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2012年8月22日 (水)

残留日本兵と私の責任

昨日本屋で探してもらってなかった”残留日本兵”という中公新書本をアマゾンに発注する。
行く先短くなってふと気がかりなことだったからである。
終戦後間もなく部隊は全員捕虜となり,湖南省の賀勝橋というところで、地方民家に収容される身となった。
間もなく国共内戦のとばっちりをうけて、中国側から兵員募集がかかり、私の隊からも中村軍曹以下7名が応募して入隊して行った。

1年近くしてやっと帰還命令が下り,揚子江を半月掛けて民舟で下り,上海から鹿児島に送られ6月7日やっと帰国を果たしたのだが、当然前記の7名は居なかった。
帰国してからの私の身辺は異常であった。家も田畠も爆撃で蹂躙されていて、住むにも食うにも助けを求めなければならなかった。
職場は満洲にあったから,敗戦と同時に消滅していた。一介のルンペンに等しかった。

人ごとではなかったから、彼等7名のこと、時に思い出す事はあったが、捜索の手段を尽くす事は無かった。
ただ、どこからかすでに彼等は無事帰国しているよとの風の便りのごとき伝言には接していたが,確認はしなかったし,その余裕もなかった。

こうして、70年経とうとしている。
残留日本兵などという言葉を聞くと、ぐざと胸を刺される思いである。
敗戦のショックで、部下の離隊を信念を持って引き止める余裕は私には既になかった。
かりそめにも1隊の指揮官として、その責務を果たし得なかったのではなかったか。
せめて何時の日かその帰還、生存の確認をすべきではなかったか。
忸怩たる思いは今日尚続いている。

物の本などによると、国共内戦には多くの日本兵が両陣営に加わって,同士討ちすら演じたと聞いている。
悲惨としかいいようがない。当然命を落とした兵は多数に登るだろう。
もしそのような事になっていたとでもすると、私の責任は軽くない。
とりあえずこの本は何を書いているか見てみたくなったわけである。

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