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2013年7月31日 (水)

一期一会の懐かしい体験

朝,庭の蝉が一斉に鳴きわめいている。

もう秋の気配を感じているのだろうか。

今月はいろいろ起きて長かった。

東京の娘が突然やって来て,気がかりも薄れた.嬉しい。

運が悪ければ病床から娘等の顔を眺めることになったかも知れなかった。

幸運の星の下に生まれたことを喜びたい。

幸運の別れ方と云えば、戦い終わって、武漢の約百キロ西方、湖南省賀勝橋で捕虜生活を送っていた時、集成1ヶ中隊を率いて、旧戦場跡の道路、河川の改修を命ぜられ、2日がかりの徒歩で現地に赴いたことがあった。

第1日目の夕方,偶然にも前任部隊長に遭遇した。

生田目富雄少佐とおっしゃった。福島県出身と自称されていた。もちろんその夜は歓待を受けた。

満洲斐徳出発以来,湘桂作戦中は彼の元で私は働いた。

少尉候補者上がりの大隊長だから,かなりの年配だった気がする。

輜重兵出身だから馬のことは詳しいが,自動車はからきし苦手であった。

私が兵器委員首座をしていたから、絶えず相談に預かり、ほとんど私の意見を採用してくれた。

軍直轄の後方輸送部隊だから、敵飛行機以外野戦で交戦することはほとんどなかった。

しかし飛行機にはさんざん悩まされた。無抵抗に叩かれた。

丁度7月に入って間もなくえんえんと山上に連なる自動車部隊は正に好餌であった。

何十台と炎上する自動車は正に壮観であった。先頭を行く部隊長に損害報告すべく追及したが、道なき山上を歩くのだから,捕まえようは無い。

途中第3中隊長に逢うと、無駄なこった、部隊長はとっくに逃げてしまって捕まるわけがないよとすげない。

2,3日目かに山から下りて部落で待機していた部隊長に報告出来たが、もちろん誰の責任でもありえない。強いて言えば軍の作戦の失敗である。

後日作戦資料でみれば、結局この進路は途中中止されて反転、洞庭湖畔の別の道路を進撃させられることとなったようだ。(当事者の我々は夜間行動だから何も知らなかった)

長沙に入って間もなく私は赤痢にかかって動けなくなった。

部隊長は病気を治して後でゆっくり追及すれば良いと優しい言葉を残して前進して行った。

部隊におくれること約1ヶ月。部隊長は私の復帰を心から喜んでくれた。

桂林ではアルコール燃料のいち早くの成功を喜んで,輸送司令官を私の工場に招待したりした。

もちろんお褒めの言葉を頂戴したが、むしろ部隊長の方が喜んだ節が有った。

慈父のごとく私を可愛がり,頼りにしてくれていたので、作戦終了と同時に転勤されがっかりしたのは,むしろ私の方であった。

その生田目少佐に全くあの広い支那の戦場の一角で,最後の晩餐をともにできたとは、なんという神の差配だったのだろう。後にも先にもこれを最後に、戦後はもちろんお互い消息の知り様はなかった。

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コメント

sinomanの意味がわかりました。『私の軍隊生活』を時間かけて、拝読させていただきます。難しそうなので、どの程度理解できるか自信ありませんがトライしてみます。

投稿: | 2013年7月31日 (水) 14時53分

生さんの 軍歴 少尉候補14期1934年少尉1937年8月中尉 1940年8月大尉 1944年少佐 1943年9月独立自動車  1934年しょうへい第二大隊

投稿: dekame | 2014年6月 9日 (月) 21時22分

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