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2012年11月30日 (金)

岩國空港開港の日近し

テレビや新聞で盛んに岩國空港開港の宣伝報道を流している。既存の広島空港やJRに悪いなと済まない気がするほどである。
昔を振り返れば、今度廃止が決まった広島西飛行場にも思い出は深い。
1968年頃から九州各地に出張店を開設し,忙しく行き来していた時期が数年続いたことがあった。
当時は高速道路なんか無かったから,普通の国道を大型トラックと先を競いながら夜を徹して走ったものである。
丁度世界一加速の効くロータリー車サバンナが発売された頃である。
4、5台連なって走る大型車を,一瞬のうちにごぼう抜きし去る快感は未だに脳裏に残っている。
(もっとも夜間でもパトロールカーに何度も捕まったが)
普通道路は渋滞が酷く、ものの用をなさなくなっていた。
急用が起きれば飛行機で福岡まで飛んだ。その日のうちに引き返せた。
がしかし、時代の変遷は激しい。
思うに高速道路、新幹線そして高速長距離バスと飛行機も強敵は次から次へと目白押しだったわけだ。
今回の岩國空港開港は思わぬ漁夫の利で生まれたわけだが、廿日市に住む私にとっては願ったり叶ったりでまことに有り難い。
米軍が居るおかげで、ときどき臨時にあちこちと不定期に飛んで行く事は昔から何度もあった。
しかしこんどは定期便とあってしかも羽田に4往復である。どのような成算があっての事か。
新空港のすぐ近くには家内の里があるし、空港敷地もそのごく一部は軍用基地用地として戦時中徴用された、成れの果てとあって因縁浅からぬ場所である。
東京行きの下検分に近く出かけるつもりにはなっている。もっとも今度行けば3回目になるのだが、前の2回は工事中とあって途中で止められてしまったから、中へ入れれば始めてということになる。
両親の眠る墓もすぐ目と鼻の先にある。
魂あればこの光景を何と感ずるであろうか。
米軍には何度も袋だたきにあった重要な飛行基地だった。もっとも沖合の柱島周辺が連合艦隊の投錨基地だったし、ハワイ攻撃の主力の出発基地でもあった。
終戦前日の8月14日には近くにあった私のうちも大空襲を受けて、新築して16年目の我が家そして8年目の土蔵は木っ端みじんにされてしまった。
恨み深きこの地、何時の日か米軍に国に帰ってもらい、立派な地方航空基地として復興して欲しいものである。

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