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2012年12月21日 (金)

卒翁東京へ行く

お休みを戴いたこのブログ、その4日間を日記から転載さしていただく。

私の魂は依然としてこの世に残っていた。

12月16日(日)

衆議院議員選挙の日である。民主党の大敗の卦が出ているのだが、はたしてどうなるか。

ロートルの出る幕はないはずだが、一票与えられているからむだでも行使しなければいけない。

飛行機に乗るのは午後3時過ぎだから時間はたっぷりある。

あとはなるようになれである。

大竹の夢タウンで食事をして、ゆっくり空港に向かったのだがそれでも早過ぎた。

駐車場はいっぱいである。何しろ珍しいから見物客がじゅじゅつなぎ。

やっと入れて,航空券を貰う。

小さな空港だから、何も買う店も見る店も無い。

人の顔を眺めるばかりである。

見知った人が居ないのが不思議なようでもある。

老人は優先順位であることを知った。一番に乗り込んで,予約していた通り一番奥の方の窓際の席、しかし雲が多くて結局視界は悪く役に立たなかったのだが。

羽田はもう夜景、美しくはあったが人の多さに驚く。

千代に迎えられて後は付いて歩くだけ。

夕食を済ませてタクシーに乗ったのが6時、千代の家に着いたのは7時20分。賃は¥12000.

首都高速を大回りしたので,我が国の首都の夜景はたっぷり眺めることが出来た。

凄い高さのマンション群の間を抜け走る瞬間には、これで大地震でもあったらと空恐ろしくなる。

12月17日(月)曇時々雨

傘を持って,千代といっしょに神村君に会いに国分寺の丸井デパートに出かける。

ニコン出身の婿さんが手配し、席をすでに取ってくれていた寿司屋で少し待つ。

間もなく神村君の到着,7年振りに再会である。

話は戦争時代から始まる。輸送船で沈められて海を泳いだ経験から、マラリアで入院一度は内地に運ばれたが退院後原隊復帰、ウエワク付近で対戦、ニューギニア山中に逃げ込み終戦。

日本には比較的早く帰って来たという。

戦後すぐ彼の家を私は訪れたことがある。彼は未だ静養中だった。マラリアの余病で苦しんでいたようだった。

それからの彼の人生は私同様悲惨であった。幸運に恵まれことはなかった。

唯,ふしぎに今日まで永らえたことはこれまた私と同じである。

二人の子供,一人の孫、こちらも淋しい。

現在その長女と同じマンションの二階と下とでくらしているよし。

2時間位して、彼の細君がその長女の手引きで車いすに乗って現れる。よもや逢えるとは期待していなかったので感激する。

はかない最初のそして最後の会合であった。

12月18日(火)晴

タクシーで10時前松陰神社に向かう。

神社のすぐ近くで千代がめざとく桂太郎墓所を見つける。

其処で降りて,先にお参りを済ませ,松陰神社に参る。この前よりうんと整備してあって,綺麗になっていた。

タクシーで渋谷のアップル店に行く。

店内は若者達でいっぱい、盛んにコンピューターの前で店員達と賑やかになにかをやっている。

店員達はそろいのユニホーム姿で目立った動きをしている。私達にもすぐ対応してくれる。修理は2階ということで二階に案内される。

12時半の予約を取らされる。

その時の検査で修理金額も決定されるという。

仕方がないから近所の食堂に入って昼飯を食う。

間もなくケータイで連絡を取り合った圭さんが到着し、少し遅れて昼食。

終わってアップルに一緒に出かける。

結局修理賃は¥31000.ということで今更嫌だから取りやめ、分解してDVDだけ¥3500で出してもらうことにする。

一旦上野の三井ガーデンホテルに入宿して、3時過ぎいよいよスカイツリーに出かけることにする。

折から早くも夕闇が漂い始め、電灯の灯りが一段と冴えて来る。

それにしても人の波は凄い,全く留まることがない。もう数千数万と言っても過言ではない。

これほどの人数があのタワーの中腹に上がって大丈夫なのだろうか、心配になって来る。

小一時間もしてやっと350mの展望室(天望デッキという)に達する。

人で溢れ頭越しに覗き込むばかりである。

輝く帝都の夜景はさすがに美しい。しかしそれをしみじみ実感するにはあまりにも騒がしい。

光の無い宮城の森は闇にまぎれて探し出すのに大苦戦。

東京タワーは満艦飾で存在を誇示している。

息詰まりそうになったので,一周した所で下りに掛かる。

六階で一息ついて宿に向かう。

圭さんとしばらくぶりの会話が弾む。

10時寝につく。

12月19日(水)晴

上野の三井ガーデンホテルでの夜明け、快晴とあって西空には昨夜見たスカイツリーがすったって居る。

それにしても昨夜の殺人的なラッシュには恐れ入った。

押し合いへし合い、ちこう近来経験したことが無い雑踏の中の見物だった。

何とか天望デッキを一周して、東京夜景を一覧することは出来た。宮城はと目を皿にしてやっと暗がりの松の木に包まれた姿を拝むことも出来た。

ひときわ目立っている東京タワーも今となっては遥かに下の方である。

イルミネーションに飾られた二つの塔は東京の空をいやが上にも輝かせている。

ひっそりと夜の帳に包まれた宮城との対比も印象的であった。

朝8時水戸の職場に向かう圭さんを送り、9時過ぎホテルを出て、上野駅から東京駅に向かう。

新装なったクラシックな東京駅やかって私の職場でもあった東京中央郵便局ビルなどを感慨深く眺める。

朝のラッシュの中をやっと逃れて、羽田に辿り着く。東京の聞きしに勝るラッシュの凄さを今更に感じた一瞬だった。

私の通っていたころのラッシュは壊されて窓も無い電車だったが、今のは人間が壊されそうな感じである。

昼食を済ませて,出発時間の1時間前に娘と別れて乗り場の控え室に入る。後は予定通り空の旅に入る。

残念ながら富士山は真上を飛行機が通ったので見ることは出来なかった。しかし南アルプスなど雪を被った清冽な風景は二度とは見られない美しい光景だった。3時過ぎほぼ予定通り岩國に到着、途中スーパーで買い物をして午後4時帰宅する。

疲れはしたが依然として私は元気であった。

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