« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »

2013年3月 3日 (日)

死の予行演習

昨日の深夜(早朝1時40分)突然気分が悪くなり嘔吐を繰り返す。

どうやらその夜食ったエイが悪かったらしい。原型に近い形で出て来る、外のものは既に消化済みと見えてほとんど別になにもない。

ぼこぼこと塊が少しづづ出てそれで終わったが、しばらくは立って居れないほどふらついて、吐き出す容器に困った。幸い用心の為に置いてある携帯トイレが近くの部屋にあったから、それで応急の間に合ったけど一時はこれはと思うほどであった。

死への予行演習をなんどもしてくれて、自分のことながら、念の入り様にいささか驚いているところである。

サンフレッチェが敗れたり、侍ジャパンがアワやの苦戦を強いられたり、テレビ観戦も楽な気分では無い。

食事もおかゆと元気の出るわけがなく、いちにち体調悪く終わる。

世の中なにもかも都合良く出来ているものでは無いな。

ここの所テレビ観戦が続いている私だが、今日も琵琶湖マラソンを終始見ることになった。

最近非力な日本勢の中から、有望な選手が現れるかなと期待したが、やはり簡単では無いなということがよくわかった。

アフリカ勢にかるがると1、2、3位を持って行かれた。

一般参加の古豪藤原選手が4位で日本選手の第一位というていたらくである。

アフリカ勢に肩を並べる所までは容易では無さそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 5日 (火)

蘭展の植物園

Img_0158_2

今朝の気温3度、まぎれも無いもう春だ。

今日は風もない、暖かくなりそうだ。

植物園に行く。イベントは蘭展である.遠く徳山、岩國などの同好会の出展もあって賑やかである。

蘭の愛好者は少なくないと見え、来園者も普通の日よりずっと多い。

谷間を利用した公園だから、谷間を吹き下ろす風が結構強くて寒い。

日本庭園の梅は満開だったが、一番の目当ての枝垂れ梅は未だつぼみで残念だった。

Img_0159

Img_0154_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 6日 (水)

パソコンの無線操縦

本日も快晴である。

春こんな良い日が続くのは珍しい。北国に雪が異常に多かったのは、こちらの分まで向こうに集中したのかも知れない。

今朝のさくら予想では、24日にはもう開花し始めるとか。これ又異常な感じ。

行動的ではない私なので、永いこと無線接続は他人事としてきたが、MacMiniを何年か使っているうちに、自然に無線操縦になれてきて、寝てiPadを使ったりしているうちに、ついでにということでパソコンにも手が出る。寝たままでは机に手が届かない。そこでマウスパッドが必要になり、先日買って来た。

トラックパッドという方式もあるが、指先が不器用だし、老人の感覚では案外操作が楽ではない。

(別に使っているマイクロソフトのノート機のトラックパッドがどうしても使い慣れない)

最初からMacMiniに付属している折角の無線マウスが無駄にもなる。

ディスプレイはテレビを使った居るのだから、文字を拡大すれば遠くからでも操作可能、というわけでおいぼれの私にはもってこいであった。

先日神村君はもうパソコンは止めたと云っていたが、動作不如意でもこれなら、まだなんとかなりそうである。教えてやるかな!

ただ老人は忘れ早いので、昨日のことが今日は思い出せないことが多い。

(昔のことは案外覚えているのだよ)

速度の速い昨今のこと、変化に付いて行けないことはお互いに数知れない。

そこらのことは人人の特性だから仕方がないな。

もっとも過去を思い出し、語るとなると、恥多く、醜い失策の積み重ねが何とも心を塞ぎ、言葉も出ないことが多い。

彼もまたそれを嫌がっているのだろう。

しかし過去のその失態を吐き出すことこそ明日への道も開けて来た気がしてならない。

私はそのことを今悔いては居ない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 7日 (木)

おかしな論調

快晴がつづく。

オスプレイの訓練を止めろという新聞記事が見られる。

何か可笑しいなと素人目にも感ずる。

飛行機でも自動車でも訓練しなければ上手にはなれない、国を守って貰うのだから上手になってもらわないと困る。

下手だったらそれこそ墜落したりする。

今は志願兵制度の国の兵士達だから、国防意識は高いと見なければならない。

私はその昔嫌な軍隊へいやいや徴集された。いやと云うほど訓練された。

何とか生き延びて今日がある。

訓練のおかげかも知れない。

訓練は国の為ばかりではない。生き残る為には自分のためにでも必要である。

事故が無いように、しっかり訓練して欲しいと願うのが筋である。

万一の事故に備えて山間部や海上の上空を選んでいるようだ。それでいいのでは。

隣国はいずれも軍備増強に力を入れている。

極東アジアは今非常に不安定な状況にある。防衛手段にこと欠いてはいけないと考えているのだがどうだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 8日 (金)

血縁地縁

昨日の千代さんからの電話では、東京在住の私の末の妹と陽子との3人が池袋で会ったとか、示し合わせたのだろうから、郷里の話や私達兄弟の話もたんと出たことであろう。

東京砂漠というくらい、人口は多くても人のつながりの少ない所、日頃の疎遠を弥縫するにはいいことだ。

そう云えば私も昨今兄弟達と疎遠にくらしている。私の体調の悪さが原因だが、逢う機会がだんだん作れなくなる、致し方ないことか。

幸福とは自然にあるものではない。努力して造り出すものでもある。

幼いときからの血縁はもっとも大切な、手っ取り早いその継続手段である。

今度の会合は誰が言い出したかは知らないが、今後もこの縁を大事につないで欲しい。

午前11時頃、家内が予約しているリウマチ医師に行く為、広島に出かける。

待ち時間をデオデオで買い物などをして過ごす。

古くなったトースターと電子オーブンレンジなどを買う。

1時に薬局の駐車場で待って、一緒に帰宅する。

この程度のことは未だまだ私も役に立つ。

今月の下旬には三次から松江に行く高速道路が開通するらしい。

早速利用して出雲大社にお参りしたい。

18歳の時神村君と自転車で尺余の積雪の中を中国山脈を越えて、参拝してから何度お参りしたことだろう。

若年、そして老年の限界に挑む快挙の記録となし得るだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月 9日 (土)

親父のコダックカメラ

Photo

  (雪の赤名峠を行く私)

連日の好天気にかげりが出て来たか、いや黄砂が飛んで来たのかも知れない。

気象庁の発表でも、PM2.5と一緒に、黄砂の飛来を告げている。

福岡がひどいらしい。

朝の気温は9度、昨日は10度だったから、連日春の気候に間違いは無い。

昼中は20度近くなるのだろうか。

昭和20年8月14日の米軍の空爆で、我が家は一瞬のうちに壊滅した。

ほそぼそと残っていただろう父の記録も無くなった。

私が21年6月に生還したとき、廃材と化した我が家を見て、敗戦を実感するとともに、もう何もかも再出発するしか道は無いなと覚悟させられた。

今から取り上げようとしているコダックカメラも空爆で破壊されたか、二度と私の眼前に現れることはなかった。

93歳と云うこの年齢になって、却って一頃の私より幼時の記憶が、広がった気がする。

頭の隅の方の細胞に、押し刻まれたイメージの存在を意識することが出来る。大正13年(1924) 家の新築時、たき火を囲んで親父と施工者の高崎棟梁との談笑の間、数え年5歳の私は彼等の手から手へたらい回しされた。

新しい家に移って、古い家は貸家になった。最初はさんぶいちのおばあさんだった。続いて村重のハワイ帰りの老夫婦が家を新築する間、借りて住んで居られた。

よく私を可愛がってくれ、珍しい洋風のベッドの上で飛んだり跳ねたりした。

次は川戸さん一家であった。私より年上の姉弟がいて、時々はいじめられたりしたが、あまり相手にはしてもらえなかった。

その次が先日も書いたおっちゃん一家である。

昭和9年(1934) 3月、顔かたちになんの覚えも無い親父がアメリカから帰って来た。

持ち帰った土産物がどんどん送られて来た。

大きなトランクにコーヒーの大きな缶詰がいっぱい、大きなオートバイが一台。これらは忘れられない。

この狭い日本で、ろくでもないでこぼこ道路をなんでこんな大きなオートバイで走るつもりなんだろうと、皆呆れた覚えがある。

私が注文したマーブル(ガラス玉の遊び道具)も忘れずに一箱入れてあった。これは当時流行した子供の遊びだった。

後で気づいたのだが、そのときコダックカメラとフィルムが何本かあったことだ。

昭和13年(1938) 3月下旬、神村君と二人で自転車で出雲大社参拝を決行した。

其の紀行は別稿「私の出雲自転車旅行」に詳細載せている。(ホームページ「語り継ぐ戦争の記憶と昭和の声」)

先日神村君にあったとき、彼が突然「あのコダックカメラは凄かったなあ」といい、あのおかげで記録が残ったと云った。

思いがけない彼の言葉だった。私すら忘れていたのに、彼がそれをこの今口にするとは。

親父はふだんから無口の木念仁だし、カメラを弄くり回す人とは別人だった。

唯単に思いつきで買ったものに過ぎなかったと思う。

だから誰も使うことも無くそこら中を転がり廻っていたのだろう。

旅行に行くにあたってふと気がついて、私が持ち出した。フィルムも持ち帰ったまま何本も残っていたからもったいないなとおもったのだろう。

操作など親父にならった。記憶力は確かな親父だった。

カメラはほとんど役には立たなかった。昔のカメラはシャッター一発では無かった。シャッターを押して1、2秒置かねばならなかった。もちろん2度押しの場合もある。

大体フィルムの感度が今のものとは雲泥の差があった。

だから光度不足で真っ黒だったり、ぶれて分けがわからなかったり。

僅か数枚だけが助かったというお粗末だった。

其のカメラも終戦前日の空襲で家もろとも壊滅した。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月10日 (日)

昔陸軍記念日というのがあった

昔陸軍記念日というのがあった。今日だった、日露戦争奉天大会戦の日である。

大勝利と聞いていたが、実はクロパトキンの戦略的退却が実相だとか。

ともかく戦争は硬直状態に入り、平和交渉が実現する日本海海戦以後まで主力の戦いはなかった。

5月27日の海軍記念日とともに、戦前の祝日の一つだった。

この戦争以後永くといっても40年間だが戦争謳歌の時代が続いた。

そして昭和20年の無条件降伏を招いた。

もう二度と戦争はしないと誓わせられた。

そして以来もう少しで70年である。

私の父は兵役は免れたが、其の長兄はこの戦争で金鵄勲章をもらっていた。土蔵の奥深く納められているのを子供のとき見たことがある。

私も湘桂作戦の末期、所属部隊がアルコール燃料製造利用の功績により、輸送司令官から賞詞をいただいた。

戦争を勝利していればその実行者として、勲章に値したかも知れない。

平和が人類に取って一番良いことであるといっても、なかなか理想的なそれには近づきそうも無い。

いつかまた決然立って、防衛の力を振るわなければならない時がくるかもしれないという。

記念日なんて無くて結構だが、民族を永劫に残したければ、一庶民といえどもそれなりの自覚を必要とするのでは。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月11日 (月)

東北大震災から2年

東北大震災から丸2年、復興は遅々として進まないという。

これこそバラマキ予算でどんどん政府主導で出来ないものか。それとも日本の国力はこんなものなのか。

ただテレビなどで余りにも生々しく報道された映像は、10年や20年では国民すべての脳裏から消え去ることはないだろうから、復興と云っても元通りとは誰しも逡巡するだろう。

大津波は東北沖の震災だけで発生するものではない。広い太平洋のどこから押し寄せるかわからない。

今までの常識はもはや通用しない。

とすれば国土大改造をするか、安全地を求めて離散するしか方途がないかもしれない。

狭い国土、古来離合集散を繰り返して来た国だから、自然の驚異には従順に順応する、それが日本民族の宿命だった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月12日 (火)

災害も戦争も人間の宿命か

年金機構から年金時効支払決定通知なるものが送られて来る。有り難い様な迷惑な様な話である。

誰が犯したミスなのか、わからないが、ともかくも何十年も遡って、政府も困るがこちらも所得変更に繋がるから面倒なことである。

数年前までは、税金なんか相手にもして貰えなかったのに、今は人並みに市民税を併せると何十万も払わされている。

皆天引きだから支払いに行く手間は無いが、足腰不自由な90老人に課すほどの高額収入なのだろうか。

もし住む家をつくるのに年賦返済でも残っていたら、食うことにもあくせくしなければならなかっただろう。

 

しかし世の中には悪いこともしてないのに、災害に会って家を失う人も沢山居る。適切な救助法はない。

何より精神的苦痛は永遠に残る。

戦争を生に経験したものには実によくわかる。そしてより冷淡になる。

これこそ、人間の宿命というべきだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月13日 (水)

最近の交通マナー

5時過ぎに起きて準備、広島総合病院に出かける。

耳の検査は異常なし、時々起こる耳つまりも、具合が悪ければ次の診断までまって、穴をあけ管をつめても良いとおっしゃる。

まあ我慢するか。

家内も先日薬を変えてもらった。もうその新しい薬を飲み始めているが一向によくならないという。

4月の平戸行きも駄目かも知れないとこぼす。

私は今日の耳の診断で93歳ですからねえと看護師が感心してみせた。

しかし行けるかどうか、やはり当日にならないとなんともいえないな。

行動の不如意は日々進化している。毎朝ベッドから降りて立って見る。1、2歩歩いて、やっと安心して行動を起こす。

何時だったか、立てなくなり動けなくなった経験から、毎度真剣である。

最近気づいたことで、自動車の交通マナーが全般に良くなったなあと思っている。

家内の通院のため、最近はいつも私が車で連れて行く。広島市の中心部にあるから、ラッシュ時を避けても車の量は凄い。

しかし最近は危険だと感じたことは全然ない。

以前は事故現場もちょいちょい見かけたが、最近は見たことが無い。

市民全体の交通意識がうんとよくなったのだろうなあ。うれしいことである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月14日 (木)

簡単に通院出来る幸せ

天気のいいのを幸いに、ビデオカセットを200個棄てる。古い押し車でごとごと大きな音を響かせながら棄てに行く。

10時過ぎ内藤内科に行く。3種類の検査がある。

先生が総評で、心臓がものすごくいいとべた褒めである。言葉ついでに母親に感謝しなければなどと口走る。

まさか、心臓への血管の拡張剤を毎日のんでいることを忘れていはしないかな。

終日風が強く、老人は難儀しているようだ。私達は車だから殆ど関係ない。

今日の新聞で同じ市内でも吉和町には医師が1軒も無く、不便だからと云って、津田の町まで出て、家を借り通院している老人もいると報じている。

世の中こんなふうになるのかなあ!

私の通っている広島総合病院は駐車場も広いし、電車駅は病院に隣接している。今は皮膚科の他に眼科と耳鼻科で診療を受けている。

こんなこと自慢にはならないが、もしこの設備がなければ、足腰の衰えた私達も随分困ることだろう。

他を見て己の幸せを知る。誰に感謝したらいいだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月15日 (金)

人間は本来平和な動物では無い

今朝はまた気温1度と冬に逆戻り、もっとも昼には14度になるとの予報。なんとも過ごし難い。

ここ数日腰の調子がややおかしい。ときどき軽いぎっくり腰を起こす。何度でも起こすからぎっくりとはいえないが。

骨には異常は無さそうだから、単なる筋肉痛だろう。今朝絆創膏を貼っておく。

先日病院の看護婦さんが云った93歳ですからねえとの意味不明な言葉がこの腰に当てはまるかも知れない。

原因全く不明で、朝起きるといつもぎくっと痛い、もう何週にもなる。

寝相でも悪いのかなあ。

今朝すぐ目の前の島江田島で、中国人の労務者がかき工場の社長など8名を殺傷したと報道される。

過疎であんな島まで中国人が仕事を求めて来ていると云う現実に驚く。 

言葉はまともには通じないし、誤解が生ずることは目に見えている。心情を確かめずに功利に走ると得てして悪い結果を生む。お互いに不幸なことである。

もっとも日本人もアフリカの僻地にに出かけて先般の様な10名もの殺人事件に遭遇した、畢竟平和と云う美名に浮かされた、国際化の波が人の心を安易にし過ぎているのかも知れない。

郷に入れば郷に従うは古今東西に通ずる大原則である。辞を低くして其の経験に学ぶ。

又世の中は甘いものでは無い、特に人馴れした大都市と古い苔むした習慣に裏打ちされた山村僻地とは、決して同じでは無い。慎重の上にも慎重をきすべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月16日 (土)

渋谷駅

今朝のテレビで渋谷駅の現状を映し出しているのにお目にかかる。

憶えば懐かしい駅である。

昭和16年1月(1940)始めて上京したとき、泊めて貰った、友人神村君の下宿先大崎から渋谷経由で浅草に出かけた。

生まれて始めて地下鉄に乗ったわけである。

駅が立派な百貨店だった。しかも3階が改札口だった。地下鉄と云うのに地上3階に始発駅とは変だなと思った。

乗る前に、この百貨店(確か東横百貨店といった)の食堂で先ず腹ごしらえとチャンポンを食った。田舎者だからどんなものか知らずに注文した。

うまかったなあ!

地下鉄電車はいつの間にか地下にもぐった。終点が浅草だった。何もかも始めてだから、無我夢中でなにも憶えていない。

昨年も暮れの12月に上京したとき、渋谷の通りを歩いたが、今昔の感に堪えないなどと云う言葉も出ないほどの変わり様であった。

どうしてか数本もの交通網が入り乱れて、東京ナンバーワンの交通都心である。一日の通過人口が3百万とか、恐ろしくなるなあ。

昭和16年、世田谷の陸軍自動車学校に半年いたとき、代々木の練兵場で訓練があったから、車両を連ねて、何度か渋谷駅前を交通遮断してまかり通ったものである。

今はもうありもしない出来事だが、できもしない。

又たまの休日には、歩いて約6キロの道を渋谷駅まで往復した思い出もある。

今東京に住んでいる娘等が世田谷通り沿いの狛江のマンションにいる。

武蔵野の木立はもうすっかり消え去って70年前の姿はない。

其の木立のはしから、当時朝夕拝んだ富士の姿は、いまでも娘のうちから遠望出来るのが唯一の救いである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月18日 (月)

WBC日本三連覇を逸す

奇跡を信じながらテレビにかしりついていたが、むしろ、マイナスハプニングがおきたりして、あえなく敗退し、日本三連覇の夢は消え去った。

定連のアメリカ、キューバ、韓国も既に決勝トーナメントにはいなかった。
球運の神様のいたずらか。

しかし最期まで試合を捨てずによく頑張った。
敵の2ランが痛かったなあ。
あれで勝負がついていた。
二番手の投手起用は最善とは言えなかったと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月19日 (火)

山本浩二監督

夜中にも腰の痛みは相変わらずだったが、今朝はいくらか軽くなった。

格別どこが痛いと云うポイントは無いのだから、医者の痛み止め注射も効いたとは思えない。

単なる筋肉痛かも知れない。

自分ながら不思議な気のする腰痛である。

昨日の日本対プエルトリコ戦の8回の攻撃で、1死ランナー1、2塁のチャンスに1塁ランナーだけ飛び出して牽制死したのは、山本監督に云わせれば一か八かのダブルスチールのサインだったとか。失敗しても2死ランナー2塁で、バッターは4番阿部である。チャンスは残ると見た監督の背水の策だった。

まさに起死回生の策だったといってよい。選手時代から読みの優れていた山本監督だった。然し今回は球運に見放されたのだから致し方ない。

振り返ると、後にも先にもカープの黄金時代は山本浩二の居た十数年間しか無い。

ここぞというチャンスに一発をかました彼のしぶとい打撃が、何度カープを救ったことだろう。

昭和50年、即ちカープ創立後26年目、始めてセリーグの優勝を決めた年の彼の神懸かりな活躍は未だに私の脳裏を去ることは無い。

首位打者、最高殊勲選手の賞ももぎとった。万年最下位のお荷物球団だった、カープを全国区に押し上げたのは彼である。

今度ももう一度男にしてやりたかったなあ。

眼科の再診がある。えらく綿密な検査をしてくれる。視界の広さから、緑内障の検査まで、別に異状はなく半年後の9月19日に又検査が予告される。

たっぷり2時間かかった。これでは患者が込むわけだ。簡単にもういいよといかないものか。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2013年3月21日 (木)

わが人生の終末か

痛み止めがほとんど効かないので、思い切ってせいこう外科に行きそのことを訴える。
それではということで、レントゲンを撮ることになる。結果は軽い脊柱の圧迫骨折ということらしい。
神経痛だから痛み止めでは治らない、ということで安定帯をつけて、安静に日を暮らすのが一番といわれる。自然治癒で神経の腫れを元通りに戻せば痛みが取れるとおっしゃる。
別に用事がある身ではないからそれも仕方がないなとうべなうことになる。
家の中でも杖をついてそろそろ歩く。まったくの重症患者である。
とても旅行など無理である。
わが人生も事実上の終わりだな。
ささやかな我が家で虫けらのごとく這い回るわが姿、想像するのもいやなことだが、宿命とあらば仕方のないことか。
悲しい!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月22日 (金)

センバツ始まる

いつも通り朝早く起きて準備し、広島総合病院に出かける。

診察は5分とかからず終わる。

今度の腰痛の痛み止めはこうもんから差し込む薬だが、よく効いたらしく、朝すこぶる楽である。局部的に痛いだけで動作がまるで出来ないと云うことは無い。

歩くのも簡単である。

一喜一憂の日が続きそうである。

甲子園でおなじみのセンバツ始まる。

初日の二戦目に、私の郷里の岩國商業が出場、ピッチャーが好投し、大阪の履正社高校を1-0で破り初陣を飾る。

凄いピッチャーとは思えなかったが、どちらも貧打のチームらしかった。

勝負とは得てしてこうしたことが起きるものだ。

緒戦だから皆固くなっていたんだろう。

第3戦は打線に火がついて、ホームラン2本も出る打撃戦になった。ピッチャーだけが固くなるとこういうことになる。

今日は結局痛み止めが効いて、凄く楽になった。

又旅行に行きたくなったりして、落ち着かない。

おれってだめだなあと改めてだらしなさを感ずる。

思い切りのよい少年達を見ろよ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月25日 (月)

痛み止めの座薬の効き目

昨日朝7時半に入れた座薬のおかげで何とか終日痛みがでないでもつ。

昨夜は痛み止めの薬効切れで、痛みが再発するのではと夜中中待って、ちょっとでもその兆候があれば座薬を差し込むつもりで準備していたが、とうとう痛みは出なかった。

今朝の8時で24時間になるが、まだどうもない。

杖をつかないで門まで歩いて新聞を取りに出たがどうもない。

不思議である。痛みのかけらも無いのが不思議。

なんだか治った様な気さえする。

朝食はいつも通り。ちゃんと食える。飲み薬でない痛み止めは、胃腸の負担は全然起こらないので、食欲にはかんけいなさそうだ。

明日はむすびでもこしらえて、岩國へ花見でも行こうかと家内に言ってみたがさあどうだろう。

夕方になっても痛みは出ない。

やや安心する。旅行にはこのまま行くことにしようと改めて思い返す。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月26日 (火)

広陵高校無念の延長戦敗退

廿日市のさくら3分咲きといったところか。

歯が痛くて、入れ歯を外して朝飯を食う。

9時三島歯科に電話すると、すぐ来いと云われ出かける。

入れ歯の止めが摩耗して形が崩れ、歯茎に当たっていたらしい。

簡単に削って治してもらう。

甲子園は朝一番に、広島と隣県愛媛のセンバツチーム同士の皮肉な対戦となった。

どちらも野球では先進県であり、どちらの高校も過去優勝経験を持っている。

愛媛済美高校の投手は150キロ以上の怪腕でばったばったと広島広陵の打者を8回まで押さえきっていた。

9回球速の衰えに打力が合って来たとみえ、広陵はリードされていた3点を打ちかえし同点として、延長戦に持ち込んだ。

どちらもチャンスを逃しながら、13回後攻めの済美に意表をつくヒットエンドランがあって成功、1死1、3塁の絶対のチャンスをつくった。

こうなってはもうどうにもならない。

不運な内野安打が出て、地元の広陵がサヨナラ負けとなった。

その前の回に同様な場面があって、済美の一塁手がゴロを取り、一塁を先に踏んで1死を取り、ホームに滑り込んだランナーを刺してゲッツー、スリーアウトとなったが、私の目には捕手のタッチが一瞬遅れて広陵の1点と映ったが、判定はアウトと出た。真実はどうだったか、不運とも云うべき敗戦であった。

私に言わせれば、広陵は甲子園で兎角話題を作るチームだなあと印象深いチームである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月27日 (水)

日本ヨルダンを崩せず、残念!

朝春雨らしい雨がしとしとと音も無く、降り続いている。

こうして腰の痛みが無くなってみると、私は健康体である。花見も人並みにしたくなる。

信州までさくらを見に行ったのが6年前、3年前には三春の滝桜など南奥州のさくらを見て歩いた。今NHKがやってる会津のお城のさくらも当時綺麗だった。

私は物好きな男である。もっとも大抵は人に載せられてであるのだが、これらも恐らく家内に誘われたのであろう。

今度行くつもりの平戸や熊本城はもう落花の中を行くことになるだろうが、花見には変わりはない。これまた家内の音頭である。

東京の娘が老体を心配して、わざわざ飛行機でやって来て付き添ってくれる。愚かしいことである。

しかし日本の風土にあっているのか、平安の昔からさくらは日本人の魂となっている。

その美しさ淡白さは武士の鑑ともなってきた。

最近益々さくらをたたえ、名所を増やす運動も盛んである。

私自身釣られ歩いて、近郊には物珍しい所が無くなり、かくは遠方にまで名所を探し求めて行くことになってしまった。

昨夜はサッカーのヨルダンとの対戦をテレビで終わるまで観戦した。

テレビなどが話題にするだけのことはあって、馬鹿に出来ない優れた国だった。

個人技から云えば日本選手を凌ぐのではと思った。ただチームとしてはパス回しなど日本チームが終始優勢を維持していたが、ゴール前を固めて、ゴールを許さず、ロングパスを多用して、個人技で最終的には日本を破ってしまった。

二点目を奪取したハイル選手のごときは、一人でセンターライン付近からドリブルで持ち込んで、日本選手やキーパーをかわしてゲットした所など、まさに圧巻であった。

あんな選手は日本には残念ながらいなかった。体力差も大きかったと思う。

日本選手は何故か決断が遅く、無駄なパス回しで、肝心なシュートのタイミングが遅れてばかりだった。ゴール前に寄せても、すっかり固められた守備陣にシュートを阻まれ逆に球を奪われて、相手にチャンスを与える始末だった。

今日の遠藤はシュートもコーナーキックも冴えなかった。代わりは居なかったのか。

以下の写真は信州・臥竜公園/信州・高遠城趾/三春の滝桜/会津城

Photo

Photo_2

Copy

Photo_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月29日 (金)

錦帯橋畔のさくら

曇空だが気温は10度近い。

さくらももう満開に近いし、体調もここの所悪くない。今を置いて花見のチャンスは無いと、錦帯橋に出かける決心をする。

11時前に家を出る。錦帯橋畔のさくらの木の下で持参したござを開いたのは20分位後だったか。

岩國ICを抜けて来たのだが、思った以上にスムースに来れた。

然しひろい河原の駐車場はまさに一杯で、後で車を探すのに困るなと思ったほどだった。

花は満開で申し分なし。名勝錦帯橋もこのさくらの美しさには気圧されてしまって、恐ろしく貧相に見える。

私は13歳から18歳まで、ここの中学校に通うため殆ど毎日この橋を渡った。

戦後キジア台風で流され、再建されたものだから、橋自体は違うわけだが、名称も構造姿にも一点の変わりはない。

もちろん私の意識の中から去ったことは無い。

母校の跡は公園になり、桜樹も少なくない。弁当を開いている客はここにも沢山居た。

もう二度とここのさくらを見ることは出来ないだろう。

去年暮れの東京行きと同じく、ひそかな私のお別れの訪問なのだが、もちろん期待するものがあるわけではない。

Photo

Img_2262

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年3月31日 (日)

一庶民のぼやき

昨晩はカープは巨人と延長12回戦って引き分けた。猛打線相手によくぞ堪えた投手陣の踏ん張りは見事だった。
一勝に匹敵する。
サンフレッチェはエスパルスにまさに圧勝した。去年は苦手にしていたのではなかったか。
警告退場で10人で戦った清水の不利もあったが、ともかく0に押さえた勝利は見事だった。
エスパルスの警告4に対して0というのもよい。
岩國空港が開港以来70%の利用率という。毎日のように見ている新聞の各空港の利用率を見ても、岩國のそれは満席、空席少なしのマークが抜群に多い。よかったなと我がことのように嬉しい。
客を奪われた広島空港も対策サービスに忙しそうである。利用者に取っては有り難いことである。
東京行きだけが飛行機の役目では当然ない。しっかり頑張って欲しい。東京以外は従来からお世話になってるし、福岡や大阪まで出かけなくてはならなくなったことも再三あった。
もう寿命が残っていないから、私個人はだめだけど、広島からの利用者には大切な足だから、緩めることがあってはならない。
月末と云う日はどうしてか私は休日にして欲しくない。昔から際どい経済生活を送って来たせいか、月末に押し迫って物事を解決し、解消することが多く、重みのある日だった。
そしてしかも年度末である。
一日違いで入学年が違って来る。
人生にも大切な一日だろう。
今私は税金の追加納付の請求を受けている。
市役所だから心得ていて4月1日の期限にしてある。本当の所は現在年度の月末までとしたかったのだろうが。
新年の頭に金を払わさせられるわけで、おかみそれはちとむごいことじゃあござんせんかとでも云いたくなる。
腹立たしいから今日出かけても、金融機関も休みだから受け取っては貰えない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2013年2月 | トップページ | 2013年4月 »