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2012年5月12日 (土)

私の頭痛

ここの所母のことがよく思い出されるのだが、どうしてだろう。
青年時から母のひざ許を去って暮らしたことの方が多かった私だが、幼時には内気で臆病で、心身ともひ弱だった。
小学校入学早々頭痛がひどくて、2学期はとうとう休学してしまった。
母の心配は絶頂に達していたと思われる。
昭和元年(大正15年)がその年だが、長男だった私は母が21歳で生んだ最初の子だったし、父はメキシコに在留していて、別居していたときだから、一人で病弱な子を育てあぐんだことと思われる。

その一つの手だてが、草津の地蔵さん参りだとはうなづけるのである。よくも遠方の未だに名も知れない地蔵尊に頼ったものである。

ともあれ、その貧弱な子だった私が、この92歳まで元気で生き延びて来られたのであろうか不思議でならない。そして今も死にかかわりそうな病気は持ち合わせては居ない。
頭痛というのは幼時から76歳で仕事を置くまで持病であって、時に寝込んだりしたこともあった。
しかし隠居後はもう絶えてなくなった。

今になって思うと、気の弱さが余分の負担を頭に掛け過ぎていたのかもしれない。
仕事が無くなって、その負担がなくなり、頭の血管の緊張が無くなり、頭痛が無くなったという図式だろう。

小学校入学は頭痛を患うほどの子供の私に取っては重圧だったわけだ。
次にひどかったのは破産して、友人の会社に拾われ、その重責を担わされたとき屢々発生した。
応急手当てし我慢しながら、凌ぎ切った。
家族のものも発病になれ応急によく対策をとってくれた。

頭痛は私にとって一種の警報であると今では自覚するに至っている。
今度来る時は死の予告かも知れない。

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