« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »

2013年9月 1日 (日)

感懐

雨模様の月明けである。やっと9月か。

酷暑は未だ去り難いふうである。

昨夜も余りの蒸し暑さに、夜中に起きてクーラーのスイッチを入れた。

しょぼふる雨に、雨戸を開いたまま寝るわけに行かず、仕方がなかった。

もう秋の筈なのに、蝉の鳴き声は例年よりうんと淋しい。

我が家の庭で育つ蝉の幼虫もここのところあまり目にしなくなった。乾燥で土が固くなり、幼虫の生存ににふさわしく無くなったと思われる。

自然も年とともに移り変わるなあ!

忘れもしないオイルショックの年、1973年、ガソリンなどがいきなり倍の値段になった。

契約を直前にしていたので、後で考えると安値でこの家が出来た。

建築屋は損をしたとぶつぶつ言っていた。建築材料もどんどん日増しに昂騰したので無理も無かった。

九州への出張の多かった私も、ガソリンの値上がりはじかに響いた。

燃費の多いロータリー車サバンナを買った翌年には普通車のグランドファミリアに買い替えざるを得なかった。

九州からの事業撤退を考え始めた契機にもなった。

それから丁度40年、庭の樹々も老化したけど、もちろんこの私も自然の理に背くわけにはいかない。

が、90歳を過ぎてなお往時をしのぶ余裕がある。

良しとすべきか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年9月 3日 (火)

袖も知り合わない微かなえにし

今朝午前3時ふと目覚める。

李香蘭の歌声に起こされたらしい。

昭和15年、16年頃のレコードの様である。

懐かしくて目がはっきりさめる。

昭和15年は3月新京の満洲鉱山に就職した年である。大同大街のニッケビルの3、4階に本社があった。会社は主として金銀銅を主製品に満洲各地の鉱山から採掘していた。20カ所ぐらいあったかな。

ビルの2階には満洲映画の本社があった。

撮影所は南嶺にあって、多くの俳優さんたちがバスで往来していた。

李香蘭さんにも時々お目にかかったことがある。小柄な美人ではあったが当時はそれほど目立つ感じは受けなかった。むしろ白光や李明たちの方が際立っていた。

ただ日本語が上手で、言葉がはっきりしているし、現地の日本人には特に人気があった。

翌年軍隊に入り、9月になって、関東軍の自動車7個聯隊の幹部候補生たち200名だけは、集められて内地に輸送され、東京世田谷の自動車学校に入れられ教育を受けることになった。

理由はもちろん我が輩たちの知る所では無い。

間もなく昭和16年12月8日になり、丁度富士山の裾野の軍の演習場で訓練中大東亜戦争勃発を知った。

この頃李香蘭が人気で、数寄屋橋の日劇での公演に7回り半観衆が劇場を取り巻いたと云う、噂が兵舎にも飛び込んで来たりした。

たまたま同じ区隊(小隊程度)にいた第1聯隊出身の某が、”彼女は俺と同じ撫順小学校の同級生だよ、正真正銘の日本人だよ間違いない”と言い張りみんなの失笑を買ったりした。

別に信じる必要も無いのでそのまま終戦を迎えたのだが、戦後やはり日本人だと分って驚いた。

よく聞いてみると、彼女は同級生どころか、私と生年月日は20日しか違わない、同い年の佐賀に本籍を持つ日本人と分った。

いい声をして、正確な日本語で私にもよく判る日本語で歌ってくれた。

現代の若者たちの歌より余程よく判った。

袖振り合うも他生の縁と云う。

新京でたまたますれ違い、東京で彼女の同級生と寝食を共にした、こんなかすかなえにしもあるのだよ、この世の中は。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2013年9月 5日 (木)

カード支払には限度がある

台風17号が遠ざかったか、朝から好天気になる。

今朝の気温も8時現在19度、暑くも寒くもない。

腹具合少し悪い、珍しいことだが、何か食あたりでもしたかな。

昨日ガス会社に浴場改修工事代の残りを支払った。いつもガス代を引き落とすクレジットで払う約束になっていたので、原田さんはわざわざ入力機を提げて集金に来てくれた。

ところがなかなかカードを受け入れてくれない。”利用出来ません”とも文句が表示される。

仕方なくカード会社に電話してみる。金額に限度があるという。うっかりしてた、当然金額の限度があるとは、以前から承知はしていたが、自分が今その該当者になっていることに気づかなかった。

電話で限度が45万円までと教えられて、越えた部分は他の会社のカードにする。支払い銀行は同じである。

銀行まで金を下ろしに行くことを考えたが、未曾有の大雨の中しかももう閉店まで時間がない。

もう一つのカードで難なくパスしたからよかった。

普段使わないカードが別にもう一つと計3個もある。押し売りされたものである。

邪魔臭いから普段は持ち歩いては居ない。

支払い契約不履行にもなりかねなかった。下手な契約をしてはいけないな。

少し浅はかだったかも知れない。半分以上前金で支払っているから、大問題にはならなかっただろうが、金銭関係はやはり慎重でなくてはならなかった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月 6日 (金)

FM放送時間帯の深夜便だけ自動スイッチ入り

家内がリウマチ医者に行くので連れて行く。1時間以内に終わる。帰路五日市の回転寿しを食う。

私も家内も物忘れがひどく相次いで杖を忘れ、傘を忘れ、相手先で習得して保管してくれる。

ぺこぺことお電話様にお礼を言うばかりである。

昨日だったか深夜放送で李香蘭を聞いた話をブログに書いた。早速コメントがついた。

考えてみると、老人間では十年も前から人気化している過ごし方だと思っている。

聴取者がどれだけいるか、そこまでは知らないが、時々ニュースなどで聞かされる。

老人天国化している現在だからさもありなんと思っているのだがどうだろう。

私のうちはラジオを何十年も熱心に聞き続けている。

小学校4年頃近所の年上から鉱石ラジオを聞かされてからのファンみたいなものである。

兵隊に行く時、うちのものたちが私がどこでなにしてるか、少しでも分って欲しいと、新しい立派なラジオを買い残して出征したくらいであった。

音楽が好きだから、FM放送が開始されると早速熱中した。

コンポーネントを揃えたり、スピーカーを何セットも手作りで作ったりした。

家の中至る所にスピーカー配線してどこに居ても聞けるようにした。

昼間自分の店の中にも勿論配置した。

めぼしい音楽は皆録音した。テープカセットは千個以上、CDが出始めるとこれ又千個を越えた。

50時間録音出来るDVDアルバムはさすがに現在やっと36枚だが、

もうビデオの時代だから仕方がない。(ビデオも数字的にはこれに劣らないのだが)

もちろん音が良くなくては値打ちが無い。

この付近は電波状況がいいとは言えない。

だから大きなFMアンテナを屋根の上に立てて、配線を引き回した。

この付近ではうち以外では見かけないくらいのものだ。

以上のようにラジオもFMである。普通のラジオは殆ど聞かない。

そして現在は特に深夜はタイマーで午前1時から5時まで、FMで放送される時間に毎日スイッチが入る仕組みになっている。その他の時間はときどき聞くだけである。昔ほどの根気はもう無い。

ラジオの掛けっぱなしとは嘘で正確には以上の通りである。

昨日の晩も天野祐吉と宮本信子の隠居対談が始まったので聞いた。

プログラムに無かったので驚いて途中から起きて録音した。勿論面白かったよ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月 7日 (土)

我が家の思わぬ災難

今朝家内が見てみろというから、夏みかんの木を見ると、全体が白カビに覆われて、葉も実も完全に病魔の餌食になってしまっている。

まだ青いままの実という実には、蟻の群れが群がって盛んに樹液を漁って居る。

もうこれは駄目だなと気づく。

今夏の猛暑でへばって、枯死寸前といったところらしい。

かわいそうだがもう助からない。

果実も今年のは小さいなと思っていたが、木そのものが弱り果てていたのだった。

もの言わぬ生物、危篤の信号も無智の我々には届かなかった。

気づくのが余りにも遅過ぎた。

善はいそげと早速電気鋸をもちだして、枝から切り落とし始める。

2時間もかかって一段落、大きなゴミ袋3個に納める。こんどの収集日を待つことにする。

植えてから丁度十年の寿命だった。

難しいものだな。

所詮素人には手の届かない世界だというわけか。

災害は身近に思わぬところから訪れた。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月 8日 (日)

2020年のオリンピック

やっと雨も上がったし、今朝は早くから2020年オリンピック東京開催の朗報が入る。

私がこのオリンピックを見ることはないだろうが、青春の血を沸かした若者の祭典に変わりはない。

1964年にしっかり見ているから、悔いは無い。

敗戦の汚名をぬぐい去り、戦後復興の先駆けになった記憶は今でも生々しく残っている。

かげりの見え始めた今の日本にふさわしいとも言える。

個人の人生にも山あり河ありだが、日本も平和の行き詰まりに苦しんでいる状態だ。

重なる大震災の後、負の償いばかり強いられている今の日本、世界は未だ見捨てては居ないらしい。かってのように戦争に活路を求める時代では無い。

いい転機になって欲しいものである。

平和の真の良さを世界の国民に体験させる気構えこそ望ましい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月10日 (火)

2020東京オリンピックの使命

今朝の報道でも福島第1原発の汚染水漏れは続いているらしいが、安倍総理の今回の確約の通りうまく止まるのか心配である。

またぞろジャーナリズムが騒ぎ出すと治まりはつかないことになる。

この問題がうまく治まれば、オリンピック効果は凄いものになりそうである。

消費税もデフレ懸念もなんのそのである。

もう私には寿命が足りないが、盛会をすでに見た思いすらする。

前回は国内高速交通網の端緒を実現した、今回はさだめし外国観光客の大量誘致に繋がる太いパイプが実現するであろう.真の平和とは何か、目の前に展示することこそ今度のオリンピックの使命である。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月12日 (木)

トルコさんごめんね

昨日は動かぬ身体にむち打って、家内の買い物など手伝ったが、今日はもう出かけたくない。

大型ゴミも家内が片づける。

私はもっぱら音楽を聞きながら横になっている。

これしかない。

ブログを書くということは、案外頭を使う。

過去をひもどき覗き見する必要も生ずる。

90年と云う歳月は並みではない。

意欲が出ないときは残念だが放棄する。

東京がオリンピックでイスタンブールに競り勝った。

が私はイスタンブールの落選に涙した。

トルコは世界で一番好きな国である。

江戸時代の恩義を忘れずに、いつも好意を送ってくれる。

残念ながら今度符節を合わすごとく、日本の女子学生が遊覧の途次危害を受けたというではないか。

場所も名高いカッパドキアだと言う。

紀元前ギリシャ、ローマ、ペルシャなどが覇権を争って往来した古い故事来歴を残す地である。

女子学生たちもそれを探求したかったに違いない。

私も密かにエジプトやトルコ観光したいと思ったことがある。

人類発祥の史実を残していることは何と言っても最大の魅力だった。女の知人が絵はがきを送って来たりしたことがあったが、切歯扼腕したものだ。

女性に先を越されたかと。そして今回もである。

今となってはもう訪ねることは無理だ。が永年の彼の国との友情は無駄にしたくないものである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月13日 (金)

念願の三朝温泉へ行けるのか

昨日長女から主人が来月三朝温泉に連れて行くと云ってるからと電話して来る。

先年海潮温泉という地図にも無い様なひなびた温泉につれてゆかれた。これが素晴らしい温泉だった。

今度は有名すぎるくらいの三朝である。先般出雲に参拝したとき玉造の外れに二泊したが、その後すぐ次女等がツアーで来て、玉造と三朝に一泊づつしたという。三朝はとてもよかったと後日連絡まであった。

宿にもよるから一概に決めつけることはしないが、永年近くをなんども旅行したのに、宿泊するテャンスを逸していた。

婿が事情を知っていて、連れて行ってくれるのだろうが、待ってたよの思いも強いだけにうれしい。

幼い頃私のうちで所有していた海水を引く養魚場(だぶ)のすぐ向こうの山の斜面に『ミササ」の大きな立て看板があった。

この付近の人でも沢山出かける有名な温泉の名前だと、何時とも無く知っていた。大正の終わりから昭和の初めである。岩國から出かけるとなると大変だが、どういう風にして出かけたのだろう。

いやでも見慣れた温泉名なのだが、今はこの付近も交通事情は格段によくなり、往年のことは想像すら困難である。

連れて行ってもらえるとは嬉しい限りだが、仕事が結構忙しそうなのに気の毒だ。

好意は素直に受けるつもりであるが、93歳と云う老体で果たして満足に行動出来るかどうかいささか心配である。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月14日 (土)

人の世の所詮一人旅

今度の我が家のお風呂は、少し浅く小さくなったが、私の身長に合わせたごとく、寝そべってちょうど良い。

だからというわけでもないが、気安く毎日のごとく入る、時には2度も3度も。

もっとも夏だからのはなしで、これから涼しくなってはとても続けられない。

やっぱり温泉がいいということになるかも。

手軽にすぐ近くの温泉でもちろんいい。

と、太平楽が並べられるのも後何日だろう。

白菊会から総会の案内が届いている。もう10年以上も待たして申し訳ない。

何か大学の改築中とかで、駐車場の位置が遠いようだ。

会場の体育館まで、歩き回るのは無理だから、今年は出席を止すことにする。

我が家の墓も昨年から訪れていない。草がぼうぼうだろうと家内が言う。

涼しくなったら鎌などさげて出かけるかという打ち合わせにはなっている。

私が入るまでは空き墓だから、(しかも死んでも暫くは白菊会の預かりだから、空きは続く)別に問題は起こり様が無いのだが。

山の中に一人、家でも一人、思っただけでぞーっとするほど淋しいもんだな。

今がやはり一番好い時なんだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月15日 (日)

せいては、し損じる

台風18号が四国沖接近で、天候は悪化気味。

東へ向かって転回の予報だが、なって見ないと分らないだろうから、真っ直ぐ来ればこちらに来る。

何ともいえないな。

昨日の昼前家内が少し涼しいから墓地の清掃に行こうと私を連れ出す。

行って見ると、想像してた通り私の墓と両隣の墓地、草が生い茂って他が皆墓が立っているのに、この3区画だけが取り残されているように草地である。

もっとも私のうちだけは墓が建っているので、様子が少し違うが、しかし草に囲まれた姿はやはり惨めである。

永代借地料を当時町だった廿日市市に28万円払って権利を取得した。

5、6年して百万円も出して墓も建てた。

あれからもう32年も経つ。予想が大狂いである。

両隣とも悔やんでいるのだろうが、随分人間の寿命が延びたものだな。

今は金さえ出せば墓地はいくらでもある。

せいてはしくじることの典型のようだ。

いざという時には散骨と云う手もあるらしい。

迷惑を受けているのはこちらである。

丈の高い草は一応苅ってそのまま其処に戻しておく。苅り草の処理までする気にはなれない。

作業中ずっとカンカン照り、気分が悪くなり、車に戻ってクーラーをかける。

家内はとうとう一人で草の根を掘り取ったりして、綺麗にしてしまう。

執念が違うなあと驚く。

逃げるようにして車を飛ばして宮内のスーパーに飛び込む。

店に入ってやっと元気を取り戻し、中のお好み焼き屋に入って昼食にする。

若者用らしく凄い量で、半分も食えない。

店主が折をあげるから持って帰れとすすめる。そういうことか。

 

おやつに少し食べたが、未だ残って夕食のおかずになる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月17日 (火)

野球界の不思議な理屈

台風一過して涼しく、天気もよい。

雨の猛威はまだ日本列島のあちこちで被害を続出しているが、峠は越えたか。

もう10日ばかり腰が痛いので、昨夜は温灸を引っ張り出して使ってみたが、今朝も未だ痛い。効果はないみたい。

家内も腰が痛いといっている。もともと老人病だから仕方がないかな。

古来記録は破られる為にあると言われる通り、ホームラン記録もヤクルトの外人助っ人バレンティンが楽々と破ってのけた。王さんなどの55本を2本も越え未だ後の試合が18も残ってるから、世界記録にもなりかねない記録が生まれるかも知れない。

カープも残り僅かになって、巨人に3たて食らわし、CS戦線に台風並みの波風をもたらした。

リーグ優勝はもう決まったようなものだが、CSと日本プロ優勝は分らない。訳の分からない優勝チームが現れるかも知れないということだ。

CSなんて、そうした事態を期待してつくられたのだから、効果を大いに期待したい。

2度3度つづくと又制度改正となるかも知れないが、それも面白い。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月18日 (水)

昭和6年9月18日

私の年代のものはこの日を知らないものはいないだろう。

満州事変勃発の日である。後年関東軍の一部暴走軍人たちが企てたとされるものだが、日本帝国滅亡まで行ってしまった戦争の始まりだった。

1931年だから私は11歳だった。

腕白盛りだから、戦争それも勝ち戦なら大歓迎だった。

3ヶ月で満洲全土を制圧したのだから、両手を上げて喜んだことは仕方がない。

しかし資源の無い経済小国日本だから、すぐ隠忍を迫られた。

私が就職した満洲の地はそれでも資源豊富で、給料はいいし、生活が豊かだからというのが求職第一の理由だった。

赴任したその年昭和15年(1940) は窮屈になっていた内地と比べ自由さ、物資の豊富さ、従って生活の放縦さ、何をとっても極楽だと思わざるを得なかった。

しかし何を思ったか、日本政府は9月27日日独伊三国同盟を突如締結し、世界の大勢をリードしている米英仏ソをはっきり敵に回してしまった。

急激にこの満洲の地でも引き締めが始まった。

王道楽土の夢は影が薄くなり、月給の統制が始まり、どんどん生活規制がきびしくなっていった。

正に坂を下り落ちる巌のごときありさまだった。

その翌年1月私は関東軍に取られた。もう身動き取れなかった。

6年後敗戦と同時に放り出された。

天と地以上の格差の世界だった。

Photo

Photo_2

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月19日 (木)

死の値打ち

朝1番に広島総合病院に出かける。耳鼻科と眼科の予定だが、眼科の方が早く呼び出したのでこちらに1時間くらい時間を取られてしまう。

前回の診察で緑内障の疑いありということで、今回は詳しく新しい検査が二つばかり入る。

時間が遅くなったので聴覚の検査は省略された。

結局緑内障の疑いは残るが、大事は無いでしょうということだった。1年先に推移を見たいとのこと。

もう寿命の問題だな。

終わる頃には凄い患者の数。いつも一番乗りだから気がつかなかった。大変だなあ、医者という商売も。

皮膚科も担当医が永い間3人だったが最近から4人になった.私は2診から3診に回された。

医者が足りなくなる筈である。

看護師も足りないから、インドネシアやフィリッピンから輸入している。

どうなることだろう、日本の医療は。

正に無数の人間が消費だけして、生産に無縁だとは。

消費税などと戦前には思いも付かない税をつくって、国の財政を維持する。

政府も大変だよなあ!

動物の社会では有り余ってくると、集団自殺などという行為が自然現象としてある。

知恵の働く人類だから、そのうち死ぬことが有利な、楽しく死んで行く方法を見出すのだろうか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月20日 (金)

風立ちぬ

トイレの便器の一部に不具合が発生して、便利が悪くなったので、メーカーに電話する。明日修理の段取りに付いて連絡があることになった。

永年何でもなかったので故障が起きると困るもんだな。

メーカーも忙しいらしくなかなか電話が繋がらなくて先ず困った。

昨日は”風立ちぬ”を見に行った。

結論を言わせてもらえば、なんであんなの今頃ということになる。

戦争も風化し、話題とはなり難い筈だ。作者は何を問いたかったか私には理解が出来ない。

一つ救いはアニメ作画の美しさとはいえる。

世界のコンクールに出したとて、入選には程遠かったことはしかたがない。

当人も自信は無かったに違いない。

観客が10人もいなかっただろうが、えらく評判を落としたもんだ。

トトロ以来好きな作者だったが、引退作にしては、残念な作品だった。

戦争の話がでたついでに言うと、戦いに従事していた6年間はやはりまるで無駄だった。

人生には無駄と思われる時間が誰しもあるだろう。しかし連続して6年間もと云うと永い。そしてその直後すぐ好転するというわけには通常行かないから、6年は10年にもなる。

回復が随分遅れる。

立ち後れた人間は不幸という他は無い。

随分沢山の仲間を見た。

同じ様なスタートラインに立ったのだから、公平に見えるけど、世の中簡単にそうだと決めつけるわけに行かない。

スタートラインの客観的条件が皆違う。実際は同じではない。

現に泥棒して大財閥になったものもいる。

風立ちぬの意義は畢竟この無駄をあげつらっただけか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月21日 (土)

今更の討ち入り談義

朝からいい天気。もうすっかり秋だ。朝晩の涼しさはやはり秋のものだ。

今朝の新聞を読んでいると、赤穂浪士関連の記事が散見される。今何でと思うが、思う方が要らぬ節介かも知れない。

昔は天野屋利兵衛など講談上の人物が入り交じって、極秘裏にことを運んだのが定説になっていた。

しかし昨今では割と明け広げに口コミで巷間に伝えられ、それほど秘事でもなかったというのが、ほんとうだということらしい。

それでは何故吉良側は一方的にやられたのだろうか。

1年半も待たされたことがやはり一番大きかったか、それに47人もの人数でとは意外だったかも知れない。

最大な理由はやはり、みくびりと油断だったのだろう。

準備する方も、気心を統一維持することが大変だし、経済的負担の大きさはいうまでもない。

50名弱は正に団体行動の限界だったと云えよう。1年半もやはり期間の限界だろう。

私も戦場経験があるが、無線電話も拡声器もなくて、展開した部隊を一人で指揮誘導するには、正に50名は限界であることを知っている。

もちろん武士道と云う道徳規範が無ければ、実現しなかっただろうが、これを維持継続、結果を出したことはやはり大石良雄だったからといえようか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月24日 (火)

幸福のつらなる世代

昨日は3連休とあって、長女もさすがに暇と見えて、うちへ電車でやって来る。

猫の手よりましで、手の届かぬ所などちゃんと始末を付けてくれる。

夕方雅博さんが勤め先から立ち寄りつれて帰って行く。

勤め先の休日が違うので、長女等も生活がばらばらで、口には出さないが困っていることだろう。

曾孫等も益々元気で育っているそうだから、不安や不満の様子は片鱗も見せない。

世捨て人のつもりで暮らしている私達二人も、こうして気遣うものがいるというだけで幸福の甘い空気に包まれた感じである。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月25日 (水)

大戦の痕跡

昼前内藤内科に出かける。

前回の時、検査を受けているので、診断結果の報告があった。

血液検査で心臓のNT-proBNPの値が1140と標準値の400より甚だしく高くよくないとのこと。

無理は絶対禁物だと云われた。

といわれてもどうしようもないが、はいはいと受けたまわっておく。もう長くないということだろう。

私のiPhoneのブック欄は、戦時中の証言や記録類を文春その他の雑誌書籍類から収録して、300篇近くにもなった。

医者の待ち時間などを利用して、せっせと読んでいる。

電話はほとんど掛けることは無いから、私のは人とは使い道がちがうわけだ。

玉砕したペリリュー島でも32名の生き残りが、戦後2年も洞窟に立てこもって抵抗したという。

雲南のラモーの玉砕も聞いて知ってたが、やはり戦場を離脱した兵士がいたのだった。

一緒に戦った同年輩の生き残りたちの、証言を聞くと今更のごとく、無念な体験が想起されて仕方がない。

戦後既に70年、それでもなお傷跡も、想念も残る。

釈然とする日は遠いといわなければならない。

何よりこの大戦を契機に世界は一変した。人類歴史に落とした痕跡は、今後ますます深く広くなるばかりで、終末をみることはあるまい。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月26日 (木)

腰抜けの現実

今朝歯を磨いている時、突如右腰が脱力感に襲われて下に崩れ落ちそうになった。

最近いつごろか階段を下りるときなどふっと腰の抜ける感じが発生することがあった。瞬間的なものですぐ元通りに帰るので、身体がどうなるのでもないが、ちょっと薄気味悪い現象であった。

かねがね腰抜けという言葉は子供時代から、いくじなしと同義語としてよく使っていたし、意味も承知していた。

しかし現実に腰が抜けるということがあるとは思っていなかった。

今になってこれを味わうとは。

現在では瞬間的なものだから、別に問題は起こらないでいるが、2秒も3秒も続いたら、ふいに転ぶと云うことになるかもしれない。

道を歩いていて突然転びでもしたら、事故に繋がりかねない。

少し心配になって来た。

今まで経験してないし、他人のそれも見たことが無いから、大丈夫なのだろうが、果たしてそうだろうか。

また老人だけの現象だろうか。私も90を過ぎた今始めて経験することで、なんともいいようがない。

意識の瞬間的欠落かも知れない。

経験しないと分らないから、学者も困るだろうな。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月27日 (金)

ささやかでも先祖の弔いはつづける

台風20号はさしたる影響を残さず北方に去って行った。

台風のシーズンだから未だ油断は出来ないが、昨今の豪雨型台風にも困ったものだ。

地震も大地震が相次いでいるし、まさか地球そのものが大変動でも起こすのではあるまいな。

人類の滅亡が思わぬ形で到来するのかも知れない。

自然の何気ない営みが、賢そうな人類を根底から抹消しそうだとも思える。

微弱なもんだな人間なんて。

秋分の日に郷里の先祖の墓参りを怠っていたので、今日改めて私と家内の両方の墓参に夫婦で出かける。

どちらのうちでも、半年もご無沙汰していたので、話が簡単ではなくなる。

しかも家内が一番末の妹に約束事があるとかで立ち寄ることになったりしたので尚更手間がかかった。

朝10時半ごろ出発して、スーパーで手みやげを買ったり、食事をしたりして行ったこともあって、とうとう帰りは秋の夕闇に迎えられることになる。

夜義弟が心配して無事帰ったか確認の電話までかかる。

有り難いことであるが。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月28日 (土)

人生多事多幸。神の与える不可思議

昨日の岩國行きで疲れが取れずに朝は起き辛い。

空も打って変わって今日は雲が厚く、ひょっとしたら雨になるかも知れない。ゆっくり休めそうである。

実りの秋とはよく言ったもので、昨日手みやげに貰った数々の果物その豊富さに今更驚く。

老夫婦二人ではとても食べきらない。

改めて日本はいい国なんだなあと感じ入る。

時々地震とか雷とか神の鉄槌が下るけど、これが無ければもう極楽そのものである。

田舎に帰ってみて、古き友人たちがもう皆亡くなって居るのを知ると、寂寥の感は拭い得ない。

我一人かくも永らえて!

長寿の実感。いいのか、悪いのか。

義弟も数年前木から落下して大怪我をした所を、先日転んで又再手術した。

ようやく動けるようになって、今日はうろうろと歩き回っている。私とは20くらい違うのだから、同列では困る。

歩けることの幸を痛感。

人生多事多幸。神の与える不可思議。

カープCS確定、運が良ければ優勝も夢では無い。やはり奇跡は起こり得るのか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月29日 (日)

昔ダンスホールがあった

古い戦時中の新聞スクラップ帖を何気なく見ていると、今宵限りのステップという写真入りの記事が見つかる。昭和15年11月1日の満洲日々新聞の記事である。

私が満20歳、学窓を出て社会1年生になり、建国7年目の満州国首都新京に職を得て、赴任して来たばかりであった。

何もかも珍しかった。

そう云えばダンスホールなどという言葉を今久しく聞かないなと思う。

そもそもダンスホールがあるのかないのか、戦前閉ざされて消えたままなのか、一度は復活したのだったか全く覚えがない。

戦後何もかも復活まっしぐらに来て、遂に世界一の経済成長まで押し上げた。

だがこのダンスホールはどうだったのだろう。

平和で貴族的環境に浸ることが一市民にも許されていた。それすら先月即昭和15年9月に恐らく軍の圧力で、来年3月15日閉鎖を通告されていたのが、早まって今月いっぱいとなっていた。

閉鎖期限猶予の最後の夜(10月末日)、平素の3倍から5倍の人が押し掛けて、午後十時蛍の光が鳴り渡る中、別れを惜しみつつ、静かに踊ったとある。私もその渦中にあった思い出が今も記憶の中にある。

戦後の若者の環境は極端に変わった。兵役が先ずなくなった。女権拡張に伴い遊郭などもなくなった。

自由民主と語呂はいいけど、喧噪極まる生き難い競争の時代が始まった。

このダンスホールなどは静粛過ぎて時代にふさわしくなかったか、見向きもせられなかったかに見える。

寡聞にして今日までその存在を忘れていた。

私の人生も人並みに多忙だったのか。

Photo

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年9月30日 (月)

異常な男ばかりの世界

昨日書いたダンスホールはよく考えると、男の社交場で女のものでは無かった。

それでは戦後の風潮に逆行するのだからなりたつわけがない。

私も今少しおかしいな。

青春の6年間、男だけの戦場を狂人のごとく駆け回った。

女子のいることを忘れていた。

考えてみると世の中は正常に動いていた。

戦後生き残った私一人が職を失い、家を失った衝撃で、おかしくなっていたのかもしれない。

さめることの無い永い夢を見ていた気がしないでもない。

思い出すと戦後の2、30年、私の振る舞いは狂気のそれだった、

事実が証明するから間違いない。

今となっては遅過ぎて取り返しは付かないが、その反動が私に長寿を恵んでくれたのかも知れない。

しかしダンスホールというのは奇妙な場所だったなあ。

音楽とざわざわと人の擦れ合う音、人の声はほとんどない、従って喧噪は無い。

踊り子と男の客が抱き合って、ルールに従って足を運ぶ。ただそれだけで実に静かだった。

面白かったとも思えない、当時だったから存在した商売だったかも知れない。

当時の新京は男女比率は10対1と云われた。

もちろん日本人人口だろうが。

1年もたたないうちに戦場に追いやられたから、後のことはどうなったかしらないが、長くは続かない世相だったに違いない。

どう考えてみても異常な青春を送らせられた、わたしだったような気がしてならない。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2013年8月 | トップページ | 2013年10月 »