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2013年8月29日 (木)

又旧友を思い出す

Img073 朝晩、涼しい。やっと季節を取り戻したか。

もう午前9時になろうかというに日射しがない。雨にでもなろうかというのか。

台風15号は未だ遠い、台湾の北部にかかっているのだが。

世の中には奇跡と云う言葉がある。偶然にある瞬間起こる場合に使われる。

逆に起きて当たり前のことが、とうとう起きなかった場合は何と言うのだろう。

私は3年間ごく親しく付き合った学友で斉藤七郎君がいる。

同じクラスで同じサ行の名字のせいで、座席も近く入学してすぐ仲良しになった。

おっとりしてやさしく山口弁丸出しで取っ付きやすかった。

彼のうちは市内の中心部にあり、かなりの資産家だったと見え、店子に喫茶店や旅館などがあったようだ。

彼に呼ばれて出入りするうちに、自然に気安くそれらの店を利用出来たので分った。

山口という所は田舎町で、見るべき所はまるでなかった。学生と兵隊がやたらと目立った。

彼も私も人並みの学生でガリ勉を嫌い、社会勉強にいそしんだ方だった。

音楽は二人とも好きだった、といっても聞く方だが。

試験勉強などは夜引けた後の喫茶店に後門から入り込んで、勝手にクラシックレコードを引き出して、聞きながら勉強したりした。

卒業後の進路は彼は朝鮮へ、私は満洲と違った職場を選んだ。

しかし不思議に徴兵で選ばれた部隊は同じ満洲斐徳の自動車第三聯隊だった。

逢える機会はある筈だった。

軍隊と云えども私的な時間がまるきりなかったわけではない。しかし逢うことはなかった。

初年兵の間は忙し過ぎて無理だった。お互いに人のことどころではなかった。

彼は私と同じく幹部候補生の資格はもちろん有していた。が試験場でもその他の機会でも彼と遭遇することはなかった。

応募は自由だから、志願しなければ当然幹部候補生になることは出来なかった。

私の同郷の先輩で同期だった人が、受験しなかったことも知っている。

徴兵期間が長期化することを嫌ったわけである。

しかし私達同期兵は大東亜戦争勃発により、満期除隊ということはなくなった。

戦争が終結するまで皆一律に勤務させられた。

私は将校として、彼等は一兵卒として。

斉藤君は後日聞いた所では戦死ということだった。自動車兵が戦死するのは空襲の弾が当たるくらいのものである。が運悪く彼は途中で他の部隊に転属させられたとのことだった。

運命が二人を近くから遠くへ引き離してしまった。

数年前同窓会のことで、母校を訪れたとき、学長に案内されてその図書館を見学した際、”あなたの同期の卒業生の斉藤七郎さんの卒業記念アルバムです”と、手渡しされてびっくりした。学長は学校の後輩だからうやうやしかった。

彼の遺品のアルバムを彼の姪御さんが、粗末にしてはもったいないからと図書館に寄付されたとのことだった。

分厚いアルバムを手に、おお、斉藤君と握りしめざるを得なかった。

もちろん中には彼の写真も私の写真も又同級生たちのも皆納められている。

この因縁はなんなのだろう。

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コメント

先に逝った友は、自身の心の中で生きている。私が死んだとき、その時彼は私と共に消えるだろう。それでいい…私の中で彼は生涯存在していたから。それでいい…そう自分に言い聞かす。           草

投稿: | 2013年8月29日 (木) 18時47分

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