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2012年6月 9日 (土)

本当の忠臣蔵

最近はテレビを見るとえらく疲れる。同じ見るのでも力が入るからだろうか。
朝起きる時の眠気が明らかに違うから判る。

昨夜のアジアサッカーの対ヨルダン戦は安心して見られたが、それでも緊張して見ていたのであろうか。

今朝は気温がほぼ20度に達している。それでも体感温度は外気に触れるとひやっとしてまだ夏の盛りの温度では無い。

昨日はデパートに行ったついでに、本屋で”これが本当の忠臣蔵”という本を買う。
帰宅して一気に読了する。いい本だった。

やはり誰にも知られずに隠密行動した訳でないことがよく判ったし、それは無理なことだった。
脱落者も日が経つにつれて、つぎつぎ発生した。大石もその知人への手紙で悔やんでいる。
討ち入り道具をはじめ、衣装などにいたるまで考えて、準備万端よく整え、その資料もちゃんと存在しているようだ。そのため何よりも七百両近くの金が必要だった。
奥方瑤泉院の化粧料というものを大石が管理し使用したものであり、足らざるところは自分が負担して、既に6両あまりの赤字状態になっていたらしい。
決行時期も11月には奥方の耳にも達していたようだ。

もう限界に達していたということだった。
決行日の12月14日は上野介の所在の確認を2ヶ所からとっている。
決行まで2年間、する方もされる方も、永い永い時間だっただろう。
片や準備万端疎漏無く、片や待ちくたびれて、おろそかというよりもう無いものと安堵していた。

吉良の上杉方の助っ人も僅か3名、しかも小林平八郎など逃げんとして捕らえられ斬られている。吉良方討ち死に17名、手負い19名と明らかにしるされている。
赤穂側は近松勘六が重傷を負った以外は、討ち死にするものもなく、服装にも負傷なき様準備の良さが目立った。
上野介も炭小屋でみつかり、数名のその家来とともに戦い、竹林唯七の槍で刺され、間十次郎が首級を挙げたようになっている。

捕まえた家来に確かめて上野介と確認したとある。
ドラマなどとは随分と違うようだ。

一番興味のあった寺坂吉右衛門はその後日書き置きにも、殿の舎弟の浅野大学への報告を言いつかって、討ち入り終わり次第現場を立ち去ったのが事実らしく、主人の吉田忠左衛門ですら知らず、後に怒っている詞書がある。

南部坂の別れなどは皆作り話であり、奥方瑤泉院はすでに親元の浅野三次藩屋敷に幽閉されていて、その世話役の落合某に計画の一切が届けられていた。

万事用意周到これこそが大石の見識であり、単なる仇討ちとはいえない、公儀の矛盾を捕らえた、政治的抗議ともいうべき快挙だった。

この本を通覧してみて、いよいよ大石内蔵助の統率者としての偉さを痛感するものである。

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