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2013年10月12日 (土)

部落のお祭りと私の偶想

お祭りのしめ縄は班長さんが1週間も前に張っている。今朝老夫婦でてんがいをつけてまわる。

天気がよくなってよかった。早過ぎて濡らしてしまったおうちもあったようだ。

町内によっては全然なわをはらないし、お祭りにそっぽを向いた地域もある。宗教的行事と捕らえれば、知らぬ顔をするのもよいだろう。

私は昔から宗教とは思っていなかったし、いまでもそうだ。ただ村落共同体に住む、部落行事だと思ってここに移住して来た始めから、黙って参加している。

自由と云えば自由だが、最近のごとく不慮の災害が頻発する国土の中で、超然と一人生き抜くことが出来るというのであろうか。

その時になって仲間顔しても遅いのでは。

得手勝手と自由を勘違いしている。自由は必ず責任と義務を伴う、一面不自由な考え方なのだ。

言い換えれば、自由は言葉があるだけで、実態は無いと同じだ。

得手勝手は厳しい社会生活ではまかり通ることは出来ない。反発が何倍も激しいだろう。時には法律という罠もある。

氏神様は神主もいないささやかなほこらである。いつごろからあるのかは知らない。地名が冠してあるのだから、地名が出来たときかも知れない。

何百年か、何千年か海が陸地になったときからかかもしれない。

後ろの標高7百米の極楽寺山の頂上近くに貝殻の化石層を娘が見つけたことがある。私も一面昔は海の底だったのかと驚いた。

宗教なんて人間が考え出した単なる理屈にすぎない。

人類だけの紛争の種をまき続けている。

なんでも謙虚に、古来続けられたものを理屈を付けずに、うけつぐのもいいことではないのか。

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コメント

人生いろいろ、地域もいろいろ、自己責任時代。 村八分の残りの二分(葬式、火事)は協力するものらしい。
『情けは人の為ならず』です。

投稿: しろまる姫 | 2013年10月12日 (土) 22時55分

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