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2014年3月24日 (月)

香護山の家

広島南道路が昨日開通した。昨日は式があったり、随分混雑したらしいが、いずれ私もすいすいと走ってみたい。黄金山や呉など簡単に行く事ができるだろう。

今年の花見はそちらにするか。

 

私の魂は明らかに過去の良き日をしきりにさまよい続けている今日この頃である。

今も勿論存在するであろうが、黄金山と峰を続けて香護山がある。その裾野一帯に終戦後いち早く出来上がった新興住宅地が香護山町といわれた。

坂の中途のバラック長屋の一つが私達家族が始めて広島に移り住んだ家だった。

当時登場した軽自動車が道路幅すれすれにやっと家の前までやって来れた。わずかな家財道具は社員が会社の車で運んでくれた。

この家は社長の弟さんが買って住んでいた家だが,彼が北九州支社長に転勤して空き家になってたので,社長命令で無償で私らが住む事になった。

大変なボロ屋でごきぶりがぞろぞろには先ず参った。畳を上げてみると、根太の下は大きな岩盤である。

夏尚湿気で岩肌はぬらぬらしている。

北向きで比治山学園と対峙しているが、日が射しこむことはまるでない。

こんなうちに永く住んでいると確実に病気になるなと思った。

翌年の1965年、会社を辞めてクリーニング業を始め、3軒目の店を借りる時、そのビルの4階の空き部屋も借りらされたので、其処へ移り住んだ。丁度丸2年の香護山暮らしだった。

ただではあったが、lこんな条件の劣悪な家も少ない。

寝るだけの我が家であってみれば、私にはさして不快な思い出はないが、家事,育児、店の手伝いと追いまくられた家内は気の毒だった。

良く辛抱してくれたなとずーっと未だに私の心にひっかかっている責め苦である。

未だにその意味でなつかしい。

もう何十年も近寄った事もない。南道路を利用して近寄ってみるかなと今思っているところである。

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