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2013年10月 5日 (土)

幼時の瞼に残る記憶

昭和3年になって、大正天皇の喪があけると、即位の礼があって、全国津々浦々でご大典祝賀行事が始まった。

浦が浜との境から約2キロ、西に向かってさいの峠まで室木部落と云った。

200戸もあったろうか、有志連中がはでな衣装を着て、三味線太鼓などお囃子を連れて、暗くなると、家々を流し歩いた。

江戸歌舞伎まがいのお芝居も混ざった。

ぞろぞろとけつに連なって、眠たくてどうにもならなくなるまで着いて歩いた。

七、八つの子供には何もわけ分らずに只おかしく面白かった。

何日続いたのだろうか。

翌年だったかドイツからツエッペリン飛行船が日本に飛んで来た。空への関心が俄然高まった。

ある日藤生の海岸に水上飛行機が着陸した.弁当を作ってみんなで見に行った。

間近く見る飛行機、驚き喜んだ。

一方不景気で失業者がむちゃくちゃに増えた。近所にも仕事が無くて喧嘩が絶えない家もあったりした。

米騒動まで起きる始末で、世の中は不安におののいた。

此の年昭和4年父がメキシコから引き揚げて家に帰って来た。

我が家は安定したが、世の中は暗殺が流行ったりして、浜口総理など政財界の要人が次々と殺され、隣村の村長まで殺されるという事態が発生した。

ただならぬ時代に入った。

そうして5.15事件、2.26事件と相次ぎ、昭和6年の満洲事変の勃発と続いた。

皆日本の国内の不平の高まりが招いたものだった。

しかしこの騒ぎをどこ吹く風と子供の私はよく遊び歩いた。

少年野球が花盛りとなった、対校試合が日曜日ごとに行われたりした。

呉の五番町小学校、柳井小学校など遠征して来た。強かった。

歯の立つ相手では無かった、後年甲子園を湧かす連中が混ざっていたのだから。

間もなく遠征は禁止になったが。

フィルムも写真もありはしないが、瞼の記憶がありありと当時を写し残している。

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コメント

もし、人生のやり直しが出来るなら、いつの時代に生まれて何をしてみたいのか教えてください。
それとも、現状で満足ですか?

投稿: しろまる姫 | 2013年10月 5日 (土) 14時06分

正直言って、もう人間はこりごりですね。
くじらにでも生まれ変わりたい!

投稿: sinoman | 2013年10月 6日 (日) 09時28分

『くじら』ですか?
なるほど。太平洋を好きなだけ泳ぐのも豪快ですね。私は『鳥』がいい。それも、猛禽類。一匹狼のクマタカになって大空を高く高く翔びたい。

投稿: しろまる姫 | 2013年10月 6日 (日) 15時36分

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