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2012年6月30日 (土)

爆音が懐かしい

小雨がしとしとと梅雨の雨らしく降り続いている。
これが本来の梅雨だと言わんばかりに。

一昨年90歳の年を最後に,例年行っていた同窓会ももう解散して、今頃になると心待ちにしたものだったがもう一人の友からも声が掛からない。
原因の一つはみんなツンボになって,電話でも話が通じないということである。
手紙は書ける筈だが、その意欲がないのだな。第一ポストまではどうしても届けなければ飛んで行ってはくれない。歩くという前提条件がある。

同窓ではないが昨年亡くなった山崎君はこまめにシーズンの折々、札幌から突然電話をくれたりしたが、あんな男は同級生にはいないのか。

老人というのは一種の病人だから,元気といっても先ず半人前も無い。
経験をつんで知識は豊富だが,実行が出来ないから,有害な雑音にしかならない。
雑音と言えば最近は飛行機の爆音も嫌われてるらしい。
戦争中は私の家内などは逃げ隠くれしたらしいが、戦場では爆音も砲声もあって当たり前だった。
当たれば仕方がないが先ず当たることは無かった。現に生きているのだから。

今読んでいる”湖南戦記”のシ江作戦のように、大軍に包囲され山上に取り残されて,空から地上から雨霰と打ち込まれては先ず生き残ることは難しいが、それでも生き延びた兵士もいるとある。

私もあの前の年あの近くに居たから,地勢はある程度判っている。無限にといっていいほど日本の山と同じ様な山が延々と続いている。
深いなどと簡単に言える程度のものでは無い。戦場にもまるで向いていない。

私も討伐と称して,一箇小隊で向かったことがあったが,これは駄目だとすぐ悟った。
同じ様な山が重なり合って,森林は深く,隠れるに容易で攻めるに難しく、行けども行けども同じ地形で、慣れたものでもまぎれやすく、簡単に進攻出来る地形では無い。4,5キロも行って中止して引き返した。

その中で2個師団強で戦ったのだから無謀である。
先方は早くから数倍の兵力で、待ち構えて陣を敷いている。道はうねうねと山間を曲がりくねってどこまでも続いて人馬以外は通さない。横広く散開するわけにはいかない。両側の山からは丸見えである。飛行機もなしで戦えるわけがない。

湘桂作戦中日本軍の飛行機を見たのは緒戦の1ヶ月くらいで、後は爆音とみれば全部敵機であった。
連日連夜敵機に蹂躙された。それでもなかなか弾は当たらないから戦線は拡大され,逐次奥深く追い込んで行ったのは日本軍の底力だった。

しかしシ江に待ち構えた敵軍はアメリカ装備の最新鋭軍だった。従来の敵とは違っていたし,地の利は大いに敵に味方した。落下傘部隊まで降下させて日本軍を包囲した。
敵にしてみれば負ける道理は無かったといってよい。
作戦指導した参謀部の無知から発生したものだった。
知恵の戦いではアメリカの方がはるかに合理的ですぐれていた。
史上に残る支那派遣軍唯一の敗戦であった。

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コメント

みんなつんぼになって・・
このくだりがなんとも面白くて、、
そう言えば父も昔87才の時にそんなことを電話で同級生に言ってました(^_-)-☆

投稿: 黄昏 | 2012年7月 1日 (日) 03時28分

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