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2014年6月 8日 (日)

私のパソコン人生

私は何時ごろからコンピューターに首を突っ込んだのか、日記をめくって調べてみる。

昭和30年台から、日経が『パソコン」という雑誌を出し始めて、暫く購読を続けた。難しくてチンプンカンプン理解出来なかったので、1年位経った所で購読をやめた。

しかし興味がなくなったわけでなかったので、関係資料に目を向けることは絶やさなかった。

昭和44年(1969)当時徳山曹達の経理課長をしていた、親友の田村君に何かの用事で逢った時、彼の担当していたコンピューター室を見せてもらったことがあった。

大きな部屋一杯にコンピューターの器械が整然と並んでいた。

その時の感動は凄かった。

此れあるかなと、向かうべき方向を決めたとおもう。

地元の東洋工業にもあって、カープの戦法など簡単にはじき出せると新聞報道まであった。

勿論有名な話だった。

 

1983年(昭和58年)の日記には、次女が勤め先で、払い下げになった小さなパソコンを貰って来たので、取扱説明書を見ながら勉強したと記録している。

当時は前提条件として、パソコン用語を先ず習得しなければならなかった。

この言葉をマスターしなければ先には進めなかった。

簡単につまづいてしまった。せいぜい詰め碁のソフト(フロッピー)を使って碁遊びをする位で終わった。

1985年ワープロで「マイリポート20」というのが発売された。予約して1ヶ月して入手した。二〇何万円かした。表示窓が1行の細長いデイスプレイで、順送りに次行が現れて来る。

永い文書はとても書けない。実用には無理だった。

2年後やっと本格的なワープロ「カシオワードHW3000」を買って実用に供した。

これ位でいいかと自己を満足させた。

経理書類の作成には必要不可欠となった。

それから十年、1994年にニフティサーヴに入会して、インターネットに接続し、文書量の多さに順応する為、ワープロを捨てて、パソコンを買わざるを得なかった。アップルのLC575を付属品を合わせて40万円くらい秋葉原に支払った。

爾来パソコンひとすじである。今は処分したパソコンを含めると7台になる。

ごちゃごちゃと私の部屋は妻も子供も入るのを嫌がる。

昨今は歳のせいか、随分かかずらう時間は減った。

毎日付ける日記と時に書き送るブログが主な仕事と言える。

しかしもう半世紀にもなる。

永いパソコン人生と云わざるを得ないだろう。

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