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2014年5月 1日 (木)

長寿の秘訣

いろいろあって永く感じた4月がやっと終わった。

風邪を引いたのが長引いて、そのせいで永く感じたのかも知れない。

下手すると命取りになると思っているから、意識が強すぎたのだろう。

順番から言えば私の番だから、私が死なないと私の一族に変化は訪れない。

わたしはかくのごとく元気だから、当分変化は起きないかも知れない。

まあ子供たちが一番安心して落ち着いている筈だ。

寿命というのは不思議なもので、岩中の同窓会の世話を引き受けてる菊谷君の年賀状によれば、この2、3年で5名亡くなり、現在は山口高商出身の3名と私(菊谷自身)だけになりましたとあった。

山口の3名とは私と神村と大畠の坂川君の3人の事である。

同じ年齢の山口の同窓はもう会の行事を打ち切ったから、生存者が定かではなくなったが、訃報が届く確率から判断すると、浜田の土田君、岡山の山田君、大阪の坂口君、東京周辺の松岡君、神村君、

それにこの近辺に済む福永君、坂川君、私だけらしい。

10名足らずとなった。この数年急激に減った。九(苦)の坂はやはり越すのが容易ではないのか。

しかし何故こうなったかは説明の仕様は無い。

しかし原因を在学時代からの有り様を追及してみると、うっすらッ原因が掴めそうである。

一番共通している事は「目立たない」ということらしい。

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2014年5月 3日 (土)

64年目の結婚記念日

フラワーフェスチバル始まる。

もちろん見物に行く元気は無い。

確かカープ優勝のパレードがあって、その翌年から始まった祭典だと記憶しているが、もう20年以上続いているわけだ。百万人も集まるのだから大した行事だ。

憶えば見物に出かけたのは母が元気な間だけだった。母がダウンしてからは一度も無い。

私自身は生来騒がしいところに出かけるのは嫌いである。母が好きだったから何事もしぶしぶお付き合いしたわけだった。

今日は私達の結婚記念日でもある。又毎年銀行から何時の頃からか花を送ってくれる。有り難く受け取っている。鉢植えだから、最後は庭に戻すのだが手入れが良くないから間もなく絶えてしまう。

まあこれでいいのだろうが。

1950年5月3日だから64年目というわけ、何の気なしに過ぎ去った年月だが、お互いがまだ息災というのが良い。

趣味のクラシック好きが一緒だった、喧嘩もしないでは無かった。私は浮気らしい事も一寸したかな。家内は終始問題にしなかった。

見合い結婚だから、惚れたはれたは元来ないわけ、ほどほどなのがいいのだろう。欲張りはお互い無い方だから。

といっても、事業は失敗するし、生業は変転きわまりなく、破産後は住む家も他人の家、転々とすること4度、やっと借金で造った小さな我が家に落ち着いたのが、1974年。爾来丁度40年、もう借金もなにもないが、家までがぼつぼつ寿命に近い。

幸不幸、区切りのまことに良い人生だった。

占い暦によると夫婦の相性は大吉となっていて、嘘ではなかった。

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2014年5月 6日 (火)

期待出来るぞ!カープ

昨日の雨も午後には上がり、祭りに不自由は無かったようだ。

3日間で172万人の人出だったそうな。良く数えたもんだな。

カープも毎日3万人以上を集めて、3日間良い試合をして勝ち越した。

確かに戦力はアップしたな。若い力だから末頼もしい。

私は現場を訪れる気力も体力も無いが、心の燃え方は人後には落ちないつもりだ。

県営グランド時代から下駄履きで岩國から応援に駆けつけた青春時代もある。

酒樽寄付金も投じた一人である。

純粋の広島人は大半が原爆の犠牲になった。助けなければとの気概はほとばしるほどだった。

今でも残っているが、この県営競技場のグランドの中にまで縄を張って、観衆を整理したとはご存知少ないだろう。座席なんてほとんどなく、芝生に腰降ろしての観戦だった。

勝負は弱かったなあ、勝っててもすぐ逆転されたり、長谷川、大田垣少年以外には使いものになるピッテャーはいなかったから、しかたがない。

石本さんが育て上げたと云ってよい。優勝するまで26年掛かった。

山本浩二、衣笠祥雄の二人のスーパースターの存在が大きかった。

今年は久しぶりに期待出来るが、エルドレッドなど外人の力が欠かせない。

大相撲といい、少し淋しいね。

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2014年5月11日 (日)

腰の痙攣

連休が明けたので昨日は土曜日だが、もう出歩くものは少ないのではと推察して、久しぶりに岩國に出かけることにする。今年始めてである。弟妹たちに会ってみたい思いが募ったものだから。

大竹のスーパーで弁当を買い、吉香公園で食事をすます。見渡すと結構弁当を広げている観光客は少なくない。

1時間過ごして室木に廻る。久しぶりに長談義、川下にも廻ったがこちらは弟はが野良に出ていて会えなかった。

5時帰宅。すっかり疲れる。うたた寝していて、起こされた時背中から腰回りが猛烈に痛み出して動けなくなる。自分でも始めての経験なので驚く。

家内にも手伝わして、揉んでもらう。十数分もたったか、やがて軽くなる。

痙攣だと分る。今までは足それもふくらはぎか足首に良く来たのだが、今回は腰から上だから大がかりだしびっくりした。

身体を折ったまま、何かに摘ままれたごとく動きが取れなかった。

痛さも並みのものと違う異常なものだった。

風呂に入ってよくもむ。

なかなか痛みは取れない。

今朝になっても昨夜の腰のけいれんの痛みがまだ残っている。

おそるおそるの行動になる。

今度の経験で、岩國までのドライブも出来難くなったなあと感ずる。

いよいよこもりきりの老人になるのか。

来るものが来たとの思いがしないでもない。

(写真は吉香公園)

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2014年5月12日 (月)

老人の暮らしの日々

昨夜は神村君が電話を掛けて来る。格別な用事はないが、私が元気かどうか知りたかったらしい。

今老人ホームに居ることを長々と喋る。

前回何時だったか春先に聞いた話のむしかえしだが、それを言っても彼は憶えていないらしい。

老人のくりごと、まあいいか。

三十数万円毎月掛かるらしい。夫婦二人至れり尽くせりの待遇で満足しているとか。

年金と恩給をつぎ込んで丁度いっぱいらしい。これは今度始めて聞いた。近所の大藤さんが利用していた、あの老人ホームと同規模のものらしい。

平均的な年金生活者を狙った、全国規模の老人ホームの一つだろう。

まあ元気で日ごと満足な暮らしをしているのなら言うことは無い。

若いものに見放されたらこれも致し方は無いな。

昨日はカープがドラゴンズにバリントンでこっぴどくやられたらしい。私はテレビで大差を付けられた6回で見るのをやめたが、後聞くと9対5で負けていた。

投手も打者もやはりいつも万全というわけにはいかない。

そこが面白いわけだが、身を入れ過ぎるとやはり辛い。

サッカーも好きになってよく見るが、これは更に大変なスポーツだな。運不運が次々訪れる。油断も隙も無い。J1でも下位チームが屢々上位を食う。

面白さを通り越したゲームといえる。

たんびにくじを引く感じだ。

最近少し嫌になって来た。

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2014年5月19日 (月)

自動車運転の自信

ここのところ体調が今ひとつなので、ブログを書く気力が出なくて、何日もお休みを戴いている。

だから日記も事実をメモ程度に数行記載してごまかしている。
我ながら不如意の仕業である。
今振り返って思えば、先週土曜日の半身痙攣がすっかり私を狂わせた感じである。
どこかに出かけるにも、なにかブレーキがかかる。
家内が宮島に行きたいというが、歩き通せるかなと不安になる。
私は行くのなら弥山の頂上に登りたいのだが、今は自信がない。
私の旅はほとんど車を運転する。
自動車と云う一種の凶器を操るのだから、尋常一様な心理状態を持ち続けなければならない。
先般の痙攣はショックだった。
足だけの痙攣は40歳代からよく発生した。300,400キロという運転をすると必ずというほど痙攣が来た。
足のふくらはぎから指先に掛けて、硬直しその痛さは並みのものでは無い。
時には運転途中で起きたりして、急遽退避場所に車を寄せて治まるのを待ったりした。
長いトンネルの中など、退避場所を良く利用したものである。神の救いかと感謝した。
足の痙攣は局部的なものだから、まだいいが、半身、全身となると予想がつかない。
ブレーキも踏めなくなったら一巻の終わりである。
他人にでも影響を及ぼしたら一生の悔いとなる。
70年間も運転しているから、高速道の無い時代から、長距離運転は昼夜をわかず、運転を続け、自信を失ったことは無い。
最近の心境は私にも始めての体験である。
世間様のおっしゃるようにもう引退すべきかなと思い始めた昨今なのだが。

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2014年5月21日 (水)

生き残り3人

かんかん照りの真夏の太陽、ちょっと買い物に近所のスーパーまで出たが、外を出歩くことはあまり無かったので助かる。

午後は定例のデイケアー。

昨夜からの原因不明の腰痛のせいで、デイケアーの運動がシンドイ。

散歩や自転車踏みは程度を下げてもらう。

なんとか頑張って所定のコースを終える。疲れた!

いつも感じていることだが、私らの長寿はひとえに家内のつくる食事に遠因があると思わざるをえない。

私は何十年もその餌で飼われた家畜に過ぎないようだ。

思うに凝った言い方をすれば、家内の造るレシピは最高に私の健康に役立っていると云っていい。

夜中学校の同窓の一人が今年の2月に亡くなっていることを、高商の会報で知り、東京の神村君に電話する。中学同級生の生き残りはこれで、菊谷君を入れて、私達二人と計3人になったわけである。

何の因果だろうか。

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2014年5月22日 (木)

生き残り3名〜つづき

十時間ぐっすり眠って目覚めてみると、もう次の日の朝である。

今朝のように明るい日射しに包まれると、まさに飛んで来たような感じ。

飛ぶがごとく日々は過ぎ去って行くわけである。

同級生の神村は昨夜の話では、遅生まれだから生年月日は1919年の9月だと言う。

私より4月古い。此の差は永久に縮まらない。

ガキの時代からいつも私をリードした彼は、やはり兄貴だったか。

出雲自転車旅行の中国山脈越えの道行きをいやでも思い出す。

1938年3月、といえば、私は18歳と2月、彼はすでに18歳と6月になっていた。

兄貴らしかったわけだ。

この旅行の言い出し、自転車で行くこと、生まれて始めて宿屋で泊めて貰うこと、路傍の茶店で飯を喰うこと、皆兄貴の誘導であった。

私の親父は始めあちこち、その道の先輩の意見を聞き回って、無謀だ罷めろと反対したのだったが、親友の神村に私が行くと約束していたし、諸般の事情撤回することが難しいと知るや、一転して可愛い子には旅をさせろに傾いていた。

親父は自らが二十の歳には、メキシコに出稼ぎに出かけていたし、進取の気象は人並みはずれていたから、理解は早かった。

母親は終始反対し涙さえこぼした。

未だに鮮明に思い出すこの旅がいかに大きな影響を私に齎したか計り知ることが出来ない。

神村君はとうとう現在まで生涯の友であり続けた。

私は昭和16年1月、軍隊入営の直前1週間、彼の会社の寮の彼の部屋に泊めて貰い,宮城との訣別、首都東京の見納めを実行した。

徴兵は頑健な彼は船舶工兵、私は兵隊ともいわれなかった輜重兵に振り分けられた。

奇しくも二人とも幹部候補生に選ばれて、彼は松戸の工兵学校、私は世田谷の自動車学校に、折から大東亜戦争勃発の時期、それぞれ学びつつあった。

示し合わせて、ある休日銀座の喫茶店で再会したりした。

戦後も死神に見放されて、郷里での付かず離れずの友情と交際が続いた。

何時の頃からか、広島と東京と遠く別れたが、からむことも切れることも無く、生糸のごとき交際は今も辛抱強く続いている。

昨年暮れ12月、丁度岩國空港開港を利用して私は上京、最後の訣別となるを予期して、彼の一家を訪ねた。

そして今、同級生100名の中の、生き残り最後の3名のうちの2名になったとは。

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2014年5月23日 (金)

不安

庭をうろついても、ふらふらとして、小さな樹々に危険を感ずる。

無意識で花々を見ることすら身の不安を感じたりする。

家内は草取りに精出しているが、ヤブ蚊の襲来に悩まされるそうだ。

自然と云えども、ただ人間どもの鑑賞の対象であるに過ぎないわけではない。

はっきり敵対する存在でもあるわけだ。

ことさら意識するわけではないが、老いも極まると、その自然の中に吸収されることになるわけだ。

人の死は見えるし、わかるけど、自分の死はどうなるのやらまるでわからない。

畢竟不安の根源は、そのわからないことに起因しているのだろうか。

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2014年5月24日 (土)

カープ交流戦に早くも3連敗

カープは昨夜もオリックスに1-3で敗れて3連敗。ずるずる行きそうである。

何故毎年パリーグチームに弱いのだろうか。

一番気の付くことはあらあらしさが無いことだ。というよりパリーグのどのチームより劣っているということか。

練習とか訓練以前の精神的な強さとでもいったらよいだろう。

全体が気圧されている感じである。チャンスは造っても肝心な決めが打てない。

一朝一夕には改まらないだろうから、仕方がないか。

昨日だったか女子サッカーのアジア大会で、日本が中国に終了間際コーナーキックのチャンスに、頭で合わして簡単にゴールを決めて勝った。あれだな。誰でも知ってる点の取り方だが、寸分の正確さが無いと成功しない。

やはり難しいことだが。

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2014年5月26日 (月)

女子サッカーアジアで優勝

昨夜はプロ野球交流戦でカープがやっとパリーグ最下位の西武ライオンズにホームランの得点3により始めて勝った。ピッチャーはバリントン、それに中軸の打者は外人3名、正に半分以上は外人の力である。

私に言わせれば魅力無いなあである。

現在は日本人もこれという選手は皆アメリカ大リーグを志向する。もう一人や二人ではない。

その穴埋めとしても外人の採用は仕方がないことか。

当たり外れが大きいから、チームの成績も安定しない。面白いと云えば面白いのかも知れない。

スポーツ界も質が変わった。

しかし女子のアジア選手権は純粋に国別で、日本は昨夜オーストラリアを1-0で破って初優勝した。

世界首位の実績を持つ日本もアジアには縁がなかった。

悲願の優勝というべきか。

実力も勿論必要だが、運が多分に左右するサッカーの勝敗だから、チャンスに恵まれなければ勝機は来ない。一瞬のチャンス、それをものにするかどうか、これも実力の一つではあろうが。

男子のブラジル大会が間近に迫った。

日本も8強には入れそうである。風雲を巻き起こして欲しい。

世界と云えばテニスがある。錦織選手がランク9位に入った。

私の知ってるのでは佐藤、布井両選手以来である。日本人の華やかだったのは何十年昔のことか。

デ杯決勝を争って、あわやという所まで行ったあの時代が忘れられない。

錦織に続く選手が欲しい。

(写真は中国新聞より)

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