器や自転車踏みは特に力を入れてこなす。

思えばこのデイケアーなど国費の負担が50%近くも占めていることを感ずる。

ありがたいことである。もちろん保険料や介護料など負担も増加の一途を辿っているが、人工老齢化時代のこの先どうなることやらと、心配とありがたさに身の震える思いである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月10日 (火)

私の3ッ目の手

朝下剤が効いて7時ごろ下痢。

みぞれ混じりの朝、寒いやら忙しいやら、早い夜明けになる。

食が細いと便秘になるのか、これからも下剤を頼りに繰り返すことになるかもしれない。

己斐への往来が昨今激しく、家内などは息を切らしている模様。

電車往復がなくなっただけ、今後は気持ちが楽かな。

娘が反対していたが、当分自動車運転はやめられそうにない。

来年早々の免許更新は是非ともかちとらなければならない。

思えば車で走り抜けたような私の一生、兵隊以来の自動車人生だった。

こんな人生が待っていたとは、夢にも思わなかった。

兵隊になることから予想してなかった。徴兵検査でまさかこの私が0.1の近眼で貧弱な身体だし、合格することなど思いもしなかった。

ろくな兵隊になれないことは入隊する前から自覚があった。

それが意に反して、中隊長に任ぜられるほど軍人向きにさせられるとは。

おそらく輜重兵と言う兵科で自動車隊にいれられたことが、私にふさわしかったに違いないと今でも思っている。

入隊するまで、軍隊に自動車隊があることは知らなかった。

ただ昭和15年の当時、もうこれからは自動車の時代になるなと云う予感はしていた。

だから就職試験の第1弾は満州自動車株式会社であった。

予備はなかった。ひたすらにその入社試験に挑んだ。

残念ながらこの会社は募集広告はしていたが、採用者はなかった。

満州国のお国事情か、経営企業満州重工業会社(満業)の企画倒れか、会社の発足はなかった。

九州帝国大学の試験場で行われた入試で、試験官の林庶務課長の発言で、今回はまだ満州自動車の採用はない。傘下企業の中、満州鉱山が向いているようだからそちらに行けとさとされ、仕方なく承諾した。

他日同じ系列の企業だから、転任もあるだろうと未熟な年頃だから考えたわけだった。

運命はどう転ぶかわからない。徴兵検査の結果、満州ハの53部隊への入隊命令で、広島の袋町小学校に昭和16年1月25日集合を命ぜられ、宇品から御用船に乗せられ、朝鮮の羅津に上陸、向かったは北満斐徳という寒村だった。

原野のど真ん中、あるは兵舎ばかり、対ソ戦に備えて、まさに新式機械化部隊の集中地だった。

広野の中に並んだ2個聯隊の自動車部隊のうち、自動車第3聯隊というのに入隊させられたことは、その日になるまでわからなかった。

こうして運命に引きずられるままに、一人前の自動車兵に仕立てられ、4年目に支那大陸縦貫作戦に転用されるということまで行って私の兵役は終わった。

結末は敗戦、そして帰国、破壊され尽くした故国、故郷、我が家、全くの一からの出発だった。

唯一の技術自動車の運転は私の職業に彩りを添えた。

爾来70数年間、私の今度は社会生活戦線の武器となった。

いまさらこの武器を捨てろといわれても90のこの歳で捨てようはない。

両手のそばに生えた、もう一つの手のようなものである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年2月11日 (水)

私の年表

建国記念日なのでテレビで明治村の特集をやっている。

かって見物した思い出があるので、いつだったのか年表を調べてみるが記録していない。

日記帳を検索するとやっと1995.9.15に田辺の南宅に出かけたついでに名古屋から明治村まで足を伸ばしたらしい。

名古屋から観光バスを利用したとある。

たくさんのドラマの舞台にも使われているらしい。私には兵舎が関東軍初年兵時代の斐徳の兵舎にそっくりだったことを覚えている。

改めて年表にも載せておくことにした。

明治村の近くの犬山城に行った思い出があるので、ねんのためしらべてみると、こちらは2001.6.15だった。千代が名古屋にいた時、自動車を運転して、日本ライン下りに連れて行き、帰りに犬山城見学をしたのであった。天守閣からの展望の素晴らしさが目に焼き付いている。

こちらは年表に載っていた。同じ時だと思っていたが6年も離れていた。

記憶なんてあてにならないものだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年2月25日 (水)

デイケアーなるもの

デイケアーは先回来女性が増え賑やかである。

今まで1年間どうしてこうならなかったのだろう。

私なんか体操といったって、女性以下だから、引け目を感じなくてよろしい。

男性は若くて、体力がある人が多く、身障者とはいっても、力感がみなぎっている。

95歳の私には到底手が届かない。

いいツレができたということである。

そもそもデイケアーといって、いつからこんな仕組みが考えられ、出来上がったものか私は知らない。

うかつなことだとお叱りを受けることかもしれない。

ただ話ぐらいは聞き知ったのは大分以前だったように思う

しかし現実に参加してみて、その素晴らしい機能に今更驚嘆していると言って良い。

ただこのシステムを全国一律に普及せしめるとは、その費用といい、仕組みといい、よくもまあ実行に移せたと感嘆したい。

増加するばかりの、身障者たちのケアと再起だけでも、施政者たちは大変な努力を注いでいることは察しがつく。

負担させられている介護保険料もうなぎ上りに増加している。

しかし現実にその利用者側に立ってみて、やむを得ないことばかりでなく、まだまだ増強を余儀なくさせられるものだと実感した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月26日 (木)

老いの気まぐれ

予報も雨、現に今にも降り出しそうな空、家内は今日は己斐に行きたくないとぽつり。

別に決めてたわけではない、出かけるのはよそうか。

永いことFACEBOOKを覗いていないので、開けてみると村井有紀子さんのメッセ~ジと写真4葉が載っている。相変わらず彼女は健在である。次男坊と一緒に旅したらしい。長男は熱を出していて急遽残したとのこと、心も体も元気だな、普通ならやめにするところだが。

所がインドのニューデリーだからなおさら驚く。

(おじいさんの戦友山崎くんにだんだん似てきたかな)

昨日のデイケアーでしっかり運動したので少し体にしこりが残っている。

歩くのに手を振って歩いたのが少しこたえたかな、そして自転車のペタルフミも6分で2km走ったからなあ。

年に似合わずやりすぎだといわれそう。

いつまで続くか、もうすぐ終幕が来る。

夏までにはぽっくりとゆきそうな気がするのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2015年2月27日 (金)

夢遊の年齢

昨夜はココログ2014年版を2部印刷した。今回は誰にもやる予定はない。

ココログ自体歯並みのそろわぬ不完全品だから、表に出すほどのものではない。

幕引きの潮時でもある。

自身が時たま思い出してパラパラめくり読みしたいだけである。

そういえば死を目前にした自暴自棄的な発言が多いな。

心が知らぬ間に乱れてゆくのだろう。君子ではないのだから仕方がない。

今日は午後には己斐の家に行こう。

すみかが変わるのも時々は悪くない。家内は煩わしがっているが。

ごく小さな旅である。

あの世も旅だと故人は言った。

90歳なんて、生死の間を彷徨う夢遊の年齢に違いないのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2015年1月 | トップページ | 2015年3月 »