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2013年4月 1日 (月)

老いぼれにも多少の用事はある

今朝の気温は6度、丁度春らしくてよい。

昨日の日曜日は花は満開だし、各地のさくらの下は人出で凄かったにちがいない。

花は本来昆虫を呼び寄せる為のものだろうが、役にも立たない人間どもが押し寄せて、根元を踏み固める。さくらの木は痛し痒しと思っているだろうな。

休日が明けたので早速市民税の追加分を払いに出かける.僅か500円である。

切片に領収印で済むかと思いきや、ご丁寧に納付伝票を別に書かせられる。

これでは老体ならずとも手早くすむわけがない。

今日は身体障害者の車が多くて空きがなく、駐車場所を探し歩く。

家内の買い物用事も多くてとうとう昼過ぎになり、うどんやに飛び込むことになってしまう。

情けなくも、これだけで疲れて、帰宅するとゆうに1時間以上も寝込む。

銀行で待たされる間に手に取って読んだ健康雑誌に、老人は下半身をしっかり温めよとある。

冷やすと血流が悪くなり,5臓6腑はもとより足腰まで弱り、障害の元になると書いてある。

なるほどなと合点、ちょっと得した感じ。

夕方家内が買って来た棚を取付けるのに、必要なねじ2本が見つからず、探しまわったがない。

以前娘が来て、身の回りを片づけてくれたとき、ねじを入れたビンを私の分らない所へ処分したらしい。

とうとう今日のことにならない。

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2013年4月 2日 (火)

不便な生活の良さ

夜明けから降り始めたらしい雨、朝7時半しきりに庭の木の葉を叩いている。

門まで新聞を取りに出る。ポリ袋に入れてなかったが、全然濡れては居ない。

配達時には降っていなかったとは私の推測。

この地方のさくらは一挙に散り急ぐことになりそうだ。

小雨が午後になっても絶え間なく降っている。傘さして歩いては出たくないと、家内も出かける予定を中止する。

家内の足指がリウマチで痛くて、靴での難儀が続いている。天気がよければまだ布製の靴が、いくらか痛みをやわらげてくれるらしいのだが、雨の中ではなあ。

いつも私は思っているのだが、足がこの歳まで丈夫なのは、何よりも中学生時代1里の道を歩いて通学したおかげと信じている。12歳から17歳までの成長期にまるまる5年間も歩いたのだから、役に立たないわけが無い筈である。簡単に計算すると人より余分に1万Ⅰ千キロ歩いたことになる。

交通機関を頼りにする今の子供たちは案外不幸ともいえる。

又青年期に軍隊の様な経験もつめないし、考えつめれば何が幸いするかわからない人の世ではある。

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2013年4月 3日 (水)

山河は残れど故郷は見えず

毎年同じ様なことを言ってるようだが、今日は昔で云えば神武天皇祭の祭日である。戦後はなくなった。

部落の”山上がり”と云う、楽しいピクニックサンデイとでもいったらよいかもしれない行事があった。

朝から重箱に弁当をつめて、裏の標高百メートルの”えんげし”と云う丘に、部落民総揚げで登った。

思い思いの場所にむしろ、

ござなど敷いて、席を設ける。

後は全山子供等の天下である。

親達は美しい内海の景色を眺めながら、日頃の労働の疲れをいやしながら、おしゃべりに夢中というわけである。

山を駆け回ると云うことを幼い子等は最初におぼえるときである。

もちろん近所のさくら名所に出かけてうつつを抜かすのも良かった。

農業の閑散期、学校の春休み、それに祭日とあって、皆の行動がいやでも一致した。

天気でもよかったらもう最高の一日になった。

私も郷里を離れて何十年にもなり、仮に故郷を訪ねても変遷の激しさは、往時を偲ぶよすがをのこしていない。古老も友人も皆この世を去った。まさに自然の山川が姿は変わったけど、昔の居場所に厳然として残っているだけである。

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2013年4月 4日 (木)

時の流れを加速したモータリゼーション

昨日はいやに車の往来が激しく、至る所で渋滞した、なんでやと思ったら、どうやら大学などの入学式の影響らしかった。夜のニュースでなんとなく分った。

近年は学校の設立が多く、ここらあたりでも学生達の右往左往が目立つ。

入学式で近くの生活道路まで渋滞すると云うわけ。

良いのか悪いのか私にはわからないが、世の風潮もここまで行ったかとの思い。

日本全国歩くだけで経巡った吉田松陰の時代と変われば変わるものである。

私の若き日も思い出せば、1里、2里は歩くのが当然だった。

何をするにも時間がかかるのが当たり前だった。

モータリゼーションがすべてを変えてしまった。

覆水盆に帰ることは無い。

思うに私の90年の生涯は凄まじい加速の時代だった。

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2013年4月 6日 (土)

空便は荒天には弱い!

夜中から雨になっている。

予報では暴風雨となっているのだが、千代はうまくやってこれるだろうか。

最悪の事態にならなければよいが。

昼前になり千代から電話で今から新幹線で行くと云って来る。気持ち悪いし、当てにならないからと云う。

いろいろ迷ったのだろう、仕方がないね。

このへんもまだ霧が深いようだし、飛んだとしてもほんとうに着くかどうか。

早く気づいてよかった。

長崎の方は明日の午後には良くなると、予報に出ている。

昨夜旅行社からは確認の電話が入ったし、ぬかりはなさそうだ

午後2時半空は灰色に覆われて、もや深く雨は今の所止んでいる。

風は全然なく、暴風雨のきざしは見えない。

ネットで見ても夜に入ってから荒れるのかも知れない。

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2013年4月 9日 (火)

終わり良ければすべて良し

   終わりよければすべて良し。
今度の平戸行きは20日前までは、体調不慮で思い悩み、一度は私の参加は取りやめを決断したりしたのだったが、家内が届を保留していてくれたので、辛うじて参加の段取りになった。
痛みを再発することも無く、旅行中もさしたる故障も起きることは無かった。
まさに幸運の一言に尽きた。
平戸も熊本城も、多年の懸案を解決してくれた。全く思い残すことはなくなった。
4月7日(日)曇
朝4時に起きて、なんとなくごそごそと支度をする。
見渡しても格別することもない。
ネットの新聞を見てもまだ昨日の記事のまんま。
何時から今日になるのだろう。
昔は夜が明けるのを知らず、ネットなどをうろついたりしたものだが、今は昔、遠くなりにけりだ。
千代がカープタクシーに電話して、タクシーを頼んだが、JRは人身事故のため動いていませんよと云われたとか、結局私の車で広島駅まで出かけることになる。
車なら日曜日の早朝のこととて30分もかからない。
屋上の駐車場に入れて、東のエレベーターまで歩いて降りる。
説明の掲示を良く読むもどうも合点がいかない。
まあいいか帰りにしようと集合場所に行く。
後は予定通り博多まで新幹線、降りてから相良バスで平戸へ、途中呼子で昼食、イカの料理に舌鼓を打つ。
平戸に渡ってから、うねうねとカーブの多さに悩まされる。といっても運転手さんのことで、のろのろと行かざるを得ない。
しかし思いがけず平戸の印象は良かったな。
大バエ灯台への駐車場からの3〜400米は上り坂で喘いで、途中でダウン.引き返す。
もっとも家内等が大丈夫か、顔色が悪いよなんて云うから、登るのをやめさせられたのだが、迷惑になっても困るから仕方がないな。
塩俵の断崖は風が凄くて、飛ばされそうになる。
危険なだけに理屈なしに愉快ではあった。
東日本を吹き荒らしている暴風雨の余波がここには残っていた。
オランダ商館跡を訪ねたが工事中であった。
宿泊ホテルは高い山の上の弓張りの丘ホテルというところで車が喘ぎ昇るのが気の毒だった。
着いたら間もなく夜、佐世保の夕景は左程にも無かった。
4月8日(月)晴
永い一日になった。
昨日登った山道をうねうねと下る。そして突端の展海峰から多島海を眺める。
最近取付け道路がよくなったとのことで、観光客が増えたのだそうだ。
眺める場所が良いので、松島より良い眺めだ。
熊本城はなんども出かけた所だが、工事も完了したし、設備も良くなったし、城の内部にも入れてすばらしかった。
老体だから3階から上はご遠慮申し上げたが、展示物も豊富で展覧の意義は十分あった。
昔仕事で通った百貨店の鶴屋も建て増して大きくなり、往年の面影はもう見出せない。広かった駐車場は影かたちもない。懐かしい思い出も夢か霞のごとく滑り去る。
柳川まで高速道を飛ばす。予定は水路遊覧だが、なんども見慣れた所、遠慮して待ち合い場所の喫茶でお茶を飲んで待つ。
もう動くのが嫌になってしまったからである。余力はまだ十分あったから博多、広島と経て、22時過ぎ車を運転して帰宅。間もなく翌日である。
93歳の夜間運転に娘は嫌がったが、やむなく付いて来た。
寿命がつながってホッとしたようだ。
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2013年4月10日 (水)

再度平戸、熊本城を回顧する

早朝広島総合病院耳鼻科に出かける。千代さんも9時のJRで帰ると云う。
家内は井上に土産を届けに出かけると云う。
バタバタと忙しい。
病院では耳はもう良くなったからと云って、薬は出ない。
念のため来月15日再診に出かけたらおしまいらしい。
今度の平戸行きは腰痛で一月前には行かれる状況には無かった。
起ち居は勿論歩行すら困難だった。ボルタレンのおかげで強行解決した。
改めて薬と云うものに感心させられたことを思う。
終始腰痛のかけらも感じないで済んだ。
新幹線の現在のこだま号はゆったりして乗り心地がよくて感心した。
椅子の感じがものすごく良くてくつろげる、老人には有り難い極みである。
塩俵の断崖は始めて効く名前だったが、凄い強風で身体ごと持って行かれそうになった.前方の島には風車が何基も並んでいるのが見えた.この風なら発電力も多いことだろう。
熊本城の内部は今度始めて拝見した。加藤清正が並みの武将でなかったことがうなづけた。
熊本は十数年に亘って私も縁故がある。その間一度も城の内部まで訪れたことは無かった。
本当に有り難い好機ではあった。
しかし90歳を過ぎてでは遅過ぎた。

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2013年4月13日 (土)

世論の愚かさ、怖さ

ここの所、北朝鮮のミサイル試射問題で世論が揺れている。

軍備を備えれば当然のことだが、核に繋がると思ってるだけに、怖く感じているのだろう。

日本の新聞などは、飛行機でも只存在するだけで練習もしないで、じっとしているとでも思っているのだろうか。

戦うと云うことは、簡単なことでは無い。

最悪の状況の中でも、自己の欲望、希望も顧みず命を捨てる訓練に生きてることが、戦うものの使命である。

やれ低空で飛ぶな、大きな爆音を立てるななどと、凡そ児戯に類する様なお題目をがなり立てている。

北朝鮮にしても、あまちょろい世界世論をあざけってことさらミサイル試射を吹聴している。

過去のベトナムと同じように、精強を極めて手ぐすねをひいている北朝鮮を侮ってはならない。

またアメリカは、いたいめにあわされるかも知れない。

真に平和が持続出来れば、武器なんか要らない。ミサイルも核も邪魔になる。

その時を待つべきである。

窮鼠猫を噛むと云う格言がある。

北朝鮮、いや北朝鮮人も同じ人間である。出来たら平和に暮らしたい筈である。

豊かな生活が出来るよう仕向けたらどうだろう。

同じ民族の韓国は今や立派に世界にその経済力を誇示している。北の人にもその生活を享受さす努力をしたらどうだろう。

国民がそこに気づいたら愚かな戦争は出来ない筈である。

ただ時間はかかるかもしれないだろうが。

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2013年4月14日 (日)

若芽の美しい植物園

昨夜は前田健太投手よく頑張って中日打線を8回まで2安打無失点に抑えてあっぱれ勝利を飾った。

カープもようやく勝率5割に浮上した。

しかし打線にしろ、投手力にしろ不満な点は多い。

選手一人一人の奮起が必要だ。

今朝は気温9度とやや暖かい、天気も良さそうだ。

植物園に行かんかと誘って見るが、家内は草取りが忙しいと云う。

どこから見ても老夫婦だが、痛い痛いと云いながらも思うように動き回れて、人を当てにしないで済むだけ良い。

この分なら遷宮祭の終わる5月の終わりか6月には、出雲にお参りに出かけられるかも知れない。

お祭りの当日に出かけるほど信仰心は厚くないから、終わって静かになってからが良い。

もちろん自分で車を運転して出かけるつもりである。

私の人生終焉の時は刻々と近づいている。

外を覗くと、凄く眩しい。白内障を手術する前、目を光に向けられないほど眩しかったが、それに劣らぬ程最近眩しい。老いのせいはまぎれもない。

昼前になりとうとう植物園に出かける。若芽が美しいだろうと思って。

花々も色とりどりに咲き乱れて美しい。さくらはもう遅咲きの八重ばかりだが、まだまだ美しい。

展望塔まで登る。

入場者は休日とあって非常に多く、イベントも催されている。臨時の売場で寿司など買って食う。

展望塔からの帰り家内とはぐれ、出口で待つ。

家内が雅博さんと偶然逢い、一緒に私を捜してくれたらしい。

10分位遅れて出て来る。

久しぶりに良い運動が出来た感じがする。

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2013年4月15日 (月)

先のことはわからない

昨夕から雷鳴とともに降り出した雨は今朝はすっかり上がっていい天気、気温も11度となっている。

昨日は思いがけず雅博さんに出くわし、山好きな彼にふさわしい職場だなと一瞬感ずる。

そのユニフォーム姿そして彼の明るい笑顔にその満足感を感じた。

先日私のブログのコメントに90を越えてよく筆がつづくとお褒めの言葉を戴いたが、何もしないで暮らしている毎日だから、ブログくらい考えないと日が経たない。

それでも老人の出場は心得ている、行動して若者に交わるつもりはさらさらない。

昨今になって、元気だった仲間が相次いで死んだ。私より先にとはとても思えない奴ばかりがである。

やっぱりショックだった。

90はやはり苦渋の歳なのか。

私の二十歳代、私の人生も、日本国も死んだと思った。

一度は事実死んだも同然だった。

しかし生き吹き返して今日があった。

が、何だか落とし穴がありそうである。

予想も出来ない何事か起きそうでならない。

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2013年4月17日 (水)

人生も自然現象か

76歳の今頃店を売って、現役を引退した。正確には1996年5月25日に宮本計装に店の資産の一切を売却した。勿論負債は皆無だった。

完全に仕事から手を引いて、年金生活に入った。

何もしないでも生きて行けると云うめどが立ったからである。

経済的な面だけを拾えば、全く波瀾な現役生活だった。

愚かな本性と相まって、父の残した遺産は0になり、やることなすこと殆ど成功した試しはなかった。

もちろん戦争で家が無くなった、田畠も荒れ果てた。そして私の無智が拍車をかけた。

後少しでまる16年になるわけである。あれから結構永く生きたなあー。

こんなこと予想もしないが、予想できるわけもない。

これも東北大震災と同じく自然現象の一つだろうが、もちろん人智の外にある。

40歳になるかならない頃、母親の信頼する八卦人に名前が悪いから、若死にする、改名した方がいいと勧められたことがある。今思うと全くの外れであった。

波瀾の無い年金生活だと思っていたが、それが近年きな臭くなって来たのに又驚かされる。

勝手に何十年も前に計算間違えがあったといって、訂正を云って来た。付随して税金や保険料も追徴された。

それらも5年間の時効が成立すると云って、それ以前は無視されていたが、それがそうでもないと蒸し返されそうである。一方では年金行政が行き詰まって減額だの、改正だのと不穏な動きまである。

人の知らない所で、世の中は勝手に動いている。やはりこれも自然現象の一つか。

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2013年4月18日 (木)

薄暗い春の一日

朝曇り、靄やや深し。

今年は例年の岩國航空祭りが中止と決定、どうやら昨今の北朝鮮の動向によるらしい。

近年は凄い人気で、近郷近在から何万人も押し掛ける5月の年中行事だったのに。

昔は家内も里帰りを兼ねて楽しみにしていたものだが。

今日は第3木曜日、資源ゴミ収集の日である。朝早くから家内は選別に忙しそうである。

ついでにガスストーブを整理し、倉庫に片づけてやる。段ボールをまとめたり少し位は手伝うこともある。家内もせわしくすると動悸が激しくなると云う。老化は皆同じである。やむをえんな。

今朝家内に宮島に永いこと行ってないから行かんかというと、それどころではないと断られる。

先日の植物園は何でも無かったが、宮島は歩く距離が倍以上もあるから、良い運動になると思うのだが。

靄は午後になっても晴れず、宮島を始め瀬戸の島々は視界から消え去っている。

日射しも無い.天気のせいか黄砂のせいか。

終日薄暗い春。

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2013年4月19日 (金)

カープへの思い

気温は11度だが、風が強く寒い朝。

シベリアの寒気がこのあたりの上空まで来ているらしい。

うっかり風邪でも引くと大変だ。

ずいぶん昔、今頃風邪を引いて、秋になるまで咳が出て困ったことがあったっけ。

昨夜実況放送はなかったが、カープが9回裏3点差をひっくり返して大逆転劇をやったらしい。

年に何度もあることではない。お目にかかりたかったなあ。

勝率5割に戻したと云う。

さあ巻き返しだ。ひと鞭入れてくれ。相手はトップ独走の巨人、願っても無い。

昭和45年大阪万博が開かれた。6月と8月と2度見に行った。一度は母と家内の父を車に乗せ、2度目は家内と次女をつれて、最初の時は連日30数万だったが、2度目の時は一日63万人の入場者があったりして、2日通って5館でも見たろうか。永い列の尻に付く時間ばかりで、感激は薄すかったなあ。

しかしこの頃が我が家の絶頂の時期だった.丁度満50歳になっていた。

その5年後カープも創設以来26年ぶり初優勝を遂げた。

まさに我が世の春だった。

カープの春も10年そこそこだったが、私の方はもう少し短かったかも知れない。

ほそぼそが永く続いて、76歳になった時、一切の事業から手を引いた。体力の限界を知ったからだった。

人生は2度と無いが、カープには何度でもチャンスはある。

まづ巨人を叩け、それがなければどうにもならない。

今年こそはの思いがないではない

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2013年4月20日 (土)

ボストンマラソンに爆弾とは

昨日アメリカボストンであの高名なマラソン大会会場で爆弾騒ぎが発生した。数人の犠牲者が出たりして、場所が場所だけに世界を驚かせた。犯人はチェチェン人の若い学生兄弟で原因は未だ不明である。兄の方は射殺され、弟は目下逃走中という。

又々アメリカらしい犯罪である。

地球そのものが今は遠近の観念は乏しい。人相だけでなく思想も考え方もまるで違うもの同士が、ある時同じ土俵にあがる、間違いが起きないのが不思議くらいなものである。

人間の坩堝と云われるアメリカである。はでに起きはでに伝えられるのは仕方がない。

今朝は気温は8度だが、酷く冷たい。

ストーブに火を入れなくてはすまない。

4月も下旬に入ったと云うのに、自分でも呆れる始末である。

老いると云うことは自己発電能力ゼロということかもしれない。

少しでも寒いともう身が持たない。

人によりけりだろうが、私はまだ電気毛布のお世話になっている。年々永くなっているのではなかろうか。それでもなお毛の無い頭や首筋などが寒くて夜中に咳が出たりする。

実際生きている値打ちなどとっくの昔無くなっているのだが。

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2013年4月22日 (月)

カープ巨人にさよなら勝ち

昨日の雨を忘れたようにいい天気。

しかしちょっと冷たいかな。寒気はまだこの地方の上空からは去っていないらしい。

昨夜珍しくカープが延長11回巨人にさよなら勝ちをする。

前田健太が故障で抹消され、去年の新人王も3軍で調整中でお呼びが無い。大砲のエルドレッドは昨夜デッドボールを受けて負傷、1月は復帰は無理だろうと云う。

やっと5割付近を低迷している現在、残りは多くてもこの戦力ではもうだめだろう。

監督ならずとも頭は痛い。しかしよく勝ったな。

時に孝子が出て来る、松山なんて知らなかったな。

今の球場には覗いたことも無い、老いぼれである、勘弁してちょうだい。

若い頃勤め先が元の球場のすぐ前の猿楽町にあった、仕事が終わるとすぐ駆けり込み、うどんいっぱい引っ掛けて応援したものだったが。

又カープ誕生の頃、観音球場まで岩國から下駄履きで応援に駆けつけたことも度々あった。気概は昔も今も変わらないのだが。もちろん酒樽募金も芝生の観覧席も知っているよ。

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2013年4月23日 (火)

つれづれぐさ

灰色の空から今にも降り出しそうな気配、気温10度。予報では雨なのだが。

この県は今年は雨が少なくて水不足が懸念されているとか、地方ニュースで云ってたが、そうかなあーと云った思い。

日が照らないから、部屋の中はひんやりして、じっーとしているとやはり寒い。ストーブは要らないが代わりに綿入りはんてんをひっかける。室温は17度もあるのにキーボードを叩く指先がかじかむ。老人は情けないな。

昨年暮れに逢いに行った神村君はパソコンはもう止めたといってたが、内心どういうふうにやめるのだろうと、不思議に思ったのだが、止めるのではなくて、目が見えなくなったり指が動いてくれなかったり、自然に止めさせられるのだろうなと今になって気づく。

ブログを毎日書いているのがいつの間にか楽しみになって来た昨今、私はまだ縁が切れそうには無い。

目は手術をしたせいもあってか、いくらか小さい字が見辛くなったので、ルビを少し大きくして、ブログなどを書いている。今はブログも日記も殆ど内容が一緒だから、手間ひまは掛からない。

自然読む人がいるかと云う意識はもう遠のいてしまった。

90を過ぎた老人なんて、掃き捨てのゴミみたいなもので、邪魔になるだけだろうと自覚だけはしているのだが。考えることがだんだん幼稚になって来たな。

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2013年4月24日 (水)

一ファンの寝言

昨日の何時ごろから降り出したか、今朝も音も無く地上に降り注いでいる。

ベランダの上を流れている雨水はまことに綺麗である、宇宙のゴミを吸って一緒に流れ落ちてるとも思われないほど美しく透明である。

さすがに靄が立ちこめて視界はない。

こんな日はもうどこにも出かける意図は起きない。

最近は目の具合ももう一つで、読書も長続きしなくなった。テレビも見ない。残るは音楽を聞くだけか。

昨日のカープは前田智徳までデッドボールで左腕骨折、当分出場は不可能だろう。その上抑えの今村が打たれて敗戦。踏んだり蹴ったりである。

野村監督は今村や堂林に固執しているが、思い込みが過ぎているのではないかと思えてならない。

結果がでないときはやはり反省が必要なのでは。

温情を込めながらも、冷酷な使い方もする、これはプロフェッショナルと云う以上当然のことではあるまいか。勝つ意欲を失った様なやり方は、見るほうに取っては実に腹立たしい仕草である。

夕方近くやっと雲の切れ間が見えてくる。明日はいい天気になるかしら。

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2013年4月25日 (木)

西瀬戸内を一周するプラン

朝からいい天気、気温11度。

いい天気だからどこかへ行こうかと云うと、家内は用事が忙しいから駄目だと云う。

動作が鈍くなったからいくらでも用事がたまるとも云う。

自分のせいにするのだから文句の付けようは無い。

男はいつも遊ぶことを考えているが、女はどうもそうでは無いらしい、身の回りが兎角気になるらしい。

さがの違いはどうしようもないな。

昨夜は別府から四国に渡って,故遊の地、大洲、内子当たりをめぐってから道後温泉に泊まり,松山でゆっくりしてからフェリーで広島に帰る計画を立て、徳山ー国東、佐賀関ー三崎、松山ー広島の時刻表を調べたりする。

天候が少々悪くても1週間もあれば楽に廻れるだろう。

体調がいいから図上戦術は快適にすすむ。

自動車を自分で運転して、こんなことを成し遂げるのは今を措いてもう来ないだろう。

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2013年4月29日 (月)

昭和天皇の日

今日は25年前までは天長節の日である。天がながいと読めば奇異とも取れるが、とこしえになら、現在の科学では天の存在もどうだか危うい。

昭和天皇の生誕の日である。私はまるまるこの時代に生きて来た。

有為転変の激しい時代だったと云える。日本国は一旦滅亡に追いやられる瞬間まであった。

しかしこの天皇であったからこそ維持出来た。

昭和16年1月、軍隊(関東軍ハの53部隊)に入る20日前、一旦勤務先満州国新京から山口県に帰郷し、天皇にお別れの意志を告げに上京し宮城を拝した。身命を陛下に捧げたと云う意思表示であった。

奇しくも命永らえて今日があるのが不思議である。戦場で直撃された機関砲の弾丸はいずれも私の身を逸れた。

終戦後の俘虜生活で栄養不良による結核も血を吐いただけで,命を失うまでには至らなかった。

帰国したが家は廃墟だった。苦難の日は他の国民と等しく何年も続いた。

しかし結果的には同僚達をしのいで今日まだ健在である。

だが明日もまたどうか、終わりの近いことはまちがいない。

人の運命なんて全く分らない。

暦は”昭和の日”となっているが、”昭和天皇の日”の間違いではなかろうか。

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2013年4月30日 (火)

二度目の日露講和条約

朝遅く起きてみると、ぼそぼそと降っている。

昨夜遅くまでテレビで日露首脳会談を見たので少し眠い。いくらか興奮し過ぎたのかも知れない。

千島4島問題を片づけ平和条約締結を促進したいと云う趣旨である。

その気になっている安倍とプーチンでなければ解決しないと,夫々が自負しての結論のようである。

いずれも国民の圧倒的な人気を背景に。

しかし成果次第では、人気急降下の可能性もある。一か八か百年の計を計れるかどうか。

固唾をのんでいるのは私一人ではあるまい。

ポーツマス条約後の苦い思い出のある当事両国である。

当時の総理は安倍と同じ長州出身の桂太郎だった。損な役割を担わざるを得なかった。国家の命運を定める時はやはり長州出身者が必要なのか。

日露戦争も日本勝利の余韻に国民は酔っていた。いや新聞や七博士などの論調で酔わされていた。結果に満足しない民衆は焼き討ち投石など暴動にまで進展した。

後年ロシアには私の同年輩たちのシベリア抑留の苦い経験もある。危うく部隊転戦の命令で中支戦線に移動したから、シベリア送りは免れたが、運命の別れが無ければ私自身もどうなっていたか分らない。

ロシアはとかく策の多い国である。相手の弱点を冷酷について来る政治性が得意と云える。

日本は過分の期待は勿論無理である。

先祖が流したと同じ血と涙にあまんじ、隠忍自重をあえて望んでいるのは私一人ではあるまい。

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