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2012年12月 1日 (土)

もう私に詠嘆はない

いつものことながら、焦燥の気の昂るこの月である。
師走と云った古人のかたりくちがまたまことに言い得て妙である。
1度か2度かもう少し寒い予報だったが,今朝の温度は丁度5度とまあまあだ。
朝まだき時折太陽も顔を出す。
朝食事が終わると、まず掃除機で部屋を片づける。顔を洗う習慣はいつの間にか姿を消し、昼前にならないと始まらない。今身体に痛い所が無いから、大丈夫だ。
終わるとさっそくパソコン入り。
妙な癖がついたものだ。
仕事が無く寝たり起きたりの生活だから、おかしな生活習慣になってしまったのだろう。
今度ガスストーブを入れたから,台所は全く春気分だ。
エアコンや石油ストーブとは効きの速度がまるで違う。それに煩わしくないのが良い。
パンとコーヒーの朝食だから、さっさとこれで片付く。
テレビで見る限り、人の出入りなど見えて,岩國錦帯橋空港の開港はどうやら本物らしい。
ホームページで見たとき2ヶ月も前から開港していた風に見えたが、これはヒュウジョンだった。
2度訪れて2度とも制止された。未だ出来てないと。
若い人からみれば、騙される方も騙される奴だと馬鹿呼ばわりされるだろうが、長年のパソコン野郎には真実も幻想も混交して区別はつかない。いや真実と思う以外に無い、あまりにうまく出来過ぎていた。
今午前9時半、窓から宮島が寝観音の姿そのものに山容をのぞかせる。
この映像を瞼の奥深く残しながら間もなく私はこの世をおさらばすることだろう。

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2012年12月 2日 (日)

消費は美徳の時代

少し寒くなったかな、朝の気温3度。
灯油が切れていたが,ガスがあるから大丈夫。老人は用心が肝心だ。
エアコンも今年の夏付け替えたばかり、これは熱量不足で使い物にはならないが、まあ無いよりはましな程度か。
最近若者が少なくなって,お先大丈夫かと疑問の声がしきりだが、その若者すら就職率の低下が気遣われている。勤め先がないというのだ。この構図が私には分らない。
普通だったら勤め場所が空席が多くて,企業が困っているというなら話が分かる。
企業もこれ幸いに仕事が減っているのか。
作っても売れないから、人も仕事も今休ませているという。
所謂不景気だというわけ。
ここで年金族の出番だ。”貰った年金は皆使う”運動はどうだろう。
年金人口が3割にもなろうかという時、貰ったらすぐ使うことにしたら、デフレの解消にかなり役立つのでは,もし使い過ぎたら次回払いとする。生きてる限り年金機構が保証している。
今朝広島大学白菊会から挨拶が来た。別に早く死んでくれとは書いてない。
とすればやはり年金を皆使って世の中に貢献するしか仕方がない。死んだらその時は無償で死骸を白菊会が引き取ってくれるというわけだ。
今やっと”消費は美徳の時代”がやって来たのだろうか。
私の考えは満更間違っては居ないと思うのだがどうだろう。

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2012年12月 3日 (月)

私の槿花一朝の夢

今朝のテレビでFaceBookなどSNSについて話題を振りまいていたが、私のこの歳でその仲間に入って,子供染みた事をしてるんだなと恥ずかしい。
入る意志は無かったのにいつの間にか入っていたという事だが、今朝のテレビなんか見ると使い方次第で恐ろしい事になったりするんだなあと、警戒せざるを得ない。
何度となく人に騙されて,先祖の資産を蕩尽して来たわたしだけに、こんな話を聞くだけで恐ろしい。
何時の時代、どこの国でも、世の中は善意に動いているばかりでないという事だ。
死ぬのは間近だ,もう反省なんかしている暇はない。
聞かされ役に徹していれば、まあ怪我もすくないだろう。
物好きだからけつをまくって,逃げ出すわけには行かない。
昨晩FMから音楽をダビングしようとして、うまく行かない。しばらくぶりだから調子が狂ったらしい。
TOASTの一番新しい11を使っているのだが、Spin Docterというソフトがどうもうまく使えない。
そのうち電源が飛んで画面が真っ暗になってしまったりする。
しかたがないので、古いTOAST 9のCD Spin Docterを立ち上げてやっとうまいこと録音出来る。
あれこれしていた間に肝心な曲の入力チャンスは逃してしまったが。
11のDocterはマニュアルもなにもなく、ヘルプを見ても何ら解決に結びつくもは無い。
古いソフトの方がどれだけいいか、今回は思い知らされたりした。
家内の眼科行きを手伝う。30分位待たされたか,駐車場に暖かい日が射し込んでうたた寝する。
iPhoneも今日は必要なかった。
エディオンの同じビルの中のナンの店でナンのランチを食う。家内は辛いから嫌だとこぼす。

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2012年12月 4日 (火)

筋力はもう衰えるばかり

早朝下剤が効いて便通ひさしぶり。
しかし日に日に身体が重く動き辛くなって来た。筋力がどんどん衰えるのであろうか。
家内はこれはリウマチのせいもあるだろうが,驚くほど指力がなくなっているようだ。
昨夜も風呂場のカランが緩んで洗い場は水浸しである。
明け方水圧が上がると同時に、もれこぼれるらしい。
家内の言い草ではエアコンの押しボタンも一度押したのではつかないという。消す時にも時々代わってけしてやることすらある。
筋力の低下、体力とはふしぎなものだなあ。
身体が重くなったわけではないのに、重く感ずるのは筋力が弱ったせいらしい。
しゃがんで立つ、これすらももう容易では無い。家内も最近そうらしい、その仕草が目立つようになった。
先日何時だった和式の便所にしゃがんだはいいが、立ち上がるのに取ってはないし、足はしびれて来るし、そこら中を這いずり回ってやっと立ち上がった事があったっけ。
この分では東京までこの身体を運べるだろうかと今更のごとく心配が先立つ。

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2012年12月 5日 (水)

去る者は日々疎し

時の立つのは早いのか遅いのか。

戦争が終わってからもう67年、ハワイで日米が火ぶたを切ったのはこの8日で丸71年になる。

私の書いた戦中記録の載せてあるホームページも掲載者が代わったか、ただ「語り継ぐ」だけになっていて、添え書きに「インターネットのあるかぎり公開され続ける昭和の碑です」とあり、私のものを含む数十編の証言集が取り残されているだけで、数あった写真などの物件はもうなくなっている。

私は昨年の3月に友人の「ニューギニア戦記」そして「関東軍から終戦後ソ連行き脱出行」を新しく掲載してもらうべく投書したが、なしのつぶてに終わった。

今回改めて訪ねてみると、只証言集とだけに限定されたものとなっていて、ネット存続限りとはあるが、費用のかかる事,何時消滅するかわからない。

私自身のブログなどにしても同じ事、自分で保存する以外にないし、死ねば時間とともに消滅する事だろう。

所詮こうした記録も方丈記の鴨長明の云うごとくうたかたの存在に過ぎないのだろうか。

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2012年12月 6日 (木)

今に残る「海行かば・・」の心情

私が17歳になった年、盧溝橋で日本軍と支那軍とが火ぶたを切った。

日支事変の始まりである。もちろん満州事変の延長位の気持ちしか私達国民は持ち合わせていなかった。

世界戦争に繋がるなどとは誰一人思ったものはいなかっただろう。

戦いは広がる一方で、間もなく在学している学校の配属将校が何時出征したのか知らぬ間に,戦死の広報が伝えられ,友人等とともに夜留守宅にお悔やみに上がったりした。

その年の暮れだったか、年明けだったかには母の従弟が白木の箱になって帰って来た。

私をよくいじめていた悪童の一人だった。

身辺は騒然とした来た。いやでも2,3年先には我が身に降り掛かる徴兵義務がある。

中学校時代はいい加減にやっていた軍事教練も次第に真剣にならざるを得なかった。

徴兵検査の結果、いよいよ入営の日が昭和16年1月25日満洲ハの53部隊と決まって、そのハガキが届けられた瞬間、死の覚悟は当然のごとく出来ていた。

天皇の御ために死ぬのだから、どうしても宮城に別れを告げたいと、1月6日その下宿に泊めて貰う予定の友人神村義夫君と一緒に上京した。

神社にお参りすると同じ敬虔な気持ちであった。私一人、二重橋のたもとまで行って拝礼した。

そのまま離れ難く、歩いてお堀端を一周し四谷から新宿まで歩いた記憶が残っている。

もちろん途中九段坂を登って、靖国神社にも感慨を込めて礼拝した。

志と違い数多くの英霊の中で,空しく生き残って馬齢を重ねる事になったが、初心を忘れた事は一度も無い。

神村君も激戦地ニューギニアの戦場に生き残って,今在京して同じように死を待ちかねている。その彼にも、今回の岩國空港開港記念の上京は、最後のお別れを言う良い機会になりそうである。

宮城にも当然お別れのまなざしは送る事になる。

90数年、脈々と繋がり続けた日本人の血が,私を駆り立てて来たことを今更ながら感ぜずにはおられない。

“海行かばみづくかばね,山ゆかば草むすかばね,大君のへにこそ死なめ、かえりみはせじ”

のうたは、万葉の防人と同じく戦中派にも生き甲斐だったというべきか。

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2012年12月 7日 (金)

ATMにもあざむかれたか

昨日神村君に電話して、前回逢ったデパートで又逢う事にする。

彼も一応元気で歩き回る事ができるという。

NHKのやっている火野何とか言う男が自転車で、廿日市付近を走り回っていたが,知らないかという。

残念だが最近私はほとんどテレビを見ないので気づかなかった。

こんど手紙を出すとかいってたが、手紙で指図出来るらしい。

ともあれ彼も郷里を思い出したかとうれしい。

娘に電話すると逢うのは17日にしてくれという。18日は圭さんとアップルストアで逢う事に予定しているのだそうだ。

これで東京滞在は塞がる事になる。

今年は親友達が次々と死んで行った。今田,田淵、川上、若重と激戦の中を生き抜いたもの達ばかりである。

弾丸は当たらなかったが死神のスケジュールには逆らえなかった。

私も戦場のあの日のことは忘れる事は出来ない。払暁私の率いる自動車隊は、山上の道無き道を無灯火で走り抜けて、ようやく白々と地上が明らかになったころ、ぼつぼつ車をどこかに待避させなければとキョロキョロ見回していた瞬間,早くも後方に敵機の姿をちらっと見た。運転手を叩いて停止を合図し,転がるように車を飛び降りた。

小さな草の生い茂る田圃だった。伏せた瞬間ドドドーッと機銃掃射音。ピュン、ヒューンと耳元をかすめて頭上2,30cm先の土をパッパとはじき飛ばした。覗き込む操縦手の姿がはっきり見えた。機体には竜の口を開けた真っ赤な絵。

旋回してもう一度引き返して撃って来たが今度は溝の中に転げ込んで射角を避けた。

敵機は何機だったか超低空で来たのでわからない。道路の先の方で爆弾の破裂音がしきりにし始めた。弾薬を積載した車がやられたらしい。危なくて勿論近寄れない。

木の陰に入って、息を凝らして次を待ったが、3度目はなかった。

人間の生死は全く紙一重である。

八代目勘三郎が死んだ。私はほとんど知る所はないが、えらい名優だったらしい。57歳だとは残念だ。

死神はほんとに惨い事をしたりする。

変わりにこの役立たずの老人をと指はじきできないのかなあ。

今朝は広島総合病院に行く。いつもの乾癬治療の為である。

塗り薬が効いて,皮膚が綺麗になったという。

チガソンは止めることにした。医師の診断だから仕方がない。

昨日ATMで引き出した金が一万円不足していたので、余っていないかと聞きに銀行にゆく。

絶対にATMは間違いありませんから、そちらの勘違いか,蔵い忘れではないかと相手にはしてもらえない。

通帳にはちゃんと1万円多く引き出したようになっている。

どこへ雲隠れしたのだろう、老人のぼけと片づける以外に無さそうだ。

やはり俺も尋常ではなくなってきているのだろうか。

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2012年12月 8日 (土)

私は大東亜戦争記念日と呼ぶ

又大東亜戦争開戦の記念日がやってきた。この呼称は米軍占領時に使用禁止になったとか聞いているが、今は時効だからかまわないだろう。戦中派の私にはこう呼ばなくてはピンと来ないから仕方がない。

私は未だに5族協和を願った満州国の建国、米英の世界制覇維持の野望を阻止せんと決起した大東亜戦争をやむを得ざるものと感じている。

もちろん全世界各国の協賛を得られるものと思っているものでは無い。

が少なくともアジアの欧米諸国植民地だった国々の国民に取っては、その独立を勝ち取った有力な手がかりとなった事を感じているということも事実である。

今日の新聞でも見られたのだが、ハワイのアリゾナ記念館の下の海底には,日本軍の急襲によって沈められた戦艦アリゾナの悲惨な姿がそのまま残されているという。

実に巧妙な米国のやりくちである。

戦争を決起せざる得なかった原因も、この米国の巧妙な外交駆け引きに引っ掛けられたと言う説があるが頷ける話である。

原爆投下の残忍性を日本の奇襲によるハワイ開戦と帳消しにする世論喚起の手段と取られない事も無さそうである。

戦後一世紀にもなろうとして、原爆の何たるかは,日を追うて世界の人民にも分って来た。

ケネディの時に対ソ連作戦で危うく使用寸前まで行ったと伝えられている。

もしそうだとしたら、人類はその時滅亡にまっしぐらであったろう。

今やもう原爆を使用するときは未来永劫来ないだろう。使ったら即その国を含めて世界が破滅する以外に無い。

米国という国が世界の人民を受け入れ,民主主義の旗印のもと何事も世界をリードしてくれてる事は私も十分認めている。

だからこそ良い知恵が浮かぶのだろう。

そして人民から選ばれた為政者たちの先のもう一つ先を見越した施策はやはり傑出した出来栄えのものである。

日本も中国も政治家たるもの良く見習って勉強して欲しい。

そういえば、今の日本には傑出した人物がいないなあ、どうして出て来ないのだろう。

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2012年12月 9日 (日)

立つ鳥跡を濁さずは昔の夢

中央自動車道の笹子トンネルの事故は,3台の車を押しつぶし9人の人命を奪った。

同じ工法のトンネルが全国には沢山あるといって、総点検に忙しい。

この地方でも関門トンネルを始め,関戸、安芸、志和と数多い。

クワバラクワバラで,人ごとではない。もうあまり遠乗りはしないから、事故に遭うことは無いだろうが,近所にあるというだけで、気持ちがよくない。

起伏の多い島国だからトンネルの多いのはやむを得ないが,その上地震多発国とある。

平和に暮らすということは大変なことだなあ。

私の部屋の隣に,今雨天物干し場に使っている三畳の間がある。もちろん雑然と小道具や木片などがごろごろしている。

私の西隣だから,南面して日当りはまことに良い。

最近家内がどうも風邪気味らしく鼻をじゅんじゅん言わせていて気になって仕方がない。

ここに彼女のベッドを持ち込んだらとふと、思い始めたのである。

さっそく片づけに掛かったのだが、これが案に相違して大変なんだな。

二つビデオ棚があるのだが、ビデオを先ず棄てなくてはならない。ビデオは一月に一度しか棄てる機会は無い。

まだ4、5百本はあるから大変だ。以前選別しながら廃棄処理作業をしていて、根を詰めて膝を痛めてしまったことがあり,それ以後中止していた位だから,一挙になどとてもとてもである。

小道具類は倉庫に運ぶとしても,沢山の木片などもまとめて棄てなくてはならない。小型冷蔵庫、作業用の机、古いミシン台、古いワープロ、それにオルガンまである。

老骨にむち打っても一朝一夕には片付きそうにない。

立つ鳥跡を濁さずといっても、ここまで老い果てるともう遅過ぎたようでもある。

この思いつきは、今必要なことなのだから、上京したりなんかすると、やっぱり駄目かと肩の力が抜け落ちる。

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2012年12月10日 (月)

私の日本人的心情

昨日家内が風邪で寝込む。吐瀉、下痢がつづき、体温が38度まであがり、とうとう一日食事を抜く。

東京行きに危険信号が出て、友達と逢う約束までしているのに、私は頭が痛い。

今朝になると熱も平熱に下がる。食事はまだしないが、せいこうに連れて行き点滴をして貰う。

大分元気になったから大丈夫だろう。私が悪くなるのは構わないが、家内に倒れられるとどうにもならない。

普段元気なだけにこんなことになるといささか慌てる。

十近くも若いんだからなあ。私は83くらいのときは元気旺盛だったのに。

私が東京に行きたがるのは、なにも東京に憧れているのではない。

過去の節目節目に一区切り付けるために上京して、陰ながら天皇に報告した、自分のこころのけじめを付けるものである。

学校卒業直前父を失って、その時には満洲の地にすでに就職を決めていた。

そのまま行くべきか迷った。

母の妹などはきつい言葉で母親や幼い弟妹をほったらかして行くのかと私をなじった。

しかし優柔不断な私には取りやめる決心はつかなかった。

ただ父には9月満洲重工業に就職決定のとき報告して喜んでもらったその思いだけは残っていた。

その2月後11月23日に父は病死した。

急いで帰宅して病床に向かった時には父にはもう意識はなかった。

入営のため帰国して、存在しない父に報告する変わりに天皇にお別れを言いたいと思いつき,入営直前に上京した。

宮城を遥拝して、こころのけじめをつけた。

大東亜戦争勃発時は折よく東京の軍の幹部候補生隊で勉強中だった。

元日の休暇に宮城を拝したのは言うまでもない。

戦後帰国して就職探しに上京して,再び宮城に遥拝した。

病気のためやむなく退職,帰郷し再起して1年後、地元の企業に就職を決心した時、突然思い立って上京し、また宮城を訪ねた。

企業が進駐軍命令で解体され別企業になったとき、就職継続を懇望され迷った。

その時も上京して宮城に拝礼して決心を吐露した。

こうして何か起きると,宮城を拝むことが心を休める動機になって来た。

今回の上京は親友神村義夫君に今生最後のお別れをするためのものである。

宮城遥拝も通りすがりの儀礼として無視はできないし、幸運にもこのけじめに花を添えてくれることと思っている。

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2012年12月11日 (火)

ベートーベンの音楽

朝、今冬始めてのマイナス気温 -1度となっている。不思議に寒さは感じない。

家内今朝から普通食に戻る。

寝ては居られないと元気そうである。ちょっと安心。

傷害保険の案内が今朝ポストに投げ込まれている。改めてこんな契約をしていたんだなあと思い出す。

家内と二人が一緒に入っている。旅行するときはいつも臨時の傷害保険に入っていたが、最後の会津旅行で転んで怪我をして,保険金をもらった。

老人に怪我はつきものである。

もう旅行は無理だが、やはり継続すべきだろうなと思っている。

今NHK-FMでベートーベンの荘厳ミサ曲を放送している。

すばらしい曲であり,私の大好きな曲である。

ミサ曲と言っても、教会で演奏されるミサ曲とは一線を画していると言われている。

宗教心の無い私には尚更、教会音楽を越えた、むしろ第9をも越えた純音楽ときこえる。

音楽好きだった学生時代、発売前のテスト盤でこれを聞かされたときの粛然たる気持ちは未だに忘れられない。

ベートーベンの曲とだけで演奏者もレコード名もなにもしらない。

こんな曲があるのかと感激と興趣に浸るばかりだった。

耳の聞こえなくなっていたベートーベンは第9と云いこの曲と云い、どんな世界を想い描いていたのだろうか。

単なる交響曲でなく、独唱,合唱を交え、音楽とはこれなんだと高らかに歌い上げ、音楽の神髄をそして音楽家の信条をみせつけたかったのではあるまいか。

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2012年12月12日 (水)

ノロ風邪流行

高曇りの朝,薄い日射しもこぼれている。
温暖化というが,今年は12月も早くから寒いがどうだろう。例年には雪も降らずもう少し暖かかったように思うが,私の勘違いだろうか。大分以前1月には宮崎へ行ったり,湯布院に婿の招待で宿泊したりしたものだったが、当時は暖かかったのではなかったか。
老いたからだが,寒さを強く感じ過ぎるのかも知れない。
朝起きるにも意気地がなくなったしなあ。
一昨日エディオンの本店に頼んでいたアップルの光ディスクドライバーを支店に取りに行く。早速試してみたら、DVDが戻されて入らない。本店に電話して取り替えてもらうことにしたのだが、後でパソコン本体の数少ないUSBの一つにつないでみると吸い込まれるように入って行く。これはしたりやはりハブでは力が足りなかったんだなと気づく。
すぐ連絡しておことわりしたのは勿論だが。一方ROXIOからは先日質問していた,FM放送の録音について回答がメールで送られて来る。マックの上位機種ではもう不可能だという返事だった。
アナログからデジタル変換など商売にならないということか。
私のように古い機械も温存しているものは困り果てるということはないが、進歩するということはやはりいろいろな不便さを人に強いることにもなるのだなあ。
家内は一応元気を回復したが、未だ油断は出来ない。今流行しているノロ風邪かも知れないという。
そう云えば私も少し寒気がするようだ。
部屋を暖かくして早く寝ることにする。

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2012年12月13日 (木)

掃除機

今朝ビデオカセット百枚を棄てる。月1回の収集日だから好天気で良かった。
森藤さんからお返しの携帯掃除機が届いた。恐ろしく軽くて使いやすそうだ。
ただ中国製だから耐久力と機能は使ってみないと分らない。充電に10時間、連続使用10分間は当然か。
もちろん充電してないと使いものにはならない。
すでに大分昔買ったポータブルの掃除機ががあるのだが,こちらはコードを引っ張り回さなければならない。
普通の掃除機と同じである、いや却って面倒かも知れない。
それに比べると今度のはほんとのポータブルである。
今部屋の中を自動で掃除してくれる丸い円盤状の掃除機が流行っているらしい。1年前くらいだったか、孫娘の所で動き回っていたので驚いた。
身の軽い若者でも掃除となると嫌なんだな。
老いぼれた今は自分の寝起きすら大変で嫌になる。掃除を怠るとゴミを吸って生きてかなければならない。
こればかりはどうしようもない、自分のことは自分でしなければならない。
おろそかに考え勝ちだが、重大な生活手段であることは古今東西変わりはない。
敢えて今、手軽な掃除機の出現を喜びたい所以のものである。

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2012年12月14日 (金)

思いがけぬ高い電話賃

お天道さんは昔から気まぐれだから,今日の天気が良かったからと言って明々後日の天気が良いとは言わない。

雨でも降ると最悪だが、それも天に任す以外に無い。

いつも荷物は先送りするのだが、あれやこおれや次々ととっさの思いつきに惑わされて、なかなか縄がかけられない。

天満屋に行って来たりして、ようやく送る荷物が整った所で荷造りを始める。

夕方もう4時を回ってクロネコに持ち込む。明日の午後には着くという。そんなに急がなくてもいいんだがなあ。

急がぬつもりでも身体がもろくなっていて、何でも無い所に手が当たったりして血が噴き出す。

困ったものである。

今日の郵便でソフトバンクからiPhoneの買い替え割りというのをギフト券で5000円送って来る。

中古を5千円で引き取ったということであろう。高いのか安いのか、ともかく気は心ということか。

iPhoneも老人の私には電話としての役割は無いに等しい。

FaceBookもみるだけ、音楽は聴くだけ、あまりこれと言った使い道はないことに気づかされた。

毎月の電話料は恐ろしく高くなった。正に浪費である。

先日思わぬ光電話がもの言わぬ現象が起きた時、iPhoneのおかげで連絡がついたりして助かったが、それだけではやはり高い。

文明社会は本当に暮らしよいのかそうでもないのか、古い過去を知ってるだけに、疑心暗鬼,暗中模索して生きている感じの毎日である。

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2012年12月15日 (土)

我が一巻の終わりか

今朝は雨降りだが気温は8度と予想外。

昔から12月は案外暖かい日が多かったとは私の想いではあるのだが。

明日はいい天気になるとの予報だがさあどうだろう。

東京行きの一つの理由は空から瀬戸内と富士山を眺めたいことにある。果たして望みを達し得るかどうか。

席も窓際にお願いしてあるのだが。

上京回数は今度で確か14回目だと思っている。陸軍の世田谷の幹部候補生学校で半年在住したことも1回と数えてだが。

90何年で14回である。私には遠い所なのだ。

私はメキシコ生まれなのだが,三歳の時太平洋航路を帰国の際、横浜から東京、日光見物をしたとの母親の話を聞いているから、それをいれるともう一回増えることになる。

よたよたした老耄どもが、娘達の住居を急に訪れてさぞかし煩わしいことだろうが、最後のお願いだ許して欲しい。

明日を控えて体調は万全だ。もう取り消すことはないだろう。

家内もすっかり復調したようだ。私ほど希望を持ってるわけではもとよりない。付いて流れている状態だが、ここにきて準備に忙しい。長女にも断りを入れたらしい。長女の今度の孫は”健徳(たけのり)”と命名したとのこと。彼女もいそがしくて年寄りに構っては居られない。

折から選挙もあるし,夫婦そろってお役所勤めだからそれなりの余分なお仕事も貰ってるに違いないし。

ひいじいなんぞの出る幕はどこにも残っていないのだ。

運良く飛行機がどこかで落ちてでもすると、我が一巻の終わりにでもなるのだが。

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2012年12月20日 (木)

田舎者の東京旅

朝からソフトToastのCDSpinDocterが他のソフトのインストールの邪魔をしているらしく警告が出たりして,1時間ばかりその除去に手間取る。

昨日古いMacMiniの廃棄を決めて来たばかりなのに、こんどのマックもかとひやりとしないでもない。

高機能化すればするほど、機能は繊細になる。仕方の無いことか。

昨日降りて来た岩國空港に米国の最新戦闘機部隊が配備されるなどと今朝の新聞にでかでかと報道されている。

そう云えば米軍基地には大きな工事が施工されている状況が乗った飛行機の窓からも見られた。

何だか作戦の要の位置に置かされているやにもうけとれそうでもある。

地震大国日本にその首都は見渡す限り高層建築化してやまない。何時の日か私の死後大異変の発生は免れそうもないようだ。

東京駅ですら出口をさがすに困惑した。あの混雑振りと,文明の果てしない高度化は日本人に果たして吉と出るのだろうか。

岩國から羽田まで飛行機に乗ってる時間は1時間半,羽田から狛江まで20キロをタクシーで1時間20分、なんともちぐはぐで遣り切れない時間の過ごし方であった。

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2012年12月21日 (金)

卒翁東京へ行く

お休みを戴いたこのブログ、その4日間を日記から転載さしていただく。

私の魂は依然としてこの世に残っていた。

12月16日(日)

衆議院議員選挙の日である。民主党の大敗の卦が出ているのだが、はたしてどうなるか。

ロートルの出る幕はないはずだが、一票与えられているからむだでも行使しなければいけない。

飛行機に乗るのは午後3時過ぎだから時間はたっぷりある。

あとはなるようになれである。

大竹の夢タウンで食事をして、ゆっくり空港に向かったのだがそれでも早過ぎた。

駐車場はいっぱいである。何しろ珍しいから見物客がじゅじゅつなぎ。

やっと入れて,航空券を貰う。

小さな空港だから、何も買う店も見る店も無い。

人の顔を眺めるばかりである。

見知った人が居ないのが不思議なようでもある。

老人は優先順位であることを知った。一番に乗り込んで,予約していた通り一番奥の方の窓際の席、しかし雲が多くて結局視界は悪く役に立たなかったのだが。

羽田はもう夜景、美しくはあったが人の多さに驚く。

千代に迎えられて後は付いて歩くだけ。

夕食を済ませてタクシーに乗ったのが6時、千代の家に着いたのは7時20分。賃は¥12000.

首都高速を大回りしたので,我が国の首都の夜景はたっぷり眺めることが出来た。

凄い高さのマンション群の間を抜け走る瞬間には、これで大地震でもあったらと空恐ろしくなる。

12月17日(月)曇時々雨

傘を持って,千代といっしょに神村君に会いに国分寺の丸井デパートに出かける。

ニコン出身の婿さんが手配し、席をすでに取ってくれていた寿司屋で少し待つ。

間もなく神村君の到着,7年振りに再会である。

話は戦争時代から始まる。輸送船で沈められて海を泳いだ経験から、マラリアで入院一度は内地に運ばれたが退院後原隊復帰、ウエワク付近で対戦、ニューギニア山中に逃げ込み終戦。

日本には比較的早く帰って来たという。

戦後すぐ彼の家を私は訪れたことがある。彼は未だ静養中だった。マラリアの余病で苦しんでいたようだった。

それからの彼の人生は私同様悲惨であった。幸運に恵まれことはなかった。

唯,ふしぎに今日まで永らえたことはこれまた私と同じである。

二人の子供,一人の孫、こちらも淋しい。

現在その長女と同じマンションの二階と下とでくらしているよし。

2時間位して、彼の細君がその長女の手引きで車いすに乗って現れる。よもや逢えるとは期待していなかったので感激する。

はかない最初のそして最後の会合であった。

12月18日(火)晴

タクシーで10時前松陰神社に向かう。

神社のすぐ近くで千代がめざとく桂太郎墓所を見つける。

其処で降りて,先にお参りを済ませ,松陰神社に参る。この前よりうんと整備してあって,綺麗になっていた。

タクシーで渋谷のアップル店に行く。

店内は若者達でいっぱい、盛んにコンピューターの前で店員達と賑やかになにかをやっている。

店員達はそろいのユニホーム姿で目立った動きをしている。私達にもすぐ対応してくれる。修理は2階ということで二階に案内される。

12時半の予約を取らされる。

その時の検査で修理金額も決定されるという。

仕方がないから近所の食堂に入って昼飯を食う。

間もなくケータイで連絡を取り合った圭さんが到着し、少し遅れて昼食。

終わってアップルに一緒に出かける。

結局修理賃は¥31000.ということで今更嫌だから取りやめ、分解してDVDだけ¥3500で出してもらうことにする。

一旦上野の三井ガーデンホテルに入宿して、3時過ぎいよいよスカイツリーに出かけることにする。

折から早くも夕闇が漂い始め、電灯の灯りが一段と冴えて来る。

それにしても人の波は凄い,全く留まることがない。もう数千数万と言っても過言ではない。

これほどの人数があのタワーの中腹に上がって大丈夫なのだろうか、心配になって来る。

小一時間もしてやっと350mの展望室(天望デッキという)に達する。

人で溢れ頭越しに覗き込むばかりである。

輝く帝都の夜景はさすがに美しい。しかしそれをしみじみ実感するにはあまりにも騒がしい。

光の無い宮城の森は闇にまぎれて探し出すのに大苦戦。

東京タワーは満艦飾で存在を誇示している。

息詰まりそうになったので,一周した所で下りに掛かる。

六階で一息ついて宿に向かう。

圭さんとしばらくぶりの会話が弾む。

10時寝につく。

12月19日(水)晴

上野の三井ガーデンホテルでの夜明け、快晴とあって西空には昨夜見たスカイツリーがすったって居る。

それにしても昨夜の殺人的なラッシュには恐れ入った。

押し合いへし合い、ちこう近来経験したことが無い雑踏の中の見物だった。

何とか天望デッキを一周して、東京夜景を一覧することは出来た。宮城はと目を皿にしてやっと暗がりの松の木に包まれた姿を拝むことも出来た。

ひときわ目立っている東京タワーも今となっては遥かに下の方である。

イルミネーションに飾られた二つの塔は東京の空をいやが上にも輝かせている。

ひっそりと夜の帳に包まれた宮城との対比も印象的であった。

朝8時水戸の職場に向かう圭さんを送り、9時過ぎホテルを出て、上野駅から東京駅に向かう。

新装なったクラシックな東京駅やかって私の職場でもあった東京中央郵便局ビルなどを感慨深く眺める。

朝のラッシュの中をやっと逃れて、羽田に辿り着く。東京の聞きしに勝るラッシュの凄さを今更に感じた一瞬だった。

私の通っていたころのラッシュは壊されて窓も無い電車だったが、今のは人間が壊されそうな感じである。

昼食を済ませて,出発時間の1時間前に娘と別れて乗り場の控え室に入る。後は予定通り空の旅に入る。

残念ながら富士山は真上を飛行機が通ったので見ることは出来なかった。しかし南アルプスなど雪を被った清冽な風景は二度とは見られない美しい光景だった。3時過ぎほぼ予定通り岩國に到着、途中スーパーで買い物をして午後4時帰宅する。

疲れはしたが依然として私は元気であった。

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2012年12月24日 (月)

私の開き直り

今朝の気温は零下1度と二度目の寒さ。

石油のヒーターが石油切れでつかないので、エアコンのスイッチを入れる。これが又まどろっこい。

おいそれと温もるようなものではない。

結局厚着をして食事に向かうしかない。

幸い9時頃には日が射し込み始めてやっと人心地つく。

やっぱりお天道様が一番好い。

しかし今日は結局雲が多くて、晴れ間はそう多くなく終日寒かった。

私は最近思い違いすることが多くなった。今日も竹中直人と香川照之を間違えていて,家内に指摘された。

元来人の顔なんか私にはすこぶる覚えにくい。家内は全然違うというから,益々以てどちらがどちらとも思いつかない。

これではブログなんか書いては人を欺くことになりかねない。

困ったなと目下思案中といったところである。

確かに記憶というのは曖昧なものである。誤謬があれば増幅することもあり得る。

しかし記憶したものを記録しなければ論点にもならない。

事実を裏付けるものは世の中今はごまんとある。ええままよ、今更どうなるものでもない。

可笑しいなら可笑しいでいいではないか。

というわけで,言い訳するのではないが、私のブログなんてそんなものだよと眉につばをつけて,読みたければ読んでもらいたい。

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2012年12月25日 (火)

最後の運転免許更新か

生きてるということは不思議なことだなあ。

昨日今日起きたいろいろな事件は、その気になれば皆私なりに、記憶として留めることができる。

すでにあの世に去った友たちには、かすりもしないことがらである。

人より永く生きるということは、簡単にいえばそんなことに過ぎない。

安倍内閣が出来るということも,先だって死んだ今田も若重も知らない。

古今東西の英雄豪傑も自分の死後のことは一切知らないし、その影響する所も既に手の届かぬことである。

まことに空しい。

時々咳が出て喉の調子が少し悪い、風邪を貰ったのかも知れない。

インフルの予防注射はして貰っているのだが、昨日はノロウイルスで何人か死んだ。変な病気が流行っているから,一つや二つの予防注射ではどうにもならないのか。

運転免許センターに行き、免許証の更新を受ける。

結構多かったがあまり待たされるということもなかった。

高齢者運転講習も既に受けてるからであろうか。

今度は4年後に更新ということになっている。いつの間にか法律が変わったようだ。

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2012年12月26日 (水)

東京の風邪ヴィールスを貰ったかな

とうとう風邪でダウンした。

どうやら東京で貰って来たらしい。

空気がまるで違うし,雑菌の数も問題にならないくらい多いだろうからしかたがないな。

朝食は抜きで市販の風邪薬を飲んで寝る。

昼飯は普通に食べる。

下剤も昨夜呑んでるのだが,別状なし。

風邪薬と相殺されたかな。

午後も又ベッドへもぐる。

昨夜からiPhoneで録音して来た友人神村君との会話の模様を聞く。

雑音も多いが、会話の内容がわからないこともない。

なにしろ3時間以上の録音だから,聞くにも辛抱が要る。

丁度寝て居る時間があってよかった。

淡々と話す彼の声、やはり懐かしさが先に立つ。

彼も平凡な人生を送ったのでは無かった。

90年の歳月はやはり永かった。

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2012年12月28日 (金)

明日は私の番である

井上のお父さんが昨日亡くなった。

私より一つ年上だから享年は94歳か。通って居られた老人ホームでは花形だったらしいが、やはり寿命には勝てなかった。

時たま逢うことがあって戦中の話が弾んだものだったが。

私も今日の葬式に出かけるつもりだったが,今朝になって風邪が却って悪くなっているので出席を取りやめ,家内一人で行ってもらうことにする。

老人は私くらいになるといつも老人病という病気をしているようなもので、けじめがつけにくい。

風邪にしてもそうで、熱はほとんどない、それでも喉が痛い、鼻が詰まる、重い咳がちょいちょいでる。

着るものが足りないと寒気がする。やはり病気の症状である。

スカイツリーの殺人的ラッシュは田舎者には致命的だった。

風邪は特に伝染病だから、自分のことばかり考えていてはいけない。

家内を駅まで送って出て,せいこう外科に寄る。皮下注射1本と飲み薬5日分。気分だけでも安心。

午後3時頃葬式を終わって彼女は帰宅する。家内だけでも元気で良かった。

こちらは体温37.6度と少し高い、もうふらふらである。

昼の食事もほとんど喉を通らず寝てばかりである。

汗をかいたので、下着を取り替える。

死期と紙一重の所らしい。

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2012年12月31日 (月)

末期的症状の我が家の大晦日

朝から雪になる。日本列島全体に雪嵐が襲っている状況とある。
今朝は体温も下がり、食欲も出た。
10時半久しぶりに洗面器の前に立つ。何日もほったらかしの自分のひげ面に驚く。
電気剃刀もまともには働けないらしい。
いい加減な所できりあげる。
この分ではまともな正月が来そうには無いな。
家内は悲壮な意気込みでバタバタやっている。
横目で力なく突っ立っている老耄亭主。
もう全く末期的状況といえそうだ。
11時雲間から日射しが漏れて来る。雪は止んでいる。
やはり北国とは違う、暖かさ。ありがたいことである。
午後家内のお手伝いで買い物に行く。五日市の福屋支店は家内が常連の店であるが、駐車場が小さく窮屈で大丈夫かなと思ったが運良く空いていた。
しばらくすると病気疲れが出て来て,車に戻って寝転びながら待つ。
ともあれ後8時間もすれば平成25年の元日である。なんとかここ迄来たか。

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