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2013年1月 1日 (火)

ほんとに良い元旦

何事も無く、天気も良く、平穏そのもののあらたまの元旦だった。

テレビの回顧番組、そしてドラマ「おしん」総集編,最後はこれもドラマ竹中直人の「お鑓拝借」で一日過ぎた。

後者は作者の筋立ての巧妙さ、武家社会ならではの愚かさ、そして最後を現代風に始末を付けるしたたかさ、竹下など配役の好演、げに面白いドラマであった。

風邪の具合も薬のおかげでなんとなく回復したらしい。

薬も切れたし、明日は早速医者を訪ねる予定にして居るが。

井上のお父さんが暮れも押し詰まって、一足先に逝かれたが、順番通り今度は私の番、ゆっくり後を追うことにしたい。

もう高々知れた時間である。

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2013年1月 3日 (木)

生ける屍

朝玄関でよろめいて、腕を怪我する。

まともに歩くことすら難しくなったということか。

テレビで箱根駅伝を熱心に見る。

日本体育大学が総合優勝する。全く危なげがなかった。粒が揃っていたということらしい。

サッカーの好例の元日の天皇杯決勝戦は見る機会がなかったが、新聞で見ると柏レイソルが1-0でガンバ大阪を破って優勝している。

全国のプロアマを網羅しての試合だから,番狂わせが多く、いつも意外なチームが優勝したりする。

その意味では面白いとも言える。

今年のJ1リーグからJ2に降格するガンバ大阪の執念は残念ながら実らなかった。

風邪がしゃんとしない私は、どこへも出かける気にはならない。

部屋の中をごろごろと身体をもてあます。もう生ける屍だ。

窓の外に目をやると時折ちらちらと雪が舞っている。

憮然として眺める私の心には、高尚な理念も浮かばないが、俗心も生じない。

遅まきながら壁掛けの古くなったカレンダーを新しいのに今掛け直す。

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2013年1月 4日 (金)

男の勇気ある決断

昨夜神村君から電話が入る。何事ならんと思ったが、単に年賀状のお礼と言う。

もう自分は年賀状は書かんから、せめて挨拶をということだった。

お互いもう覚悟を決める時期であることに違いはない。

人並みのことをしていてはいけない。老兵は静かに消え去るのみということか。

私は思うに人並みはずれての俗物らしい。

早くから俗の世界から遠ざかろうと努めていた彼らしいことばに今更気づく。

彼は居を東京に移して以来、数十年もことさらに仲間との交際を絶って来た。

その底辺に横たわる信条を私はしばしば無視して来た。

友情の押しつけだった可能性がたかかったようだ。

今度の上京で偶然のように桂太郎の墓に導かれた。一瞬の出来事だった。

タクシーの窓から娘が通りすがりにハッと見つけた。

普通簡単に見つかる様な場所では無かった。

因縁を感ぜざるを得ない。

門前に即時停止して、墓参りを済ませた。

私には只単に彼の残した私の家の眼前にある桂公園のかすかな恩恵を日々感じていたからに過ぎないのだが。

桂太郎は言うまでもなく日露戦争開戦の決断をした当時の総理大臣だった。

先輩実力政治家伊藤博文がロシアの首都まで足を運んでした、日露開戦回避の努力をあえて押し切った。

何事も結果論であるが、世界情勢はこのことで明らかに一変した。

織田信長にも似た、勇気ある決断をした男だと思わざるを得ない。

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2013年1月 5日 (土)

老人に不便な正月休み

年が変わって5日経った。早い様な遅い様な老人にはまことに居心地がよくない。

友に送るべく用意した郵便物も休みが絡まって果たせず、いまだに手許に包装したまま転がっている。

今日は土曜日だから、午前中だし、医者からも来るように言われているし、何とも挙動を決しかねている私である。

気温は先ほど寒暖計を覗いた所ではマイナス0.5度になっていた。

この寒さをついて出かける気はしない。

もう来週にするしかないな。

死神は側に来てじーっと覗き込んでいるのだろうから、じたばたしたって始まらない。

一日、二日、なんてことは無い。放っておこう。

今朝はなんだか極端に耳が遠くなった。テレビも何を喋っているのかさっぱり分らない。

自分ながら不思議な異変である。

昼前になって、家内のお供で眼科に出かける、生憎休日になっている。

まだ正月休みらしくことにならない。

近くのスーパーでゆっくり買い物をする。

郵便局もカーテンが降りてるし、午前中営業の私の医者にも結局行かれない。

唯一の救いは天気が良くて、私の部屋が天国のようだからである。

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2013年1月 6日 (日)

葬送行進曲

昨夜はまさに気息奄々、自分の呼吸音の悲鳴にも似た音を聞きながら、いつ息絶えるか待つうちに眠ってしまった。

夜中も息苦しくしばしば目覚めたが、とうとう息が止まることは無かった。
こんなことではとても死ぬることは出来ないらしい。
昨日の朝からもう薬を飲むのを止めようと決心して、終日呑まずにいるのだが、胃の調子は却っていいようだ。
今朝のパンも牛乳もおいしかった。
これではまだ死なぬなと反省。
医者に行く行かぬはこちらの自由だから、しばらく気の向くままにしようと決心する。
一月前のピロリ菌駆除の薬はきつかったが、今度の風邪薬も副作用らしきものがひどかった。
かってに中止してほっとした感じですらある。
無理してまで生きようとするはやはりナンセンスだ。
今ラジオはベートーベンの第3シンフォニー、第2楽章の葬送行進曲を壮大に演奏し続けている。死も偉大な人生の必然だ。
古人はいみじくも教えてくれている。
もう振り返ることはよそう。

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2013年1月 7日 (月)

ツンボで暮らすことにするか

朝起き抜けの目覚めの具合がちょっとよい。何となくさらっとした感じ。

風邪が抜け去ったかな!

しかし依然として耳が遠く、下界はしーんと静まり返った感じ。

家内の声もぼそぼそと何を喋っているのか分らない。テレビの声は遥か沖合の霧笛のようである。

騒がしくないのは心の救いのようでもあるが。

一寸声を出すと内耳に反響してあらぬ声を出しているようだ。

ものを食べるとガッシガッシと噛む音が凄まじい。下界の音は更にかき消される。

イアホーンをつけて音楽を聴くと別に音が小さいとか音が異常だとかは感ぜられない。

明らかに聴覚神経が異常を来したらしいのだが、風邪とその薬以外には考えられない。

やっと医者も平日営業に戻るだろうから、早速相談に出向く予定だが、老化も激しいこの私の身体、回復を望むは無理というものだろう。

昼前に郵便パックでアップル機の廃品をリサイクルに送ったついでに、せいこう外科に行く。

患者が満ちあふれて1時間半待たされる、結局ツンボの原因は風邪だと言われ、耳鼻科に行くよう紹介状を書いてもらう。

全然聞こえなくなることがあるから、明日にでもすぐ行く方がいいとのこと。

またまた忙しいことになりつるものかなである。

まるきりのツンボは困るだろうが、今位ならどうせ用なし老人のこと静かに暮らせてよかろうと思ったり。何となく気が重いなあ。

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2013年1月 8日 (火)

聾ということ

耳鼻科に行くのが気になる。耳の具合は変わりはない、実に静かな世界になった気がしないでもない。家内は眼科に行くという。方向が同じだから一緒に行くことになる。

昼の弁当は老人クラブが届けてくれることになってるとか。昼には帰宅していなければならない。

せわしないことだ。

10時過ぎ家を出る。家内を眼科に届け私は広島総合病院に行く。

外来患者がどこもいっぱい。こんなこと始めて、やはり正月休みのせいだろう。

耳鼻科に手続きをとって、診療に掛かったのは12時半、検査があったりして2度目の診察が終わったのは1時半である。

昨夜下剤を飲んでいたので腹が渋り出し慌てる。

帰宅して早速トイレにかがむ。苦心惨憺やっと排泄が終わる。こちらの方がうんと大変だった。

耳は風邪による軽い中耳炎だろうとのこと。鼓膜を斬る方法もあるが様子を見た方が言いだろうとのことで痰の薬を貰って帰る。

大変だった今日の一日、終わってみれば結果まあまあで以て瞑すべしだなと満足。

風邪概ね快癒、風邪というのは大変な病気なんだなと改めて思う。

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2013年1月 9日 (水)

私の耳

耳というのは不思議な器官である。朝目覚める瞬間から外界鳥獣の声、騒音が先ず耳に聞こえていたものだが、それが今はジーンと言う、体内の血の流れかとも受け取れる音が先ず聞こえて来る。静かだと言えば静かだが異様な静けさの中に何かが隠れていそうにもある。

咳をすると異様にやかましい。声を出すと急に騒がしく何もかもがしゃがしゃにかき乱してしまう。自分の声すらよくわからない。

もう慣れたが、4日の朝からこの状態が続いている。

昔私はボーイソプラノと言われ、いつも音楽会に引っ張り出された。

教室で練習している時も、廊下の窓越しによその生徒達が鈴なりに覗き見している光景を、歌いながらも目にしたものだった。

中学校に入っても、広島から教えに通っていらっしゃった著名な先生にも認めてもらって、度々クラス全員の前に引き出されて模範歌唱をさせられた。

翌年の冬風邪を引いた。声が出なくなった。

声が出始めたとき我ながら声の代わり様に驚いた。

人の声かと思うほどガラガラのしゃがれた声だった。

そしてそのまま元に戻ることは無かった。

その次の音楽の時間に広島からわざわざ通って来た先生がいつもの通り、私を前に引き出して歌わせようとした。

一声出した途端、あっ声変わりしたなっ!と言ったなり絶句した。

それっきりお呼びが無くなった。

この先生はその3月限りで退職されたのか、これ以後再度教えを受けることは無かった。

戦後も広島で活躍され高名を馳せられていたから、お名前を忘れたことは無いが、お目にかかることは生涯二度と無かった。

今まざまざと当時のことを思い出している。

今度は風邪でツンボになった。実に世の中が静かである。

老境にふさわしい世界とも言える。案外私にはこの方が好ましいのでは。

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2013年1月10日 (木)

頭の体操

今朝の気温は昨日と同じだが、少し暖かい感じ。

身体が回復したのだろうか。

昨日iPhoneを持って買い物に出たりしたが、電池切れで使い物にならなかった。

前の晩には70%ぐらいあった筈なのに、寒くなると自然減衰も進むのかな。

モバイルバッテリーみたいなものがあると聞いていたので、探してAmazonに発注しておく。

iPadは容量が遥かに大きいので、切らす様なことはまずない。

iPhoneは容量が10分の一もないから、思った以上に消耗が激しい。

これが一番の課題だな。ケータイだけの機能の時は別に問題にしたことはなかったが、機能が多いだけに使う回数も多いということだろう。仕方がないな。

耳が聞こえなくなると、こんな小さな器械でも子供のおもちゃと一緒で頼りにしたくなる。

死ぬまで伴侶の友となることだろう。

外界の音の聞こえ方は少ないとはいえないが、理解出来る声などの音響は極めて少ない。

それだけに外界への関心は薄くなる。

却って想念みたいなものが増加するのではと思ったりする。

事実頭の中は絶えずいろいろな想いが渦巻いて途切れることは無い。

このままぼけるのではないかと思っていたが逆な感じすらする。

ぼける隙間が無くなったのではと思うことすらある。

なって見なくては分らぬことで、こんなことになるとは想像したことも無かった。

ブログなどはうってつけで、簡単に書きたいことがすらすら浮かんで来る。

他からの批判を含めて騒音は聞こえないだろうから、思うがままである。

勿論今まで通り読みたくない人は読まなければいいのだ。目の前にあるわけでもないし、まさに人畜無害と称して憚らないのではと思ったり。

しかも本人には結構頭の体操になったりと信じている。

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2013年1月11日 (金)

便利な世の中だな

広島総合病院皮膚科に行く日、5時に目覚めたのでままよと起き上がる。

ゆっくり準備を始めて7時25分家を出る。

勿論一番乗り、待ち時間は相変わらずだが、iPhoneのインターネットに入ろうとしたが、どうしても入れない。飛行機と同じで電波制限をしているらしい。

仕方がないのでいつも通り小説を読む。今日は時間があるから漱石の坊ちゃんにする。

こんなにへんてこな小説だったかなと奇矯振りに改めて感心する。

イナゴをバッタなぞと言い争うなどやはり面白い。

まあ三文小説の域を出ないとは思うのだが。

年度替わりだから、又税金申告がある。僅かな預金でもつけ込んでもらって、年度経費の確認をしなければならない。

帰路金融機関を一挙に廻る。

ついでにソフトバンクに立寄り、iPhone5のテザリング方法に付いて教えてもらう。

結構どこにも説明の無い面倒な操作であった。

旅をした時に一寸得をしたなという気分になれるだろう。

正午頃帰宅したら灯油が無いよと家内に言われる。

折り返しスタンドまで買いに出かける。セルフサービスだから店員が出て来なくても構わない。

さっさと満タンにしてカードでちょんと至極簡単。店員さんがあわてて出て来たが、ちょいと会釈して立ち去る。便利な世の中である。

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2013年1月12日 (土)

理由無く息絶える時

気温は前日と変らないのだけど、体調が戻ったせいかもう春かしらと言った気分になるほど暖かである。咳もすっかり止まった。風邪の心配はもうなさそうだ。

耳はやはり治らない。

老いのせいもあるだろうから、完治は無理だろう。

声変わりの時と同じだ。諦める以外に無い。

人生の岐路だったなどという程大げさなものではないが、時々刻々人の運命は刻まれて行き絶え間は無い。畢竟は自分が招く種を収穫して歩いているだけかも知れない。

神などという何ものかが関わっているとも思われない。人間だけでもなん十億の数である。

命あるものは皆ある時地上から消えて行く。

ひょっとすると生命体ばかりではないかもしれない。

万物となると、もう秩序あるコントロールは誰しもできるわけはない。

人はいざ知らず、私はまた昨日の元気を取り戻しそうである。

どういうことだろう。

時々呼吸のしにくいことを感ずることがあるが、これが私の寿命を決めるものかも知れない。

ある時突然なんの理由も無く、パタと呼吸が止まる、この瞬間だろうな。

だったら一番ありがたいのだが。

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2013年1月13日 (日)

岩國空港好発進を喜ぶ

この頃は曇る日が一番寒い。

この空模様では終日寒い寒いといってくらすのだろう。

岩國空港は予想以上の滑り出しだったようだ。この1ヶ月は年末年始の移動時期だからでもあるだろうし、喜んでばかりはおられないかもしれない。

ともあれ賛成派の私には良かった。

便利さと言い費用といい、格段の差があるんだからしかたがないな。

先日も近所の人にスーパーであって、宣伝しておいた。

口コミなんて案外馬鹿にならないんだから。

今更文句を言ったって始まらないのだが、便利の良かった広島空港が立ち退かされることになり、新たに山の中を開いて、邪魔者はそちらに行けといわんばかりに広島の名にふさわしくない新広島空港が出来た。

早速出かけてみたが、唯格式だけにこだわった造りにがっかりした。

飛行機に乗る場所があるだけだった。交通の手段も取りにくいのに、駐車料は高い、止まるホテルも格安とは言えないし、せめて空港と一体化して欲しかった。

無理算段して勝手にやってこいだった。

それでも何度か利用した。ハワイや中国、タイなどにツアーを利用して行って来た。

そしていつも空港に行くのに不必要なまでの心配をした。いつも霧の多い天候になやんだ。

帰りには大阪まで運ばれて、大阪空港で3時間も飛行機に缶詰にされたこともあった。

福岡を利用することも多かったが、こちらの方が総合的には便利だった。費用なども主催者が格安を計ってくれているから、結果安く付いたのではとさえ思っている。

駐車料も岩國は空路利用者は無料だったが、広島では一泊千円、熊本でも8百円かって取られた。

これなどもその計算基礎はしらないが、軌道に入るまではこの程度のサービスはあってもいいのではと思っている。

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2013年1月14日 (月)

心配の種は家内にあった

どんより曇って夜明けは遅い。

小雨も降ってる模様で、7時半曙光はまるで見えない。

でも今日は成人の日という祭日だ。大多数の国民は天候に関係はなく過ごせる。

昨日は家の夏みかんを10個ほどもいで家内がマーマレードを作った。

今朝からは早速食べられる。自分で作ったものはおいしい。ささやかな実りだが。

昨年秋要介護支援を利用して手すりを付けてもらったのだが、思った以上に利便を受けている感じである。家内も玄関への降り立てが楽になったと喜んでいる。

遅まきながら年末に公共負担分18万円が銀行に振り込まれているのが、今度通帳記入をして貰って確認できた。老人が益々増えてこんな経費を市は負担しなければならず大変だなと思う。

こんなことまでするのは行き過ぎではと思わぬでもないのだが。

耳が悪くなって、世の中が随分静かになった。取り残された気分というのはこのことだなと今更実感出来る。

音楽を聴くにはそれほど関係が無いかに思っていたがそうでもなさそうだ。

音質のディテイルがやはりまるで違うようだ。テレビやオーディオでは特に良くない。

イアホンで聞くと左程でもないが。

iPhoneなどはその点利害が目出たなくてぐあいがよい。

午後になると急に空が晴れて日が射し始めた。我が家の天国である。

家内の風邪具合がよくない。昨夜吐いたという。今朝からおかゆである。心配。

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2013年1月15日 (火)

二面楚歌

下剤が効いて、早朝腹下し。眠い目をこすりこすり忙しい。

最近は下剤が予定通りには効いて来ない。

概ねどの薬でも連用すると効き目が悪くなるようだ。

20時間以上も経たないと効かないなど、困ったものである。

昼ごろになると水みたいな便が下着を汚してしまう。

大事である。家内がやはり風邪のせいだろうという。自分のがうつったのだろうと。

食事をしながら、周囲の音を聞き分けようとじっと頭を下げてそしゃくを繰り返していると、家内が元気がないねと言う。

いちいち音に反応が出来ないので、どうしてもじーっと耳をかしげている他はないようだ。

普段よりは元気がないように見えるのだろう。

明日耳鼻科に行く日だが、改善の方向は見えていない。どうなるのだろう。

心配してばかり居てもつまらないから、インターネットで鼓膜を検索してみる。

鼓膜は敗れても10日位すると再生するのだそうだ。

始めて聞く話だが、医者が手術すると言ってたが、時間を置くと復元するものなんだ。

ちょっと安心する。しかしなあ、90歳を過ぎた男でもとは書いてないな。

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2013年1月16日 (水)

つんぼが治った

朝一番、耳鼻科行き。

鼓膜に穴をあけて中耳にたまった水を抜いていただく。

準備作業の麻酔などに3、40分かかる。

手術時間はあっというまである。少し耳の聞こえがよくなったかな。

雑音がすくなくなったのが大違いだ。

結果の判明は1週間後と先生はおっしゃる。

帰宅してちょっと昼寝する。

起きてみると、耳の感じが違う。

すっかり元通りでは無いか。

鳴っているテレビを見る。しゃべっているアナウンサーの声がよく判る。

家内に今朝と同じボリュームかと聞くと、同じよと返事。

わっ!聞こえ始めた。

こんなことってあるんだ。

夕方まで変らない。

もう耳の煩わしさはない。

痛みも何もない。

凄い医学の進歩だ。30数年前鼻の穴から器具を使って中耳炎を治してもらったことがあるが、その時の痛さは今でも思い出すほどだったのに。

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2013年1月17日 (木)

転がり落ちる坂道

耳の状態が完全に治ったらしい。

朝起き抜けにラジオのスイッチを入れると素晴らしく美しい音色が響き渡る。

あわててボリュームをしぼる。

自分では奇跡が起きたつもりでいるのだが、思い過ごしだろうか。

素直に元通りに帰ったのだから不思議だ。他に何らの変化も無い、耳の回りに何の違和感もない。

音が良く聞こえるということが、こんなに世の中を新鮮にするものなのか。

今朝は何故かパンが喉に入らない。コーヒーと卵を時間をかけてやっとのみ込む。

こんなに食いたくないことは始めてである。

耳との連鎖反応は考えにくいのだが、やはり風邪のせいだろうか。

家内も同じ症状で吐いたりしていたが、私のは吐くまではいたらない。ただ食いたくないだけだから、食ったら吐くかも知れない。

夕方近くになってやっと胃の調子が落ち着く。

お粥をこしらえてもらって食べる。食えるだけでもよかった。

一時はどうなることかと我ながら心配になったが。

音だけではない、老体には思いがけないトラブルの種がひしめいているようだ。

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2013年1月19日 (土)

死出の旅の参考になれば

胃の調子治る、しかし食欲は依然としてなし。

昨日年金機構から12月27日付けで昭和55年2月現在の厚生年金証書を送って来る。

前回(平成11年)の証書の番号と金額とが少し変っている。昭和55年2月現在ということはは変らないのに。理由は聞いてみないと分らない。

30年以上も前の話なので、今更どうなのか誰にもわからないのでは。

今度の通知の面だけを見ると、今年度は年金の総額すら減るようである。

社会保険料も増えたし、住民税も市の財政を見るとタダでは済まないだろう。

去年のような失態は繰り替えしたくないので、年金生活者の私といえども納税に安閑としているわけには参らない。

あと3日間、寿命が繋がれば満93歳になる。この10日ほど、無理かなとなんども思ったが、どうやら体調がよくなったし、凌げるだろう。

旅支度は相変わらずまるで出来ていない。

というより経験の無いことだから、教えてくれる人も居ないし、ますます体調が落ちるばかりで、テープ一つ取りのけるのも億劫である。

沢山医者が薬をくれるが、もう呑む気はしない、と云うより呑むと胃がむかついたり調子が却って悪くなる様な気すらする。

昨日もデパートの食堂でうどん一杯食べ残した。食も進まなくなったし、もうその日を待つばかりである。

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2013年1月20日 (日)

生きてる喜び

Amazonから買った中古のDVD[山桜」が届いたので、早速今朝鑑賞する。

こういうのを良い映画と言うのだろうか。

藤沢周平の小説が映画になったことを知って、沢山の彼の小説の中から探し出して読んだくらいの目立たない小説だが、小川の辺や武士の一分と同じく、珠玉の名編に仕立てられている。映画脚本の妙味とでもいうものか。

都道府県対抗男子駅伝が当地広島で行われた。

すぐ近くの道路を走るのだから、若い時分なら当然路端に立って応援した筈だが、もうそうした元気は出ない。

地元広島は出足の1区でつまづいて、優勝に絡む場面は始めから無かったが、中学生や実業団のおかげで6位入賞までこぎつけた。

圧巻は最終区1分15秒の差を5秒様まで追いつけた東京の上野選手の力走だろう。結果は2位だったが、どこかが違っていたら逆転優勝と華々しい栄冠を担ったかもしれなかった。

体調が戻って来ると、気候までもう春だなあと感じ始める。

やはり生きてることを喜ばないといけないな。

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2013年1月21日 (月)

府県対抗駅伝記録に見る醍醐味

昨日の全国駅伝の熱戦を今朝の新聞で見ながら、改めて興奮を覚えているものは、私だけではあるまい。

全国と称しても、ネットで全国紙などを見渡した所、所詮地域行事だと割り切った報道が多いような気がする。

もちろん関心の高さは、優勝した兵庫県民は別格だろう。東京、愛知位は結構高いかも知れない。

しかし地元紙がどれだけ報道してくれただろうかとなると、アルジェリアの事件や同じスポーツでも全豪オープンや大相撲のかげに潜んでいるのではと思っている。

そこへ行くと、目の前で見つめた地元紙中国新聞の報道は微に入り細に入り、全く凄いとしか言いようがない。

本紙面でばかりでなく、ウェブを利用した全体を網羅する詳細記録は、参考にもなるかと思って、私は印刷して残した。見てくれるものはないだろうが、新聞記事をスクラップするのは私の若いときからの癖だからしかたがない。

地元選手ばかりでなく、他県選手の健闘振りと記録を比較をしてみると、論よりは証拠である。

昨日書いた東京上野選手の1分以上の大差を詰め寄って、あわやと見えた優勝テープ目前の勢いに、区間賞は間違いなしと私は思ったが、豈図らんや6、7位を広島と争った長野の矢野選手が更に4秒ほど上野に勝って区間第1位を占めていた。上には上がいたのである。

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2013年1月22日 (火)

満93歳になった

昨日と同じ様な雨模様となりそう。

気温は5度と馬鹿に暖かい朝。

家内は胃カメラ検診でせいこうに出かけた。

昨日は私も下痢で困った。下剤の効き過ぎである。

夜はおむつまでして寝むことになってしまった。ナンセンスである。

今朝はなんとか朝食を普通に食べる。胃もたれなんか無い。

とうとう満93歳になった。

今年に入ってからいろいろあったので、やっとここ迄来たとの思いである。

テレビでも報道していたが、7、80の老人でも健康を害している人たちの苦労振りを見ると、93歳の現状をかえりみて、どうしてだろうと思いながらも神に感謝の念は人一倍つのって来る。

3、4年前までは軽率な、無謀な私であった。良く転んで怪我をした。

身体の自由が利きにくくなって仕方なく慎重に動作するようになった。

妹が車にはねられて死んでから、尚一層気をつけるようになった。

青年時身体を国に捧げて戦争を何年も戦った。死は当然そのときやって来た筈だった。

くぐり抜けたのは紙一重の差である。その証拠に我が家は空爆の直撃を受けて無くなっている、しかし家族はその中の小さな防空壕で助かった。戦場にある私も状況は同じだった。

戦後ほとんどゼロからスタートしたことは、テレビで報道された人たちと何ら変わることは無い。運命の不可思議としかいいようがない。

昨年暮れやっと介護要支援認定を受けた。杖なしの歩行が危険になって来たので用心の為である。

動けることがましなだけで、世のためになることが一つもないこの身が情けないばかりである。

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2013年1月24日 (木)

腰が痛くては動けない

昨朝一番広島総合病院耳鼻科に行く。経過は良好、次は2週間後水のたまり具合を診る由。

家内のお供でアルパークのデパートに出かける。

帰宅して、一寝入りして、起き上がらんとした途端、思いも掛けず腰から全身に掛けて痛みが走り、身動き出来なくなった。アイホンで家内を呼び出しベッドの所まで来て貰う。

私も驚いたが家内も驚いたらしい。

やっとうつぶせになり、腰をもましたり叩かせたり大変である。

どうにか横になり、有り合わせの膏薬を3枚腰の回りの貼ってもらう。

痛みは取れないが、何となく落ち着く。

なんでだろうと考えるが、原因は病院、デパートと待たされる時間が多かったそのせいしか考えられない。

普段慣れない腰の負担が過重になったのだろう。

夕方風呂に入って温めたり、寝たりしている間に少しづつ楽になった。

今朝は少し腰の痛みが残っていたが、昼寝して起きてみると随分軽くなっている。

腰痛特有のおもぐるしさが無くなっている。軽快とまでは行かないまでも、二階への上り下りは楽である。

老境にも越えるべきいろいろなハードルがあるもんだな。

一月も経たないのに、風邪、下痢、ツンボ、腰のけいれんと立て続けである。

最後はもう動けないのではと覚悟を決めたほどだった。

顧みるに、私の人生は逆境の連続だったかも知れない。

人様の批判はさておき、自分自身の判定では逆境そのものだと云ってよい。

私の成人寸前の早過ぎる父の死、終戦前日の空爆による家、田畠の壊滅、他人の甘言に乗る大損失、事業倒産、この時点で完全にゼロからの再起だった。

その後唯一成功した事業はクリーニング業だったが、共同経営者との仲間割れで、私が一方的に手を引いた。

他に勤務した20年を除いて、成功した事例はない。

軍隊生活を含めてすべて無駄な人生だったと云える。

なのに、何故人並みの今日があるのだろう。

係累のよさ、良き多数の友人達、これに尽きそうである。

いわば、財経に恵まれ無くとも、人間関係の深さが格段に違っていた。

神は良くしたものだと今更に感ぜずには居られない。

昨日の苦闘も、死への一里塚だろうが、もう先は見えている。

楽しい夢を見続けよう!

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2013年1月25日 (金)

小さな庶民の歴史

中学の6年先輩に山崎武夫さんと云う方が居られた。図書館でこの方の郷土史を偶然発見した。

一面識もなかったが、同郷の方らしいし、部落は違っていたが同姓のうちの所在も知っている。

なんらかのつながりがあるのではと思っている。

ともあれこの書物に書かれているいろいろな部落行事は私に昔を思い出させて止まない。

この人の中学同期に著名な歴史学者の奈良本辰也氏の名前も見えるから、案外この方面の造詣も深かったのかも知れない。

この本に書かれているように、部落の様子はすっかり様変わりして、昔日の面影はもうまるでない。

変わり果てた郷土の今の姿は、特に郷土を離れて何十年も暮らさざるを得なくなった私には、なんら興をそそるものはないが、こうした昔の事実に即して丹念に書かれた労作は、単なる幻にすぎないが何にも増して尊い。

この本には特に部落の子供の年中行事が詳説されている。

私の時代に日支事変が激しくなり、人々の暮らし方が変って来たので、私が中学生になる頃にはもう無くなり始めていた。「十二灯」などと云う行事ははっきりなくなってしまった。

私は実行当事者のしんがりであった。

これは小さいながらも日本人庶民の歴史である。

歴史と云えば古今東西勝者の論理に貫かれた政治を基本にしたものがほとんどで、庶民を主体にしたものは無きに等しい。

小地域の庶民の生活そのものも、当然何処にも脈々としてつながれている存在事由がある。

別に面白いと云ったものとはほど遠いが、資料価値としては立派なものではないかと思うものである。

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2013年1月26日 (土)

春遠からじ

23日一日限りのハプニングだったが、昨夜も深夜放送をなにげなく聞いているとき、ふと全身麻痺して動けなくなったなどと、私の経験したと同じ様な体験をしゃべっているのに気がついた。誰かとは知らないが、同じ様な症状が起きることがあるんだなと、改めて気づいた次第。

一時はどうなるのかと死を予感したほどだったのだが、始めての経験だから何が起きるか分らないわけである。

しかし3日経ってみて、後遺症が何も無く、むしろ前よりは良いくらいの腰の状況をかえりみて、ほんとに狐につままれた感じは否めない。

今朝も何の違和感もない。

そのうち二度三度と起きるかも知れないが、もう何事も老齢のせい、致し方のないことである。

昨日書いた、山崎武夫氏の「ふるさとの歴史」という本のスキャンを筆記コピーして、残して置こうと決意した。130ページもあるのだから、完成出来るかどうかわからないが、後世に残るべく力をつくしてみようと思い定めた。

ささやかな記録だから、ささやかな努力しか報いる方法は無い。

昨日は風も出て全国的に寒い一日だったが、今日も変らないようだ。

しかし寒いと云っても今朝の気温は1度、ちらちら小雪も舞っているが、なにせ暖かいこの地方である。日本海沿岸や北国の人々のことを考えると、寒いなどと云うことすら憚られる。

我が家はまた日射しが部屋の奥深く届いている。有り難いことだなあ。

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2013年1月27日 (日)

不可解な私の身体

朝からいい天気、気温マイナス2度。少し冷たい。
右親指の第1関節が腫れて痛い。もちろん原因不明、心当たりは全然ない。
ひょっとした乾癬の薬チガソンを暫く飲用を止めているから、乾癬の関節炎がぶり返したのかも知れないなと思って今朝は1錠飲んでおく。サロンパスも貼っておいたけど。
いろいろ次から次へと不可解なことがあるなあ!
昨夜事務用の椅子をソファー用の椅子と取り替える。
大きいから小さい部屋では少し窮屈だが、我慢して使ってみる。座高が低いからパソコンを見上げる格好になるが仕方がない。
最近ふらっーと気が遠くなったりするので、無意識の転倒を用心してのことだが、もうあまりこそこそしないことにしようと思ったからである。
パソコンの進化には能力的にとてもついてはいけないし、興も薄れて来たし、もう私の限界を越えたことを自覚したからにほかならない。
余生を送るにはぼんやりと好きな音楽に耳を傾けながら、夢幻の境地をさまようのが、最もふさわしいのではなかろうか。
親指の痛さも夕方には忘れるようになっている。サロンパスを剥いでみると腫れもすっかりなくなっている。わからんなあ!なぜだったんだろう。

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2013年1月28日 (月)

キーボードを替えてみる

珍しく雪化粧の朝。広島5cmとの報道だから、尚更珍しい。

親指の痛さはもうなくなったから、今朝はなんでもない。ただ耳が少しおかしい。右側が少し変調の様な気がする。2週間先で診て貰うまではわからない。

今日は「ふるさとの歴史」の書き写しに2、3時間費やす。沢山の挿絵が入っているのだが、さてこれをどうしたもんだろうと思案の種。

思いついては書き始めるのだから、進捗はたどたどしく何時果たせるか希望も予定も無い。

午後晴れていい天気になり、ふと気がつくと雪はきれいになくなっている。

市内の方は大分被害が出たらしい。滅多に無いことだから、北国の様な備えは無い。

私も仕事をしていた時分は最初から諦めて出かけるのを遅らしたりしたもんだが、今頃の人はどうしているのだろう。

椅子をソーファに替えたのはいいが、キーボードの本来のものは小さ過ぎて膝の上で扱うには少し不安定である。

随分前に買って来て放ってあった無線で動くキーボードを思い出し使うことにした。

大方倍の大きさがあるので、膝の上でやるにはちょうど良い。

とうとう私も障碍者並みである。

ディスプレイはずっと大きなテレビを使っているから不都合は無い。

ついでに文字の大きさも、12から14に変更する。

遠くからでも操作しよいからこの方が良い。

便利の良い時代になってあり難い。

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2013年1月29日 (火)

十二灯のこと

気温-2度、思いがけず冷たい。予報も少し甘かったようだ。

耳の内耳が少し変調のようだ。完璧に治ることはやはり難しいことか。

しかしこの程度の不自由さは何ほどのことも無い。

 

午前9時近くなると、日がドンドン部屋に差し込んでくれて有り難い。

ただお昼前後になると、日射しが画面を照らしたりするので困りものだが。その時は小休止ということになる。

山崎さんの「ふるさとの歴史」を読むと、「十二灯」の話が何度も繰り返される。

それだけ印象深かったと云うことだろうが、私にとっても同じである。

10歳くらいから12歳までだったろうが、人並みに部落を軒並み廻って、小母さん、小父さん達にからかわれながら、寄付を集めて歩く。夏休みに入ると先ず取り掛からねばならない、だいじな年中行事である。

全部で5、60軒もあったであろうか。もちろん当時だから5銭、10銭の硬貨ばかりであったろう。

毎年使い切るものだから、筆、墨、絵の具、半紙のたぐい、十二灯(灯籠)も痛んでいるものは修理してもらわねばならない。お金は少しは残して新しく灯籠を作ってもらう。

自然に新陳代謝が行われる仕組みになっていた。

権現様のお堂にこもって、半紙に絵描きの作業にいそしむ。題材は当時の雑誌などの挿絵が主題である。出来上がると灯籠の古い紙を剥がして張り替える。夏休みの午前中の涼しいうちでないとつとまらない。

子供連中の義務だから、楽ではないが、今となっては楽しかった思い出ばかりが残っている。

思い返して見ると、少年ばかりで女の子はいなかった。

昭和4、5年頃だから、男ばかりの社会だった。

この時期を過ぎると、兵役が待っていた。

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2013年1月30日 (水)

子供の頃の危険な経験

昨日は子供の頃の行事の一端を書いたから、今日は同じ頃、危機一髪だった危なかった話をかくことにしよう。

やはり10歳頃の夏休みの一日だった。2つ年下の従弟と海に出かけた。

水泳着なんてしゃれたものは持ち合わせていない。

タオル一枚首に巻いて約2キロの道を小川沿いに歩いて、やがて潮前と呼ばれる一寸した入り海に裸で浸かるわけである。海への大きな樋門があって、潮汐に合わせて開閉をしているあれである。

近くに「とんべえ樋」と少し離れて「ごんじゅう樋」があった。潮前はとんべえ樋の方が広くて浅くて子供の遊び場であったし、小魚も手掴みできるほどたくさんいた。

かなり足しげく通っていたから、慣れた海水浴場だった。

もちろん樋門をくぐって外海に出れば、普通の瀬戸内海である。この付近は港に近く砂浜は無い。

良く泳げる大人達は当然海岸の土手に着物を脱いで外海で泳ぐ、子連れか、ガキばかりの泳げぬ連中は入り海の浅い所を歩き回るわけである。

樋門の下は水の出入りで掘れて深くなっている。

干満の時期を問わず深い。

ある日ちょっと冒険心を出して樋門に近寄り、浅い部分を泳ぎ渡ろうと考えた。

半ば従弟に自慢しようとしたのかも分らない。

ひとかき、二かきした途端失速して、身体が沈んだ。届いた地面を蹴って浮上し顔を出したが、すぐ又沈んだ。空気を吸うタイミングが悪かった。塩辛い水をがぶと呑んでしまった。あわてたねえ!

とうとうあっぷあっぷやってしまった。声を出そうにも口中水いっぱいで声にならない。

ちらと見ると、従弟は呆然として、どうすることもできない。

幸い近くに大人が一人居た。

急いで助けにやって来てくれた。

後で思うのだが、この時でも、うまく空気を吸うことが出来たら、溺れることは無かったかも知れない。水を吸い込んだのが悪かった。

後で聞けばここはよく子供が溺死するところだった。そういえば近所の子供何人かが溺れ死んだ。後で冷や汗をかく始末だった。もちろん親に喋る様なことはしなかった。

もう懲りたから二度とおぼれることはなかった。

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2013年1月31日 (木)

東京家族という映画

次々と思いがけない病魔に襲われて、これで今生の最後かなと思って覚悟を決めていたのだが、なんとかまだ生きて行けるらしい。

なんだか精神的には大いに疲れて、1月の永さが尋常ではなかった。

面倒くさくなって、二日ほどひげの手入れを怠っていると、今朝鏡の前に立って、驚いた。顎から目尻まで、白ちゃけたひげでいっぱいである。

電気剃刀では苦労する。

頭の毛はなくなっても、ひげは関係ないんだなあ。あらためて人間の不可思議さを思う。

今日は日中暖かそうだから映画を見に行く事にする。

山田洋次監督の「東京家族」である。昔の小津監督の「東京物語」の焼き直しらしいが、さてどうだろう。

前評判が良かったらしくって、観客は随分多い。

少し切符の行列が長かったので、既に始まっていたが、殆ど見ることは出来た。先入観があるからか、もひとつ感銘の度が足りなかったが、まあ良い映画だった。

さすが配役の重みは如何ともし難く、それぞれを引き比べるのは気の毒な気すらした。

下の階のそばやで遅い昼食を済ませ、食糧など買って急いで帰る。

なんだかやけに疲れた。

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