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2014年1月 1日 (水)

サンフレッチェ天皇杯を逸す

東京の娘たちが帰るというので,早朝5時過ぎには起きてばたばたする。

落ち着かないのは誰も一緒で、圭さんも3時にはめざめたらしい。

スリーセブンから、手荷物を送らして,廿日市駅に向かう。予定より早く7時36分の電車で広島の新幹線口にゆき、乗り換えるとのこと。

朝が早かったので少し疲れる。

もう一度寝床に入って10時頃まで眠る。

井上に会食の謝礼をメールしたところで、千代さんから東京に着いたからと電話が入る。

元気はいいが長途、やはり疲れただろうなと案ずる。

今日から新しい日記、昔なら日記帳が新しくなる所だが、パソコンではファイルが新しくなるだけ。

便利は良いが風雅は無い。

私のことだから,表紙を付けたり,俳句絵を添えたりといった能は全然ない。

只単純に字面がならぶ、いわゆるテキストに過ぎない。

自分の為のものだから、これでいいだろう。

サンフレッチェやはり決勝で敗退した。

最初から守りを固めたつもりだったのか守勢体形から出発した。

そしてそれが裏目に出て早い機会に立て続けに2-0と先行された。

反攻に転じたが時既に遅く、余裕を持って守られた。

結局なす術も無く敗れた。リーグ戦以来連敗と悪いジンクスを将来に向かった残したかもしれない。

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2014年1月 3日 (金)

いつか地球最後の日

今日も朝から雲一つ見えない上々の日本晴れ。

昨日の午後速谷神社に初詣に行き,凄い車のラッシュに驚いた。拝礼するのにも、今度は長い人の行列だからたまったものではない。行列の横を通り抜けて,さい銭も上げずに拝礼を済ませて帰る。

こんな神参りは生まれて始めてである。

この調子ではどこも賑わうことだろうな、アベノミクス効果が出たのかも知れない。

新聞などではあまり効果はないように書き立てられてはいるのだが。

振り返ってみると、永い間我々年金族はおそなえもののようにすえおかれていたものだが、ここに来て高齢者保険、介護保険、市民税などと2割がたは,引き裂かれて、楽隠居などして居れない状況になってしまった。

まあ自分の意のままになるのがまだ8割近く残されてるからまあいいかだが、消費に手を貸す余分はなくなってしまった。

消費が盛んに起きねば,消費税も増えまいし,景気も上昇するとは思えないのだがどうだろう。

WEBとかITとか空中をすり抜ける様な産業だけが成長し,石油だけが減りつづけるのではなあ。

電気とか水素とかいっても,元は大部分原油だからどうしようもないのでは。

怖い原子をおそるおそる百年,二百年と使い続けるか,減り続ける石油資源を大事に大事に一年でも永く持たして行くか、宇宙に漂い続ける地球船のままになるしかないだろうな。

何時の日か訪れる、愛する子孫たちの絶望の日が憐れである。

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2014年1月 4日 (土)

箱根駅伝

やや下り坂かも知れないが,まあまあいい天気。

あまり寒くなく老体には申し分なし。

昨日は久しぶりにテレビをしっかり見た。一つは箱根駅伝である。

私も若き日戦争を挟んで2度、読売本社前の群衆に仲間入りして,選手の到着を見たことがある。

一度は昭和16年,二度目は昭和47年である。一時的にでも東京に住んだのはこの2回だけだ。

別にひいきがあったわけではない。たまたま東京にいたというだけで、正月は休みが多くて行き場が無かった。

90回というのだから私が生まれた頃に始まったようだ。

今年は東洋大学が圧勝した。あまり聞いたことが無い学校なので馴染みは無い。

戦後は大学が多くなって、関心を持つ気もしないし、従って名前を聞いただけではどうにもならない。

昔は1日10時間位掛かっていたのが今は5時間台で走りきる。凄い脚力である。

2日間10人で走るのだから並みのチーム力では手に負えない。

東洋大学はこの5年間に3度優勝と云う。選手もだが統率者が素晴らしかったに違いない。

10人もが力を合わせるなど、口で言う程簡単なことではない。

テレビでみると、選手の多くは全国地方出身者で、今は無名だけど、将来に向かって羽ばたく著名なランナーになることだろうと、関心が高まる。

夜は今度はニューイヤーオペラコンサートを2時間見た。

こちらも殆ど知らない名前の歌人たちが,入り替わりの熱唱である。日本のオペラ界も成長したなと感慨深さを覚えた。

キラ星に近い歌手人の中にあって、やはり福井敬は益々熟練度をたかめたなと感動した。

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2014年1月 5日 (日)

認知症に近づく

正月はずーっと好天気。こんなこともあるのかなあ。

体調もおかげで悪くない。

人ごみが絶えた所で,宮島にも出かけてみたい。

一昨日は珍しく道に迷った。速谷さんから帰りに何を思ったか,考えもしない道に入り込みうろうろすることになった。交通事故に繋がることでもなかったが,行き止まりにぶっつかったり,結局訳が分からなくなった。

IPHONEを持ってたのに気がつかなかった。

簡単に位置が割り出せたのに。

まあ同じ町内のことだから時間の問題で,知ってる場所に出たのでなんなく解決した。

やはり初期の認知症に落ち入ったのかな。

あと2週間もすれば94歳になる。どこまで未知の世界が続くのだろう。

医者からは心臓が大分悪いと云われているのだが,私の診察では心臓よりも脳神経が大分おかしくなってると思うのだが,その現象を的確に説明出来ないのが腹立たしい。

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2014年1月 6日 (月)

もうジタバタするな

夜中にちょっとすばえたのか庭先が濡れている。

空は高曇り,薄日の射すまあまあの天気か。

宮島に参ってもいいなと思う。

用事があるのでエディオンまで出かける。

行ったついでに電気釜を家内が買い替えることにする。炊け具合が現在のは家内が気に入らないらしい。

今度のはうまく行けばいいのだが。

私はプリンター用の付属品を買って帰る。

終日天気はよかったが、なんだかひどく疲れた。宮島にはとても無理だなと、今更のごとく反省する。

立ち居振る舞いといううが、もう尋常では無いことがつくづく感じ取れる。

悲しいかな!万事窮したか。

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2014年1月 9日 (木)

デイケアーも3度目

昨日は今年始めて本格的な雨が午後になって降り始める。

生暖かい感じで,格別寒くはない。

デイケアーセンターは勿論暖房も適切で、軽い老人の運動には都合が良い。

今日は出席者6人とちょっと多い。

職員の人も忙しく、動きが激しいのは致し方ない。

何事も機転の利かない私だから、2週間も経つと皆忘れてしまって,いちいち聞かなければ器械操作が出来なくて、担当職員に手間をかける。

私は背が曲がってて,歩き方もつま先から歩をはこぶとて、注意をうける。

何度かつまづいて転んだ経験から,いわれることがよく判る。

かがとから歩けとは私の常識には無かったこと、大いに勉強になる。

また今日はマッサージで腰の部分がよく効いた。

正月以来腰痛に悩まされていたので,その分だけ特別に効いたのかも知れない。腰部のヒーティングもよかった。

よく考えられた設備だと感心する。

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2014年1月10日 (金)

宮島ロープウエイ

今年始めての雪の朝。

しかし日が射し始めて,9時過ぎには屋根に積もった雪はあっという間に消滅。

全国的な大雪らしいが、広島県はぽっかり空いた小雪地域。

気温もマイナスに下がった所が多いが,この付近はプラス。

有り難いことである。

FM放送がモーツァルトの曲を相次いで放送している。

雪景色にふさわしい。音を大きくして部屋一杯に流す。最後のジュピターはちょっと壮大過ぎたかな。

今度買った東芝の炊飯器はなかなか好調である。

まともな炊き方では実に美味しく炊ける。理屈の多い家内も満足そうである。

勿論私にも異議はない。

宮島のロープウエイは昨夜も点灯してなかった。もう夜間営業は止めたんだろうな。

時々窓越しに眺める宮島の明かりが気になるのは老いの習性か。

どうしても勇気を鼓舞して山登りしたいのだが、(勿論ロープウエイ利用して)家内が寒いのによしてくれという。普段がふだんだからしかたがない。

今日は特に腰の調子も良いのだが。

春になればもちろん都合がいいのだが、残念ながら景色がもやに霞んで,視界が冴えない。

寒い冬が一番はっきりして、四国の彼方まで見えることがある。それが見たいのだ。

冬なら何時でもというわけでは勿論無い。

絶好の運に恵まれたらということだから,難しい。

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2014年1月11日 (土)

いいほうがいいということ

今朝部屋の温度は5度,玄関の寒暖計は丁度0度をさしている。

ぴりぴりする寒さである。

宮島の島影が珍しく霞んで,遥か遠くに浮かび上がっている。

 

まだ税務申告には早いが、せっかちな私は少し気になり始めた。

旅行はあまりしなかったが、風呂の改造など随分金を使ったなあ、医者には相当激しく通った。取りあえず私自身の医師領収を計算してみる。

1割負担だから6万円弱と案外少ない。

一昨年の様な入院手術なんていうのがなかったからなあ。

赤十字の神経内科の検査も大事無くすんだから、あまり金は掛からなかった。

無線マウスではどうしてか、新聞記事がどれも画面が踊って,勝手に拡大されたり縮小されて読み辛い。思い切って有線マウスに切り替えた。こんどは間違いなく操作が出来る。

こんなことってあるのだな。前にもこんなことがあったが,本質的に無線操作はやはり安定が悪いということだろうか。

もちろん私のAppleの器械だけの問題かも知れない。他のウインドウズやマックでも起きるかどうかは試してないから分らない。

今までも我慢して使って来たのだから,我慢出来ない問題では無い。

ただいい方がいいというだけだ。

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2014年1月13日 (月)

雪景色

成人の日。

現在は祭日も決まった日で無いことが多くなって戸惑うことが多い。

この日を唐突に成人の日だと云われてもなあ。

この歳になってはどうでも良いことだが、若い人はどう思っているのだろう。

今日は宮島も霞にすっぽり包まれて,その存在も定かではない。春近きを思わずには居られない。

しかし相変わらず朝は寒い。

今日は日射しがあるから,日中は暖かになるかもしれないが。

北海道や東北地方の雪に埋もれた風景をテレビなどでいくら見せられても,私には実感は無い。

この地の温暖さを享受するのみである。

かって若き日、酷寒零下30度の満洲に数年暮らしたことがある。雪は少なかったが,解けることが無いので,春先には道路端には何メートルもの雪土手が出来た。

一斉に解け始めると,道も野原も完全に湿地帯と早変わりした。

春5月、遠くシベリアから、ひたひたと音も無く押し寄せて来る海洋にも似た水の波、身震いのする怖さだった。

経験で知っては居ても、遠い過去のことはもう夢と同じである。

もう二度と会うことも無いだろうが,又経験したくもない。

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2014年1月14日 (火)

旧友からの突然電話

又いい天気。冬に入ったのを機に,寝起きが遅くなって,8時にならないと起きられないこのごろである。

家内もそれに合わせて,何も言わないで支度をする。

彼女はテレビに取り付かれたみたいに、食事の最中にもそちらに関心が行っている。

お互いツンボ同士だから,その方がわかりがよいのでもある。

いつもテレビの音は随分高いのであろう。

先般東京の娘たちが来て,テレビを取られたときは音が小さくて,何も分らなかったとは家内の言である。

私の目下の関心事は宮島のロープウエイである。

12日の日曜日には夜遅くまで灯が付いていたが,昨夜は消えていた。

勿論夜行くつもりは無いが、帰りを急がれるとせからしい。

家内は寒いときはどうでもよいという。私は見晴らしの良い澄んだ日がいい。

どうなることやら。

午後5時過ぎ突然東京の娘から私に電話。

神村に電話しろと云う。

何事ならんと折り返し電話すると、住居を替えたからという。

私に電話してもなかなか通じないので、娘の電話を憶えていて電話したらしい。

転居も今度お孫さんの出産から都合が生じたらしい。

皆元気だと言う,奥さんも怪我していたのがすっかり治って歩けると云う。

やっぱり昔の友はいい。

又,逢おう,今度は飛行機で岩國まで来いと強くすすめる。

全くこの世は何が起きるか分らない。

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2014年1月15日 (水)

旧友又一人先行す

転々と白雲漂ういい天気だ。

関東以北は雪模様をしきりに伝えているが、ここらは無縁の地帯か。

今日はデイケアーの日、足腰に目下異状はない。元気で参加出来そうである。

午後1時直前迎えの車が来る。近いから一番乗りである。

調子がよいとは今日の様な場合だろうか、天気もよいし体調も悪くない。

新顔も見えて,賑やかである。

男ばかりだから会話は少ない。機会があれば声を掛けるようにするのだが、途切れ途切れは男の習性仕方がないな。

相変わらず歩行訓練が難しい。かがとから歩けというのが難しい。

幼いときから,歩くこと=走ることで、育った私には、つま先で地面を蹴って,飛び跳ねて走るのが習性である。この年になってかがとから歩けと云われても凄く難しい。

言われ,見守られての歩行練習はいやでもぎくしゃくせざるを得ない。

5分間汗をかく思いで練習に励んだ。

そのうちに少しは上手になるだろう。

大阪の水戸君が昨年早く亡くなっていた。子供さんたちから、詫び状をかねた死亡通知が届けられた。

彼は同窓会の常連だったし、私のパソコンに刺激を受けて,パソコンを購入して一から勉強した男である。最初の頃はひっきりなしにメールの交換をした。

囲碁通信もやろうと研究したりしたこともある。

自然にメールが途切れ、ここ2、3年メールを出しても返事をくれない。飽きたのかなと思いながら自然と交換が減少した。

奥さんを亡くし、医者通いが多くなり、それどころではなくなったらしい。

音信が途絶えたまま彼は昨年2月あの世に先行していた。

死ぬ時挨拶をして死ぬるものは居ない。

当然の理屈である。

同じクラスだった。実に快活な奴だった。

シベリア送りの捕虜仲間の同窓の縁で、皆あい連れて戦後実業界に突出した。

成功者の一人である。私には特に親しくしてくれたのに残念である。

まあちょっと早かっただけだろうが。

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2014年1月16日 (木)

ネット社会の変わり身の早さ

デイケアーのせいか、朝から身体の調子が軽く心地よい。

痛くないということがこれほどよいことか。

気温も少し暖かくなったかに感ぜられる。

家内のリウマチもいくらか軽くなったのか、前程足先手先の痛みを訴えることが少なくなった。

聞かされる方も楽である。養生すればよくなることがあるわけだ。

老人の病は良くなることは無いと思い込んでいたが,私の場合と云い,家内の難病でもいくらかでも良くなるのならそれで良い。

やはり医学の進歩と云うべきか。

今年もこのブログを製本化しようと思いたち、印刷会社にアクセスしたが,昨年の9月につぶれてしまっていた。

ブログも最近は衰退気味で,それを当て込んでいた製本業者も立ち行かなくなったらしい。

手製の印刷ファイルは従来から造り続けてはいるが、外つらは普通のファイルである。

もう最近は配る相手も居なくなったからどうでもいいことだが,子や孫に読者がいるようなので、ささやかでも続けようと思ったのだが、うまく行かないらしい。

今回はあきらめるか。押し売りは迷惑だろうし,無駄な金を使うのもバカらしい。

読みたいものはコピーすればいくらでも見ることも保存することも可能な世の中だから。

通信フォーラムも10年そこそこで衰退,終わってしまったが,ブログも是はまだ早い。7、8年という所ではないかな。時代の変化が激しいなあ。

Facebookやtwitterは何時まで続くかな。

トラブル発生のうわさもぼつぼつ聞く。やはり10年ひと周期かな。お次ぎは何だろう。

機器もそうだが、軽いものほどまだ早い。

年寄りが追う必要は毫も無いが、眺め暮らすのは面白いな

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2014年1月21日 (火)

ブログの冊子造り

いい天気で昼中は蘇生の思い。

黄昏からは相変わらず寒さに身を震わせる。

昨年のブログの冊子造りにここのところ明け暮れている。

製本なんて業者に任せれば文句なしなんだが、今年はいつもの業者がつぶれちゃったので,仕方なく自分で造ることになった。

案外難しいものだな。

400ページにもなると,プリンターもいろいろ中断を起こす。

気をつけて居ないと,先日はとうとう故障を起こしてしまって、始めからやりなおすことになった。

何時間も掛かるから寝ても居られない。

やっぱり専門に任せるしかないかな。

最近のプリンターは性能も良くなって裏表にきっちり印刷してくれるから,便利はいいのだが。

まあ言ってみれば、気短な老人では、付き合いきれないということかな。

目次を造る段になって是をいちいち拾い出すのがこれ又大変、何かうまい工夫はないかなと思案するのだが,乏しい知恵では編み出せない。

世論に問うつもりもあって,ブログに載せることにした次第なのだが。

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2014年1月22日 (水)

思いがけない誕生祝い

デイケアーもとうとう5日目に入った。

思いも掛けず,誕生祝いのプレゼンスをケアサービスの皆さんから受けた。

事務局でとっくに下調べがすんでるからどうしょうもない。

記念写真やら,ぜんざいのサービス,全く恐縮する。

最近は親族でも長寿に呆れたのか,おめでとうなどというものは子や孫でも居ない。

経った一人歯医者の三島先生が祝いのハガキをくれてたが。

言われるのも照れくさいが、言う方もよれよれしているものにおめでとうなどとは,早く死ねと云ってると同じでいいにくいのでは。

ともかく今日の所は素直によろんこんで好意を拝受する。

考えてみると近来無かったことかも知れないな。家内ですらアラ今日はあなたの誕生日ではなかったと,夕方くらいに気づく始末だから,当人も関心を持つわけが無い。

ただ去年当たり,来年はだんだん1世紀に近寄るが困ったものだなと、ときどきふっと気がかりにはなって来ている所だった。

デイケアーは今日は人も多くにぎやかでよかった。

念入りなマッサージなど良く効いたなあ。首筋から肩の回りあれほどに凝っているとは思っても居なかった。

男性マッサージだから,若干容赦しない所があるようだ。

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2014年1月24日 (金)

私の94歳が始まった

ココログの目次造りに何日もかかってしまう。

あんなものと軽く考えてたがそうではなかった。

プリンターなどと云うものでやるとあんがいめんどうなんだな。

通り一遍のテキストでやれば問題はなかったかもしれない。なまじっか私のブログ集のスタイルをまねたのが,事を難しくしたようだ。

何百ページもパンチで穴あけをして、横腹が痛くなって未だに悪い。

痛み止めも効かないので昨夜はとうとう湿布を貼る始末。

老体の頼りなさ! 自分でも嫌になる。

立春はまだだが、今朝は何だかふわっと暖かくて、もう春が来た感じ。

宮島はすっぽり霞んで姿は見えない。

東北北海道を除いて,昼中は10度以上になるという。

この頃の気温変化はほんとうに予想がつかない。

夕方なんとか体調が戻って来た。

明日から又元気を出すぞ!

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2014年1月26日 (日)

広響のチャイコフスキー演奏会

広響演奏会の日だが、ちょっと雨がちらついている。

予報は曇りのち晴だが。

食事はアルパークで食べて、おもむろに平和公園に出かける。

途端に雨が降り始める。元の原爆事務所に逃げ込む。

20分ぐらいして小止みになったので,国際会議場ホールに急ぐ。

既に開場されていたので入場して待つ。

秋山和慶指揮の広響演奏会が15時きっかりに始まる。

オネーギンのポロネーズをきっかけに。

チャイコフスキーのバイオリン協奏曲、ベテランの堀米ゆず子、名前はとっくから良く承知しているのだが,生で効くのは始めて。

うまかったなあ!軽く引きまくると云った感じで、コンクール当たりで引く若手の奏者の息苦しさは毫も感じられない。素晴らしいもんである。

観衆皆そう思ったらしく,アンコールの拍手がいつまでも絶えない。2度おまけの小品を演奏したが、それでも止まらない、団員が立ち上がって帰り支度を始めて、仕方なくコールが止んだ。

随分無礼な終わり方だったが,終わりごろには拍手しながら苦笑する聴衆の声も聞こえたりしたから,頃合いだったのだろう。

休憩を挟んで今度は「悲愴」である。

これは秋山の自家薬籠中のものらしい。生で聞くオーケストラの威力をまざまざと感じさせられた。

第1楽章、第3楽章はこれぞ生の演奏だぞと云わんばかりの管楽器,打楽器のオンパレード。弦音は隙間からこぼれる透明な水のごとく淡い。

勿論放送で聞く音楽では無い.ましてやCD,テープの類いの音楽では更に無い。かねてから、シンフォニーは生で聴くものだと,自覚はしていたがこれほど差がでるとは思わなかった。

秋山の演奏に一工夫もふた工夫も感ぜられた演奏だった。

国際会議場の音響効果もすばらしい。専門家はどう感じているのだろう。

今日の演奏は,という次第で録音しても無意味である。聞きに来た千人の聴衆のものであった。

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2014年1月27日 (月)

就職先は手ぐすね引いて待ち構えているぞ

雲一つない日本晴れ。

昨日はいい音楽を堪能したし気分爽快である。

家内が娘等にその報告を今朝方すませたという。

朝子が就職先の会社から3月3日にはアルバイトに出てくれと依頼が入った由。

アベノミックスの影響で慌ただしくなって来たのかな。

交通関係の会社だから,当然春先には忙しい,待って居れないのだろう。

卒業は3月の末だというのに。

決まれば決まったでこき使われるのだろうな。

70年前おれも満洲新京で待ち構えて居られて、入社そうそう仕事を割り当てられて,勉強する間も与えられなかった。あの時は戦争特需景気だった。

トランシットを大量発注のため奉天まですぐ飛行機で行ってこいと、人生初年兵の私に直属でもない鉱山部長命令が下って,課長以下あわてて鳩首協議した覚えがあったっけ。

元来トランシットなどという器械は、内地の会社に満洲国政府の許可を得て,計画発注するものだった。

もちろん闇市場もあったりして、密かに入手する方法があったのは事実だが,新米の出る幕では無かった。

ベテランの長谷川さんにお願いする事になったが結果的には入手不可能だった。

単なる人数合わせならいいが、孫娘も入社早々からえらい事にならなければいいが。

午後せいこう外科に行き横腹の痛みを診て貰う。

肋骨の骨折らしい。パンチで穴あけを200回もしたのが原因。

途中から確かに痛くはなったが、無理に続けたのがよくなかったようだ。

当分静養を要する事になった。痛いから当然何も出来ないが。

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2014年1月29日 (水)

手紙など先祖が残した貴重な資料

天気は良さそうである。

肋骨の折損でどうしようかと悩んでいたが、何とか行けそうで安心。

家内は頻って反対するのだが、足の運動が主だから,マッサージ位を除けば痛いものは無い。

足の運動はしっかりやっておかねば先が心配だ。

出席を決断する。

今朝の新聞を見ると、日露戦争当時陸軍大臣だった後の総理寺内正毅の資料類を,遺族者の方から山口県庁に寄贈されたと報道されている。

私も昔寺内図書館を訪れた経験を微かに憶えている。

山口市内から歩いて隣村の宮野村まで随分距離があったことまで。

当時戦前で,山口聯隊兵舎がその近辺にあったと思う。

何故こんな所にと思ったが,彼の生家が近くにあったらしい。

乃木大将関連の書簡類もあるらしい。

二人は同世代で同郷だし,親しかったかも知れない。

遺族も東京に居られるらしいが,散逸を怖れての処理らしい。

大変結構な事である。

私の先祖も名家などといったものではないが、古くからのがらくたが蔵に沢山残っていたことを憶えている。

伯父の金鵄勲章や武士ではなかった筈だから,刀剣やりの類は大竹戦争で拾ったと聞いていたが沢山あった。

戦争から帰って見ると,私の家もだが伯父の住家も爆撃で壊滅していた。

ゴミとして始末されたのだろうが,残念でも私の記憶をよみがえさせるものは何一つ無い。

話が変わるが、私の家でも一つ記憶に残る事で残念なのは、父が保存していたアメリカ、メキシコのカリフォルニア移民の住所録である。確か日系の当地の新聞社が戦前発行したものだったが、かなりの分厚な書物だった。サンフランシスコかロサンゼルスかの新聞社発行で、もちろん日本字の住所録だった。

移民たちの現状から出身地の詳細な住所など一人一人かなり詳しいものであった。

親父がメキシコの鉱山から脱走して長年助け合った仲間の、名前や郷里など親父から聞いて印を付けて居たのだが,飛散して何も残らない今は、もうなすすべもない。

戦後国会図書館もネットを利用してこの本を探したが,とうとう見つからなかった。

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2014年1月31日 (金)

歴史より現状認識を誤るな

現在日中、日韓の政治関係は一見閉ざされたままに見える。

国境線の引き具合から、歴史認識などと色を付けて争いの種を造り出している。

経済力の上昇が招き出した現象とも言えるだろう。

韓国にしろ中国にしろ戦後の一時期は日本の協力が重要な部分であった。

戦後日本がアメリカの支援の元で復興を遂げたと全く同様なシナリオがいやでも見えて来る。

ともあれ復興そのものを成し遂げたのはその国であり国民の力であった事は違いない。

歴史認識などと云う前に現状認識の大切さが先なのでは無いか、いつまでもこだわる問題ではないのではと思っているのだがどうだろう。

今や宇宙への扉も開いている。そして世界の人智を必要としている。

これは単なる経済問題では無い。巨大な隕石でも衝突してくれば,地球の損滅の問題でもある。

近年の地勢の変動は全人類協力の必要を示唆しているのではあるまいか。

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