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2013年2月19日 (火)

私の勲章

一昨日時ならぬ時間に、若重君の奥さんから電話を戴いた。

取り次いだ家内から受話器を受け取りながらはてなと思った。

家内が「若重さんがなくなったとよ」というからである。

私はすでに彼が亡くなったと云うこと誰かから聞いて、ブログにまで書いた筈だのに変だなと、奥さんの言葉にしばらく戸惑った。

いつですかと聞くと4ヶ月前だとおっしゃる、間違いではなかったとほっと一息。

私も例外でなく最近では物忘れが激しい。どうして2度も死亡通知を聞く羽目になったのだろう、一瞬夢でも見たのであろうかと驚いた。

ブログに書いたことははっきり覚えているから、話し終わってすぐブログを調べ、家内を問いただした所、すぐ分った。

昨年末の早い時期に死亡兼新年欠礼の通知をいただき、友人の相次ぐ死亡に驚いて又もかとブログに感想をのせたことがあった。

と云うのは、山口の今田君の死を先ず奥さんの電話で知り、東京の田淵君の死亡通知、川上君の死亡は確か情報誌からと重層した。

其処へ今度は若重君の死亡通知だった。

奥さんはそのブログを読まれた息子さんから最近その内容を聞かされ、お礼の気持ちから電話されたわけだった。

ブログにも書いたように彼とは同郷の親戚だし、同年のいわば幼馴染みであった。

中学時代は競争相手でもあった。同じクラスで彼は海軍へ私は商業の道をこころざした。

終戦後の彼は中電に入り、中電工の常務として功なり名を遂げた。

近くに居ても仕事が違い過ぎて、同窓会以外はほとんど逢う機会は無かった。

陰ながら彼の出世を羨みながら、喝采を贈った。

一方田淵君の方は、彼が日本紙業のえらさんをやってる時、商品売り込みのためいろいろ世話になってたし、岩中時代、高商時代と8年間も同時代に親しく付き合っていたので、すぐ弔文を送った。そして折り返しの長いお電話を奥さんから頂戴した。

しかし相次ぐ親友達の死は、早くお前も死ねという暗示かとも受け取らざるを得なかった。

丁度今年の8月岩國民間空港の話が確定的になった。

この空港はそもそも私の妻の先祖の土地、養魚場などが軍に強制買収され、幼少の頃の彼女は両親の仕事を手伝わされた因縁の場所として、家中の団欒にしばしば出て来る話題の一つだった。

また一時空港の民間利用が始まって、私も同僚を誘って、1958年1月にここから大分に飛び、別府に遊んだことがあった。

早速準備して、昨年末岩國空港から上京して親友神村君一家の人たちと今生のお別れを済ますことが出来た。

中学時代から8年間も席を並べて学んだ3人だったが、予期していたこととは云え、先立った田淵君の欠落を二人で偲び悲しんだ。

妻や子供等から見れば私の異常な執心(神村君に会いたいという)がふしぎだったらしいが、今思えば、誇るべき親友の多さだけが、私の勲章であった。

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