« お隣とは仲良くした方がよい | トップページ | 他の風土を見て己の幸せを思う »

2013年10月21日 (月)

私達の結婚式

朝快晴。

気温は14度。日が窓一杯に差し込んで来る。今日は暑くなりそうな感じ。

絶好のシーズンだが、私には持病のかんせんが又活発になり始めたか、一昨日から無性に体全体が痒い。

終日寝ても起きてもいらいらと痒くてたまらない。

湿疹があちこと発症しているらしい。手の届かぬ背中が一番ひどいからよけいいらつく。

肝心なチガソンも効かないのか。永く呑み続けているから効力がなくなるのだろうか。

ふと思い出して、このパソコンに記録されている私の日記を久しぶりに開いた。

1950年(昭和25年)私達夫婦はある近所の知人(妻の遠い親戚筋)の紹介で結婚した。

一人親の母が兵隊から帰って来た私の連れ合いをあちこちと手を回して探していた。

永い軍隊生活で、しかも敗戦、捕虜生活の末の(栄養失調からくる肺結核にも冒されていた)、家も職も、何もかも失っての帰郷だったから、希望も気力もある筈が無かった。

日記でも前途の希望らしき言葉は何一つ見えない。

おまけに結婚式の当日、何を怒ったのか知らないが、両叔父の間の段取りかなにかの食い違いだったかだろう、激怒して大声を発したとある。

当時だから簡単に、爆撃で崩れ残った小さな茅屋に、最小限の親戚を集めて、総勢10人ばかりの披露宴式場であった。

もちろん写真など取りもしないが、なにも証拠品は残っていない。

両家のものたちの座る場所もなく、婿たる私の席は無かった。

後から考えるとまことに奇妙で、叔父たちの言分では、嫁入りだからこれで良いと云う結論だった。

沢山の見物人が庭に押し掛けていたが、果たして満足したであろうか。

軍隊ではひとかどの部隊を指揮して戦って来たと云う自負もあり、もう30歳という成人意識もあり、経験の無いこととは云え、夫婦生活への期待などはかけらもなかった。

妻はその日から我が家のものというだけの、極めてかわいそうな存在だった。

「結婚生活に対する抱負もあまりにもなさ過ぎた。無為無策。一か月経った此の頃漸くそれに思い当たり、心漸く慄然たるものを感ずる。」という1ヶ月後の日記所感がそれを物語っている。

現実には波瀾万丈の毎日を過ごしながら、63年も過ぎた。

その日その日を生きるに追われて他を顧みる余裕が無かったというのが実相だろう。

妻はじーっと我慢強くついてきた。

えらかったのは彼女だった。

 

新婚旅行も組合の国重理事さんが中電の山口湯田療養所に宿をとってくれ、一泊旅行(米持参)をしただけで終わった。

結婚50年目(2000年)に妻の発案でハワイツアーに参加した。旅行社が気を利かしたのか、一晩金婚式と称して祝ってくれた。

彼女の誇らしい一夜だったか。

写真(上)山口の公園にて/1950.6(下)ホノルルの公園にて/2000.1Photo

Photo_2

|

« お隣とは仲良くした方がよい | トップページ | 他の風土を見て己の幸せを思う »

コメント

新婚当時の写真は、初々しくてお二人とも楽しそうですよ。ハワイでの金婚式のサプライズは良かったですね。旅行会社も粋なはからいをしましたね。奥様の『縁の下の力持ち』に感謝、感謝ですね。

投稿: しろまる姫 | 2013年10月21日 (月) 23時33分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/157907/58425801

この記事へのトラックバック一覧です: 私達の結婚式:

« お隣とは仲良くした方がよい | トップページ | 他の風土を見て己の幸せを思う »