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2012年7月 1日 (日)

ガキの社会はごめんだ

梅雨未だ真っ盛りといった風情か、起き抜けからそぼ降る雨の中を新聞を取りに出なければならぬ。
首相小沢氏と対決姿勢と黒々とトップ記事。
ほんとに処分出来るのかいなと危ぶむ。

小沢を越える大物になるには,通らざるを得ない踏み絵か。

ガキのころクラスが一人の悪大将に牛耳られて戦々恐々としていたころ、日頃もの言わぬおとなしい彼が突如殴り掛かって乱闘になり、最後は引き分けた。
皆その勇気に驚いた。
クラスは独裁者の居ない平和な教室に落ち着いたことがあった。

現在と違って男女共学は無かった。野郎ばかりの社会は戦争が終わるまで殺伐であった。軍隊はその典型だった。
大人になるまでどんな小社会でも、ガキの時代の延長だった気がする。
政党などもガキの社会の延長にならないことを祈っているのだが。

昨日はサンフレッチェが一旦はリードしながら追いつかれて,首位奪取はならなかった。
攻守にそつのなさでは仙台が一枚上かも知れない。
しかし一度は首位に立ってもらいたかった。

サッカーリーグの草創期東洋工業の強さを目の当たりにして来た私は、いつも捲土重来を願っている。
当時私の同級生がマネージャーをやっていて、その招待もあって、よく試合を見に出かけたものだった。
小沢、下村、桑田、松本、二宮、小城など名選手ぞろいだった。

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2012年7月 3日 (火)

策士策に溺れるか

ずーっと夜の間から雨の音が絶えること無く続いている。例年になく雨の量が多い気がする。
今朝のニュースではすぐ近くで91ミリも土砂ぶった地域があると報じている。どんな地形でも短時間にこれでは洪水を起こすだろうな。広島市内でも床上浸水した家があるという。

小沢等50名が民主党を離党した。といっても受け入れられては居ないらしく処分の対象にはなるらしい。
相も変わらず党を割る策士としての真価は衰えない。
まだそれでも衆議院では過半数だそうだから、随分大勢力だったんだなあ。
問題は参議院である。いいのか悪いのか選挙制度の落とし穴となって、何時の選挙でも紛争の種が生まれている。

政治の世界には即決を要することが少なくない。大震災はいい例である。
もたもたと間怠いことばかり続いている政局である。民主政治の悪い側面ばかり見せられている気がする。
その元凶がこの参議院というわけ。

革命でも起きなければこの悪弊は除去出来ないようだ。

アップルがiPad訴訟で、とうとう台湾の企業と和解で手を打ったとある。
どうやらこれは中国人の知恵がアメリカに勝ったらしい。
中国企業は事業はストップしているらしいから和解金が欲しいばかりだったらしい。金持ち喧嘩せずでアップルは最小の和解金でけりを付けたようでもある。
中国人の抜け目無さが遺憾なく発揮せられた一幕。
なんとなく愉快な気分である。

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2012年7月 4日 (水)

古き因習が一時期去ったことがあった

自分の年齢が1世紀近くなって来ると、やはり何か不思議な思いに取り付かれることがよくある。
自分の生まれた頃が何しろ遠くなり,明治維新などといっても、その先50年くらいのところではないか、昔というにはあたらないと考えたりする。

私の祖父は嘉永2年即ち1849年生まれで,明治9年に相続している。随分やんちゃな親父だったと聞いている。
大正14年隠居して家督を長男の私の伯父に譲り,10年経って亡くなった。即ち1934年85歳で死去したということである。だから私の小学校時代絶えず目にしていたゆったりと優しい老爺の姿しか印象に残っていない。最後まで元気で杖を引く姿や寝込んだ姿はまるで覚えが無い。私にしても、いくらかでもその血筋を受け継いでいるはずである。
一人息子だったと聞いていて事実大叔父、大叔母なんてものはいない。

父は昭和5年に分家して,9年目の14年には死去している。無理な労働がたたったのかも知れないが、少なくとも59歳で病死した父の血を私はあまり受け継いでいない気がするのである。

祖父の子は4男1女だが、孫となると日米に分散して何十人になるのか、戦争の影響もあって数えることは出来ない。
ざっと数えても40人前後とおもわれる。凄いものである。

ついでに挙げると私の母方も多産系だから、2男4女の兄弟姉妹の次世代は40は下らないと思われるのである。
人口爆発といってよい時代だったんだなあと感慨も深い。こちらも半数以上が米大陸に根拠しているので詳細はわからない。

私自身戸籍謄本には「墨西哥国下加州メキシカリ町ニ於イテ出生」となっている。
父が約30年間移民として暮らしている間に2人向こうで生まれ,日本に帰国してから3人生まれている。

藤沢周平の小説を読むと、江戸時代次三男以下の男子は随分と冷や飯を食わされたごとく書かれているが、事実武士ばかりでなく庶民に至るまで,家督相続人以外は身の処し方が大変だったらしい。

私の家も本家分家の争いが、父の代には陰湿に続いていたらしい。その原因は家を建てるにあたり,家の下の土地のみ分与されただけで、家も独力で建てて全然援助を受けて居らず、弟として家に貢献した功労などは無視されたという言分らしかった。
当時だから兄弟平等に相続権があるなどということは勿論無かった。

海外雄飛などと言葉は美しいが、どの家庭でも家を継ぐもの以外の生活の糧をえらすには海外進出しか無かったのである。
江戸時代は国民の数が飽和点に達し、間引きなどが公然と行われたといわれているが、老人も云わず語らず消去されなければならなかった。

私の周囲にはその証拠になる現象が判然と実存しているのである。
もし古き世習がそのまま続いていたら,人口爆発など起きる道理は無かったであろう。

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2012年7月 8日 (日)

野田首相は悪くない

雲が多いが,転々と青空も覗き、雨の気配はない。
朝の気温21度。

朝子はもう留学の期間を終えて、念願のモロッコ見物にでも出かけているのだろうか。待ち遠しい。
土産話しを聞くまでは未だ死ねないな。

政局は流動して止まない。当たり前のことである。
明日の予測と云ったって,神様でないのだからその思う通り進む訳が無い。
流動すれば的確に着いて行き対処するのが政治家の役目ではないのか。

民主党は明らかに民意に迎合して甘い政策を掲げて政権を奪取した。政治をやってみるとそんなに甘くなかったし、東北大震災まで起きた。政策の変更は避け得られなかった。素人の私でも考えつく結論である。
野田首相は党を割ってでもと増税に踏み切った。嫌だが仕方がない、予算の半分以上が借金というのでは、世界に通用しないし、借金が出来なくなる恐れすら出来かねまい。
資源の無い担保の少ない日本は取るべき方策は極めて限られている。

野田首相も苦渋の決断だろうが、国民のわれわれも身に降り掛かるその苦汁をのみ込まねば仕方がない。小沢のようにマニフェストだからといって、増税はやめて借金は子供や孫に任せればいいというわけにはいかない。
小沢新党は確かな財源でも隠し持っているのだろうか。それとも無料奉仕でもやるというのだろうか。
増税に反対しても、外の収入源に付いては何も言わない。それをはっきりしなければこの男いまさら信用はできない。

私は野田首相を責める気はしない。彼が借金を作った訳ではないし、ましてや震災を引き起こした訳では無い。
5、60年前敗戦でやけくそになっていた国民が、戦争の反動まがいに池田内閣の所得倍増論の尻馬に乗り,田中内閣の列島改造とばかり高速道路を張り巡らし,終始の償わぬ無謀な計画を拙速をいとわず実行したから招いた赤字である。
その責任は私自身にもあると思っている。

現在の見違えるばかりの国土を見る時、是非論は置くにしても、その恩恵に浴しているものは、先ず手を上げて野田首相に拍手を送るべきである。

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2012年7月10日 (火)

長寿のささやかな余録

朝5時半起床、気温23度、ややもやがたれこめている。又梅雨空に戻るのか。

昨夜はDVDに録画していた”清左衛門残日録”というのを何話か3時間くらい見る。
いいドラマである。仲代達矢、財津一郎の掛け合いがなんとも軽妙で良い。彼等はほんとに名優だな。

ビデオテープからDVDにダビングしたものが、今500本位あるが、せっせと見ないと到底見切れ無い。
しかし欲は云えない。長生きしたお陰でCDにしろDVDにしろ結構役立ってはいる。

現在は65歳が現役引退の社会通念となっているようだが、このドラマの主人公は53歳である。
斬ったはったの時代だから仕方がないが,随分早く引退したものである。
しかし若過ぎるから、血の気の多い事件と関わることになる。

私は76歳で仕事をはっきりやめた。税金も納めた。
身の丈にあったお国奉仕はしたつもりである。兵役などというこぶみたいなものまで果たしている。こちらは6年間命の引き換えだった。

思いがけず隠居期間が長引いている。天の思し召しだからしかたがないが、もう限界である、なにも思うに任せない。
余生をつぶすよすががこのDVDなどとなるのかもしれない。

庭の夏みかんの実が日に日に大きくなっている。生まれ来るもののいとおしさ,楽しさがある。これあるかな!

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2012年7月11日 (水)

山田五十鈴逝く

今朝も雨模様である。気温25度と蒸し暑い。

まだまだ下剤の世話にならなければならない。昨日呑まずに居ると終日出なかったが,今日は呑んで寝たおかげで快便である。老いのむなしさをいやでも感ずる。

山田五十鈴さんが昨日亡くなった。95歳という。私より3歳年長だった。
私の青年期に絶頂の人気だったから、もっと年上かと思っていた。
ともあれ人生の先輩であることに変わりはない。

原節子や高峰三枝子など同年輩の娘子軍にくらべて、一段上のお雛様と尊敬申し上げていたのだったが、何より名前がよかった。”山田五十鈴”いやでも頭がさがる呼称である。

娘からの電話によると、朝ちゃんはモロッコは愚か、ブタペスト、チューリッヒ,ミュンヘンと歩き回ったらしい。後10日もすれば帰って来るとか、贅沢なようだが,旅行は本来若者の勉学に欠かせないものである。
いい思いつきが実現出来て幸福なことである。
誰でも出来ることではない。これを糧にこれからの勉強にしっかり役立ててほしい。

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2012年7月14日 (土)

我が身をつねって人の痛さを知る

しつこい雨は止むことは無い。昼の天気予報では広島が雨雲の通り道になるらしい。
家の場所は災害の恐れは無く、避難勧告など出たことも無いが,この地方は豪雨災害は免れ得ないようだ。

土砂降りの中を午前中内藤内科に通う。この雨だから客足は少ない。4,5番目には済む。
薬局で呑み忘れた薬を十数回分交換してもらったのでこちらは時間がかかる。
心臓の薬なんだが、効くのかどうか、この暑さだから動くたびにたちくらみがひどくなるばかりである。
先生はもう年のせいで仕方がないよとおっしゃる。
急激な動作さえしなければなんともないのだから、まあいいか。

よく旅行に出かける大分県の河川の氾濫が伝えられる。テレビというのは生々しいなあ。よく承知している所だけに気の毒で胸を打たれる。
地震といい風雨といい、やはり自然は一番怖いし馬鹿には出来ない。

ここのところ連日、家内のリウマチの痛みが激しいらしく、昼夜苦しんでいるその姿がつらい。
一応元気な員数に入っている私の無力さは自分ながら情けない。
痛みを分つなど出来ないし、どうすればいいのだろう。

誰しもが通り抜けて来た道ではあろうが、やはり自分の身にふりかからなければわからないものだなあ。

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2012年7月15日 (日)

殷鑑遠からず

やっと雨が通り抜けたらしい。曇り空は変らないが雨の気配はない。

昨日は広島にはいい日だった。
サンフレッチェが待望の首位に躍り出た。苦手の川崎に3−0と圧勝しての勝ち点だった。
リーグは未だ半ばに入ったばかりだから喜んでばかりいては居られない。守りを固めるのは容易ではないと知るべきである。

カープも相性の良い横浜に連勝を続けている。若い投手陣がようやく落ち着いて投げられるようになった。
特に若い打撃陣の連日のふんばりはどうだ、はつらつとして正に水を得た鯉だ。

昼は外出して、インド人の店でナンの定食を食べる。私は気に入っているのだが,家内は味付けが塩辛いという。
日曜日だがあまり込んでいなくてよかった。

午後娘等がやってくる。舅夫妻が今度同じ療養所に入られたとのこと。
やがて我が身にも同じことが起きるかも知れない、クワバラクワバラ。
逃れ得ない人間の宿業だろうか。

人の在り様を見て,我が身の将来を知る。
一番てじかな鏡と云える。
何だか寒々とした気分に襲われて、暑気も払いのけられてしまった。

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2012年7月17日 (火)

一の俣温泉

井上の夫婦が休暇を取って,私ら夫婦を一の俣温泉に旅行招待をしてくれる。
家内は丁度リウマチの痛みで苦しんでいたので,少しでも効果があればと喜んで応ずる。

午前10時迎えに来てくれてその足で出発する。
天気がややあれ気味で,途中夕立の土砂降りにあったりしたが、ともかく無事に午後3時過ぎには到着する。

一寝入りしたあと温泉に浸かる。
婿が手を引っ張るなどして気を使ってくれるので,間違いは起きない。
僅かに硫黄分も含むが普通の酸性泉と変らない。ぬらぬらと肌触りがまことに良い。
戦前には無かった温泉だから,評判はこの経営者の努力の賜物だろう。
利用者は随分多い様な感じである。
何度も入湯して、若くない私はいささか疲労したが,結構な湯だったことは間違いない。
家内のリウマチに効いたかどうか,確認するにはせっかちにすぎるというものであって、効果の有る無しは暫く逗留しなければ当然わからないことである。

猛暑の日で外気は軽く30度を超えた模様で、宿に着いた頃はたまらないほどの蒸し暑さであった。

温調は申し分ない設備のお陰で、疲れもあってぐっすり眠れる。

翌日は、
朝からいい天気で、急ぐ用事ではないのでゆっくり支度して午前10時前宿を出る。
家内が以前一度来た時見損なった土井が浜遺跡が見たいというので、見学に出かける。
建物は凄く立派なものが出来ていたが、今日は休館日とあってまたまた拝観出来なかった。

仕方がないので,油谷湾沿岸沿いに景色を愛でつつ,或は風力発電施設を遠望しつつ、千畳敷という公園や、東後畑棚田などというのを車を止めながら眺め、嘆称の声を上げる。
私も萩には何度も足を運んだが、この北浦と称する山口県西北の一端は不便さもあって,訪れることがまれで、すっかり見落としていた感じを今更深刻に受けとめている。

仙崎について、すでに正午を廻っていたので,観光船乗り場前まで行って、食堂に入りお得意の生鮮料理をたっぷりといただく。

途中にある道の駅というのに立寄り,遊ばせてもらったりする。これまた便利で中には凄い盛況な店もあったりして私の認識を一変させてくれた。
婿は遠路を無事運転して午後3時半我が家に送り届けてくれた。2日間まるまる私達の為の奉仕にあけくれたということである。

手のかかる老人夫婦を気の済むままいたわりつくしてくれた好意には、適切な謝意のことばもない。

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2012年7月18日 (水)

老人は意識して緩慢にならざるを得ない

台風7号も大した影響も出ず、朝鮮半島へ抜けたようだ。
昨日梅雨明け宣言が出て,今朝は抜ける様な青天気である。
気温は35度近くまで上がるという。いよいよ本格的な夏だ。
昨夜は30度を超す室内で,扇風機3台でとうとう一晩を過ごす。家内も扇風機だけで寝たらしい。
政府の省エネに協力したつもりであるが、老骨にはやはりこたえる。

時間制限はしながらも、時にはクーラーの世話にならずばおれないだろう。
昨日帰宅してからは、ふんどしと半袖の下着一枚で,今日一日も過ごすことになりそうである。
これなら扇風機だけでもなんとかなる。

午後3時近く,家内が眼科まで送ってくれというので、連れて行く。
診断の時間が今日は永く掛かりそうなので一旦家に帰って帰りの電話を待つことにする。
じーっとしていても汗ばむ今日の天気では、車で待つのも不経済であるから仕方がない。

起居動作どの一つをとっても急ぐとめまいがして危ない。いやでも緩慢にせざるを得ない。
昔は老人がのろのろと動いているのを見て、その理由がよく判らなかったが、運動神経が鈍くなったと同時に、こうした意識して緩慢にしなければならない原因もあったのだと気づく。

25時間録音のDVDアルバムから、ショパンのピアノ協奏曲第1番の甘美な音色がスピーカーから流れ出ている。
なんとなく背筋に快いせせらぎを与えて、暑さが忘れられる。
いい曲だなあ。

カープの昨日の逆転サヨナラ劇は凄かった。歴史に残るものになるかも。
ひょっとすると神のいたずらかもしれない。

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2012年7月19日 (木)

スポーツは楽しくていいね

風強く涼しい一日。
午前中小雨模様だったのでどこにも出かけない。

カープも昨日は中日に大敗して、結局貯金なしの5割の勝率で3位ヤクルトと同率のまま前半戦を終了。ずいぶんひさしぶりのことである。
主力を故障で欠いていて、若手ばかりでこの成績まあまあ良しとしなければならないだろう。

昭和50年代の全盛期から幾久しい。優勝の美酒に酔いしれることを今の若いファンは知らない。
リーグ優勝は無理でも,今は3位までなら全国優勝は夢ではない。
後半奮起して、ファンを歓喜させて欲しい。

サッカーなどに押されて,今や衰退途上にあるやに聞く。往時を知るものには全く想像もできない情けなさである。
今年のローマオリンピックでは競技種目から外されている。
デコンドー、トライアスロン、ビーチバレーなどという競技でも、オリンピックでメタル争いが出来るというのに、不可解なことである。

間もなくロンドン・オリンピックが始まるのだが、ロンドン開催はもう何度目になるのだろう。
物心ついた頃、ロサンゼルス、ベルリンと大活躍した日本勢に今の様なタイミングではないが、一喜一憂した日々を過ごした覚えが今でも根強く残っている。

次の昭和40年の東京大会は大戦のため中止されたが、戦争が無くてこれが続行されていたなら、優秀な若者達を戦火に失わずに済んだものをと思わずにはいられない。
貴重な人的な損害は想像にあまりあるものだった。

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2012年7月21日 (土)

温泉はいいな

5時過ぎ烏が庭に来て甲高くないて目が覚める。時ならぬ時我が家に何の用事だ。
間もなくどこかへ飛んで行ってしまったが。

朝から涼しさを通り越してぼーっとそこらあたりが暑い。
猛暑になりそうだ。

寒い時には暖かくなったら元気を出してやるぞと意気込んでいたのだが、いざ暑くなるともうこの熱気、やはり若いときとは違う。身体がまるでいうことを聞かない。
何もしなければ起きていることも辛い。
老人とはこんなもんだろうなあ!

婿から電話がかかり,写真を送っておいたのに取らないから取り消しになった。もう一度送るから取り込んでくれという。
早速取り込んだのだが、こちらがマックだからソフトがなくて、解凍が出来ないので,絵を見ることが出来ない。
幸いこちらにもウインドウズがあるので、そちらにホルダーごとコピーして、こちらで解凍して、絵にした所で又マックに還す。老人は時間があるから別にナンでもないのだが、しかし私の温泉入浴姿は傑作だな。
こんなの何かの展覧会に出したらいいなと思ったりする。

人目があるからなかなか出来ない芸当だが、去年の海潮温泉の時に続いて2度目にしても、なかなか発想が良い。
美女でなくておいぼれというところが何ともいえず良い

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2012年7月22日 (日)

風の果て、なお足るを知らず

終日曇り空だが,日射しが無いだけに涼しい。裸で暮らすにはちょうどよい。
雨がよく降ったせいか,蚊の発生が少なく、夜もあわてずにすんでいる。

今年は市の努力で蟻の駆除も盛んに行われている。その成果はこれからだろうが、今の所では座敷に現れることはほとんどない。
蝿などはまるで見かけないし、昔と比べたらものすごく衛生的な暮らしではある。

暇だったからいつかNHKでやった連続ドラマ”風の果て”を買って来たDVDで一括見る。
殆ど一日掛かったが、いいドラマだ。

こんな真面目なドラマで感動的なものは少ないのでは。筋が永いだけに演出も難しかったのではと想像したり。
時代劇に多いやたら斬ったりはったりとは反対に、聴視者に迎合する所がまるでなかった。
ドラマの底を流れる古き友との間の友情に裏打ちされた闘争の成り行きは、それあるが故に更に感動を強めていた気がする。

特に私はこの劇の最後に流れるテーマ音楽に心を揺さぶられた。“風の果て、なお足るを知らず”は哲学的で余韻が素晴らしい。
嫋々たる余韻、まだこれがあったかと、ドラマとの別れが切なかった。

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2012年7月23日 (月)

李香蘭も遠きに

久しぶりに岩國に出かけようと思っていたのだが、オスプレイの搬入で基地周辺が騒がしい様子なので、昨夜になって取りやめることにする。
墓と基地とはすぐ目の前である。どこからとばっちりが飛んで来るかも知れない。
危ない所には近寄らないのが原則である。
どちらにしろ肝心な岩国市民は大迷惑といったところ。

海があり山があり、港があり飛行場があっても、都合の良い人もあれば悪い人もある。
人間は賢い動物だから,その環境に順応し,対応してうまく生きて行くのである。
本来あるものを除けようとしたり,利用を排除したりすることはよほどのことが無い限り難しいものである。
うっとうしく、少数のものが大声を上げて騒ぎ立てるほど迷惑なことは無い。

明日から車の車検更新の為の整備をお願いしている。2、3日車に乗れなくなるので,岩國行きは暫く先になる。
夏休みと盆で道路の渋滞が激しくなる。残念だがその渦中に出かけなければならなくなりそうだ。
仕方がないな。

先日買って来た”「李香蘭」を生きて”という山口淑子の自伝を今読んでいる。
彼女は奇しくも私と同じ年生まれで、20日足らずしか違わない。
軍隊の時たまたま昭和16年2月東京の学校に居た私は彼女が有楽町の日劇に登場し,大観衆を集めたニュースを耳にした。
同じ生徒の中に俺は彼女と小学校が同級生だというのが居て、彼女は日本人だと言い張ってみんなの嘲笑をかった。

勿論戦後になるまで日本人であるとは思わなかった。
昭和15年私は就職して新京大同大街のニッケビルに通っていた。私の事務所は3階だったが, 2階は満洲映画の本社があった。沢山の俳優女優達が出入りしていた。
隣の空き地に勢揃いしていたことも屢々見かけられた。
上から覗き見しながらあれこれとはやし立てたりしたことは、今も昔も変わらない風景だった。

有名なのはもちろん李香蘭、李明、白光などだったが、いかにも小柄な李香蘭は私にはそれほど目立つ存在では無かった。
日本人らしい特色はどこにも見えなかったし、銀幕で見る彼女も支那人を疑う何の面影もなかった。ただ異常に日本語が上手ではあったが。

しかし彼女も数奇な運命を生き延びた。私自身もそれをいまだに思い暮しているが、あの大戦を生き抜いたものは誰しもその感慨を持ち続けるほかはないのだろう。

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2012年7月24日 (火)

たかがオスプレイで大騒ぎするな

九州も梅雨が明けて、西日本も本格的な夏空がのぞいている。
この地方は最高33度という予報である。

朝8時前からシルバーの植木屋さんがやってきて、依頼していた庭の樹木の剪定をはじめる。
差配は家内に任せているので、私は一口も出さない。
私は庭木などまるで関心も無ければセンスも無い。

暑い中ごくろうなことだなあと感心しながら眺めるばかり。

昨日オスプレイが岩國基地に入ったのでテレビはその報道ばかり、それも配備反対の声ばかり。
配備賛成を説くものはいないのか。情けない国民である。
テレビでこれをやられると全国民が反対しているような感じがするけれど、どっこいほんひとかけらの声ばかりである。
錯覚してはならない。私は80年の昔同じような掛け声に騙された。

こんなときジャーナリズムは害毒となる。当時の大新聞はいまだに健在である。

新聞,テレビは国民の指針である。もう少し世界を見据えた個人の考えの及ばない観点を世上に展開出来ないのか。
最上とはいえないかも知れないが,オスプレイは世界最新鋭のヘリコプターであるというに過ぎない。
それでも、これほど大騒ぎする値打ちがあるとも思われない。どんな飛行機でも落ちるときは落ちる。
100%のものはどこにもない。惨事に繋がる事故にならないよう努めることが大事なだけである。

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2012年7月25日 (水)

老兵は消え去るのみ

昨夜車検が今日の夕方には終わるだろうと電話がかかって来る。料金は整備費込みで¥62730.とのこと。まあいつもと変わりない。
この車も購入してから11年になる由。自家用車に乗り始めてから8代目になるのだが、この車は始めて10年以上乗ってるわけである。
まだ4万キロをちょっと越えただけだから、調子は悪い筈が無い。
私には愛犬、愛猫と同じである。
愛着があり過ぎて死ぬも生きるもいっしょになりそうである。老体といっしょで車体は満身創痍といってよい程惨めな姿なのだが。

”李香蘭を生きて”は読了したが、思った通り寂寥たる読後感である。
高峰秀子の華やかさはない。いまだ私同様苦の坂を越えてなお健在なのだろうが、もはや影響を及ぼす力は残されていないだろう。

同じ本の巻末に川島芳子の生涯と銃殺刑にまつわる判決文等が載せられている。
意図する所が那辺にあるかわからないが、運命の一瞬の差で死生が別れる無常観をうたいたかったかに私には見える。
人生を全うしたものは只消え去るのみで結構なのである。

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2012年7月27日 (金)

もう旅立ちの準備は整った

夜10時から始まったオリンピック男子サッカーの第1次予選日本対スペインを終始テレビで見た。
コーナーキックからのセンタリングを大津が足許に合わせて蹴り込んだ。この1点を結果的には守り切って、1−0で勝った。
追加点のチャンスは再三あった。特に後半は敵は1人反則退場で11対10となり、防戦一方に追いやった。
拾い物でもなんでもない、堂々のさい先よい勝利である。
予選D組4チーム後1勝すれば、突破は確定的である。頑張れ日本男子。すでにカナダに1勝しているなでしこも明日スエーデンと対戦,男女そろい踏みで決勝へ行け!

サポーターの多さに驚く、ユーロマネーの下落が有利に働いたか。

午後3時シャワーを浴びて身体を冷やして横になり,小時間うたた寝する。
33度の室温にはさすがの扇風機も通用しない。

今FM放送でカルメンをやっている。主役はあのマリア・カラスである。
凄い歌手だなあ。不世出とはこのことだろう。

我が冥土への旅立ち準備はどんどんととのいつつある。その瞬間はいつか、待ち遠しい。

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2012年7月28日 (土)

私の銷夏法

昨夜は省エネを意識したわけでもないが、久しぶりにパソコンの電源を切って寝た。普段それほど使わない外の3台は勿論電源は落としている。
今朝立ち上げてみると、やたらMailとかiTunesとか日記とか自動で立ち上がって来る。
こんな設定にしてたんかいなあと驚く。

それともソフトを終了しないまま電源を切ったのかも知れない。パソコンというのは奥深いところでルールをちゃんと守っているからなあ。

朝早くはやはり涼しくて気持ちがよい。生きている気持ちがする。
33度、34度となってくると、もううつつとの限界がはっきりしない。
気を失うとは、その状態の極限をいうのかもしれない。

寝床の温度計は昨夜は夜半まで33度,現在は32度と1度下がっているだけである。扇風機は上から横から3台廻りっ放しである。だから口は乾いて仕方がない。湿度は現在55%。

風呂上がりにはクーラーを1時間入れることにしているが、寒くて布団にもぐりこむが、寝付きはいいので夜半まではぐっすり。
生来クーラーが嫌いだから、昼中は付けることは全然ない。裸で寝るのが好きなのである。ふしぎに風邪は引かない。
タオルなど薄いものを身体にかけてねるだけで役立っているのではと思っている。
老人の睡眠は軽いからすぐ目覚める。案外これが機能しているのでは。

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2012年7月30日 (月)

オリンピックの苦戦続く

猛暑続く。逃げ場は無い。
裸になって寝転んでも未だ暑い。
家内も私も少し下痢気味だ。食欲もない。
家内はクーラーの下で数時間は過ごすが,私はそれが出来ない。じーっと我慢するしかない。
本を読んでも頭がおかしくなりそうで,駄目だ。頭に血が上るのは危険である。
結局ぐったりと寝転ぶだけ。

オリンピックも日本勢は元気がない。テレビばかりがぎゃあぎゃあ云っている。
金メタルなしに終わるかも知れないな。
体操も5位,6位と続いているらしい。

但し東京、メキシコで重量挙げに連覇した三宅義信の姪御が父親義行の薫陶のお陰もあって銀メタルに輝いたとか。
やはり血筋は争えないものか。

僅かに男子サッカーは予選2戦目のモロッコに苦戦しながらも1−0と勝ち、決勝リーグ進出を決めた。
スペイン戦のときの精彩はなかったが、辛うじて下した。早くも疲労が出て来たのか,未だ先は長い、スタミナ切れが心配である。

選手団全体の体力不足が感ぜられて仕方がない。格闘技は特に長丁場を凌ぎ切る基礎体力が必要である。
知恵と瞬発力だけでは最後まで行けそうにない。
柔道などは手を覚えられて、その封じ手での攻めにどの選手もてこずっているようだ。
野球がないのが返す返すも残念だ。

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2012年7月31日 (火)

オリンピック柔道ー私の感想

台風9号が沖縄付近、台風10号が小笠原と今正に強風雨と熱気に包まれた日本列島、津々浦々まで35度以上の真夏を迎えんとしている。これ以上無い暑苦しさである。

柔道やっと金メタル1個、それも女子の松本薫選手がもぎ取った。決勝戦は相手の反則手というのだがこれが私にはさっぱりわからない。旗判定に持ち込まれても松本選手の優勢はまぎれも無かったから,勝敗に異論は勿論無いのだが。

柔道という競技も今や日本武道の趣は見られない。投げられても投げられてもうつぶせに地にへばりつく。
日本武道には空中に投げ上げられて、すっくと地上に降り立つという離れ業があるときいているが、それとは異色で逃げ技として常用されている。
指し手争いは格闘技の宿命で、一番重要な手段だから激しいのは仕方がないが、見ているものにはこれが面白くない。蒙古相撲のごとく最初から組ませて始めてはどうだろう。

男子体操も何とか2位にこぎ着けた。それも判定の一部を覆しての2位である。
柔道でも屢々判定の訂正が見られたが、人間のやること考えることだからミスは防げないということだろうか。

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