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2013年5月 1日 (水)

世に連れ移り変わる遊園地

昼前から楽々園のスーパーなどに行く。家内とはいつも別行動が出来る。

他のスーパーと違う所であり、これがいい。

大きな電気屋さんがあり,本屋さん,日曜大工の店,花や肥料まで売っている。

結構時間が過ごせて楽しい。

休息の椅子の置いてある所も多い。

食事どころも何カ所もある。大抵は昼をまたいで出かける所以のものである。

今日は昼飯は親子丼で済ます。4分の3食った所で腹一杯になる。最近は残すことが多いが,これは仕方がない。若い者用によそわれているのだから,皆食べては食い過ぎになる。

本屋にも顔を出す。今日から始まる深夜放送の雑誌も求める。

ここは駐車場が広くて,屋根付きも多い。何時行っても満車になることは無い。

身障者用のスペースも各所に沢山設けてあり,親切が身にしみる。

若い頃は楽々園というだけあって、海水浴場をかねた遊園地であった。

今は埋め立ての影響で,浜は遥か沖に遠のいてしまって、潮風の匂いすら感ずることは無い。

既に何人もの孫を持つ,娘等をつれてきて遊ばせたことのある懐かしい場所である。

家からもそう遠くない,私には手頃の場所なのである。

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2013年5月 2日 (木)

先進国のエゴイズム

朝気温10度、薄ら寒い。

朝飯の間ストーブが要る。

昨夜は前田健太が復調第1戦で快投、阪神打線を抑えて得点を許さず3勝目を挙げる。

打線もエルドレッド、ルイスが抜けても、なんとか広瀬、丸、梵あたりが頑張っている。

予期しなかったカープの新布陣である。

明日から4日連休、しかもフラワーフェスティバルの3日間を含んで,宮島界隈も道路の大渋滞が予想される。ありがた迷惑だが仕方がない。

老人はひっこんでおれである。

働くのと遊ぶのとは国の為には大違いだから、私の様な戦前の教育を押し付けられたものには、なんとももったいない暮らし方といわざるをえない。

半人前も力を出さないで済むのだから、100%の力を注ぐ国の国力に追われざるを得なくなる。

最近は中国には追い越され,韓国にも追いつかれている。

いづれインドやインドネシアにも肩を並べられるであろう。

それでもいいんだと云えばなにおかいわん。

本来人類は競争して生きて来た。場合によっては相手を殺戮して残った。

今突然に平和を唱えて、自己満足に生きようとしている。

先進と称する国々のエゴにすぎないことが、徐々に露呈し始めたと私は感じているのだが。

過去に侵略の限りを尽くした白人達の巧言に気づいて前大戦を引き起こした前世紀の日本の立場を思い起こしてほしい。

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2013年5月 3日 (金)

議会人の出る幕

連休初日,早くも各地の道路渋滞が報道されている。

若い者達は大変だなと同情の思いが沸き上がる。

私も昔はあったかなあと過去を偲ぶが,汽車が混むことはあっても道路まではと思ったりする。

最大の原因はやはり人口の都市集中だろう。

この現象を少なくしなければ,益々酷くなるだろうし,災害時のダメージも軽くはなさそうだ。

まさに現在の最大警戒警報だ。

選挙の憲法違反を云う前に、東京,大阪、横浜、名古屋の4大都市解体を実行出来ないものか。

放置しておいてよい問題だとは思われない。

なんらかの法律とか,国家権力の出動を期待する以外に無い。正に議会人の出る幕である。

いずれも大地震の対策に今奔走させられている良い機会では無いか。

先ず官公庁を外すことから始めよだ。

皇居もものものしいお城でなくて、京都の東山か嵐山あたりに優雅な古代日本式邸宅をしつらえるとか。

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2013年5月 4日 (土)

長寿を嘆いたり喜んだり

やはりひんやりとした朝,気温は12度。予報は曇り時々雨。

昨日はフラワーフェスティバル初日、いきなり79万8千人の来場者、といわれてもちょっとどのようにと想像がつかない。テレビで断片を拝見するだけ。

長女が菜穂子の赤ちゃんを見せに連れて来てくれて、しばし4世代の会合を楽しむ。

93年の時差を覗き込むようにみつめる。改めて凄いなあと感慨を新たにした次第。

長生きをしたればこそ,未来が実感出来た。

ひるすぎ圭さんから電話をもらう。突然のことなので,ひょっとして又どこぞへでもと驚く。

別に変わったことは無く,元気そうで,人並みに連休を家族と楽しんでいるとのことで安心する。

ひと月前に、長女の所に同じ様な話があって驚かされたばかりなのでどうしてもそちらが気になる。

もうこの老いぼれには何の効能もあたえることはできない。無力の哀しさだけが心をいためる。

こんどはいたずらな長寿を嘆く番である。

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2013年5月 5日 (日)

老人のひが目

昨夜からの変調で気分が悪く,朝食を止める。

昼前には元気になり,よく晴れているので縁起払いに、布団を干したりする。

昨夜も夜中の3時頃小便がしたくなり,起き上がった途端ふらふらして,吐き気が来る。よろよろしながら吐き出す容器を取りに行く。ふらふらしながらすることだから、堪えきれなくて尿が洩れそこいらを濡らしてしまったり,正に三隣亡である。

家内も足が痛いとここ数日こぼしている。歳のせいだと云う以外に無さそうだ。

私もここ数日時々ちくちくと後頭部が痛んだりする。

兎角毎日が,ままならないこの頃である。

老衰正に極まれりと云った所か。

道路は今度は逆方向で混雑が始まっていると云う。

どこにも出かけられないものには縁のない話だが。

けだし、連休に働いている国民少数派のひとびとや、私達老人などは,苦痛を耐え忍んでいる。

よそ目には、片腹痛いジャーナリストの浮かれ様である。

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2013年5月 6日 (月)

かって誰かが云った一億総白痴今もか

未だ今日もお休みの日は続く。私ははっきりとうんざり。

何か出来るわけでもないが,何もしないで5月の月も1週間経つ。

最近何だか朝っぱらから、テレビの画面が騒がしい気がしてならない。

一番よく見るテレビはNHKだが、時に見る民放も変わりない。

健全とか云う趣にはほど遠い感じである。

これでいいのだろうか。

私の若い頃テレビは無かったが,今考えると新聞雑誌,そしてラジオだった。

戦争謳歌そのものだった。反対論なんか皆無と云ってよかった.慎重論も影薄く気がつかなかった。

国民は熱狂した。敗戦は今考えると当然だった。

声ばかりで,実力は相手の何分の一も無かった。正に身の程知らずであった。

今アメリカのおかげで戦争は眼中に無い。もちろん北朝鮮が徴発しても何も出来ない。中国が領海を侵しても排除する力は無い。安倍さんがいくら力んでも、痛くも痒くもないロシアに影響は出る筈はなさそうである。

そして国論を代表するテレビは総白痴の感なきにしもあらず。

危ういかな日本!

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2013年5月 7日 (火)

我が家のゴミ

今朝6時半起床、寝間着から着替えるのに,ひんやりした気配がなくなった。

温度計を見ると部屋の温度は20度,湿度は30%と出ている。(外気温は14度)

やっぱりこれくらいが一番いいらしい。

今日は普通ゴミの収集日、大型ゴミ袋(45lt.)に一杯である。もっともビデオのカバーケースが大半、目方は軽い。

ビデオテープ本体は月に百本程度づつしか棄てられないので、まだまだ何ヶ月も掛かる。

先だっては娘が食器棚を片づけてくれた。その皿なども6,7袋たまっている。

これらはいずれも月に一度しか収集日はない。

老人二人の家庭でもゴミは大変な量であることに今更驚く。

もうしばらくすると家自体がゴミに化するわけだが、はかないものだなあ。

書籍類も今となっては大変な量のゴミである。

ゴミを残して逝ってもらっては困ると常々子等が口癖に云ってくれてるが、現実が迫ってみるとやはりただごとではなさそうだ。

それに今はパソコンが5台もある。古い奴は一抱えもあって移動もままにならない。

それに付属した機器類,別の部屋や倉庫など動かすのが難儀なほどだ。

棄てるのは何でも無いと思っていたが,身体が不自由になってみると,やはり重大な問題だった。

気がつかなかったなあ。

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2013年5月 8日 (水)

昔が良いのか、今がいいのか

春らしくない澄み渡った空、宮島の木々がはっきり見える感じ。

体調が戻ったので朝早くからごそごそする。

最近雀の姿が全く見えない感じがする、どこえ行ったのだろう。そのかわりやたらとカラスの鳴き声や姿が目につく。そして今朝などは鳩の鳴く声もしきりとする。

鳥の社会も変化がはげしいようだ。

Windowsのやり方がどうも分り難いので、今朝は勉強のし直しを始める。

アップルでは何でもないことでも,七面倒くさくごてごてと説明がつく、それがよくわからない。

XPのときは,違和感は無く使えていたのに7にもなるとまるで違う器械の感じである。そして今度は8だから気が遠くなりそうだ。

もちろんこちらの頭のせいだから,勉強する以外にないが、90歳を越すともう柔軟に対応は難しいようだ。

主力はアップルのままだから欲張らんでそのままにするか。

今朝の新聞を見ると、住民が居なくなった”消滅集落”が福山近郊に10箇所できたとある。

いづれ狐狸や猪のすみかとなるのであろう。

ますます山林の保全が難しくなるかもしれない。

大災害は頻発するし、日本列島危うしである。

いっぽう私の子供だった頃には乞食もゴロゴロしてたし、今韓国が問題にしている人身売買の犠牲者も数知れずだったのが、今は皆無である。人の世の中は改善されたといってよい。

しかし現況は悪しき方向に向かっているとしか見えない。

大自然の反撃を食ってからでは遅いのではあるまいか。

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2013年5月 9日 (木)

天才バイオリニスト諏訪根自子のこと

連日続いた五月晴もどうやら終わりか雲の多い天気である。

時折聞いている深夜便もここのところよく眠るので聞ける機会が減っている。

2、3日前諏訪根自子のバイオリン演奏や喜多郎の久しぶりの電子音楽が放送されたので予約録音した。

朝になって聞いてみてやっぱりよかったなあと感激した。

昔の思い出につながるものはやはり興味が深い。

私自身も諏訪の生涯について、同年齢だということ以外知るところはなかったのだが、早くから活動を停止したようだから、70数歳まで存命だったことは知らなかった。戦争でもみくちゃにされたひとりであろう。惜しい天才だったなあ。

深夜便で云っていたニッポン号の世界一周の途中ヨーロッパで飯塚機関士に諏訪根自子が花束を贈呈したことは私も憶えている。辻久子が家を売ってストラスバリウスを買ったと云う話は、諏訪がゲッペルス宣伝相から贈呈されたというより後のことであった。

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2013年5月10日 (金)

現状のOSが不変のものではない

広島総合病院の皮膚科に出かける。担当の先生がまた代わった。よく転勤があるんだなあ。

始めてだから聞かれることが多くなる、それでも10分位だったかな。

帰りは雨がひどくなる。

私の使っているMacMiniはsuper driveの付いていない分だから、外付けのそれが、昨日から動かなくなって困った。

どうやら接続しているUSBの電力不足だったらしい。

それも本体に4カ所あるうちのどれかだけと云うことらしい。場所を差し替えてやってみるうちに作動し始めた。なんでこんなことにと腹立たしい。

正月に廃棄したMacMiniは内蔵していたからこんなことはなかったが、棄てて惜しいことをしたと今後悔している所である。

思うにメーカーは留まることが許されないから、バージョンアップと称してどんどん機能を改変し、新作器械を売りつけに掛かる。載せられる消費者が結局馬鹿を見る。

この構図は分っているのだが、何年に一度は乗らなければしかたがない。

置いてけぼりにされると、やはり都合の悪いことが起きて来るからである。

私も今は5年くらい前のOS9の使えるiMacのスイッチを入れっぱなしにして、時々手伝ってもらっている。使用ソフトがかなり違うのでこうしなければことにならない。

記録は大切なことだが、これから先現状のOSがまさか永久のものではないだろう。

古文書と一緒でこれを読み解く学問、人がいづれ必要となる時代がくるに違いない。

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2013年5月11日 (土)

天候異変と老齢化

昨日に続いて雨降りの天気、最近めずらしい。

テレビで偏西風の動きがおかしいからそうなっていると説明している。

今に限ったことではあるまいにと思うのだが、専門家がおっしゃるのだから従う以外に無い。

昨日はしまっていたストーブを又出して使う。もっとも軽い電気ストーブだが。

台所には未だに石油ストーブが置いてある。時に使う為である。昔には4月の半ばには手入れをして倉庫にしまったものだが、今は年間半部以上使うことになってしまった。

温暖化と云うのにどういうわけだろう。

今年はおまけに暫くはガスストーブまで使った。

老齢でそのせいと思い込んでいたが、テレビなど見るとそうでもないらしい。

2、3年前、三春の滝桜の雪景色を4月の終わりに行って見たことがあったが、今年も北国では雪に覆われた満開の桜の写真が映像で今朝放送された。

北海道でも半袖で歩いたり、その翌日にはスエーターを着込んだり、大変らしい。

我が家はエアコン、ガス、石油、電気ストーブなんでもありで、今年は光熱費は例年の倍額になるだろうが、老化と天候不調が重なって、タイミングが悪過ぎたなあ。

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2013年5月13日 (月)

私の日曜大工

庭の木々の生長も目立つが、吉香公園の若葉の美しさには驚いた。

5月と云うのは植物の生長が一気に早まるときらしい。

昨日も天気が良かったから、車が多かったなあ。

慎重に左線を走って、急がなかったが、やはり人の休むときは出かけない方がよかった。

戦争展の最終日だったから仕方なかった。

期待した割にはつまらなかったので余計につかれたのであろう。

2階の西側の3畳のサンルームを日曜大工の作業場に使って来たが、もう仕事ができなくなって来たので片づけることにした。

やり始めてみるとほこりはたまっているし、結構道具類が雑然とあって大変である。

一日掛かって終わらない.すっかり疲れる。

もっとも半分は昼寝しながらだからでもあるが。

日曜大工の机や古いワープロやオルガンなど人の手を借りなければ動かせないものは、老妻と二人ではどうしようもない。いずれ子等の助けを借りなければ片付かない。

老いると云うことはやはり深刻な事態である。気づき方が少し遅かったかも知れない。

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2013年5月14日 (火)

人口150万福岡礼賛

今朝は昨日一部屋片づけたので、ゴミの量が大きな袋2杯になり、私も手伝ってゴミ捨て場に行かねばならなかった。

時に古い台車をつかったりするのだが、老夫婦二人だけのゴミにしては多過ぎるかな。

ちょっと肩身の狭い所。

昔は少々のゴミは皆自宅で焼却したものだが、現在では例の有害ガスを発生すると云って、御法度である。古い焼却炉は雨に打たれて庭先でしょんぼり。

若いときは何でも無かったゴミ捨てが今はいくらか重荷である、奥深いうちはこんな時には損をする。

10kgのゴミでも、力の無くなった杖の要る老人には百メートルの道程がやはり負担である。

今日の新聞で福岡市が人口150万人を越えたとある。首都圏からの流入が増えたともある。

やはり地震の恐さは人の棲家まで変えさすものらしい。

大地震予測の少ない、しかも人情、生活費用など住むに理想的な土地だとの評価が高いのか。

私も1970年代この地に出店して営業をし、その関係で家を借りて住んだ経験もある。

実に住み良い所だった。

長崎、熊本、北九州、久留米の4カ所でも同じ経験をした。

そして福岡が一番快適だった。従弟がこちらの嫁さんを貰う時なかうどをした経験まである。

住めば都と云う言葉があるが、都の意味は違うが、首都圏は住むには酷過ぎる。

今は娘や妹、甥、姪など係累が沢山住んでいるが、憐れな気こそすれ、羨ましいなど爪の垢ほども無い。

都会の便利さを云うならば、やはり福岡だろう。

ここは私も羨ましい。

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2013年5月15日 (水)

保険の有り難さ

朝一番に耳鼻科に行く。

なにも問題は無い。

家内は午前午後2カ所の医者巡りで大変だ。

昨日古い写真を見ていると家内の歩いている橋の端に「御局橋」と看板が立っている。

妙な名前だなあと記憶をたぐったが覚えが無い。ネットで検索してみると、山口市にあるという。最近架け替えたと云う説明もある。

山口なら何度か行った覚えがあるから、いつか行った時街頭スナップしたのであろう。

何気ない表示でも気をつけてみると参考になるものだ。

家内を午後東広島記念病院の広島診療所に連れて行く。

今日は比較的早く終わったから、1時間もかからなかった。帰路スーパーによって買い物をして帰る。

今日は午前中は広島総合病院耳鼻科に午前中私の病気で行ったから、一日中病院通いということになりそうだ。

元気だと云っても外れ加減に生きているだけである。

診療費は1割しか払っていないのだから、後は皆保険から支払われる。

国も大変だなあ。

国のおかげで長寿を保っているわけである、やっぱり日本の国は有り難い国である、

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2013年5月16日 (木)

慰安婦問題

シベリアからの寒気団の影響で関東以北は雨霰の悪気候に見舞われているらしい。

こちらは25、26度の夏気象に近く、日本は分断された気候で戸惑っている感じ。

もう沖縄、奄美は梅雨入りを伝えている。

永い日本列島だから小さくても変化は激しい。

ガス会社から風呂場の見積もりを持参する、約83万円かかるとある。

注文する所までは行かない。

ところでここ数日、橋下発言で慰安婦問題がえらくやかましくなってるようだ。

私の様な老人には何がそんなにおかしいのか分らない。慰安婦と云う言葉は戦時中に作られた言葉だろうが、娼婦とか女郎さんとか云えば昔からある言葉だし実在したものだから、可笑しくも何でも無い。

私も軍隊に引っ張られて戦場を往来した。戦争が一寸でも落ち着くとすぐ住民が帰って来て、一緒にそれらしい女性が先陣を切ってやって来る。人種、国籍などはわからなかった。淫をひさぐわけである。

この人たちを戦争中は上品に慰安婦と呼称した。

戦い疲れた兵士の慰安と云うことでもあったろうか、もちろんただではない、いや中には部隊お抱えと云うこともあったかもしれない。兵隊は戦争中金を持ち歩くことは普通ありえないことだったから。

兵士の考え方も当然多種多様だから、こんなことを忌み嫌って見向きもしないものは沢山居た、然し反対する気にまではならなかった。一時的にでも平和に帰った日常を喜んだわけだった。

野郎ばかりの軍隊は殺伐極まり、戦いは敵とばかりではなかったようだから。

下手をすると上官暴行に発展することすらあったようだ。

戦後発刊された戦記類を読むと盛んにでてくる。

そもそも人間とは元来生き残った動物そのものなのだから。

やむを得ないのではなかろうか。

橋下氏が正直にいったことに反発し、騒ぎ立てる方がどうかしているのでは。

女性も自分のことを言われているのでもないのに目くじらを立てるにはあたるまい。

昔の話なのだから。

女は卑しいものとされ、現実に選挙権も戦後マッカーサーの命令によるまではなかった。

戦前戦中戦後女性売買は公然と行われ、戦争直後禁止されるまでは、米兵の回りにはパンパンと称する売春婦がうろついたものである。

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2013年5月17日 (金)

経験者が語る

空は灰色だが、雲では無さそうだから天気は良さそうだ。気温15度。もう寒さは無い。

昨日書いたことと関連がないでもないが、昔が懐かしいといっても、私の場合良かったと言うことはほとんどない。良くも悪しくも、しかたのないことであった。それでも古里は恋しいし、昔はなつかしい。

小さいときから親は朝暗いうちから夜遅くまでよく働いたので、それほど構ってもらった覚えは無い。

今頃の子供を見ると羨ましいかぎりである。

学校に行くのも草履か下駄である。制服はまだなかったが、絣の着物から間もなく洋服に代わった。

貧しいものだった。

大正末期から昭和初年にかけては不景気も底をついていた。

乞食もそこら中沢山いたし、人身売買も盛んだった。世の中は騒然としていた。

戦争でも起こらざるを得ない状況だったと云える。

満州事変が起き、軍需景気が後押しして、やっと光明の見えた世の中になったのではなかったかと思える。

少年期からは世の中は戦争に明け暮れた。世相も暗殺事件など相次ぎ殺伐としていた。

軍事教練に違和感はなかった。

銃を取り、剣を振るうのは男の仕事だから、女性の出る幕はなかった。

何十年も続いている平和な現在とは比較にはならない。

70歳以下のものは、皆未経験なことである。

聞かされた事実を真実と思い違いしてもらっては困る。

空裡空論は百害あって一利無し.即刻止めてもらいたい。

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2013年5月18日 (土)

私の最後の出雲大社参拝

気温17度、好天気。

車は多いかも知れないが、三次方面に出かけてみようと決心する。

出雲大社参拝の下準備のつもりである。

10時45分家を出る。宮島SAから高速道に入る。車のメーターは43250である。安佐SAで第1回休憩、江の川PAで第2休憩、そして松江道に入って高野道の駅で大休止。食事などして約1時間後引き返す。

出雲行きの予行演習で、今日の目的地はこの高野の道の駅だったから、これで良いわけ。

無理することは無いと自分に言い聞かせ帰路についた次第である。

今日の往復総キロ数は125キロと出ていた。

出雲行きを決行するときは、始めから1泊2日と決めている。

土曜日で車も多く、道の駅は賑わっていた。この程度かと一応納得ができたから、後は何時するかだが、帰宅してみるとかなりの疲労度だったことが判明した。

体力は限界だが、要は気力次第と結論づけた。

18歳の時始めて大社に参拝してから何度お参りしたことだろう。

あの時は自転車であった。松江から益田を廻ったから4日かかった。

自家用車で行き、ツアーで行き、数知れない。

折から今回新しいお社に建ち代わった。

最後とするにはちょうど良い。

新しい道は美しく坦坦として、老人にも何らの障害もない。

連綿と続く車の各ドライバーも皆マナーは素晴らしいと見た。

後は日取りをいつにするかの決断のみということだ。

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2013年5月19日 (日)

義弟の落下事故

明け方から降り出したか、庭の松の下は濡れ残っている。気温は15度と変わらない。

しかし予報では最高気温が19度と最近ではひさしぶりに20度を切ると云う。

昨日は暑くてたまらなかったのに、この変調は老人にはいささか応える。

朝7時花火が二度上がる。世間に疎い私には何の合図かわからない。

小学校の運動会のときよく聞くが、今の時期それではあるまい。雨で今日は何も出来そうには無い。

それとも中止の合図か。気の毒だな。

家内に聞くと老人会の運動会だそうで、以前に出場するかどうか問い合わせがあったのだそうな。

家内任せだからわたしに相談なしに断っていたらしい。

家内が末の妹に電話したところ、芳邦さんが又小川に落ちて、腰の骨を折り入院していると聞く。驚いてうちの方へ電話してみると廿日市の総合病院にまだいるらしい。

午後早速見舞に行く。

二度目の腰骨の骨折だから、大変だと思ったが、さすがに最近の医療技術はすばらしい。

結構起き上がって歩き回る。前の骨折金具がずれてたので、改めて正常につけ直しセメントで固めるのだそうだ。

もう殆ど痛くないと云う。

明日はもう退院するらしい。

まあ歩けるし、普通に動作出来るのだからよかった。

前回は柿の木の枝が折れて落下したのだが、今度の小川も2メートル位の深さがあったと云うから、打ち所が未だ良かったのかも知れない。

まだ70代だが、先はまだまだだから気をつけてもらわねばと、念を押す。

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2013年5月20日 (月)

動作は鈍くても気は短くなる老人

昨日降り続いた雨はどうやら止んだようだ、しっとり濡れた庭先の木々は、また繁茂の勢いを増しそうだ。

夏みかんは白い花を樹木一杯に咲かせて、今年は豊作を予測させる。

老人二人では不作の去年でも持て余したから、どうでもいいことなのだが。

暇に任せて相変わらず、部屋の片付けをつづける。膝の関節や腰から下半身の何とも云えぬ痛みが出て来る。

慣れぬ仕事で無理に筋肉を使っているわけだろう。

寝たり起きたりの毎日だから、ちょっと変わったことをすると差し障りが発生する。

30度近くまで気温が上昇している。

幸いにそよ風が絶えず部屋の中を通り抜けているから暑くはない。

最高の過ごし良い一日と云えそうだ。

薬が切れたので今日は内藤内科に出かける。

診察では何も異状はない。

もう風邪ひきも居ないから,閑散とした待合室。30分位で帰宅する。

庭木の剪定をシルバーにお願いしているのだが、なかなか来てくれないので家内が催促している。松の木があるから6月に入ってからの方が良いと云う返事。

待てないのかなあ、気の長い筈の家内が少し気短になったかな。

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2013年5月21日 (火)

出雲大社参拝今昔

先日も縁結びの出雲大社に参拝する目的は何かとのメールをくれた方がいたが、新婚前今の家内を宮島に連れて参ったり、(祭神が婚約者の参拝を嫌うと云う伝説があるが)、特に古い習慣などにこだわる性質は私は本来持ち合わせていない。

強いて云えば先に書いたように、18歳の時雪に覆われた中国山脈を越えて自転車で参拝した道中の苦労を偲んでみたかったとでも云おうか。

勿論高速道路は無かったし,赤名トンネルもなかった。

正真正銘の中国山脈を上りはうねうねと車を押しながら,また下りは積雪の中ブレーキに気をつけながら、4時間かけてやっと人っ子ひとり逢うことの無い赤名峠を越え,頓原の里に辿り着いた。

こんな難行になるとは夢にも思っていなかった。

前日よれよれで行き当たりの宿に入ったときは玄関から部屋まで手をついて這って入った。風呂に入ってやっと人心地が付いた。

明くる朝足は未だ痛かった。すれ違う三次の町の小学生達からお早うございますと声を掛けられ,丁寧な少年には帽子を取ってお辞儀をされた。どこかの上級学校の学生さんとでも思ってくれたのだろうか。

しつけのよいこれらの子供達の挨拶がどれほど勇気づけてくれたことだろう。

自転車を漕ぐ力が弱気を打ち消し,峠の坂道へ突進させてくれたとしか思えない。

無謀だから止めた方が良いと,岩國を出発前、親父を始め周囲の人たちから止められたけど、血気の若さがそれを押し切った。

今更断念するわけに行かなかった。

今度の高速道路は路線も違うし,昔をしのぶよすがとて無いが、中国山脈を越えることに意義を求めたと云ったら良いだろうか。もっとも長大なトンネルで突破するのだから正確には越えたことにはならないかもしれない。

科学の進歩がいかに便利よく出雲への旅を実現させてくれるか、それを確かめにとでも理屈を付けるしかないだろう。

こうして今の所単なる夢を書いているのだが、もう先延ばしする時間はない。

後1ヶ月以内に決行あるのみである。

18歳のときは準備も何もなかった。お金を15円と当日の昼飯のおにぎりを持っただけの出発だった。服装は制服の学生服、学生帽に木綿のレインコートを引っ掛けただけだった。

元気だっただけだ。

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2013年5月22日 (水)

出雲大社参拝今昔(2)

パソコンを利用して、宿も予約出来たし、出雲大社参拝も6月4日から実現出来そうである。

若いときと違うから、日帰りで済ませて帰ると云う訳には行かない。

一応2泊3日の計画を組んでいる。

18歳の初参りのときは、予定は1週間だったが、結局3泊4日で終えた。

途中旅の現実が怖くなり,出雲今市から益田まで,列車を利用したからそのようになった。

なにしろ自転車では,ペタルが緩んだり,パンクをしたり,チェーンが外れたり、油が切れてきーきーと大きな音を出したり、何度自転車屋の助けを借りたことだろう。

舗装の無い小石のごろごろした砂利道を走るには、全く不適当な乗り物だった。

それに脚力も限界だった。何よりももう一度中国山脈を乗り越える精神力はなかった。

それに天候の問題もあった。二日目夕方から雨になり,行程を切り詰めて宍道というところで、宿を見つけて転がり込んだが,翌日ぬかるみの悪路には悩まされ続けた。

肝心なお参りもそこそこに切り上げることになってしまった。

列車で行くことを思い立ったときはもう暗くなっていた。

出雲今市から益田への汽車は最終列車しか残っていなかった。

真夜中益田駅の駅員さんが親切に宿を探してくれたりしたので、野宿は免れたが、疲労回復にはほど遠かった。

同じ中国山脈でも六日市から広瀬(現在の岩国市錦町)に越える道は,数年前から国鉄バスが開通していたので、車を押す距離も1時間位と少なく、まあまあの道のりであった。

郷里の岩國に付いたのはもう日暮れに近かった。まさに気力のがんばりだった。

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2013年5月24日 (金)

車の進歩が世界を変えた

昨日は雲が多かったが今日は朝から快晴、予報でも穏やかないい天気らしい。

若き日の出雲への自転車旅の思い出を語っているうちに、ふと思い出したことがある。

友の神村君との二人旅だったのだが、道中は喧嘩ばかりして走った印象が強い。

原因は勿論疲れと自転車の故障だった。(昨年暮れ上京して逢った時彼もよく喧嘩したなあと云っていた)

道路も悪かったが、ゴムの品質が悪かったのか、パンクが日常茶飯事に発生した。

その都度車を止め,チューヴを引っ張り出して,パンク修理。用意はしているから手早くできないことはないが,やはり2、30分は時間をロスする。毎日一度や2度起きる、すると相棒の神村が怒り出す、私がやり返す,喧嘩である。

どちらも愉快なことでは無い。

その上油が切れて,ぎいぎい云う、ペダルが緩んでかたかたと鳴り始めると,今度は膝に響いて痛くなる。

故障が思いがけず多かった。やはり山野を駆け巡るようには出来ていなかったのだろう。

自動車にしても初期にはパンクを始め、ずいぶん故障が多かった。

私は軍隊のとき関東軍の自動車第3連隊の材料廠長を努めたので、部隊のいわば修理の親方である。

満洲の東部国境の守備が主任務だったが、零下30度にもなる辺境の地だった。

当時の車の弱点はパンクとバネの折損だった。一行動起こすと必ず数十件も発生した。

これで戦争出来るのかと思ったりしたものだ。

ところが戦後どうだろう、車が良くなったか道路が良くなったか、パンクなどもう十数年したことがないし,バネの折損なんか聞いたこともない。

女性運転手が増えたわけである。

昔のようにしょっちゅうパンクが起きたら,女は特に困るだろう。

エンジンもよくなったなあ。エンストもしないし、オーバーヒートなんかも十数年来経験したことがなくなった。

私も以前の車なら、とっくに運転を返上していただろう。パンクでもしたら、もう腰は曲がらないし、タイヤの上げ下ろしもままにならない。

やはり車の進歩が世界のあらゆる環境を変えたことは間違いない。

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2013年5月25日 (土)

物好きな私、もうなおらない

日本で一番気候が良いときは何と言っても5月の今だろう。

私位の老人は、一年中ほとんどが生きるに苦痛を感じている。暑くても寒くても駄目である。

しかも年々良い期間が短くなってゆく気配がする。

日々掌中の珠と誰かが云った気もする。

今日は小沢デーなのか、小沢征爾指揮の音楽が午後からずーっとFM放送で流されているようである。

苦境から不死鳥のように甦った彼,相変わらず晴れやかな良い音色だなあ。

いつもブログに載せてることだが、私は生まれつき音楽を聞くのが好きである。

親兄弟親戚を見回しても私のように好きなものは居ない。

遺伝子が突然変異したのだろうか。

ある時期小さな百貨店を知人たちと経営していた時、店内放送は私が担当して音楽を終始流した。

民間放送の友人が随分協力してくれたものである。

特にクラシックが好きで、自分個人で商売をしているときは,年中テープかFM放送を流していた。

嫌いな人はやはり嫌な顔をして二度とは店に来てくれなかった。しかし同好の士はいるもので、自家製の店のスピーカーの貧弱さに呆れて、今度良いのに買い替えたからと云って,お古の凄い大きなセットのスピーカーを持て来てくれた人があった。

痛むものでないから,もう店はとっくに止めたが、うちに持ち帰って未だに何十年も鳴らしている。

物好きで自家製や商品のスピーカーを何組も部屋部屋にとりつけて鳴らしているが、未だにこれが一番良い。

カセットテープは優に千本を越えていたが,近年CDやDVDになり、死が近くなったので、家内の勧めもありゴミとして廃棄し始めたところである。

ビデオテープも千本を越えていたがこれ又どんどん棄てている。

音楽の方はカセットからDVDにダビングして保存を計っているのだが,ほとんどDVD1本で20数時間を超えていいるので、再生するときは、終日付け放しになるわけである。

時には終日,或は深夜にまで鳴り渡ることもある。隣の奥さんにご迷惑をかけますと挨拶したことがあったが、幸いクラシックは好きですからどうぞと云われて、そのままつづけて今日に至っている。

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2013年5月26日 (日)

私は漢字でしか読み書き出来ない

私のブログ検索ランキングの第1位に”漢字が多過ぎる”と出ている。

思わず苦笑いした。孫がいつかじいちゃんのブログは漢字が多くて読めないと苦情をこぼしたことがあった。

奇しくも同じことを言うと思ったので可笑しくなってしまった。

私は学校で漢字で教育を受けた。大して偉くもなっていないので、当然作文はこんな風になる。

孫の話では英語はよく教えているが、漢文とか漢字はあまり教えてくれないと云ってたが、国の政策らしいから仕方がないな。

私も明治の文豪達の文章が分らないで困った経験がある。当然江戸時代となるとちんぷんかんぷんだった。

ましてやアメリカやイギリスなどの原文の本には手が出なかった。

戦後手に入れて読む努力はしたことはあったけど、及ばなかった。

せいぜい英文の手紙を必要に迫られてアメリカの会社に出したりしたことはあったし、進駐軍のCCDに勤務して、翻訳業務に従事したり、努力したが続かなかった。

明らかに、教育の乖離である。(これまたちょっと難しいかな)

93歳はもう少数派だから、寝言をいってるなと思ってくれたら良い。

古い日本語に多少でも興味があるなら辞書を引いてもらえればわかるだろう。それが勉強と云うもんだ。

先人達が書いた源氏物語、徒然草、平家物語,日本外史など皆後に続く日本人を啓発しつづけたのは事実だから。

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2013年5月27日 (月)

老いるということ

産経webに曾野綾子さんが“老いるということ”というコラムを載せている。

私より随分若い人だと思っているが、老いることがよく判っていらっしゃるのだなと感心する。

全く同感である、いや改まって貴重なご意見を拝聴した気持ちである。

実際死に方となると皆目見当が立たない。誰しも運命に任せるしかないのではと思ったりする。

書けなくなるときが必ず来る,その時だと彼女はいう。

私もささやかながら、このブログが命の綱で書けなくなったら終わりだなと常々思いながら,キーボードをたたいている。

奇しくも思いが一致して愉快になった。

(その記事を無断転載する)

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2013年5月28日 (火)

空撮による我が家の爆撃跡

ひさしぶりに朝から雨、気温19度。

今年は雨が不足気味なそうだから,恵みの雨かも知れない。

昨日から梅雨に入ったと宣言、例年より10日以上早いとか。

このところ株価の暴落が続いている。私は金もないが興味もないので,痛くも痒くもないが、家内の妹達は熱心に取り組んでいるらしい。

儲けたので,先般はロシアへ、今度はスイスへ行って来るなどと云って,人を羨ましがらせていたが。

上がっても下がってもどちらでも、儲かることはあるまいから,急な暴落で損したのではと一寸心配。

まあいいか、人ごとだから。

先般岩國で開かれた,原爆と岩國空爆展で展示された写真を撮影してカメラに収めて帰っていた。

今朝一つづつ写真を精査しているうちに、我が家を直撃した昭和20年8月14日の爆撃跡をはっきり見つけることが出来た。

どうやら母屋と蔵の間に並んで2個,少し南の蓮田と畠にそれぞれ1個と重なるようにして,爆弾が破裂したらしい。

上空から恐らく米機により撮影されたのであろうが、我が家の残影が残っている所を見ると,爆撃後間もない時日のものと思われる。

私にとっては貴重な写真になった。

広範囲な岩国駅(当時は麻里布駅か)周辺爆撃圏全部を含む写真だから,800倍に拡大しなければならなかった。

駅を挟んで東西2kmくらいの間に,数百の爆弾痕が見える。

少しぼけるが,私には大正13年に建築し20年住んだ家だから,位置関係がよくわかる。

死ぬ間際になってこんな写真が手に入るとは、どう言う因縁だろうか。

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2013年5月29日 (水)

井伊家の世田谷代官の日記から

梅雨入りを伝えられただけのことはあって,今朝もかなりの勢いで降り続いている。

昨日も雨の中を,楽々園に出かけ,買い物や食事を済ました。

家内も食事の支度から始末までするのがつらくなったらしい。愚痴が多くなった。

聞くのがいやだから,外食を誘うようにしている。

昨日はざるそばであった。

たまに食えばおいしい。

本屋で「世田谷代官が見た幕末の江戸」という本を買って帰る。

世田谷が井伊の領地だったとは知らなかった。江戸時代家光の代から,明治維新まで井伊大老家の台所を支え続けたわけだったらしい。そして大場家も終始代官として律儀に努めたようだ。

世襲制度時代のことだから珍しいことではないが、男の子が居なければ養子を迎えなければならず、世襲が転々として苦労していることはこの家も同じのようである。

桜田門外の変前後からこの主人公の日記が始まっていることは興味がある。

明治に入って73歳でなくなるまで代官を補佐した主婦の日記ということで歴史的な意義がある。

ついでだが、徳川慶喜が政権を返上した後,井伊氏も官軍に味方し一緒に江戸攻めに東上して来たとはしらなかった。

世田谷の代官もさぞ困っただろうな。天皇の行幸を迎えに品川まで出迎えたとある。

江戸時代の日本人の意識の不思議さが思い知らされる。

庶民の書き物だから、底にある単純なアイデンティティを感ぜざるを得ない。

最近よく思うのだが、米軍は日本が降伏のシグナルを何度も挙げていたあの8月の14日に何故あんな大量爆撃を、しかも民間人の沢山乗っている駅の列車を目がけて実行したのだろうか、戦争だから人道もくそもあるものかと,米軍は思っていたのか。

その真意が知りたい。戦後確かに日本難民を救済する手段を沢山講じてくれた。

日本人の恨みを随分和らげてくれたことは事実である。

だが原爆といい、この爆撃といい、人道を云々する米軍の行為とはどうしてもつながらない。

やはりお題目と現実とはいくら余裕のあった勝利者でも違っても仕方がないということか。

大戦後もアメリカは数々の強引な戦争を実行して来た。いつも同じ様な大義名分を唱えて。

大量の犠牲を強いて,結局はその名分通りに行ったとは思えない。

私だけがそう思っているのだろうか。

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2013年5月30日 (木)

出雲行き又々回顧

今朝早く目覚めて,出雲行きのことが、先ず念頭に思い浮かぶ。

車を木元自動車に言って点検してもらう必要があるのではとふと思いつく。

調子の悪い所はないのだが,長距離を乗るときはやはりいつも心配することである。

若いときは仕事の関係で,中国、九州を駆けずり回った。熊本、長崎、博多には下宿を借りていたので、夜間を利用し夜を徹することも屢々だった。

もちろん高速道なんてない時代だから、昼間は渋滞が酷くて,広島から博多まででも13時間もかかったことがあった。

そして一番怖いのは故障だった。

戦後急速に車が良くなり,パンクとキャブそれにラジエターくらいが点検対象にすぎなくなったが、それでもいざ起きると場所によっては困ることがあった。

この経験は生涯忘れることはない。

昨年暮れ上京して神村君に逢った時、彼から奇しくもコダックカメラの話が出た。

出雲自転車旅行に私が携行した,親父のカメラのことである。

フィルムは3本位持参したと思うが、殆ど失敗して,今に残っている写真は5枚か6枚だが、それでも記念になったなあと彼が言った。

当時日本では殆どカメラはプロのもので,個人が携帯する様なカメラは凄く高価なドイツのライカなどしかなかったので、性能は悪く使い勝手も良くなかったこのカメラでも役立ったということだった。

蛇腹を引っ張り出して、リボンシャッターを押すのだが、押して2、3秒待って放す式のもので,大抵の写真がぶれてしまった。(添付写真)

固定してシャッターを二度押しすることも出来たが、3脚までは持参していない。

結局1枚もまともなものはなかった。おぼろげながら人物像が分るから良しとしたわけだった。

今度はデジカメもあるしiPhoneもある。その点はいい記念写真が出来そうである。

神村君に送って羨ましてやろう。

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2013年5月31日 (金)

目の前の目に見えない死神

昨日は食あたりらしく,午後5時頃気分が悪くなり吐く。昼の食事が未だ大分残っていた。材料の牛肉が悪かったらしい。

吐いた後は何でもなく治まった。

しかし夕食はお粥に梅干し一膳ですます。

けったいなことが起きるものである。

出雲行きは取りやめるかと家内が叫んだほどだ。

先般の平戸行きのときは身体が痛くて動けなくなり,取りやめざるを得ないと観念したのだったが,医者の痛み止めのおかげで幸い痛みが取れて回復し,予定通り旅行が出来た。

今回もそうあって欲しいものである。

まったくすれすれに生きている状態だ。われながら呆れ、笑っちゃうな。 

死神は目の前だ。何もしないでいては死神も手の下し様がないというものだろう。

家内は私より一世代若いのだから,未だ長生きしたいだろう.出来るだけ安全な位置に居らしたい。

クッションでも積んで行くとするか。

今朝昨日の後遺症はない。

生あるもの何が起きるか分らない。ましてや明日をも知れぬ老人においてをや。

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