« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月 1日 (木)

大局観の相違

昨日の首相の所信演説に対する安倍自民総裁の質問演説は近来に無い迫力が感ぜられた。日米同盟強化を呼号し,日教組をなじった。
明らかな右翼的発言である。
対岸の国々は苦い顔をしただろう。
先に新聞発言では靖国にも参拝すると広言している。
尖閣などでもつれている外交に一波乱ありそうである。
もっとも未だ野党だから,国民の動向如何だが、北朝鮮は却って喜びそうだな。
拉致者たちを還してくれれば尚良いんだが。
このブログで何時かも云ったように、西郷が勝と計って江戸攻めを中止した。木戸が毛利や島津を説いて藩を奉還せしめた。これらはその大局観にもとづく所行に他ならない。
国の動向はこの一事で決定した。
翻ってその裏面を覗くと、勝に全権委任した慶喜、木戸等を信頼した毛利,島津の殿様達にその覚悟が出来ていたという事だろう。それぞれに大局観がすぐれていたということである。
日本の対外政局観が今問われている。
適切な行動が行えるのは果たして誰か,難しい局面に立ち至った。
アメリカの大統領選はメディアの粋をこらして激戦を演じているかのようである。
どちらがどうとも言えない。嘘もまことも入り交じって正に泥仕合を演じているともいわれる。
庶民には全く分り辛い選択を迫られているようである。
極論すれば民主主義の弊害とも弱点ともいえそうだ。
いずれも最善を尽くして結果を待つ事になるわけか。所詮は人智の立ち入る隙はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 2日 (金)

パスワードに泣かされる

広島総合病院一番乗り。

この次は来たら先ず血液検査をして貰えと言われる。

結果をみて診断するつもりらしい。診断は1時間後に設定される。

東京行きの前だからちょうど良いかも知れない。

出直してガス展を見に行き、エディオンにムービーカメラの修理が出来たというから取りに行く。

充電器の故障だったらしく取り替えてくれる。

永く愛用していたキャノンプリンター調子が少し悪くなっていたので,買い替える事にした。

スキャナー兼用だから便利は良い。

何よりは無線LANが可能なのがいい。配線を引っ張り回さずに済む。

あっというまに夕方になる。無線接続というのは案外面倒なんだな。パスワードがはっきりしないとどうにもならない。WIFI機のなんて覚えてなんか居るわけ無いし、幸い手許に記録したメモがあったから助かった。

最近はパスワードが腐るほどあって、混乱して困ったものだ。

Gメールなんか作るのでは無かった。使いもしないのに再三再四パスワードを入れろと催促が入る。

今度のプリンターもパスワードに泣かされることにならねばよいが。

PCだけでなく、iPhoneやiPadでも使いたくて買ったのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 4日 (日)

選挙とスポーツが騒がしい

巨人が日本ハムを4勝2敗で片づけて日本一となった。今年は投手力が良かったし,打撃も凄かったし実力が抜きん出ていた。番狂わせを望んだ一人だが,実力の差はどうしようもなかった。
アメリカではジャイアンツが圧倒的に強かったが、詳しい事は私は知らない。
ただ両国ともジャイアンツが一番というのは分りよい。
アメリカは大統領選挙が沸騰して、外の事はかき消されてしまった。
言論の国といっても、虚言もまぎれ飛ぶ凄いものらしいが,実弾が飛ばないだけはましかもしれない。
高校野球の秋の選手権大会は岡山の関西高校が広陵高校を破って優勝した。
打線が終始ふるって、どの試合も圧倒して勝ち進んだ。
来春の選抜では活躍する事間違いなしである。何しろ俊足好打の1番から9番まで隙がない。
今年は広島から1校も選抜に出られなかったが、来春は広陵が間違いないだろう。今日の決勝の一度は逆転リードしながら,善戦したのだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 5日 (月)

何もかも新式プリンター

プリンターを買い替えた。

機能は増えて、無線でやり取り出来るのはいいが、それ相応に準備段階がややこしい。

メーカーに聞いたりしてやっと落ち着いた感じ。

普通の事をしている分には大して変わりはないのだが、変った機能を駆使しようとするとやっぱり面倒らしい。

いろいろある機器に応じて,電波を飛ばしてプリントするとなるとやっぱりただごとではない。

出来るとあればやってみたいし、老骨の出る幕ではないと言われそうでもあるし。

考える事が多過ぎて時間の経つのが恐ろしく早い。

我を忘れて没頭すると、我に返ったあと震えが止まらない。

血が頭に集中して、体内各所をめぐり忘れたらしい。

あわててセーター1枚を増やす。

窓外は秋雨だけショボショボと水滴を残し、寂として物音ひとつ聞こえない。

時折遠くカラスの鳴き声が聞こえる。

目がなければ文明世界も夢のごときものであろう。

考えてみると私は愚かな老人である。古き事にしがみついて、それでもなお新しさを希求し、この狭き寝所の4畳半に3つのパソコンを引き回し、なお2台のプリンターを置かんとする。

机はキャスターで動き,人はキャスター付きの腰掛けに乗って動く。

頭の中もぐるぐる回る。疲れなくして終わらない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 6日 (火)

昭和15年に蒙疆に就職していたら

いい天気になりそうである。靄の中から紺青の秋空がどこまでも広がっている。

万里の頂上で邦人が3名遭難して亡くなった。反日空気の強い中で勇敢というか,無謀というか、同胞達の甘さが露呈された感じである。

張家口といえば、昔蒙疆政府があったところで、私が若き日就職を一旦は志した所だった。

私の幼き認識ではあの勇敢な蒙古の前線基地だった。

当時内地では月給50円未満だったのに,月給500円というのが魅力だった。

結局満州国新京で月給160円に落ち着いたわけだったが。

当時は就活に困る様な時代では無かった。

この政府は終戦とともになくなったが、もしこちらに就職していたら私の人生はその時点で終わっていただろう。人の運命は実に不可思議である。

それにしても大陸の気候は昼夜の温度差が激しく、一筋縄ではいかない。

案内の現地人すら大雪を予想しなかったというのだから、不幸である。

新京でも東満でも凍死凍傷事件はよく起きた。怖さは数年間の経験だが身にしみている。

暖をとる方法が無ければ、死へ正に一直線である。

下記(ウイキペディアより)

 

蒙古聯合自治政府

Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 7日 (水)

オバマ大統領再選

オバマ前大統領が再選された。選挙人の数では圧倒的だったが,投票総数では殆ど差が無かった。

不思議な選挙である。選挙人を負けた州はゼロにしないで、比例代表と言う手もあるのだが、これでも投票総数と勝敗とは違って来るかも知れない。

ルールとは考えてみるとおかしなものだな。

考えてみると選挙そのものがおかしな制度である。心から信頼して投票するものが果たして何割いるだろうか。

投票した後すぐしまったと後悔する人も数多い事だろう。私自身そんな経験がなんどもある。

アメリカも選挙を終わってみれば何となくやっぱりそうかとうなずく気持ちになる。

世界情勢には大きな変わりはないわけである。

はて、今度は日本の番だがどうなることやら。二大政党のままで無くなるかも知れない。

ねじれというのは政治を混迷さすものだし、ひいては国の存在を衰弱せしむるものではないか。

二院制度の欠陥ともいうべきかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 8日 (木)

金権政治

今朝の天風録を読むと,この筆者にもオバマから英文メールが届いているという。

末尾に「5ドルからの寄付を」とある。日本の閣僚は外人の寄付を貰って辞職に追い込まれたものがいたが、米国では関係ないのか。

金権大国アメリカだから,金の動きは凄いらしい。日本流に言えば金に塗れた選挙というべきで、226事件を誘った腐敗政治の根源となった昔が思い起こされる。

あの時正義を呼称する青年将校達は「財閥富を誇れども社稷を思う心なし」と断じ、「ああ人栄え国滅ぶ,盲いたる民世に踊る」と昂揚し、政府高官暗殺に走った。

現在はアメリカだけでなく中国でも激しいらしいが、日本は幸いに彼等ほど金権志向は強くない。

言われるまでもなく金は百害の頂であることは昔も今も変わりない。

ただアメリカの蓄財は公私まんべんなく運用されて、政権ばかりに注がれているのではないようだ。

近年ノーベル賞受賞者も圧倒的にアメリカが多い。その貢献もこの財力による事が多いと聞いている。

要は金も使い方次第だということらしい。

金の使い方を知らない私は金運はからきしなかったが、健康だけはこの歳まで非力ながらも維持し続けた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月 9日 (金)

今二宮尊徳の倹約と工夫

国民年金法案が成立する公算が高くなったとの新聞記事が目につく。

折から公債法案も十日先には成立する見込みらしい。

負の法案ばかりで景気とは縁遠い。

テレビが売れなくなって家電業界は軒並み売上げ減とある。

人口も減り始めたから、何もかも減少傾向一途。

昭和の初めの不況は軍需景気が吹っ飛ばした。私などはその申し子である。

現在は少しはきなくさい臭いはするが、其処までは行き着くまい。

底の見えない世界大不況はもはや間違いない所である。

空意地張らないで、身を縮めて暮らさざるを得ないのではないか。

その方策なきにしもあらず、二宮尊徳時代から学んだ倹約と言う美徳を忘れてはならない。

個人だけでなく公も会社もおしなべて工夫するときである。

無駄をなくすれば、電気も少なくて済むし,ガソリン消費も減る。

いざとなれば食事も減らす。飢えなければそれでよい。

そして改めて屈伸の時期をまつべきである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月10日 (土)

海軍生き残りの同窓若重君死す

昨夕若重君が先月亡くなったと奥さんからの通知が来ている。原因は分らない。

すぐ隣の町に住んでいたが、文通以外数年も逢っていなかった。

彼は全くの幼なじみといっていい、しかも親戚である。子供の時しばしば付き合いの配り物など届けに彼のうちに使わされたものである。親父さんも海軍中尉で威厳があった。

彼はその関係もあってか海軍機関学校に進み、大戦中は転戦を繰り返した事はもちろんだが、撃沈された船から泳いだという話は一度も聞いた事が無い。もっとも機関部に居たのだろうから,一番底だし沈むときはいの一番だろうから、生存は難しい。

そういえば、彼からは華々しい戦争話は聞いた事が無かったなあ。

五体満足で終戦を迎え,戦後は地元の大きな企業の重役まで登り詰めた。

自分でもいつも同窓会で云ってたが、ほんとに運が良かったようだ。

身に備わった大人の風格が終生彼を助けたのかもしれない。

同時に海軍兵学校に入った藤村君は早々と戦死を遂げた。日本海軍だから当然の姿と見えて不思議では無い。

余談だが、戦争末期陸軍2百万を大陸に残し,海軍は殆ど壊滅した。

帰国するのにも米国艦艇などの協力がなければならなかった。

唯一残っていた戦艦長門は米軍に接収され,原爆実験で露と消えた。

最後の沖縄特攻作戦まで、元気で戦い抜いた駆逐艦雪風は私達帰国兵を上海から運んでくれていたが,間もなく中国海軍の主力として引き取られたということである。

惨憺たる日本海軍の末路を語る元気は彼にも無かったのだろうか。

同窓会で生き残りの戦士ばかりのなかで、戦争を語るのはいつも陸軍ばかりで、若重一人の海軍はいつも聞き役を努めていた事を今思い出す。

  __________________

午後2時からさくらぴあで映画「別れの曲」と近藤嘉宏のピアノリサイタルがあり、鑑賞に出かける。

「別れの曲」は何しろ昭和10年に始めて日本で公開されたという年代物で、当時名画と言われた。私も承知している。当時は未だ中学生で映画は見る事を禁止されていたので、後年中学を出てからお目にかかった覚えがあるが、内容は全然覚えていない。

雨降り映画の見るに堪えない映画かと思っていたが,案に相違して綺麗な白黒映画で、肝心な音楽はボリュウームを挙げてくれたのか結構聞き応えがあった。

俳優なんかは一人として知っているものはいない。

筋書きもしっかりして,なかなか良い映画であった。

昭和10年のキネマ旬報のベストテン第8位にランクされたという。

保存が随分良かったのであろう。

近藤嘉宏のピアノは殆どショパンもの9曲だったが、やはり久しぶりの名曲生演奏だったから,堪能した1時間であった。

ピアノは古めかしくどこから持て来たのであろうか、音はしっかりしていたから文句は言えないが。

又ショパンはポーランド人だが、どうしてかこのフランス映画を広島オーストリア協会主催とあった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月11日 (日)

同盟継続の意義

朝から雨,起きるのが面倒だ。新聞を取りに出ると風も冷たい。

先日内藤医師の勧めもあってピロリ菌の駆除という薬を飲み始めている。ピロリ菌が随分多いのだそうだ。

カプセルなど5錠という、口1杯になる量を一日2回呑む。

今朝は昨夜の薬が未だのど元に出て来て苦い。

朝食はとうとう半分残す。

昨日の新聞のオピニオンに半藤一利氏が吉田ワンマンのお託宣という若き日の経験からの一文を載せて居られる。同盟の継続の価値についての発言である。

日英同盟はロシアとの戦いのときは大いにその恩恵を蒙った。しかし第1次世界大戦では欧州の戦にイギリスに顎で使われた。割にあわないと云って破棄した。

そして今日米同盟である。60年間いろいろあった。

今も事情はほとんど変わらない。

沖縄の長期駐留、オスプレイの配備、今米軍嫌悪の槍玉に挙がっている。

もし日米同盟の破棄に繋がれば、半藤氏の言うように影響は簡単ではない。

まだまだ国民の半数にも達していない,この動向は多民族の不平等感に揺れ動く中国同様、我が国が抱えている内紛を蔵している深刻な、熟考を要する問題と私も感じている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月12日 (月)

FaceBookに困惑

FaceBookというのにいつの間にか入らされてしまった。タダだからかまわないが、最近友達になりたいと称する人たちがわんさと押し掛けて来てどうしたら良いんだと,私は一人でぐちっている。
勿論誘い入れたのはどうやら山崎君のお孫さんらしい。山崎君は殆ど同年齢だったからじじいと孫の関係である。友達と云っていいんだろうか。
もう一人私をこの場に引き出したのは今度は私の孫らしい。留学していた時私の事をしゃべったのか、留学先の大学生が何十人も顔を並べている。
それに加えて、どうしたわけか私の住所録あたりか、メールの記録から盗みだしたか、親戚や友人の名前まで候補に登っている。
こうなるといささか迷惑である。
それでなくても、隠居を公然と称し、年金暮らしで杖がなければ人並みに歩けない,正真正銘の老耄である。すでに死骸は白菊会に予約してある。まち続けているのは死だけである。
友達を作るなどと云った段階はとうに過ぎ去っている。
やめたくなっているのだが、彼女達が盛んに投稿して現況をしらせてくれる。
孤独なだけにそうした身近なものたちの消息や考えは知りたい。
ままよこのまま放っておくかということになったわけ。
FaceBook当局からは、メッセージが届いているから何とか言えと再三催促までくるのだが、目下だんまりを決め込んでいる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2012年11月13日 (火)

年寄りの冷や水

昨夜は便秘気味になってたのを下剤ですっかり流す。真夜中にひと騒動する。

老人とはこんなことが仕事か。

夜中からバタバタしたので,朝飯が終わると又一寝入り。

iPhoneのアプリの多さに驚いている。

懐中電灯が付いてたり,歩数計もある。パスブックなどここらでは必要ないが東京、大阪などでは便利だろうなと思ったりする。

いろいろ使っているうちに、これは若者の道具で老人の持ち物ではないなとも思えて来る。

実に行動的な道具である。

残念ながら私には宝の持ち腐れらしい。

単純に携帯電話のつもりで居たが、もったいない事であった。

ついでに老人の冷や水をいうと、ケータイを持っていても使う相手がない。いざ話しかけてもツンボになったからお互いに聞こえない。騒がしいところでは使えない。

家内のケータイとも必要なときにはとかく持ち忘れて行く。慣れない事だから,其処まで気が回らない。

結局役に立たないということだ。

Facebookも入会はしたけど、友達になりそうな老人は居ない。

若者相手では話が合わなくて嫌われちまう恐れが多い。

これ又冷や水の一つがふえたなと後悔しきりの今日この頃である。

只このFacebookなるものは、消息をこまめに送り出してくれて、それを読むのは面白い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月14日 (水)

いよいよ冬の到来

今朝は気温が6度3分くらいで寒い。奥の方では雪が積もり雪かきが行われたりするテレビが見れる。いよいよ冬だなといやでも感じざるを得ない。

ガス屋さんに来て貰って、ガスストーブを一つ付けてもらう事にした。工事は20日になるとのことである。

今朝の気温で見ると少し遅かったかなとの思いもする。

今までは灯油ばかりに頼って、ガソリンスタンドに通っていたが、最近だんだんそのスタンドも無くなって,便利が悪くなった。しかも年齢のせいで、重さも苦痛になって来た。

家内が台所が寒いとこぼしていたし、台所にいる時間は非常に永いので、元々配管のある、点火がすぐ出来るガスがいいと判断したわけである。

電力会社は盛んに電化を宣伝しているが、いつかの台風で3日間電灯は愚か,電話、パソコンまで使えなくなり、非常に不便な目にあった経験から,業者が言う様なオール電化にはしたくないので、少し高く付くかも知れないが,今度はガスのお世話になる事にした。

当時お風呂も電気温水器だったから、困ったのだが、追い炊きのガス管が入っていたのでそちらは助かった。このことで一つだけに頼る危険が身にしみたし,対処の仕方も学んだわけだった。

せんだっての東北の大震災をみても、このことは言えると思う。

文明というのは時に非情である。山村は不便だというが、老いの目で見ると必ずしもそうではない。

しかし、医者不足とか,交通不便とかいろいろあるけど、野生動物ばかりの相手とくらすわけにはやはり行かない。

時代の流れと言うか、過疎という現象はもう老人を含め、人間の生存方式の問題と化し復元する事はないだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月15日 (木)

気になる私の死後の政局

同じ年生まれの森光子が10日に死んだという。

つい先だっては同世代の高峰秀子も死んだ。

死は必定だから、免れる事は勿論出来ない。

今年は特に多くの友を失い、嫌でも死神が枕元に立ちはだかっているのを感ずる。

昨夜は31度の気温の中で日本サッカーチームはよく戦った。

最後は引分に持ち込めば良いと守備を固め、歩く姿が目についたが、試合終了間際交代出場の酒井高が勢いよく左を駆け上がり、球を送られた相変わらず元気な長友がつないでゴール前に流した。

飛び込んで来た遠藤や岡崎が彼我入り乱れての混戦の中最後は岡崎が蹴り込んだ。

正に幸運な決勝点であった。

高温になれているオマーンの選手も日本の素早いパス回しに疲れて、動きは鈍く終始ロングパスを多用したけど,正確度が悪く,日本選手に拾われる事が多かった。

負ける心配はしてなかったが、高温はさすがに熱帯直下の国民の方が遥かに有利な条件であった。

議会解散を明日にと野田総理の突然の決定は与野党唖然とする中に行われた。

凄い決断だった。

勿論号外も出たであろう。

評判はよくなかったが近年出色の総理だったと思う。ただ手足の閣僚などに人物が乏しかった。

選挙後の状況は誰にも予測出来ない。

果たして誰が後継を担うのだろう。

日本の運命はいたづらに内紛を続けて良いわけは無い状態だ。

余命少ない私にはその先がひどく気になる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月16日 (金)

喪中年賀遠慮通知

神村君と同じく中学、高商同期の田淵君の喪中通知が奥さんから寄せられた。

8年間も一緒の学生生活を送ったのだから、並みの付き合いでは無い。

戦後は職場が遠く離れ,年賀状以外の交際はほとんどなかった。

それでも両校の同窓会が行われるたび、私は休む事はほとんどなかったから,彼がたまに出席する時は久闊を叙して止まなかった。

後には上場企業の重役まで昇進し,関連商店の社長に招かれたりして、栄光に満ちた生涯を送ったというべきだろう。

折角だから今日奥さんに悔やみをかねた手紙を書き送った。

同伴で同窓会に見えた時一度お会いした事はあるのだが、もうおいぼれた私の脳裏にはその姿の片鱗も残らない。

誰しも死者を送る気持ちは同じだから、それなりの感情が込められない事は無い思うのだが。

彼はいつも私より成績が上位だったし、家業の都合だろうが、日本舞踊が得意だったので,その容姿に憧れたりした事があった。

未だに寮生200人の慰安旅行の大会余興で一等になった狐忠信の舞踊の写真が私のアルバムに残っている。

悲惨な戦争被害にあった私との格差は戦後広がるばかりで、彼はもう手の届かぬ所にあった。

羨ましいだけの存在だったかも知れない。

終わりよければ皆よし。波乱の人生を全うした事はお互い同じだ。

おそまきながら彼より一つまさった事は今度長生きをしたことになったことだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月17日 (土)

吉川三代の史料展

昨日急に思い立って、昼前から岩國の吉川史料館の吉川三代展を見に出かける。

武将達の自筆の書状のかずかずに驚く。初代広家、三代広嘉、そして幕末の十二代経幹の三人である。

それぞれ歴史の上に著名な足跡を残した殿様ばかりである。

朝鮮の役で武勇の名を挙げ,関ヶ原で小早川秀秋とともに徳川に呼応してその勝利を確実のものとした広家、錦帯橋を作って今も世界にほこる美形の橋を残した広嘉、そして幕末第一次長州征伐に三家老の首を携えて、勝海舟との宮島交渉に臨み,征伐を中止せしめた経幹のそれぞれその経緯の書簡にはずっしりと史実の裏付けの重みを残している。

帰路紅葉谷公園のやや盛りを過ぎた紅葉を観て帰る。

平日に拘らず団体客が多くこちらは賑やかであった。

徴古館、史料館から錦帯橋、紅葉谷まで歩き回ったので,久しぶりに足が痛い。

帰ってから昼寝の睡眠中ひどいけいれんが来てしまった。

今朝は、夜半からかなりの量の雨らしい。

しとどに濡れた庭先の新聞を取りに出るのも煩わしい。

気温は14度だが,若干風があって寒い。

昨日僅かに散策した岩國の紅葉見物が応えたか,ふくらはぎが一晩中痛んで揉み解すのに苦労した。

今日はもうどこにも出る気はしない。

幸い午後2時からサンフレッチェ対レッズのサッカーのテレビがあるので、こたつに入って見物する。

今日はサンフレッチェよりはレッズの方が遥かに出来がいいように見えた。

中間で皆レッズの選手に球を奪われてなかなか前線に届かず、さすがの佐藤もどうしようもなかった。

マークのきつい中、数回のシュートも惜しくもゴールを外した。

地元とあってレッズの気魄勝ちと云ったところか。

レッズも残りの2試合を連勝すれば、優勝に並ぶチャンスはある。

もともとその力のあるチームだから奇跡ではない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月18日 (日)

町内道路清掃の日

町内の道路清掃の日、通知は早くから来ていて,家内は朝早くから手足の痛いのをかばいながら出たり入ったりしている。

身体ままならぬ私はもう自ら出る気を放棄している。

近所の二軒は空き家だし,吹き寄せる落ち葉は誰かが除去しなければならない。

後二三年もしたらどうなることやら。

老人ばかりのわが町もしんとして人声は聞こえる事が無い。

聞こえるは、ときに雨戸を叩く風の音か、犬の遠吠えばかりである。

隙間の無い程建て込んだ団地の住宅街とはこんなものか。

出来上がるまでは大変な活気だったろうが、完成した数十年後の今日は経済の活性に繋がるものはなにもない。

棄てた故郷の農村は野獣のすみかと変遷するばかりで、日本経済を復元する素材とは到底なり得ない。その野獣達も人の捨てる豊富な餌を求めて,人間の住む都市部に侵入してきつつあると今朝の新聞で伝えている。

人口集中は益々稠密化し、人間社会生活のバランスを失いつつある。

このまま座視する道しか無いとすると恐ろしい限りである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月19日 (月)

成長はなくとも垂範の責務

成長の反対はなんというのだろう。
最近つくづく老衰による能力低下をあらゆる場面で感ずる。
通常の体力はもとより思考力まで低下した。只感情のもろさはひどくなったようだ、一寸した刺激でもすぐ涙が出てしまう。
私の幼時を振り返ってみると,私の身辺には両親の親達が夫々健在で、私に対する関心も深く、別世帯ではあったが,他の子供達と愛情の差別を感ずる事は無かった。むしろ一番深かったかも知れない。
皆80歳代まで生きたから当時としては長寿であった。
父は59歳で病死したが、これは当時大旱魃で公私ともに重なる過労による不慮の死と云える。
母は89歳まで生きた。
しかし私はなんとした事だろう。まもなく93歳にならんとしている。
変な言い方かも知れないが、90歳を過ぎて如何に成り行くのか,自ら改めて子孫の為に範を垂れる事になったことを感ずる現在である。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月20日 (火)

私の生死の哲学

家内が嘔吐、下痢を今朝したらしい。風邪が入ったかなと云っている。
元来胃腸が弱いので心配である。
食事も量はほとんど私と同じである。調子を合わせているのかと思ったりするのだが、私より9つも若いのだから,もう少し元気よく食べてくれないと困る。
私は尻からの下剤が効いて,昨日また腹の中を一掃した。
ほとんど5日置きに下剤のお世話になることになってしまった。
それで胃腸の状態はまことに良好である。
自力で出来ないがもう仕方がない。
食う事出す事、いずれも大事な機能である。息をついている限り続けないと淋しい。
何のため生きてるのか自問することもあるが、別にことさら求めた気はしない。
戦争中危機一髪のときも神は私を生き残した。いつのときもあなた任せである。
苦しみだけはごめんだと思っていたが、それも今となっては仕方がないかなと思い始めている。
十年も前に死体を大学の研究に供する決心をしたのと同様に,最後までの生き様を良い悪いに関係なく人様の眼前に晒してやろうというわけである。
難しく云えば、私の生死の哲学ということか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月21日 (水)

快熱器

何年振りか、快熱器を引っ張りだして、右膝の治療を始める。ここ数日どうも右膝が痛み始めて歩くのに自信が持てないからである。
患部をやけどしない程度に温める単なる温熱器具なのだが,私には良く効く療法なのである。
ただ時間がかかる。今日も一時間で打ち切ったが、もぐさはまだ10分程度残っていた。
数日は気永く対処しなければならない治療法である。
若いときからの体験療法で先ず間違いなく一応は痛みは取れる方法である。
親など一世代前までは盛んにお灸を据えていた。これは熱いので子供の頃一二度据えられてからご遠慮申し上げている。親達ほど我慢強くないせいだろう。
それにやけどの跡も残るしなあ。
東京の娘から、16日上野の宿で待ち受ける筈の婿が、選挙のため休まれないことになったので、18日にしてくれと云って来る。こちらはどうでもいいことだから別に問題は無い。
スカイツリーに昇る日が18日ということか、休日でないから却って楽だろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月22日 (木)

宮島のもみじ

雲がすっぽり空を覆って夜がなかなか明けない。
朝の気温は9度だからまあまあであるのだが。
天気が良くなったので宮島の紅葉を見物に出かける。
想像以上に人出が多く、ヨロヨロと歩く私達老夫婦はやはり邪魔なようだ。
人ごみを避けるのに苦労する。
先に昼飯を食って、逆戻りして、紅葉谷に入る。
もうほとんど落葉して跡形も無い木が多くがっかりする。
今年はいつもより早かったらしい。足の裏が痛くなったので山歩きは止めて引き返す。
つくづく体力が落ちたなあと感ずる。
早早に帰路につく。老耄の出歩く所ではなさそうだ。
Photo

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月23日 (金)

私のソッキョウさ

昨夜は無理な歩きが触ったのか,けいれんが2度3度と来てベッドの中をのたうち回った。
朝早く今度は下剤が効いて,腹が渋り出しこれまた一騒動。
あまりいいことないなあ!
今朝は雨は降らないが雲が多くさえない天気。
ところが昼前突然雲間を破って太陽が熱い顔を出す。
分んないね,今頃の天気は。 
太陽が顔を出したのは結局10分か15分かその程度で,終日雲に閉ざされたまま一日過ぎそうである。
幼少の頃,母にソッキョウな子だと良く云われた。よくは理解出来ない言葉だったが、私の行動が軽率で,思慮に乏しいということらしかった。
絶えずそれを裏付けるような失敗をしでかした。
まだ小学校にも行かない頃,よその軒下につながれた猿をからかっているうちに食いつかれて,足の皮膚の一部を食いちぎられたことがあった。
また、となりの畠の境に鉄条網が張ってあって,それを飛び越えて中を通り抜けようとして,目測を誤り,足を引っ掛けてズボンもろとも大怪我をしたしたこともあった。いづれも永い間キッポになって傷跡が残った。
潮前の水門の側の深みにはまって溺れ,危うく水死するところだったこともある。もちろん近所に居た年上の子が助けてくれたから今日があるのだが、誰だったかは覚えていない。
その他うっかりミスの失敗談は限りが無い。
戦後人に騙されて財産を失ったのも、手がけた事業もほとんど成功しなかったのもやはり私のこの性格が原因だったらしい。性格というのは一生変らないといってよさそうだ。
それでもこんな歳まで生きられるのだから、歳の神様もいい加減なものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月24日 (土)

サンフレッチェJリーグ優勝

朝気温は10度と思ったほど冷たくはない。
雲が多いから昨日同様日中は暖かくないかも知れない。
もう冬になってるのだろうから、もっと寒くても仕方の無い所、紅葉見物も冬の服装が多かった。当日は思いがけずいい天気だったから上着を脱いで提げて歩いている人が多かったが。
若いときと違って、気候の変化にはとみに敏感になっている我々老人は,日々うるさいほど暑い寒いが口から自然に飛び出して来る。
当然脱いだり着たり、激しくなる。それが仕事みたいなものである。
思い起こすと、我々戦中派は何事に付け我慢を強いられた。食うものから起居動作に至るまで、現在の様な自由奔放は許される環境には無かった。
物資の乏しい島国だから、海上を封鎖されたあとは大げさに云えば餓死へまっしぐらだった。
今無気力に気ままな暮らしを謳歌しているのは,その反動といえなくもない。
今日も外食を兼ねて買い物に出る。掃除機につないでいる配線が切れかけたり、熱を持ったりしているので皆替える事にしてヤマダ電機に行く。
サンフレッチェがとうとう地元でリーグ優勝をもぎ取った。
前回の固い動きが嘘のようだった。満員のサポーターの声援が効いたのだろう。
Jリーグになる前の歴史と伝統に輝いた時代を知ってるだけに,永い不振の時代が不思議な感じすらする。初優勝なんて信じられない。
こうなるのが当然だという気すらする。今後とも絶えず優勝戦線に連なって欲しい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月25日 (日)

サッカーの地方普及

Photo 昨夜のサンフレッチェの快挙、余韻嫋々として今日につながる。
地元新聞が大きく紙面トップに写真入りで伝える、保存せずんば非ずである。
何故か野球と違って中央都市圏に集中して,覇権が行き交っていたが、今年やっと仙台、広島と遠く離れた地方のチームが活躍し続けた。
就中、鳥栖の善戦は特筆に値する。
地方チームが食ってくれたからこそ、広島の優勝も醸成されたということもできそうだ。
女子サッカーにも刺激されたか,今年は特に多くの地方チームが誕生し始めたように感じている。サッカーは所謂大きく富める国,都市のものだけではない。
発祥の地イギリス、欧州から、もはや離れんとしている。
今後の動向を日本ばかりでなく,世界に広く目を向けていたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月26日 (月)

冬雨の中もの思う

夜来の雨が降り続く。
冬雨の底冷えする侘しさ,心身共に活力をどこかに持ち去られた気分。
今年ももう終わりだ、死後の後始末を家内にさせなければならないが、パソコン関係などは家内には無理だ。やっぱり娘等に書き残しておかなければならないだろう。
ネットプロバイダーにも脱退手続きがある。
まず白菊会に連絡して死体を引き取ってもらわねばならない。
社会保険、銀行,保険関係、等々。
なにげなく過ごして来たが、何も出来ない老人でもこの世を去るにはそれなりの作法があるようだ。
ぽんこつ同然の車でも、まだまだ健康である。
オートではないから孫達には無理かも知れない。廃車にすれば費用を取られる。
千代か婿等のセカンドカーならまだまだ使える。
部屋の中には雑然と私の生のあかしがうずたかく積まれている。いつだったかテープ類を処理しかけて身体を悪くして苦しんだ。
家内は早く始末を付けろと盛んにいってたが、もう遅過ぎたようだ。こんなに急速に衰えが来ると思わなかった。
もう自分では始末が到底出来ない。
かといって、ゴミと一緒に無駄にしてもらいたくないものも数多くある。
子や孫に跡を託す他なさそうだ。
婿達が何より信頼出来る事が幸せである。安心して成仏出来そうである。
考えたくないがこのだだっ広い家に一人で住むなど,とても無理だと思うと、お先真っ暗だが、まあ誰も後継者のいない家庭では無いことはまだ幸せというべきか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月28日 (水)

J リーグの新風

今朝の中国新聞スポーツ欄に「低予算の快挙 J に新風」の文字が見える。
私がかねがね思っている事を云ってるなと会心の笑みが自然に出る。
言わずと知れた今は金の世の中である。政治経済文化文明あらゆるものを牛耳るものは残念ながら金である。
日本もオリンピック金メタルに賞金をつけるらしい。韓国なんか早くからそれをやっている。
スポーツも金の時代である。プロ野球が先鞭を付けた。
野球は巨人、金の権化である。日本人にそれを否定するものは一人もいないだろう。
各球団めぼしい選手は引き抜かれた。自前で今年優勝したのは珍しい。
プロは人気で持ってるのだから、その必然の結果をとやかくいうつもりはない。
後発のプロ球団Jリーグまでもと思っていた20年間、やっと地方の広島や仙台がリーダーシップを取り始めた。
しかも年間予算26億の低予算で優勝にこぎつけたとある。
金だけでは無いという裏付けがうれしい。
しかし世界中が選手の売り買いをしているサッカーを始めとしてのスポーツ界、苦々しく見ている私だが、この風潮は当分おさまる事は無いだろう。人間本来の本能志向に沿っているのだから止めようは無い。
ただ時にこのアンチテーゼを立証してみせる,英雄的行為がこよなくうれしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月29日 (木)

老成ということ

昨日は朝1度という気温にちょっと驚かされたが今朝は6度とまあまあだ。
最近はあまり使われない言葉だが,老成という言葉がある。
若くして大人並みの見識に達し、同僚を煙に巻くような素晴らしい能力を発揮する人を指していると私は理解している。
もちろん肉体的な能力ではなくて,頭脳的な能力の問題だけど。
成人に達して、ふっと一息ついたとき、同じ仲間を見渡して、こいつは違うなと,自分との格差を感ずる人がたいてい居る筈である。
この段階でもう才能が付いて行けないものは,生涯つけることはないはずである。
老成とはこの優れた頭脳の持ち主をいうのだけれど、老成は案外大成し難い面もあるらしい。
戦争という特殊事情があったからかもしれないが、もう90を過ぎた今の年齢になると、大成者は身辺に一人として見当たらない。中、小ということならまあまあ甘い点を差し上げて数人はいるかもしれないが。
天才ではないかと思われていた,仲間などは悉く、はやばやと人生を卒業してしまった。
おまけに終戦間際学徒動員なんて、国は根こそぎ前途有為な青年達を戦場に駆り出し,ゴミ、アクタのごとく捨て去った。
悪い仲間言葉で云えば残っているのはカスばかりということである。
その国がよくここまで成長出来たものであるとは,言い過ぎだろうか。
明治維新もそうだったが、第二次世界大戦も数いる中には宝石もまじっていたのかもしれない。
天の配剤というべきだろうが,不思議な事だとしかいいようがない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年11月30日 (金)

岩國空港開港の日近し

テレビや新聞で盛んに岩國空港開港の宣伝報道を流している。既存の広島空港やJRに悪いなと済まない気がするほどである。
昔を振り返れば、今度廃止が決まった広島西飛行場にも思い出は深い。
1968年頃から九州各地に出張店を開設し,忙しく行き来していた時期が数年続いたことがあった。
当時は高速道路なんか無かったから,普通の国道を大型トラックと先を競いながら夜を徹して走ったものである。
丁度世界一加速の効くロータリー車サバンナが発売された頃である。
4、5台連なって走る大型車を,一瞬のうちにごぼう抜きし去る快感は未だに脳裏に残っている。
(もっとも夜間でもパトロールカーに何度も捕まったが)
普通道路は渋滞が酷く、ものの用をなさなくなっていた。
急用が起きれば飛行機で福岡まで飛んだ。その日のうちに引き返せた。
がしかし、時代の変遷は激しい。
思うに高速道路、新幹線そして高速長距離バスと飛行機も強敵は次から次へと目白押しだったわけだ。
今回の岩國空港開港は思わぬ漁夫の利で生まれたわけだが、廿日市に住む私にとっては願ったり叶ったりでまことに有り難い。
米軍が居るおかげで、ときどき臨時にあちこちと不定期に飛んで行く事は昔から何度もあった。
しかしこんどは定期便とあってしかも羽田に4往復である。どのような成算があっての事か。
新空港のすぐ近くには家内の里があるし、空港敷地もそのごく一部は軍用基地用地として戦時中徴用された、成れの果てとあって因縁浅からぬ場所である。
東京行きの下検分に近く出かけるつもりにはなっている。もっとも今度行けば3回目になるのだが、前の2回は工事中とあって途中で止められてしまったから、中へ入れれば始めてということになる。
両親の眠る墓もすぐ目と鼻の先にある。
魂あればこの光景を何と感ずるであろうか。
米軍には何度も袋だたきにあった重要な飛行基地だった。もっとも沖合の柱島周辺が連合艦隊の投錨基地だったし、ハワイ攻撃の主力の出発基地でもあった。
終戦前日の8月14日には近くにあった私のうちも大空襲を受けて、新築して16年目の我が家そして8年目の土蔵は木っ端みじんにされてしまった。
恨み深きこの地、何時の日か米軍に国に帰ってもらい、立派な地方航空基地として復興して欲しいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »