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2012年4月 1日 (日)

不甲斐なき草莽の一生

あまり暖かく感じないうちに4月になってしまった。
今朝の最低温度はコンピューターは6度と現地温度を表示して居るが、我が家の温度計は8時現在8度を指している。
まあこれで暖かい方だろうか、老人の感ずる感覚が常識はずれなのかも知れない。
家内も今朝寒いと言ってたから、私だけの感覚でもないのだが。

ストーブはまだまだ要る。仕方がないな此の老人家庭では。
石油ストーブの外に毎朝エアコンを回してるから、電気料が14000円も掛かっている。
平均値の倍だと家内がぼやいている。
とても省エネなんて言って居られない。ひどい家庭だなうちは。

便秘の下剤の後遺症で、今朝もまだ無色透明な粘液が肛門からにじみ出る。
便所でぎばってもそれ以外は何も出ない。
下剤がよく効いて腹の中を一掃したらしい。昨日も医者が腹を押してくれたけど、痛くも苦しくも何でもなかった。
それでもおむつが要る。全く赤ちゃんといっしょだ。
すぐ側に子や孫がいなくて幸いだ。あざけり笑われてさぞ情けないことだろう。

不甲斐ない永い永い一生である。比較してはいけないことだが、ロス・バニュスで処刑された山下奉文が、立ち会いの僧侶に語ったされる言葉が私の書籍に残っている。
東条の対米開戦に反対して、中央を追われ、シンガポール攻略に起用されたまま、日本に凱旋する一日の余裕もなくフィリッピン総司令官として部下の戦争責任を問われ絞首刑とされた。
もともと第3聯隊長時代部下に居た安藤大尉など2.26事件首謀者などを育成した責任から、中央からは外されていた。不幸なさだめだった。

昭和17年私が陸軍少尉に任官して間もなく、山下奉文が直上方面軍司令官として赴任されて来た。
どんなに奮起したことか、対ソ戦盤石とすら思った。丸二年後私も部隊が中支に転用されたので、昭和19年4月満洲を去ったが、山下大将は9月フィリッピンに転任、敗戦処理を任された。
あのまま満洲に残っていたらどうだったろう。ソ連の枯葉を巻く快進撃が許されたかどうか、その上での割腹自殺なら武人の本懐だったろうと彼の心情を今更のごとく偲ぶものである。
英雄にしてその末路があまりにも侘しい。

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