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2012年4月15日 (日)

末の妹との再会

目が早く醒めたから7時前には起き出す。
気温8度、もう春は争えない。

午前10時岩國へ向けて家を出る。車の多さを予想して出かけたが、桜ももう終わりに近く時間も少し早かったか、それほどでもなく、1時間で到着。
ひさしぶりに妹の顔を見れた。一番末の妹だから改めて聞けば17も違う。まだまだ元気である。
それにしても同期の同窓会に80名も集まったというから驚く。

終戦時小学校3年だった言うのだから、私が戦地から帰った時は、赤の他人に見えたことだろう。
私も全然視野になかったように感じている。
戦後県下の小学生の音楽大会に出席した時付き添いで一緒に、3時間も掛けて会場まで朝早くから出席したことを覚えているのだが、ピアノが左程好きでなかったのに出さされて、思い出したくない程嫌な思いをしたという。
散々な出来だったのだろう。出来が良くなかったことは私にもその印象が残っている。

父が亡くなった時はまだ赤ん坊だったし、他人の様な私が家の頭領だし、事業失敗など重なって、彼女を恵まれた環境で嫁に行かせることが出来なくなり、苦労な生涯を今日まで過ごさせた責任の一半は私にもあるようで、いつになっても逢うたびに重い負担を感ずる、悲しい相性の妹である。
一番可愛がって呉れてやっていた、私のすぐ下の妹が一昨年交通事故でなくなったので、親を失ったと同じ気持ちらしかった。
私と別れてあと、5キロ先にある、その墓参りに出かけた。一生の別れにならなければよいが、私達縁の薄い兄妹である。

帰路、錦帯橋をおとづれ、上流の橋から下流の橋へと、車で橋の回りを一周して、もう殆ど散った桜を見物して廻る。午後3時近かったので左程渋滞に関わることなく助かった。
家内も私も足が痛く、長歩きは無理だったので、やむなく取った措置だったが、うまく行ってよかった。

もちろん車窓から眺めるだけだから写真の1枚も撮ることは出来なかった。

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