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2012年9月 3日 (月)

暗い秋になるのか

だんだん起き辛くなったこの頃である。
もう快調なんて云う日は来ないのではと思う。7時やっと尻の重さをはねのけてベッドを降りる。

雷鳴しきりに轟く中をマルシェに買い物に行く。駐車場を模様替して、綺麗にしてあって、車が多い。
客足が増えたのかも知れない。

時々雨が降るから今日は水まきはいらない。
幾分涼しい。
もうまっしぐらに秋だろうが,その先が怖い。

新しいマックのOS、クリックの反応は早いようだが,全体の起動は相変わらずゆっくりしている。デスクトップのピクチャもバージョンアップしたついでにライオンの写真にした。山ライオンとはどう言う意味だろう。
大体草原に住む動物だと思っているのだが。

昭和15年9月だったと思うが、当時満州国の新京に居た私に、徴兵の入隊命令が来た。赤紙ではなかったと思う。
来年1月の25日に満洲ハの53部隊に入隊しろという命令通知だった。
集合場所は広島市袋町小学校であった。
当日身体検査の後,軍装に着替えて,宇品まで歩き,輸送船に乗せられた。行く先不明のまま洋上をさまようごとく進み、30日朝凍結した朝鮮羅津港にガリガリと氷を割りながら到着,上陸するや貨物列車に乗せられ,一路北上した。

2月3日斐徳という駅舎のみの小さな駅の遥か外れに停車し全員降ろされた。
零下20度くらいだったか、勿論防寒服というのに身を包まれては居たが,冷たい空気に震え上がった。
初年兵2百数十名、迎えのトラックに分乗して,営舎に入った。

今地図で見ると、緯度でいえば北海道の稚内か宗谷岬に当たる。日本最北の土地と同じ位置である。
白皚々一望の広野に転々と兵舎が張り付いているだけである。
驚き呆れたのは言うまでもない。

1週間はお客様だった。
古兵達の宣言通り,雨霰の鉄拳制裁の日々が始まった。軍隊は命のやり取りをする所だ。
生きるか死ぬかだ、もう甘い考えは捨てろと居丈高である。
緊張と張り飛ばされる痛さに明け暮れて零下20度、30度も感ずる暇はなかった。
思い出すと,短い昼,永い永い夜。昼は演習時間だからまだよかった。夜が気合いを入れられる時間帯であった。それが毎日永く続くのだから悲惨であった。

暗い人生がこの9月に始まった気がする。
秋だからといって喜ぶ気になれない理由の一つはここにもあったということである。

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2012年9月 4日 (火)

facebookなるもの

予定通り午前10時、市役所の是竹さんと積水の郷原さんが見える。
現場のチェックをして、9日に見積もりを出してもらう事になる。

facebookから友達になりたい人が沢山居ますから、入って下さいと何度も要望のメールが入っている。ためしに入ってみると驚いた。
158人もの友達になりたい人が顔を並べている。外国人も沢山居る。
孫の留学先だったベルギーのルーベン大学からもその学生らしき人が40人も居る。
これはどうなってるんだと、今は帰国している孫娘にメールで問い合わせると、祖父がパソコンをいじっていると学友に喋ったことがあるからだろうかという。

ともかくもあまりにも馴染みの無い人たちだから会話の種が見つからない。
だんまりを決め込む以外に無さそうだ。

山崎君のお孫さん関係が最も多いのだが、活発だなあ、彼女は。
インドに在留しながら頑張ってるのだから凄い。賛嘆の声しかない。
彼女の父親も昔祖父の山崎君がドイツ留学さしたと聞いている。国際通一家なのであろう。

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2012年9月 7日 (金)

この老耄も強気で頑張る

朝早く広島総合病院へ行く。皮膚科の定診日である。
もちろん一番乗り、待つ事1時間、別に苦にはならない。
今日は終わってから血液検査をさせられる。別状無いのは判っているのだが,担任先生の命令だから仕方がない。血を2本抜かれる。

10時前には帰宅する。家内は汗みどろになって、町内のごみの集積場の掃除当番をやっている。
ついでにそこまでの通路の草抜きまでやってごじゃる。ご苦労な事である。
リウマチで痛い痛いと連発しながらもこれだから見上げたものである。
とてもこれでは要支援介護資格なんておぼつかない。
私も歳の功で要支援1を授かったが、やる気を出せばやれない事は無いと思っている。ただその後がこわいから用心しているわけである。

この強気がいつまでつづくか、10日の高齢者運転試験の結果を待たないとなんともいえない。
今朝も近所の藤井さんのしょぼくれた姿を見かけたが、免許を返上させられたら、ああなる事が目に見えている。次の検査は95歳である。これは無理かも知れないが今回はなんとしても頑張るつもりだ。

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2012年9月 8日 (土)

おいぼれの滑稽な苦闘

夜中に少し降ったか庭が濡れている。
秋雨の特徴といったところか。

家の中から一歩も出なくても、世の中は騒がし過ぎる。
広島では12歳の女の子がトランクにつめられて危ない所だった。
タクシー運転手さんはその女の子を救っただけではない。大学生の犯行の増幅まで救った事になる。大学生まで助けられたわけだ。下手をするとギロチンまで行かなくてはならなかった。
職業柄ちょっとした機転が働いたのであろうが、大変な善行というべきだ。

政治も混迷を深め,明日も知れない。小さな島の領土問題も大きな波紋を生じている。
どうなるのだこの日本は。

午後私はとんだ失敗をしでかしてしまった。
昨夜いつも通り9時に下剤を飲んで寝た。
今朝9時排便のためトイレに入った。まだかけらも出なかった。
なにしろ食う量が少ないからまともに出る事は少ない。

そのまま家内のおともで買い物に出かけた。ついでに昼の食事も近所のレストランで済ませた。
午後1時半ごろだった。急に腹が渋り始めた。
これはたまらんと店のトイレを借りて入った。
和洋各式が1つづつあって、和式しか空いてなかった。

ままよと其処に入って簡単に済ませた。昔は皆これだったから違和感は無い。
しかし今の私は違っていた。
終わっても立ち上がる事が出来ない。
捕まる取っ手もない。
ふと気がつくと右足がしびれて感覚が亡くなっている。立てないわけである。
尻をふき水を流したが,後はどうにもならない。
尻を出したままとうとう力つきて座り込んだ。
配水管につかまって立ち上がろうと試みるが何度やってもだめだ。肝心な右膝がしびれていて、力が全然入らない。

なんとか横になったままズボンは穿いて、だれかに助けを求めようと思ったがあいにく誰も来ない。
膝をそろそろとさすっているうちに、そのうちしびれがとれて来た。
そこらじゅう這い回っているうちやっと何とか立ち上がる事ができた。

最後は精も根もつきはてた苦闘であった。

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2012年9月10日 (月)

高齢者運転免許講習と検査

今日は朝から高齢者運転検査の日である。試験場所のいつもゆく自動車学校に出かける。
いつも通り老人6人の最後に到着する。
うっかり道を間違えたので後戻りなどした為である。
自分では判らない勘違いが起きていた。
これではもう駄目かなと思い知らされる羽目に至った思いが頭をよぎる。

数科目の認知症を含め検査がつぎつぎと繰り出される。
やはり難しいと感ずるようになったから駄目だな。
車の操作はなんとかへまをしないで運転し終えた。
今回はまだいけるだろう。しかしこの次は遠慮しなければならないだろう。
ひしひしとその思いがつのる。

一応最後に合格証を戴いたから、免許証は更新出来ることとなった。
しかし前回から暗証番号というのを登録したのだったが、それがないと駄目だと念を押される。
おやっ、まるで記憶に無い。6人のうち2人だけ覚えていて,後の4人は再度免許センターで申請して教えてもらわねばならないという。

帰宅して古い手帳を取り出して調べてみると、有り難や、まさにその時点でちゃんとメモしていた。
若いときからメモするくせがあったそのせいで助かった。
やはり記憶だけではこの世の中は通り抜けられない。

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2012年9月11日 (火)

乃木大将の倫理観は平成に生きうるか

今日は手すり工事の契約日である。午後1時に郷原さんが来ると電話が昨日あった。
お金は昨日準備しておいたから問題ない。

昨日高齢者運転講習でまあまあの成績を収められたのですっかり自信がついた。
こころ爽快である。
この分なら年末の東京行きも楽に決行出来るだろう。
弱気になっていた身体の具合も少し持ち直したかも知れない。

長女が膀胱結石で苦しんでいる。
私も30代後半に一時期痛くて困った事があった。未だ若かったからある日ふとした瞬間に尿と一緒に流出して治った。以後今日までその兆候はない。
何時だったか家内の弟が病院で治療を受けたことがあった。比較的にだれでもなりやすい病気なのか。

何が起きるか判らない年齢だから楽観は出来ないが、覚悟が出来ていると思っているだけ,心中穏やかであり続ける。有り難い事である。

今日のサンケイに“乃木大将が殉じた明治の倫理観”という小堀桂一郎東大教授のコラムが載っている。

私は大正生まれだが、大正デモクラシー華やかなときは確かに冷笑された趣を感じたことがあった。
だがすぐ軍国主義の台頭とともに消え失せた。

乃木大将百年祭の今又、偽平和の風潮にあまやかされた日本人への警鐘となりうるのだろうか。


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2012年9月12日 (水)

呆け暮らす事の出来ない業か

昨日内藤内科でいつもの診断のあとで、明日胃カメラでの検査をするから午前10時に来いといわれた。
水以外は飲み食いしないで,時間通り出かける。
先生が胃カメラを操作して見せてくれる。食道から胃腸まで写して別状無い事が判る。
綺麗なものである。胃の中が少し赤ただれたところがあると指摘され、胃薬を飲む事になる。
自分では何らの異常を感じた事は無いのだが仰せごもっともでしかたがない。

4年振りだから少し緊張した。でも悪くなくてよかった。食事の通りの悪い原因は結局判らずじまい。家内がいうとおり歳のせいだろうか。

心臓も弱っているし,食物の通り道もスムースではないし、もう永い寿命ではない事はわかっている。
それでもこうして読み書きなどしている。人並みにほうけくらしは出来ない、一種の業というものだろうか。

次女が何を思ったか,郷里の鳴門から梨やわかめなど又沢山送って来る。
ありがとうだが、娘等が皆金が掛かって大変だろうに、もうほっといてくれと云いたくなる。
家内は大喜びしてるからやっぱり仕方がないか。

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2012年9月14日 (金)

俺は忘恩の徒か


朝食の時家内が”一露”さんのことお孫さんという人が書いてるよと呟くように云う。
7年前に亡くなったんだねえとも。
そう云えば何時の頃か年賀状も来なくなったし、消息は絶え果てていた。

丹念に暇に任せて読んでいる古い新聞をつまんで来て私にほらここにと見せてくれる。
”こだま”という投書欄らしきところに一番最後の方に書いてある。全部読まなければ気づかない場所である。
やはり亡くなっていたか。
祖父のくれた俳句1首というのが載せてある。私の知己一露さんに間違いない。
お孫さんは周南市に居られるらしいし、名前も何もその存在すら心当たりは何も無い。

山崎君のように北海道にいても、お孫さんのインドからのメール1本で翌日にはその死を知る事が出来ても、隣の市のことでも消息を知る術がなければ、7年経ってやっと偶然に知らされることになる。

一露さんは中学1年のとき既に最上級の5年生で神様であった。
当時は歩いて通学していたから、学校まで1里の道、どうしたって付かず離れずにならざるをえない。
鉄拳制裁の激しい時代だったから,上級生は皆怖かった。しかしこの人は優しい先輩だった。
同じ道を登校する、後に私の家内の恩師になった一露さんの同級生は、とくによく下級生にビンタを張っていた。
規律酷しい人だった。親しげに側によれるような存在では無かった。

一つ離れた部落だったが、戦後帰還してすぐマラリアが再発して、取りあえず近くのお医者さんにということで診て貰った。
彼も南支帰りの軍医だったので(終戦直前桂林に居た私の部隊は一時南支軍に編入されていた),正にお手の物で簡単に治してくれた。

戦地で結核で倒れて、担架で帰国した私はその治療が永く彼のお世話にならなくてはならなかった。

といっても帰国したときは家は爆撃でなくなり、人に貸していた小さな家を補修して,母と弟妹3人で住んでいた中に割り込んだのだから、住む所の無い人と同じであった。
堪え兼ねて、無謀にも三月目に上京した。幸いに外務省嘱託で進駐軍のCivil Censership Detachmentに職を得た。
そのうちだんだん結核が酷くなって、鉄道病院の山県先生にこのままでは死ぬぞといわれたりした。
たった三月で退職して帰郷せざるをえなかった。
そのあげくに頼れるものはこの一露先生だけだった。

結核患者を雇ってくれる所はどこにもなかった。幸い一露先生のお父さんが農業会の役員で自分の所へと誘ってくれた。私の亡くなってた親父と同級で親しかったらしく、特に目をかけてくれたわけだった。
考えてみると戦後の私の行く道を親子で開いてくれてた恩人であった。

簡単に音信不通で済まされる方ではなかった。今思い出すと汗顔,穴にでも入りたい思いである。

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2012年9月15日 (土)

今度は日本維新

大分日が短くなった感じ,昨夜は6時には部屋の中が暗くなったし、今朝6時未だ薄明。
もっとも夜中に雨が降ったらしく濡れている。雲も空いっぱい張りつめている。
早くも台風16号の影響が出始めているのか。

昨日は下剤がいつまでも効いて止まらず困った。6滴ばかり呑んだだけなのに。
昨夜は5滴にしておく。これが適量らしい。今朝はどんぴしゃりだった。

各党とも党首改選時期を迎えて、立候補者が珍しく多くて、混迷気味である。
自民党は5人,そのうちに安倍前総理の名前もある。対外強硬派として、一歩外れているように見える。
いずれ決戦投票ということになりそうだ。
民主は4名、野田総理の再選は間違いないだろう。

日本維新の会というのが加わった。勢いはある。革命の灯を点ずるか、やってみなくてはわからない。
明治維新から丁度130年ぼつぼつ噴火があるかもしれない。
もっとも今の日本の若者は我々のときと違って,目先が賢くなってるから、軽挙妄動はしないかもしれない。中国とかアラブの連中とは違う筈だ。

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2012年9月20日 (木)

負けて勝つ

今朝は身震いするほど寒い。外の寒暖計を見ると17度、連日23〜25度を下らなかったのにと目を疑う。本当に秋が来たなとの実感。

オスプレイがいよいよ今日にも岩國で飛行訓練を始めるという。
見てみたいが近くだと云っても,20キロは離れている。
来月には東京行きの切符を買いに行くつもりだから,間近に見れるかも知れない。
当分は岩國に居続けるらしいから。

尖閣列島が危なくなってるが、戦う用意が国にあるのだろうか。
少なくとも国民にはなさそうだ。
60年以上も牙を抜き取られていたんだから仕方がない。
ほん僅かな自衛隊だけでは、無理な相談だよな。

そもそも国を挙げて戦うなどということは、少なくとも大義名分がなくてはならない。
無人島の帰属問題くらいでは、それに値するとは思われない。
仮に武力で奪取されたとしても戦争には発展しないだろう。国交が阻害され大きな経済的損失が双方に齎されるだろうが。

戦う気がないのなら、放棄して彼に譲るのだな,外交交渉でうまく行けば引分位で。
現在の日本のオスプレイさえ飛んで欲しくない国民意志からみて、尖閣の持続は全く無理だな。
負けて勝つという諺もあるし。

今テレビでやってる吉田総理のドラマも負けて勝った平和条約とうたっているが、先の長い未来を志向して欲しい。

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2012年9月21日 (金)

民主党はやはり野田

8時半、手すり取付け工事が始まる。
受け入れ側も結構忙しい。老人二人よたよたと応対する。
昨夜寝る前に下剤を飲んでるから,折悪しく腹が渋りだして大変、小説にでも書きたい様なタイミングのよさである。

午前中室内4カ所、午後外の階段部分1カ所、とうとう夕方までかかる。
電気回りや換気扇は 別の日になるらしい。

反日デモはどうやら下火になったか。昨日の大げさな動きはない。
やるほうもたいへんだからなあ。何千人くらいだから、まあたいしたことにならなかったが、何十万何百万となると、簡単では無い。なにしろ十数億もいる国なんだからなあ。

あの程度で治まればよしとしなければ。
パナソニックやイオンはえらい目にあっちゃった。得てしてええ顔を普段からし過ぎるとこうなるわけ。始めから敵国と思ってガードを固めていれば大した事はなかったのだろうが。
甘い顔は何時の場合,どこの国でも禁物だ。

工事はとうとう階段の手すりを立ててセメントで固定したところで今日は終わり。第2日目に換気扇などと一緒に完了という事になる由。
やはり簡単では無い。

民主党総裁はやはり野田首相に1発決定。

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2012年9月22日 (土)

歴史は繰り返す

安倍晋三の復調振りに驚く。
麻生太郎も出演して,秋葉原で街頭演説をしている。you tube が披露するwebの一場面だが、こんなメディアを使って、さすがに現代的で賢い。観衆5千人という。
総理経験者だけに論点がしっかりしていて、曖昧さが無い。石原伸晃の隠忍の努力も危なくなったげに見えるがどうだろう。外の3名は論外だろう。

菜穂子の具合があまりよろしくないという。心配だ、娘が泊まりがけで看護しているとか。
おいぼれはもう人を助ける力は無い。祈るだけだ。

岩國のオスプレイが飛行訓練を始めた。その騒音は聞こえるわけは無いが、テレビが伝える報道騒音の方が余程騒がしい。
かえりみて,今アメリカの傘が取れていたら,弱小国日本はどういき伸びの模索をつづけていることだろう。もっとも私が若かったときは支那は老大国と云われていたが,今度は日本の番である、歴史はくりかえすわけか。

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2012年9月23日 (日)

私の原始的通信手段

昨日秋分の日とあって,もう秋たけなわの感じはいなめなくなったが、今朝はなんだかばたばた忙しい。変わり目の衣類交換など家内が小忙しく動きまわっているからだろう。

私も昨夜からふとんを厚いのにやりかえた。もう汗をかく事も無い。

オスプレイの騒音を新聞社が近所に出かけて計測したらしい、自動車の騒音と変わりないとある、小さく載せている。ぎゃあぎゃあ騒ぐほどの事はないのだ。

飛行機も大きくなり,早くなる。ヘリコプターも速くなる。どこが悪いんだ。落ちたり故障したりするのはどちらも同じだ。

市長も県知事も、怖いからか反論のジェスチャからか、オスプレイに乗らないという。
乗って落ちてみればいいんだ、論より証拠だとそのとき大きな声を出すのだ。
国民は付いて行かないよ。

対抗手段のない尖閣、反日デモ問題は手をこまねいている。知恵をしぼって政府を激励してはどうか。
天下の知恵袋たる筈の新聞テレビがこれではどうにもならない。

この俺もちょっとどうにかしてるなあ、落ちて死んだら声を出すわけには行かない。

午後デオデオに頼んでいたチャイムの押しボタンを貰いに行きさっそく取付けに掛かる。
なかなか分解出来ないで弱る。説明書きが何にも無いんだなあ。もっとも普通は店員さんが付けるんだろうから必要ないのかも知れない。
1時間位考えてやっと確信のもと分解する。
後はすらすら無事完了。
家内から私へ電信はこれで通ずるわけ。音が鳴りさえすれば後は以心伝心問題は無い。

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2012年9月24日 (月)

日本年金機構とは何もの

日本年金機構なんて聞いた事の無いところから手紙が来る。
あなたの年金記録が変ります!なんて封筒に書いてある。
年収不足でとうとう年金を減らすことにしたかと、馬鹿めがと口走りながら封筒を破る。
こまごまと顛末が書いてある。
よく判らないが,コンピューターに落ちがあって,訂正するという事務的なものである。金額は減るのでなく少し増えている。
誰が間違えたのか50年も前の事だから判らない。

当時倒産寸前だったときだから、一応重役だった私の報酬は半年位貰っていなかったと家内は云う。
会社から出す金がなかったのだから仕方がない。
それでも会計さんは従業員並みに計上だけはして、失業保険、厚生年金や健康保険料は納付していたのだろうな。200名も居たのだからいい加減にすっぽかす訳には行かない。手形は落とさないでも従業員給料は当然外せない。

当時の悲惨さを思うと涙が出そうである。
戦争直後のすっからかんになって、十年目位の第2撃であった。運の悪さは頂点であった。
何にも無くなったから,案外こころはのどかであった。
私も家内も一生懸命働いた。飢える事はなかった。

今だったら生活費位は貰えるのだろうが、恵んでもらう事は一切無かった。自ら招いた不幸だから,自業自得は心得ていた。

年金は過去にさかのぼって支払ってくれるという。ありがたいことである。年寄りにボーナスまでとは。

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2012年9月26日 (水)

もう誰もあてにはしない老耄の行く道

久しぶりに見る道子さんは、少し太ったようだが、運動不足で足が悪いという。
立ち居に不便そうには見えないが、動かすと痛い部分があるのだろう。
弟もゴルフはやってても、やはり足は弱っているという。こんどのツアーも歩く割合が多くて困ったなあと出かける前にこぼしていた由。

元気そうに見えてもそれぞれ年相応に欠陥が生じて来るらしい。
私は足回りに来たのは90を過ぎてからだから、割合長続きした方になる。
しかし走れなくなったのは遠の昔だから、威張るわけにはいかない。

墓参りなどもう来る事は無いだろうと当てにしてなかった私らが突然やって来たので,光子さんは驚きの声を挙げていたが、道子さんも同じだったろう。
もう及びでない年齢に達していることは承知しているのだが、やっとでも達成してみると愉快なものである。次の東京行きもうまく行くかどうか未だに自信は無い。

もし実現したら,娘がもうスカイツリーは用意しているようだが、会いたい人間も神村、敦美、参拝したいところ松陰神社と予定に入っている。

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2012年9月27日 (木)

安倍新総裁果して2度目の総理になれるか

自民党総裁にはやはり安倍晋三が選ばれた。ようするに毛並みの良さだろう。
実力の程は前回の轍は踏まないだろうから,目に見える実績を残すかも知れない。
問題は糸の乱れの政局を早急に戻せるかどうかだ。
日中韓の懸案はまったなしである。だれがやっても簡単には片付きそうにはない。

今朝薫久が亡くなったと芳邦さんから電話が入る。早くから予想されていたことだから仕方がない。
29日10時葬儀とのこと。

積水から配電盤工事と風呂の換気扇取付けにやって来る。
午後3時間ばかりかかって無事終了。
配電盤に予備が4カ所ばかり出来た。電子レンジは交換するとき別配線にすることができるな。

今日ダイキに行ったついでに、車に付ける身障者マークを買う。さっそく後部ドアにつける。身障者駐車場がこれで大威張りで利用出来るわけである。
今までは気兼ねしながら時々利用しても、高い保険料を払って損をした気分になっていたものだが、少しばかりせいせいした。

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2012年9月29日 (土)

若き甥坊父に先立ちて死す

朝早く起きてケータイの点検をする。滅多に使う事の無い我が家では充電を時々忘れているし、操作も手のうちに入っていないのだから、道具がいくらよくても肝心な時に役立たない。
6時に起き出して二人でやってみるとやはりなかなかうまく行かない。
子供より頭が悪いんだな。外の所を押したりするから余計悪い。

予定通り家内を駅まで送る。
最近の葬式は49日の法事まで一緒に済ましてしまうから、一日かかる。
親戚が遠方だというのが多くなったせいである。
時勢のせいだから仕方がないな、しかも親族うちでという,小規模の葬式がもう大部分だといってよい。庶民の知恵である。

私が出席を取りやめたのは正解だったかな。
永い葬儀の途中で先般のように気分が悪くなっては却って皆に迷惑である。

森藤さんも永い間昏睡の息子の命を取り留めようと苦労したがとうとう及ばなかった。
若い者が先に行く。老いのみに取ってこれほど辛い事があろうか。
察するにあまりあり,声を掛けるのも気が引けるところだった。

家内も疲れて帰って来るだろう。

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