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2012年4月18日 (水)

うつけ(吉川広家)の采配と私の理解

毎朝同じ気温12度がつづく。
起き抜けにちょっと冷たい感じがないわけでもないが、心地よい今が一番いい季節ではある。
まもなくうんざりする程暑くなる日々の到来が待ち構えているのだが。

昨日までいろいろ書いたが、吉川広家についての私の関心は今に始まったことではない。
母校岩國中学の正門の前の道路は当時は鞭捨て小路と呼ばれていた。
広家が騎乗してこの小路にさしかかったとき、江戸に遣わしていた忍びの者から、今度世襲した3代将軍家光が凡庸な将軍ではないとの報告を受け、がっかりして嘆息し、思わず手にした鞭を落としたと言われる由来が残されている。

関ヶ原の一戦で毛利におとがめなしの約束を破られたため、自身の褒賞として与えられた防長2ヶ国を返上し、毛利氏存続を願い出ざるをえなかった無念さを何時の日かと狙っていて、遂に果たし得ないことを悟ったという逸話のようである。

毎日校門を出入りする少年の頃の記憶は誠に深く生々しい。私には岩國初代藩主広家の名も消えて無くなる態のものでは無かった。

何故吉川広家が徳川に内応せざるを得なかったのか、この小説は私の疑問にやっとまっとうに答えてくれたようである。

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