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2012年11月10日 (土)

海軍生き残りの同窓若重君死す

昨夕若重君が先月亡くなったと奥さんからの通知が来ている。原因は分らない。

すぐ隣の町に住んでいたが、文通以外数年も逢っていなかった。

彼は全くの幼なじみといっていい、しかも親戚である。子供の時しばしば付き合いの配り物など届けに彼のうちに使わされたものである。親父さんも海軍中尉で威厳があった。

彼はその関係もあってか海軍機関学校に進み、大戦中は転戦を繰り返した事はもちろんだが、撃沈された船から泳いだという話は一度も聞いた事が無い。もっとも機関部に居たのだろうから,一番底だし沈むときはいの一番だろうから、生存は難しい。

そういえば、彼からは華々しい戦争話は聞いた事が無かったなあ。

五体満足で終戦を迎え,戦後は地元の大きな企業の重役まで登り詰めた。

自分でもいつも同窓会で云ってたが、ほんとに運が良かったようだ。

身に備わった大人の風格が終生彼を助けたのかもしれない。

同時に海軍兵学校に入った藤村君は早々と戦死を遂げた。日本海軍だから当然の姿と見えて不思議では無い。

余談だが、戦争末期陸軍2百万を大陸に残し,海軍は殆ど壊滅した。

帰国するのにも米国艦艇などの協力がなければならなかった。

唯一残っていた戦艦長門は米軍に接収され,原爆実験で露と消えた。

最後の沖縄特攻作戦まで、元気で戦い抜いた駆逐艦雪風は私達帰国兵を上海から運んでくれていたが,間もなく中国海軍の主力として引き取られたということである。

惨憺たる日本海軍の末路を語る元気は彼にも無かったのだろうか。

同窓会で生き残りの戦士ばかりのなかで、戦争を語るのはいつも陸軍ばかりで、若重一人の海軍はいつも聞き役を努めていた事を今思い出す。

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午後2時からさくらぴあで映画「別れの曲」と近藤嘉宏のピアノリサイタルがあり、鑑賞に出かける。

「別れの曲」は何しろ昭和10年に始めて日本で公開されたという年代物で、当時名画と言われた。私も承知している。当時は未だ中学生で映画は見る事を禁止されていたので、後年中学を出てからお目にかかった覚えがあるが、内容は全然覚えていない。

雨降り映画の見るに堪えない映画かと思っていたが,案に相違して綺麗な白黒映画で、肝心な音楽はボリュウームを挙げてくれたのか結構聞き応えがあった。

俳優なんかは一人として知っているものはいない。

筋書きもしっかりして,なかなか良い映画であった。

昭和10年のキネマ旬報のベストテン第8位にランクされたという。

保存が随分良かったのであろう。

近藤嘉宏のピアノは殆どショパンもの9曲だったが、やはり久しぶりの名曲生演奏だったから,堪能した1時間であった。

ピアノは古めかしくどこから持て来たのであろうか、音はしっかりしていたから文句は言えないが。

又ショパンはポーランド人だが、どうしてかこのフランス映画を広島オーストリア協会主催とあった。

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