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2012年12月10日 (月)

私の日本人的心情

昨日家内が風邪で寝込む。吐瀉、下痢がつづき、体温が38度まであがり、とうとう一日食事を抜く。

東京行きに危険信号が出て、友達と逢う約束までしているのに、私は頭が痛い。

今朝になると熱も平熱に下がる。食事はまだしないが、せいこうに連れて行き点滴をして貰う。

大分元気になったから大丈夫だろう。私が悪くなるのは構わないが、家内に倒れられるとどうにもならない。

普段元気なだけにこんなことになるといささか慌てる。

十近くも若いんだからなあ。私は83くらいのときは元気旺盛だったのに。

私が東京に行きたがるのは、なにも東京に憧れているのではない。

過去の節目節目に一区切り付けるために上京して、陰ながら天皇に報告した、自分のこころのけじめを付けるものである。

学校卒業直前父を失って、その時には満洲の地にすでに就職を決めていた。

そのまま行くべきか迷った。

母の妹などはきつい言葉で母親や幼い弟妹をほったらかして行くのかと私をなじった。

しかし優柔不断な私には取りやめる決心はつかなかった。

ただ父には9月満洲重工業に就職決定のとき報告して喜んでもらったその思いだけは残っていた。

その2月後11月23日に父は病死した。

急いで帰宅して病床に向かった時には父にはもう意識はなかった。

入営のため帰国して、存在しない父に報告する変わりに天皇にお別れを言いたいと思いつき,入営直前に上京した。

宮城を遥拝して、こころのけじめをつけた。

大東亜戦争勃発時は折よく東京の軍の幹部候補生隊で勉強中だった。

元日の休暇に宮城を拝したのは言うまでもない。

戦後帰国して就職探しに上京して,再び宮城に遥拝した。

病気のためやむなく退職,帰郷し再起して1年後、地元の企業に就職を決心した時、突然思い立って上京し、また宮城を訪ねた。

企業が進駐軍命令で解体され別企業になったとき、就職継続を懇望され迷った。

その時も上京して宮城に拝礼して決心を吐露した。

こうして何か起きると,宮城を拝むことが心を休める動機になって来た。

今回の上京は親友神村義夫君に今生最後のお別れをするためのものである。

宮城遥拝も通りすがりの儀礼として無視はできないし、幸運にもこのけじめに花を添えてくれることと思っている。

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