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2012年5月15日 (火)

長井雅樂の毀誉褒貶

下剤の効果が15時間経ってやっと出る。
下剤を飲まないと出ないという状態になって来たらしい。

奈良本辰也の”もう一つの維新”というのを読み始める。
長井雅楽の伝記である。
航海遠略策を説いて、朝幕の間を周旋し、和宮御降嫁、日米和親条約の実現に寄与しながら、攘夷を崩されぬ孝明帝の叡慮に朝議が一変して攘夷に決するや先頭に立って攘夷決行に走った、長州の変節はその要を握った長井雅楽に責任を負わさざるを得なかった。

長井雅楽も身分から云えば150石の下級に位置する。高杉の半分くらいである。
藩主の抜擢で国政を任され長州を代弁し、最後は責任を取らされることにはなったが、幕末の傑物だったことは間違いない。
吉田松陰をはじめ一方では安政の大獄に連座して数多の犠牲を強いられ、攘夷決行を先駆けて又々犠牲を多発した。長州の維新の苦悩の始まりを担ったとも云える、長井雅樂の生涯である。

長州の維新時の活躍は下層武士のそれであった。いかに自由闊達に夫々がその能力を発揮出来たか、それを登用した藩主の偉大さが伺える。

彼は上申書に朝廷謗詞似寄りの言葉があったとして切腹して果てるのだが、片や藩論を独力でくつがえし、自己意志で統一してみせた、高杉晋作とその運命の対比の不思議さを感ずる。

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