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2013年11月28日 (木)

敗残の兵、兵後を語る

加藤鏡児君の奥さんにお悔やみ状を書いて送る。

この11月の5日に亡くなったというのだから遅くはないだろう。

消え行く宿命とはいえ、残された側の虚無の情はやはりやりきれない。

久田君が副官になる前、満期除隊した前副官小林六郎さんとは、同じ官舎で同居した。

まだ満洲斐徳に駐留していた頃だった。

当時は本部の三役は小林副官、と兵器委員の私と主計が誰だったか今思い出せないがその三人だった。

満期除隊で副官と主計それに兵器委員首座がともに除隊したので、後任が前日書いた三人だった。

軍から見れば、次期作戦要員としての叙、解任だったらしい。

1ヶ月もしたかしないかで、部隊の中支作戦に向けての移動が発令された。

昭和19年5月から始まった湘桂作戦中は、共に会して議論をする暇も場所もなかったが、戦争終結後の捕虜期間中は山崎君と一番よく話した。

一転、惨憺たる祖国に帰って来て、もうお互いを気遣う余裕はなきに等しかった。

久田副官とは初年兵も同期だが、あまり親しくはなかった。

戦後も一度訪ねたことがあったが、その時は既に亡くなっていた。短命だったようだ。

むしろ前任の小林さんには在京時、米の遅配に窮して、千葉の農家だった彼に救いを求めて伺ったことがあり、大歓迎を受けた思い出がある。

この時帰りに乗換駅秋葉原だったか、荷物の検査があり、米は没収されたがイモや落花生は残してくれたという後日談まである。

昭和21年の暮れ、最高に苦しいときだった。

よく正月、命あってのものだねと、すごすごと東京を後に、郷里の崩壊した我が家にもどって来た。

小林さんには後日亡くなられた時、奥さんからお知らせを戴き、電話でいろいろお話したことがあった。

縁があれば、このように、お互いを認め合う時期が来るものであった。

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コメント

昔はいろいろとあっても、月日が流れると懐かしく思われるものですね。

投稿: しろまる姫 | 2013年11月29日 (金) 10時06分

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