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2013年6月13日 (木)

同期生会出席率第1位

今朝も一番にビデオカセット百個を台車に乗せて棄てに行く。

自分の一生を自分で閉じて行く。

撒いた種は自分で苅る。故人はいいこと言うなあ。

いずれにしろ自分一人だけの感慨である。

所詮人の生涯を確信を貫いて終わるものはいないだろう。ましてや若き日の数年間を念願の仕事を棄てて、兵役に身を投ぜらるを得なかった我々世代にには不可能なことであった。

運や天に任せて一生を終わったものに、毀誉褒貶は単なる成り行きにしか過ぎない。

私の友達の中にも、いかにも身を細くして悔いをあらわに生涯をさも自分の至らなさのごとくして、終えて行ったものも多いが、私に言わしめれば何も自己を卑下するには当たらない。それなりの生き様こそ問題だと思っている。

私は唯一誇りに感じているのは、母校の同期生会を最終的に世話しきって終わりに出来たことである。

卒業以来丁度20年目に新聞社を経営していた脇昂君が第1回の同期生会を持ちかけて来た。昭和35年(1950)のことである。喜んで参集した。参集者38名、恩師3名の参加を得た。爾来5回までは数年置きに6回以後は毎年各地持ち回りで開催を続けた。

各地区に幹事を設け世話せしめた。私は当初から広島地区の幹事を仰せつかった。

2007年広島で7回目の第33回大会を引き受けた。便利の良い広島駅隣接のグランビア・ホテルを会場にした。参加者は6名だった。 

翌年は小郡と決まったが,幹事が急逝して私が幹事を継続しなければならなくなった。

何度か現地に足を運んで準備を終え,何とか開催にこぎ着けた.出席者5名だった。九州,大阪は居たが地元山口や東京は一人も居なかった。

当然翌年の開催は難航した。通常は東京方面の順番である。幹事が居ないでは話にならない。

結局島根の元県会議長土田好治君が引き受けてくれて、益田市の温泉で開催することになった。

事務万端私が引き受けた.3年連続だった。

案内状ももう30名を割っていた。何でもなかった。

そして当日2009年6月集まったのは土田君夫妻と私夫婦の2組だけだった。

もう継続は無理だし意味なかった。

二人合議の末同窓会(さざん会)解散を宣言した。

勿論残余の会員にもその通知を配り了承を取った。

翌年大阪で全同窓会の全国大会があったので,大阪地区のものと土田君と私が参加し最期の旧交を温めた。

35回のうち私は31回出席をした。熱海など会費の掛かる所は、当時破産状態に追い込まれていた私は遠慮せざるをなかった。倒産状態の事業に関係していたときなど,宿泊を辞退して帰宅したことまである。

継続は楽ではなかった。それでも同期生中第1位の出席率だった。

これもひとえに長寿のなせる技だろうか。

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