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2013年7月 1日 (月)

けものみち

なにを言い出すかと云われそうだが、90年の長い生涯に只一度経験した事実談だから、古老の思い出話としてお聞き願いたい。

これから先どうなるのか、誰にも分らない武漢三鎮の奥約百キロの賀勝橋地区での退屈な捕虜生活が続いていた。

僅かながらも食糧の配給は続いていたし、国共内戦がどう転ぶか、不安の種は燻っては居たが,命の心配はなさそうだった。

ただ空腹とやりきれない退屈さのつづく毎日だった。

ある日虎にやられて負傷したと云う住民が我が隊の医療施設に担ぎ込まれた。

河原衛生兵長が兵隊の健康管理の傍ら,住民の健康相談治療のため自発的に開設していたものだった。

(自動車部隊だったおかげで、医薬品の持ち合わせはよその部隊よりはうんと多く残していたし,兵器は皆押収されたが,医薬品は手つかずといってよかった又私の隊は作戦中も住民対策は宣撫の実績が豊富だった)

終戦の年昭和20年も終わり,翌年の正月になっていた。

首から肩,背中にかけ爪痕が鋭くえぐり、瀕死の重傷だった。

2、3キロ先のすぐ側に見える小山で起きたと云う。

幸い内蔵には達していなかったので助かった。

住民に喜ばれて沢山の謝礼に預かった。評判も良くなり,患者の来往も繁盛して来た。

恐らく私が言ったのだろう、虎刈りをやろうかという話が持ち上がり、住民や兵隊が共同で山狩りをすることになった。

先頭に立って、山に入ってみて驚いた、まるでジャングルである。

日本の山野と違って、住民はあまり山に入らないらしい。自然放置だから大きな樹木は茂らないが,雑木の類は無造作に繁茂錯綜している。

もてましているうち、大きな丸くなった洞穴状の通路を見つけた。これが虎の道だなとすぐ気がついた。

背中を曲げて中腰でなら,走れるほどの良く踏み固まれたみちである。

道の感じからすれば随分永く踏み固まれたに違いない。人間が歩く、日本の山野の山道に似ている。

間違いないなと虎の存在が確信出来た。とたんにぞーっと寒気が走った。

途中まで走って,発砲さして威嚇してから,けものみちから外れた。

村民達の掛け声や発砲などで追い出しにかかったが、それに乗る虎では無かった。

とうとう収穫ゼロで終わった。それでも住民達は十分満足したようだった。

この話はいつかパソコン通信で書いた所,岳州(60キロ西方)に留学したことのある日本人から,武漢のこんなに近い所に虎が出るなど聞いたことがないと苦情のメールを戴いたことがある。

事実虎を見たわけでないから,一言もないが、爪痕、けものみちは小さな動物の物では無かったことは間違いない。自信もって言える。

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2013年7月 2日 (火)

けものみちは熊の道か

朝ほとんど止んでは居るが,未明にはかなり降ったらしい。

庭木はぐっしょり濡れている。

昨日書いたブログに早速コメントが付いた。「熊でしょ」とある。

そう云えばそうだなと頷かざるを得ない。熊はいまでもこの広島界隈にまで出没している。

アジアに広く分布している動物だから。

しかし今は絶滅に近い虎も加藤清正の手柄話にあるように、昔は大陸には広く存在していたらしい。

70年も昔の話である。何よりやられた当事者が虎だと云ったのだから、それを信ずるよりほか仕方がない。

熊と虎を見間違えることはよもやないだろう。

住民も虎だ虎だと叫んでいたから,我々もそのつもりで行動した。

穿山甲という珍奇な動物を生け捕りにして持参した住民も居たが、大都会の周辺だといっても、東京の近辺に富士や箱根があるように,人間の手つかずの場所や生き物はいくらでも存在する。

時に稀な生き物に遭遇することが不思議なことでもあるまい。

揚子江を上り下りする時、何度も目にした”いるか”にしろ、今は絶滅が伝えられている。

これは現実に自分の目で見た話である。

間違った憶測は変な伝説を生みかねないと思うのだが。

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2013年7月 3日 (水)

何よりも蛍雪の友

昨朝と同じ感じ、午前7時雨模様だが小止み中。

前線は未だ遠ざかることはないだろう。

昼中珍しく雷が鳴り雨も集中する。竜巻警報も発せられる。

1時間位で終わったが,この付近では珍しい天候異変だ。

もっぱら寝て過ごす。

先日も書いたのだが,同期生会に最多の35回中31回出席を自慢げに発表してしまった。

正直な所、親友横山博君の袖にすがりながら出席させてもらったことも何度かある。

自慢にたる所行では勿論ない。

事業は倒産するし、全財産差し押さえにはなるし、糊口をしのぐのもやっとと云った有様に一時は落ち入った。

同窓会などと呑気に人並みの面出しができるわけはなかった。

従って経費の一番掛かる熱海温泉の会合5回のうち2回を遠慮させてもらった。

もちろん金がないからである。

それに銀座朝日ビアホールでの宿泊なしの第7回大会も欠席した。呑める方ではないし,宿を探すのが面倒でもあった。

それに1998年の神戸での大会は、かなり前から高野山方面のツアーを妹達と早くからもうしこんでいたので、日にちが重なってしまった。

どちらかと言えばわたしは、同窓会の方を取る心情で居る。

人生多少のえにしでも大切にしたい。それにつきる。

古来人は一期一会でもその縁を大事にして来た。

ましてや少なくとも3年間以上勉学を共にして来た仲である。

学窓を離れても、なにかと互いに持ちつ持たれつ生活の助けになっている。

気心に遠慮がなく,まことに安易に付き合えるこのえにしは何よりも棄て難い。

そう思わないかな諸君。

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2013年7月 4日 (木)

Sound it! 7

雨の気配今朝も未だ濃厚である。

うんざりだがしかたがない。

でも涼しいから老人の私にはいいかな。

時々猛烈な驟雨が降る。どこにも出られない。

Sound it! 7を送って来る。無償での配布である。

Sound it! 6を買った途端に,ヴァージョンアップで7になったので、損したと思ったがそうでなかった。

ついでにインストールも仕方を教えてもらいながら無事終わる。

少し面倒だったなあ。まあよかった。

これで又好きな音楽ソフトを貯めることになりそうだ。いつまで人生が続くやら。

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2013年7月 5日 (金)

多種の人間の混じり合う社会

昨夜も大分降ったのか、部屋に閉じこもって,寝たり起きたり外を気にしなければわからない。

庭はいつもと同じく濡れそぼっている。

暑からず寒からずちょうどよい。

昨日の朝、日記を付けながら,”7月4日”何だったかなあ,気になる日と思っていたが.夜深夜放送で今日はアメリカ建国の日で,市場はお休みだったと告げられ、あっこれだったと思い出した。

物忘れも頂点に達したのかも知れない。

日本の建国記念日は騒がしいからすぐ思い出すが、アメリカさんのはさすがに誰も知らん顔だ、仕方がないな。

東京の娘も盆には帰って来るらしい。

飛行機では2時間、汽車では4時間,近くなったものであるが、お金はかかるし、それでも簡単では無い。

現代人は勤め先が生まれた家から歩いて通えるなんていうのはほとんどない。

大変な時代なんだ。

私なんかその先鞭を付けた一人なんだが、良いのか悪いのか,こうした人間の習性が結局世の中を混乱させたと云っても言い過ぎではない様な気がする。

言葉も習慣も人間の色まで違って来ると、いさかいも起きて来て当たり前だろうし。

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2013年7月 6日 (土)

またまた年寄りの冷や水か

足の具合はぼつぼつ良くなった感じ、何より痛みがなくなった。

しかし身体全体の関節の弱りはもう如何ともし得ないな。機敏な動作はもうまるでできない。

此の歳だからこんなものだろう。

良くなることは考えない方がいいのだが、今年の始めの腰の痛みのように動けなくなったものが,今は何でもない、こんなことがあるから、あまえた気持ちにもなる。

浅はかな奴だよ俺は。

左足のアキレス腱の上がまだ重苦しい。びっこを引かざるを得ない。

自動車のクラッチを踏み込むとき一寸重く感ずる。

今頃のノンクラッチの車ならいいのかも知れない。

中古でいいから買い替えるかな。

此の歳では又反対が多くて駄目だろうな。まあ我慢するか.

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2013年7月 8日 (月)

猛暑に思う

久しぶりにいい天気らしい。

昨日は再三夕立に襲われたけど。

日中は猛暑がやってくるとか。

最近民間航空の事故があまりないなと思っていた途端,サンフランシスコでアシアナ航空の飛行機が着陸に失敗し炎上した。死者は2名だそうだから,大惨事にはならなかったけど、やっぱり大変だな。

また事故の連鎖に繋がらなければいいが。

昼の時間FM放送でおなじみのショパンのピアノ曲を演奏している。どこか死への瞑想が込められていて落ち着く。こんな気持ちで早く行きたい。無理な願いだろうかなあ。

午後3時暑い日射しが外を輝かしている。

熱中症が流行っているらしい,何人も死んでいるとか。

楽に死ねるものならそれでもいいかな。

しかし此の暑さの中、外に出る気はしないなあ。

狼の遠吠えか,我ながらおかしくなる。ふと東満の原野で無数のおおかみが群れていた光景まで思い出す。

此の暑さが続けば我が一生もそう永くもないであろうに。

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2013年7月 9日 (火)

梅雨上がる,猛暑列島

昨日梅雨が終わったと発表されたらしい。今朝は朝早くからかんかん照り。午前7時もう26度となっている。

日中は33度にもなるという。

北は北海道まで猛暑列島である。

集中豪雨は今関東地方で激しい。雷による死傷者も出ている。

人の動きが激しいウイークデイの気温が高いと云う,東京都のグラフがテレビで示された。さもありなん、人間も本来36度の熱源だから,東京あたり影響あって当然だろう。

参院選の選挙運動真っ最中の筈だが、世の中暑過ぎて盛り上がりは乏しい感じ。

何せ対抗馬がないに等しいでは面白くない。

国民は只漫然と安倍さんに任してしまうのだろうか。

このままでは5年も6年も政権が続いてしまうぞ。

久しぶりだから布団を干す。

大丈夫だと思った空が少し陰って来た.高曇りだからまあいいだろう。 

この分ならもうござを敷いて寝るのがよさそうだ。

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2013年7月10日 (水)

よけいな心配

梅雨の上がりが早かったので,今年は夏がさぞかし永く感ぜられるだろうと心配だ。

こんなのは要らぬ心配というのだろうが、老人はひまだからなあ。

もう大分以前になったが,本屋で何気なく買って来た本で”パソコンで困った時に開く本”というのが本棚の隅にある。

うっかり気づかずにそのままになっていたのだが,暇に任せて読んでみると結構ためになる。

というより知らなかったことの多さにに気づく。

幼稚園の子供でもいじくりまわしている今頃のパソコンは、いはばおもちゃ並みだが、どっこいそんなものではないぞと気づかされる。

こんな本でもう一度勉強し直さなければいけないと今気を引き締めている所だ。

今東京に居る一番末の孫がまだ幼稚園の頃、ある時上京して訪ねた時,未だ字も読めないのにパソコンの前に座って、お絵描きというのを一生懸命やっていたのを見て、驚いたことがあった。

大人になった今では外国からでも,ネットに載せて自分の写真を送って来たり,生の声を掛けたりして来る。

私のように勉強を怠ったものはもう世の中について行くことは困難なようだ。

ただ今でもインドの首都からFacebookのフレンドである孫世代の女性からしばしば語りかけて来られて,何事も億劫な年寄りを困らせている。

灼熱のこの昼日中、朝から街に出かけた家内が未だ帰って来ない。

若くはないのだから一寸心配である。いつもは大抵私がお供をするのだが、今日は特別な用事のようだったから遠慮した。

もう間もなく2時,暑さの盛りである。

大丈夫かな。

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2013年7月11日 (木)

ひどい物忘れ

今、朝の5時半、やっと日射しが見えたくらい。

何故か早く目覚めて起き上がる。

窓を開け放って新鮮な空気を入れる。

日常の私の仕草では無い。

パソコンを5時半に開くということも近年なかった。

昨夜眠りに就いた時,昼寝て夜起きてたらどうだろうと考えた。

昼間暑さに参って,動作がままならないから思いついたことだが、身に付いた習慣は簡単には変えられない。

現に早く寝に着いた方が,目覚めの具合がよさそうだ。

物忘れが最近ひどくなったので、いつかせいこう先生に訴えていた所、紹介してあげるから診て貰えと云われていたが,昨日、日赤の荒木先生への紹介状を家内が戴いて帰る。来月の26日となっている。

えらい先のことだが憶えておられるかなあ。

といっても、過去のことを皆忘れたわけではない。今から丁度40年前,今住んでる家を建てた。その前後の30年は夜昼なしによく働いた。

就中鍵の商売を1970年に始めてからは,店が九州に多くなったから、昼現場で働くと,夕方から深夜に掛けて国道を長距離トラック並みに駈けて,別の場所で仕事した.殆ど不眠不休であった。

50歳60歳ごろだから本人の私でも恐れ入る。

もちろん月に何度かのことだがそれにしても身体がよくもったなあ。

自動車運転も何度もスピード違反で捕まったが,事故は起こすことはなかった。

1973年のオイルショックがなかったら、この頑張りはまだまだ続いたことだろう。

物忘れはごく最近のことである。昨日のこと、いやついさっきのこともある。近い程よくない。

診て貰う資格は大いにありそうなのである。

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2013年7月13日 (土)

袖というもの

昨日は紫外線よけの手袋というのを知る。乾癬の影響もあって,皮膚が薄くなり,夏になるといつも半袖シャツで行動するので一寸こすったくらいで内出血を起こし,腕中黒い痣だらけで,みっともなくて仕方がない。

ここ数年悩みの種だった。

2年前当たりまでは簡単に皮膚がぺろりと剝けて赤味が覗き,血が噴き出して屢々医者に通った。

キステープのお世話になるのは日常茶飯事だった。

動作がのろくなって、衝撃が小さくなった昨今こそ度数は減ったけど,黒じりになる回数は相変わらずである。

ふと昔の人が農作業で付けていた,手っ甲脚絆を思い出し、薬局で聞いた所置いていないが,百円ショップに置いてると云う。

それが紫外線よけ手袋というものだった。

別に手袋になってるわけではない。只の腕覆いというか袖だけの代物である。

こんなものがあったのかと感心した。

早速買って来て使ってみる。少し暑苦しいが,怪我の予防にはもってこいである。何より腕をテコにして動くのに都合が良い。

これで黒痣が見えなくなる。体裁だけはよくなる、というより痛くないのがいい。

永いこと生きて来てこんことを知らないのかと云われそうだが、知らなかったものは仕方がない。

人生やはり、生涯勉強の種は尽きないのか。

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2013年7月16日 (火)

富士のわき水に似た友情

今日も暑くなりそうだ。

連休明けだが,もう夏休みに入った所もあるだろう。

働くものはそうは行かないだろう。暑さにめげず働いてほしい。

今の世の中は遊び優先だから、国力は落ちるばかりだ。

老大国はもう間違いない。三つの矢がうまく機能すればいいのだが、ここに来てブレーキの掛かることも多そうだ。

財界の一人勝ちではうまくは行かない,消費税は先送りを考えてもいいのでは。

ほっと一息ということは大事なことだよ。

暇に任せて古い日記をひもどいて見ている。

高商2年生の年末に書いた日記が最初になっている.昭和13年(1938)だから18歳ということになる。

この年の最大の印象に残る私の行事は何と言っても3月に決行した出雲大社自転車旅行と書き連ねている。

従ってこの時同行した友人神村君のことは次々と日記に登場する。

親愛の度がより深まったせいだろう。

道中はよく喧嘩した思い出が残っているのだが、喧嘩することは親愛のあかしかもしれない。

一緒に山登りしたり,夜の冷やかし、映画見物、はては日曜の昼に運動部の練習をさぼって,彼の下宿で昼寝したりしている。

彼の誘いにのって,昼の食事も途中から近くの賄屋から、彼の行ってる遠くの賄屋にくらがえしたりした。

中学の5年間より,高商の3年間の方がより濃密だったようだ。

就職、兵役は私達を遠ざけた。

しかしここに来て振り子の駒のごとく復元している。

神のいたずらだろうか。

古い日記からにじみでるわき水の様なえにし、今何よりも懐かしく心を打つ。

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2013年7月19日 (金)

ブログ中断

一昨日転んだ傷跡が痛むから,じっとしているほかしかたがない。

転ぶということは思いがけない所を打ってるから,身体のあちこち,思いがけない所まで痛い。

尻の上の方までくろじりになっていると家内が言う。そんなに痛くはないが押さえてみるとやはり痛い。

呑気に喋っている元気はないから、ブログも暫くお休みだ。

選挙でも終わって天下の形勢が変わるようだと出る幕があるかもしれないが、今は身体の回復を待つしかない。

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2013年7月22日 (月)

非人情

やれやれほっとした。

自民党が圧勝した。先般の衆議院と同じく,未だ信頼は落ちていないらしい。

人の心はよくもコロコロ変わるものだ。つい数年前には,民主党の若手の前に自民のおっさん連中は,顔色なしに追い込まれた。あまり役に立たないと見るやもうゴミを捨てるように捨て去られた。

政治の世界はまことに非人情である。

役に立たなくなったら人情紙風船である。

若い人には、なんのことやらかもしれないな。私の若い時有った映画である。

役に立たなければゴミ扱いされるということである。

選挙の数日前、日頃文通もない横浜の姪から,幸福の党に投票してくれとはがきが届いた。昔少女の頃私を慕ってくれたことがあるが、数十年前、新婚間もなく実父を亡くした。主人が幸福の党の信者で、北は北海道から,南はインドまで駆けずり回っているとのことと聞いている。

思い出して気の毒だから私の1票を投じた、家内もそうしたという。

今朝の新聞を見ると,全国で15万票しか獲得してない。これでは一人も当選出来ないな。

ますます憐れである。

しかしそれでも当人達は幸福なのかな。

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2013年7月23日 (火)

老いては子に従え

パソコンとオーディオと配線がめちゃくちゃ多くなって、自分でも持て余していたのだが、娘が昨日電話して来て今日内へ来ると云うので、手伝ってもらうつもりで居たが,一向に現れない。

とうとう諦めて午後からぼつぼつ始めて4時頃には何とか片付く。

テレビのアナログ配線を取りのけただけで随分涼しくなった。

それに無駄な配線も多かったし、テレビの録画をしなくなったのが大きい。

けがの医者通いが2週目に入る。患部の傷は一向に良くならない、ときどき時ならぬ時にひどく痛んだりする。先生に筋肉も痛んでいるのではと云うと,全体に痛んでると云う。まだまだ掛かりますとのこと。

この暑いとき,医者通いはやれんなあとがっかり。

隣の山口県で5人殺しが発生した.犯人は未だ捕まらない。

暑さで気が狂ったのであろうか。

無抵抗の老人ばかりを,殴り殺し焼き殺したと云う。常人のなせる業とは到底思えない。

もう来ないのかと思っていた娘夫婦が4時半過ぎにやってきた。

手伝ってもらおうと思っていた配線処理は一人でやったよと苦情を一つぶっつける。

しかしさすがに若い身体は違う。

大分前になるが私の部屋の蛍光灯を差し替えるとき、ふらついて脚立ごと転倒してけがをしたことがある。

それ以後自分でやることは止めていた。

今にも切れそうな蛍光灯を頼むと簡単にさっさと取り替えてくれる.部屋は俄然明るくなる。

家内は応接室の敷物を替えたいが、老人二人では重い造作が多くてどうにもならない。

これまたもう諦めていた。ところがあっという間に婿殿がやってのける。

やっぱり若くなくてはだめだと痛感、頼る所は頼らないとしかたがないな。

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2013年7月24日 (水)

老人の運転、気をつける位では駄目か

蒸し暑い昨夜、婿等が私が眠っている間に,家内を回転寿しを食いに連れ出したらしい。

私は午後8時頃目覚めて起きだしてみると.家の中は真っ暗、一瞬驚いたが,さてはと気づいた。

間もなく帰って来た。ちゃんと私の分を折り詰めにして。

さすがに美味しかったな。こんなことなら何時でも歓迎だ。

クーラーの助けを借りたけど、快眠出来たから今朝は6時半起き出してこれを書いている。

まだぼけては居ないらしい。

しかしもう数年今の状態が続いているのだが、モニターに使っているテレビがこんなに発熱するものとは思わなかった。対面する顔にひたひたと熱気が照り返す。

200wでもあるのだろうか。

冬はおかげさまだが、この朝からの猛暑の中ではいただけない。

部屋の窓窓を明け広げても30度近く有る,湿度も高く77%もある。

今から又医者に出かけるのだが、傷の手当もさることながら、左足全体の鈍痛がどうも気にかかる。

湿布材だけでよいのだろうか。医者は何ともおっしゃらないが。

杖引きながらも歩けるのだから我慢するか。

先ほど近くのスーパーに買いものに出かけた。勿論買うのは家内である.私は単なる運び役、運転手である。

帰り際すぐ側の交差点を左に折れ曲がらんとした,急に警報が鳴った。すぐ止まった。警報を鳴らした車の女性運転手がにらんで私を追い越して行った。

先方の道路は県道である。車の流れも多い。優先権もある。永年使っている道だから、私も承知している。

只長さ10米くらいの橋が交差点になっている。

従って四つ角ではあるが、県道は急カーブしている。

左へ曲がろうとする車からは,10米も離れると完全に視界外になる。

いつも気をつけているつもりだが、相手のスピードが早いと殆ど同時になるのかもしれない。

老人にはなんとも嫌な交差点である。

 

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2013年7月25日 (木)

戦争が作った老人の屁理屈

やや雲が多くかんかん照りはまぬがれそうだ。

配線整理の作業が身体に障ったのか,足腰が痛い。べたべたと湿布薬をあちこち貼り回す。

ひんやりして気持ちがよい。

温泉には行かれない格好だな。

今日は年寄りの頑張りは止めて,殆ど階下で家内とクーラーの元で暮らす。

おかげで身体が随分楽だ。

しかしクーラーというのは今も昔も冷え過ぎて、身体のコンディションを狂わす。

寝室も何もない野生の植物の影に蚊帳を吊って、敵機の来ない、夜は行動し昼は眠る若き戦士の時代を過ごしているだけに、クーラーはどうも体質に合わない。

必ず途中逃げ出して,私の部屋に戻り3,40分もして又復帰する。

こればかりは今日も仕方がなかった。

冷やしたり温めたり,結構いいもんだよ。

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2013年7月28日 (日)

天変地異は神の警告か

朝から雷鳴轟き,雨は降り続いている。

東日本は特にひどかったようだが,今日は山口、島根とすぐ隣接した区域が豪雨に晒されている。梅雨のぶりかえしらしい。

今年の天候はかなり異常な様だ。

昔は天変地異を神の恐れと感じて、天皇が責任を取って譲位されるということがあったりしたことがあったが、今は天皇のせいにはしないな。

しかし大震災やら異常気象やら続くと、よからぬ気配を感じないでは居られない。

私も長く生きたが、こんな不安な時代は珍しい。

もし富士山でも噴火を起こしたりしたら、国の滅亡に繋がるかも知れない。

私が生まれてすぐ,関東大震災が発生し、世の中が大混乱を続け,果ては戦争の末一旦日本帝国は滅亡した。一度有ることは二度あるのが常の習わし。

この異常な自然の警告に拘らず、世情は軽薄な風潮に流されて居るやに見える。

浮かれて良いわけはあるまい。

老人の要らざる妄想と取ってもらって結構だが、真意はどこまでも平安を祈りたいことにある。

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2013年7月30日 (火)

私の人生の必要悪

線未だ停滞して、天候不順去らず。

突然やって来た、東京の娘の話に耳を傾ければ、楽しく時間が過ぎて行く。

彼女等も慌ただしい毎日らしい。朝子の就職が決まって一家を挙げて安堵の模様、私ら老夫婦も嬉しく心躍る。

昼、長女も今日偶々仕事が休みで、時間を打ち合わせて、途中のデパートの中の割烹で親子4人が水入らずの会食を催すことになる。

偶然もち上がった会食だが、これが案外最後のものとなるやもしれず、記念の意味もこめて、高価なうなぎの蒲焼きお重を注文する。

娘等の話題は尽きず、食事もさることながら、延々2時間を越しても止まらない。

食後もコーヒーショップをめぐったりして別れを惜しんだ。

駐車場を出る時危うく4時間の制限時間を超越する所だった。

考えてみると娘等もぼつぼつ停年年齢に達するところである。

否応なく別れのタイミングはすぐやってくる。

無情と云えば無情といわざるをえない。

私の時ならぬ怪我が招き寄せたと云って過言ではない。

人生の必要悪の一つかも知れない。

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2013年7月31日 (水)

一期一会の懐かしい体験

朝,庭の蝉が一斉に鳴きわめいている。

もう秋の気配を感じているのだろうか。

今月はいろいろ起きて長かった。

東京の娘が突然やって来て,気がかりも薄れた.嬉しい。

運が悪ければ病床から娘等の顔を眺めることになったかも知れなかった。

幸運の星の下に生まれたことを喜びたい。

幸運の別れ方と云えば、戦い終わって、武漢の約百キロ西方、湖南省賀勝橋で捕虜生活を送っていた時、集成1ヶ中隊を率いて、旧戦場跡の道路、河川の改修を命ぜられ、2日がかりの徒歩で現地に赴いたことがあった。

第1日目の夕方,偶然にも前任部隊長に遭遇した。

生田目富雄少佐とおっしゃった。福島県出身と自称されていた。もちろんその夜は歓待を受けた。

満洲斐徳出発以来,湘桂作戦中は彼の元で私は働いた。

少尉候補者上がりの大隊長だから,かなりの年配だった気がする。

輜重兵出身だから馬のことは詳しいが,自動車はからきし苦手であった。

私が兵器委員首座をしていたから、絶えず相談に預かり、ほとんど私の意見を採用してくれた。

軍直轄の後方輸送部隊だから、敵飛行機以外野戦で交戦することはほとんどなかった。

しかし飛行機にはさんざん悩まされた。無抵抗に叩かれた。

丁度7月に入って間もなくえんえんと山上に連なる自動車部隊は正に好餌であった。

何十台と炎上する自動車は正に壮観であった。先頭を行く部隊長に損害報告すべく追及したが、道なき山上を歩くのだから,捕まえようは無い。

途中第3中隊長に逢うと、無駄なこった、部隊長はとっくに逃げてしまって捕まるわけがないよとすげない。

2,3日目かに山から下りて部落で待機していた部隊長に報告出来たが、もちろん誰の責任でもありえない。強いて言えば軍の作戦の失敗である。

後日作戦資料でみれば、結局この進路は途中中止されて反転、洞庭湖畔の別の道路を進撃させられることとなったようだ。(当事者の我々は夜間行動だから何も知らなかった)

長沙に入って間もなく私は赤痢にかかって動けなくなった。

部隊長は病気を治して後でゆっくり追及すれば良いと優しい言葉を残して前進して行った。

部隊におくれること約1ヶ月。部隊長は私の復帰を心から喜んでくれた。

桂林ではアルコール燃料のいち早くの成功を喜んで,輸送司令官を私の工場に招待したりした。

もちろんお褒めの言葉を頂戴したが、むしろ部隊長の方が喜んだ節が有った。

慈父のごとく私を可愛がり,頼りにしてくれていたので、作戦終了と同時に転勤されがっかりしたのは,むしろ私の方であった。

その生田目少佐に全くあの広い支那の戦場の一角で,最後の晩餐をともにできたとは、なんという神の差配だったのだろう。後にも先にもこれを最後に、戦後はもちろんお互い消息の知り様はなかった。

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