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2013年10月10日 (木)

運命の岐路

朝大型ゴミとして数十年前に使っていた、古い大型のファンヒーターを、家内と二人でえっちらと捨てに行く。

長年倉庫の隅で眠っていた。重くて老人には移動が出来なかった。

古くても機能が落ちてるわけではないのだが、大き過ぎて、しかたがなかった。

パソコンやワープロの古い型が、機能は完全だが何台もあちこちに眠っている。

いずれは処理しなくてはならない。今回一応捨てる対象にしたのだが、古い記録など見る為に惜しくなって見送った。

生きている自分があるかぎり、むつかしいものだな。

何時死んでもおかしくない人生を不思議に生き抜いて93年、どこかにこの運命の岐路がなかったか、ときどきふっと考えることがある。

戦後平和な時代を迎えてからは、生死の岐路なんてまるで見当たらない。

軍隊で憶えた自動車運転技術を駆使して、遠く九州を商用で経巡った1970年代、もう50歳を越えていた。

年齢の不安と道路事情(高速道路は無かった)の困難さが気になり、料金掛け捨ての生命保険3千万円に加入したりした。

料金の高さと、商売の安定化があって、2年で止めたけど、平和時の生命の不安などこれぐらいのものだろう。

私も可愛い妻や子がいるのだから、死に急ぎする様な馬鹿な真似はしない。ただなんとなく不安がつきまとっとていた。

あれからでも何十年、今度は正真正銘の寿命だ.天が与えてくれるのだから天しか知らない。

その天が居るのか居ないのか、これもわからない。これでは困るのだが仕方がない。

一昨年旧友河北省一君の手記をこのブログに連載した。

彼が自ら自分の運命を切り拓いた手記に感動しながら。

彼は明日シベリアに連れて行かれるという晩、友人と二人で軍隊の脱出を決意した。

部隊が無条件に戦いもせずに、降伏していたのが気に食わなかった。

もちろん上官も同僚も沢山見守る中での脱出行である。見つかれば死は間違いない。

満州国新京南部の無人の広野を夢中で走った。

大まかな警備しかしてないソ連軍だから助かった。

そして幸いにも逃げ込んだ部落が邦人たちが収容されていた区域であった。

さしあたり食う心配は無かった。

しかしそこらの邦人も明日への手段も目的も持ち合わせ様が無かった。

彼は友人と別れて、朝鮮経由で逃げる最短コースを選んだ。これが簡単では無かった。

朝鮮人は既に敵と化していた。ソ連人や支那人より怖いかも知れない。

鴨緑江畔での苦難の1年の逃避行がつづいた。

やっと沿岸伝いに小舟で海路を南鮮まで下った。

思い起こすのも苦痛だった。

彼は帰国後刻苦勉励して第1回公認会計士試験に合格し、先年亡くなるまで真摯な穏やかな一生を遂げた。

私も会社を創立する時相談に乗ってくれたりした。わざわざ遠路熊本から厭いもしないで。

彼は私への友情から、暇に任せて書いたその手記を私にくれたのだった。

お互いに運命の岐路を乗り越えたという共感が、友情を深めた。

かれも山口高商の同期生であった。

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コメント

その時々の状況に順応した結果が長寿に繋がったのではないでしょうか?

投稿: しろまる姫 | 2013年10月10日 (木) 12時51分

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