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2014年12月 8日 (月)

大東亜戦争勃発

今日は昭和16年(1941),大東亜戦争の勃発した日である。

新聞もテレビも知らぬ顔の今日この頃ではあるが、私には毎年のごとく深刻に思い返しては居る日である。

ブログを書き始めたのも2005年のこの日からである。

1994年に初めてインターネットに投稿したのもこの日からだった。

いつも書くことは同じような内容なのは仕方がないが、前よりは詳しく言えばこういうことになる。

1941年のこの日、朝早く準備して陸軍演習場のあった、富士の裾野、駒門廠舎を出発、その日の演習予定の自動車行軍中の対空防御、戦闘、退避の訓練を行いながら、伊豆方面に向かって国道などを南下しつつあった。

私は関東軍の自動車連隊(7個部隊)選出の幹部候補生200名の一人として、10月1日より翌年3月31日まで東京世田谷区の陸軍自動車学校にて訓練中であり、その一環としての富士の陸軍演習場に来ていたわけだった。

後で気がつくことだが、行軍中沿線の住民の歓呼の声や、この地方の特産のみかんをどんどん車の中に投げ込む姿の異常さに、こちらは真剣に訓練中なのにと、いささか呆れ気味だった。

修善寺の街中に入って、大休止となり、とある食堂に入ってお茶の奉仕を受けながら、飯ごう飯を食っている最中、店で鳴らしているラジオの声に驚かされた。

ニュースの時間だったか、特別放送だったかは覚えていないが、東条首相のハワイ空襲、アジア各地の開戦の報道を、まさにあっけにとられた感覚で聞き、これはえらいことになった、いやでも戦場の真っ只中にたたされるぞと、緊張が全身にみなぎった。

演習は即座に中止され、夜を徹して東京に帰営したことは当然の成り行きであった。

当時学校の行事を専属で写真撮影していた写真屋が居て、卒業時そのアルバムを買わされた。

200名全員が買ったと思う。

私のアルバムは米軍の空爆にあって、家屋敷灰燼に帰したが、幸い母が拾い出してくれた。

しかしその後風雨にさらされ、私が帰国して見たときは、無残な姿になってたが、かろうじて写真の体裁を保っているのでその一枚を掲載する。

1個中隊ぐらいが、路傍で小休止している風景である。三島付近だったか、後ろに富士の山容が雲の上に見える。

Photo

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