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2013年7月 1日 (月)

けものみち

なにを言い出すかと云われそうだが、90年の長い生涯に只一度経験した事実談だから、古老の思い出話としてお聞き願いたい。

これから先どうなるのか、誰にも分らない武漢三鎮の奥約百キロの賀勝橋地区での退屈な捕虜生活が続いていた。

僅かながらも食糧の配給は続いていたし、国共内戦がどう転ぶか、不安の種は燻っては居たが,命の心配はなさそうだった。

ただ空腹とやりきれない退屈さのつづく毎日だった。

ある日虎にやられて負傷したと云う住民が我が隊の医療施設に担ぎ込まれた。

河原衛生兵長が兵隊の健康管理の傍ら,住民の健康相談治療のため自発的に開設していたものだった。

(自動車部隊だったおかげで、医薬品の持ち合わせはよその部隊よりはうんと多く残していたし,兵器は皆押収されたが,医薬品は手つかずといってよかった又私の隊は作戦中も住民対策は宣撫の実績が豊富だった)

終戦の年昭和20年も終わり,翌年の正月になっていた。

首から肩,背中にかけ爪痕が鋭くえぐり、瀕死の重傷だった。

2、3キロ先のすぐ側に見える小山で起きたと云う。

幸い内蔵には達していなかったので助かった。

住民に喜ばれて沢山の謝礼に預かった。評判も良くなり,患者の来往も繁盛して来た。

恐らく私が言ったのだろう、虎刈りをやろうかという話が持ち上がり、住民や兵隊が共同で山狩りをすることになった。

先頭に立って、山に入ってみて驚いた、まるでジャングルである。

日本の山野と違って、住民はあまり山に入らないらしい。自然放置だから大きな樹木は茂らないが,雑木の類は無造作に繁茂錯綜している。

もてましているうち、大きな丸くなった洞穴状の通路を見つけた。これが虎の道だなとすぐ気がついた。

背中を曲げて中腰でなら,走れるほどの良く踏み固まれたみちである。

道の感じからすれば随分永く踏み固まれたに違いない。人間が歩く、日本の山野の山道に似ている。

間違いないなと虎の存在が確信出来た。とたんにぞーっと寒気が走った。

途中まで走って,発砲さして威嚇してから,けものみちから外れた。

村民達の掛け声や発砲などで追い出しにかかったが、それに乗る虎では無かった。

とうとう収穫ゼロで終わった。それでも住民達は十分満足したようだった。

この話はいつかパソコン通信で書いた所,岳州(60キロ西方)に留学したことのある日本人から,武漢のこんなに近い所に虎が出るなど聞いたことがないと苦情のメールを戴いたことがある。

事実虎を見たわけでないから,一言もないが、爪痕、けものみちは小さな動物の物では無かったことは間違いない。自信もって言える。

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コメント

熊でしょ。

投稿: | 2013年7月 1日 (月) 15時57分

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