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2012年7月23日 (月)

李香蘭も遠きに

久しぶりに岩國に出かけようと思っていたのだが、オスプレイの搬入で基地周辺が騒がしい様子なので、昨夜になって取りやめることにする。
墓と基地とはすぐ目の前である。どこからとばっちりが飛んで来るかも知れない。
危ない所には近寄らないのが原則である。
どちらにしろ肝心な岩国市民は大迷惑といったところ。

海があり山があり、港があり飛行場があっても、都合の良い人もあれば悪い人もある。
人間は賢い動物だから,その環境に順応し,対応してうまく生きて行くのである。
本来あるものを除けようとしたり,利用を排除したりすることはよほどのことが無い限り難しいものである。
うっとうしく、少数のものが大声を上げて騒ぎ立てるほど迷惑なことは無い。

明日から車の車検更新の為の整備をお願いしている。2、3日車に乗れなくなるので,岩國行きは暫く先になる。
夏休みと盆で道路の渋滞が激しくなる。残念だがその渦中に出かけなければならなくなりそうだ。
仕方がないな。

先日買って来た”「李香蘭」を生きて”という山口淑子の自伝を今読んでいる。
彼女は奇しくも私と同じ年生まれで、20日足らずしか違わない。
軍隊の時たまたま昭和16年2月東京の学校に居た私は彼女が有楽町の日劇に登場し,大観衆を集めたニュースを耳にした。
同じ生徒の中に俺は彼女と小学校が同級生だというのが居て、彼女は日本人だと言い張ってみんなの嘲笑をかった。

勿論戦後になるまで日本人であるとは思わなかった。
昭和15年私は就職して新京大同大街のニッケビルに通っていた。私の事務所は3階だったが, 2階は満洲映画の本社があった。沢山の俳優女優達が出入りしていた。
隣の空き地に勢揃いしていたことも屢々見かけられた。
上から覗き見しながらあれこれとはやし立てたりしたことは、今も昔も変わらない風景だった。

有名なのはもちろん李香蘭、李明、白光などだったが、いかにも小柄な李香蘭は私にはそれほど目立つ存在では無かった。
日本人らしい特色はどこにも見えなかったし、銀幕で見る彼女も支那人を疑う何の面影もなかった。ただ異常に日本語が上手ではあったが。

しかし彼女も数奇な運命を生き延びた。私自身もそれをいまだに思い暮しているが、あの大戦を生き抜いたものは誰しもその感慨を持ち続けるほかはないのだろう。

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