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2014年6月 2日 (月)

町内の道路掃除

早朝町内の道路掃除。

早くから告示が逢った筈だが、出て来る家は少ない。私の前の袋小路も私ら夫婦と岡崎さんの若奥さんだけ。

どういう意識なんだろう。

排水溝の舛の蓋を取って泥を掬う。木の葉が思ったよりは少ないし、泥の方はまるでない。

舗装になってからは随分になるはずだがどうしてだろう。

終わって下の岡崎さんの所を手伝う。水が全然ない。変だな。

道路の反対側の蓋を取ってみても、水はない。どこかへしみこんだのかな。

ふと振り返ってみると、2歳位の赤ちゃんがゲートの棒に捕まってじーっと親の方を見ている.可愛い子である。門を開けて出ようとはしない、しつけをまもっているらしい。

T字路の角の舛はたっぷりの水と泥。浜田さんなどが若いからさっさとやっている。

手伝わないで家内を残して、私は家に戻る。

腰の曲がらない卒翁には、溝さらえと云えども苦痛である。

何より、共同体意識の乏しいこの町内が腹立たしい。

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2014年6月 5日 (木)

偶想〜九十年昔

夜明け、降ってはいないが、朝が遅い。

気温20度、家内は寒いと云う。

幼児3歳、私は太平洋上に1ヶ月居た。同じ年頃の幼児をよく泣かしたと云う。

腕白だったらしい。船は大洋丸。おふくろの話題に何度も登場して忘れたことは無い。

唐突に幻覚が寝起きに現れたりして驚く。頭のどこかに記憶が残っているのか。

大正13年の正月(私の満5歳の年)、親父と大工の高崎棟梁との間に挟まって、建築屑の焚火に手をかざして、談笑を聞いている姿が未だに眼前に残る。これは幻覚ではない。

家はもうあらかた出来上がっていた。

親父はこの秋私達をこの新築の家に残して、メキシコに再渡航した。

風雲の志の強かった父と思わざるをえない。

この父は死の直前私の満洲行きを黙って許してくれた。

就職して岩國駅頭に向かう時、既に父はこの世に居なかった。

母は口をかんしていたが、親戚は猛反対した。

今この九十の人生の始まりだったとおもっても、今更意義づける何ものも見当たらない。

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2014年6月 8日 (日)

私のパソコン人生

私は何時ごろからコンピューターに首を突っ込んだのか、日記をめくって調べてみる。

昭和30年台から、日経が『パソコン」という雑誌を出し始めて、暫く購読を続けた。難しくてチンプンカンプン理解出来なかったので、1年位経った所で購読をやめた。

しかし興味がなくなったわけでなかったので、関係資料に目を向けることは絶やさなかった。

昭和44年(1969)当時徳山曹達の経理課長をしていた、親友の田村君に何かの用事で逢った時、彼の担当していたコンピューター室を見せてもらったことがあった。

大きな部屋一杯にコンピューターの器械が整然と並んでいた。

その時の感動は凄かった。

此れあるかなと、向かうべき方向を決めたとおもう。

地元の東洋工業にもあって、カープの戦法など簡単にはじき出せると新聞報道まであった。

勿論有名な話だった。

 

1983年(昭和58年)の日記には、次女が勤め先で、払い下げになった小さなパソコンを貰って来たので、取扱説明書を見ながら勉強したと記録している。

当時は前提条件として、パソコン用語を先ず習得しなければならなかった。

この言葉をマスターしなければ先には進めなかった。

簡単につまづいてしまった。せいぜい詰め碁のソフト(フロッピー)を使って碁遊びをする位で終わった。

1985年ワープロで「マイリポート20」というのが発売された。予約して1ヶ月して入手した。二〇何万円かした。表示窓が1行の細長いデイスプレイで、順送りに次行が現れて来る。

永い文書はとても書けない。実用には無理だった。

2年後やっと本格的なワープロ「カシオワードHW3000」を買って実用に供した。

これ位でいいかと自己を満足させた。

経理書類の作成には必要不可欠となった。

それから十年、1994年にニフティサーヴに入会して、インターネットに接続し、文書量の多さに順応する為、ワープロを捨てて、パソコンを買わざるを得なかった。アップルのLC575を付属品を合わせて40万円くらい秋葉原に支払った。

爾来パソコンひとすじである。今は処分したパソコンを含めると7台になる。

ごちゃごちゃと私の部屋は妻も子供も入るのを嫌がる。

昨今は歳のせいか、随分かかずらう時間は減った。

毎日付ける日記と時に書き送るブログが主な仕事と言える。

しかしもう半世紀にもなる。

永いパソコン人生と云わざるを得ないだろう。

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2014年6月 9日 (月)

無念!!赤ヘルの連敗

カープはどうしたんだろう。負け方がひどすぎる。とうとう巨人に追い越されてしまった。

定位置に戻ったと云えば、そうかもしれないが、交流戦には毎年弱いなあ。

最下位というのだから腹が立つ。

全国の球場で旗を振る赤ヘルファンの無念さを思うと、私も寝付きがよくない。

サッカーのブラジル大会が間近に迫った。

国民の目はそちらに向いている感じだが、さてどうだろう。

勝運だけは誰の手も及ばない。ぬか喜びにならねばよいが。

こうして下らぬことだが、私は日記を何十年も習慣的に付けている。

時にパソコンを離れて漢字を書くことがあって、書いてみるとどうしても当てはまる漢字を思い出さないで書けない。

改めてパソコンの文字変換機能の有り難さを感ずる。

ただ私の使っているアップルの「ことえり」はアメリカ生まれだから、気をつけないととんでもない誤変換を再三再四やってくれる。油断も隙もできない。不便と云えば不便だが、間違いが認識出来るだけ、まだ確かなことが分るからよしとしている。

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2014年6月12日 (木)

今度のデイケアーサービス

デイクァーには痛み止めを飲んで出かける。運動も加減せざるを得ないだろう。

薬が効いたのか、運動は別にたいした支障もなく殆ど予定通り終わる。

膝に負担がかかる運動だけ回数を減らす。

予想していた雨も降らず好天気で、室内ばかりのデイケアーでも気持よく終わる。

今回76歳という女性が一人加わる。3カ所のデイケアーサービスを受けたがここが一番感じがよかったから、ここにすることに決めたとおっしゃる。

私をのっけからおじいさんと呼ぶ。参ったなあー!

後で知ったが私の年齢を知ってたらしい。

最初のデイケアー利用テストの日にきづいたのか。

親族にも92歳の年寄りがいるとか。

彼女と同じ年で糖尿病で足が腐り、右足を切除した男も話し出すうちに分って来る。彼女のおしゃべりの効用である。

その男本人が話したのだから間違いない。

因みに76歳は私が現役を退いて、年金生活に入った年である。足腰が弱って、鍵やの親父が勤まらなくなり、工具器械材料の一切をまとめ売って仕事から離れた。

6年の兵役から死を免れて大陸から帰国し、CCD(外務省嘱託)を皮切りに、職種を転々とすること7度、8度、完璧な別れ方であった。

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就職と停年

相変わらずの梅雨の曇り空。ちょっと蒸し暑いが、隠居の身にはいいあんばい。

家に籠っているかぎりさして苦痛は無い。十分を言ったら罰が当たると昔の人は良く言った。

私自身も冬のチョッキを脱いだり着たり。

うたたねして風邪でも引いたら一巻の終わり。良く心得ているつもりだ。

婿たちがそれぞれ停年を迎え、新しい道に転進したという。

私と違って、個人企業でないものにはこれがある。

時が来たらいやでも後進に道を譲らねばならない。

勝手は許されない。

小さくても一国の城主には進退の自由はあった。私は世界戦国の動乱の後だから、いやでもその環境に追い込まれた。

いずれが是か非か,知るは神のみ。

先般とどけられた「鳳陽」の151号の事務局便り欄に山大経済学部は全国大学学部別就職率ランキングの経済系ベスト50の中で第9位にランクされていると記載されている。出典は朝日選書の木村誠著書らしいが、権威がどれほどでもこの数字はうれしい。

私のときも九州帝国大学で満洲重工業関係各社の就職面接があったが、試験の当日に受験者全員採用されて,他の学校の生徒たちの目を剥かせたことがあった。

学校の先輩の力によるものだった。

凡そ就職に苦労することなどは無かった。

何時かのブログにも載せたことがあるが、卒業の年の1月22日のお別れクラス会は全員就職先決定のお祝いを兼ねていた。

山口大学は来年創基200年を迎えると云う。私が卒業してからでも70数年になる。

何時のときも就職は楽だったと聞いている、一つは明治以来のこの地の先輩の面倒見のよいという風土によるものらしい。

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2014年6月17日 (火)

不可解なこと

市役所から、介護認定のためなんとかさんと言う人が私の現状を調べに来る。

薬のことは相当詳しい人だ。ちらと見ただけで病状まで言い当てる。

でも自動車は運転するし、パソコンはやるし、並の要介護者とは違うから検定が難しいことだろう。

歩くのが少し不自由で、心臓が弱っているから走ったり、急いだりは出来ない。

緩い我が家までの坂ももう私には無理だ。よろけてものにぶっつかることも多い。

此の点は常人以下だが。

昨日から電話が使えなくなった。理由は分らない。

うんともすんとも言わないから、電話局に訴えることも出来ない。

ケータイを使って東京に電話する。これなら楽に使える。

とうとうこうした時代になったか。

午後6時突如電話がかかって来る。びっくりして出る。

昼過ぎリハビリ中の角さんを病院に見舞ったお礼を娘さんが言う。

改めて電話機を再度取ってみるとジーと云う反応がある。

故障が直ったらしい。

何にもしないのに勝手に切れたり通じたりする。分らんことが多いいなあ。

それとも私が馬鹿になったのかも。

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2014年6月20日 (金)

悲観、雑感

私も年寄りだが、このパソコンももう老いたか、表示の速度がのろい。

イライラするほどである。

すらすらと淀みなく書けてた筈だが、どうしたのだろう。

昨今のパソコンは機能が多過ぎる。

日記を付けるだけなら昔のワープロの方がよいかもしれない。

過ぎたるは及ばざるが如し。昔の人はよく知ってるなあ。

そこへ行くとインターネットとは凄い、一瞬であの沢山の情報を読み込む。

同じくこのパソコンの機能である。理解し難いというべきか。

今朝地球の裏側では日本とギリシャがサッカーを争った。90分の攻防、結局引き分けた。

日本の細かい早業はほとんど通用しなかった。むしろ高さに圧倒されしばしば危機に陥った。

所詮日本人のせたかには及ばぬところか。

シュート力は弱い、正確性も今ひとつ。チームを一新して、出直す以外に無いだろう。

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2014年6月23日 (月)

カープ好調を取り戻す

昨日もカープは3ホームランで日本ハムにサヨナラ勝ちした。ホームラン76本は両リーグを通じてトップである。

何時カープがホームランチームになったのか、新聞ならずとも不思議である。

理知的なエルドレッド、がむしゃらなロザリオ、正反対な特長の二人といえる。

キラも特徴あるバッターだが、今年は不調で今二軍にいる。

これら外人の貢献度は大きい。

現在エルドレッドは23本で年間10本台だった彼が、どうしてかくも変身したのであろうか。

一時期インコース高めをつかれて、量産ペースが落ちていたが、ここに来てまた復活の勢い。

外人に刺激されてか、丸をはじめ日本人選手も時ならぬ時に有効なホームランを飛ばす。

いい循環である。9連敗のときはどうなるかと思ったが、5連勝と復活した。

今年は優勝戦線に居残ることは間違い無さそうだ。

昭和50年カープが初優勝したときも、山本浩二、衣笠祥雄の陰に隠れたが、ホプキンスのホームラン33本も大いに効果的だった。

これを欠いても優勝は難しかったかもしれない。

残念ながら、貧乏球団にはやはり予想外の外人の助けがいるらしい。

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2014年6月25日 (水)

日本サッカー敗る

日本サッカーは前評判にかかわらず、1勝も上げること無く1次予選を敗退した。

なんだかさばさばした感じである。

最後のコロンビア戦全力で戦って、逆に4-1と大差を付けられた。基礎体力の差だろうか。

南半球という気候差かもしれない。

ブラジルの暑さに、順応しきれないチームは皆敗れた。イタリア、イングランド、クロアチア、スペイン、韓国そして日本。

独、仏は強かった、赤道直下のコスタリカは抜群に強かった。私には説明出来ない。

そもそも四季のしっかりした日本では、暑いときは野球、寒いときはサッカー、雪の降る北国ではスキーかスケートと決まっていた。

暑い最中無理してサッカーなどやるものはごく少なかった。

近年になってプロ化し、年中やることになってしまった。いわば全くの後進国である。

選手の素質的なものは到底歴史のある他国には及ばない。

私自身よくもここまで仕上げたと賞賛こそすれ、卑下することは何もない。

ブラジルは言うに及ばず、アルゼンチン、コロンビア、チリ皆強かった。

彼等には今春か秋か、絶好のコンディショニングで戦ったわけだから、当然とも言える。

いずれ優勝は彼等の手中のものだろう

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2014年6月28日 (土)

オールスター投票カープから8選手

オールスターの一般投票でカープから8人の選手が選ばれた。

史上始めてと云う。

交流戦は9連敗し最下位に終わったが、ファンはお構いなしらしい。

この人気は少し異常である。

昭和25年原爆で焼け野が原の広島復興を願って、市民総意の元に設立されたカープだったが、地元企業もまだ貧弱で、資金源は一般市民の寄付に頼る始末だった。たる募金がいい例である。

昭和50年山本浩二、衣笠祥雄そして助っ人のホプキンスなど好選手に恵まれ、、投手陣は外木場、池谷、佐伯の3本柱、古葉監督の好采配もあって、セリーグ初優勝し、お荷物球団の汚名を一掃した。10年ばかりカープの黄金時代が続き5度のリーグ優勝、全国優勝もなんどかやってのけたが、爾来30年鳴かず飛ばずの今日である。

今年再びようやく曙光が見えて、大騒ぎとなった。

なによりも今まではは田舎の貧乏球団として、広島地方のファン層がバックだったが、今や全国にファン層が広がり、地方球団とは言えなくなった色合いが濃い。

この象徴とも言える現象が今度のオールスター投票である。

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