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2012年4月22日 (日)

謹啓「安房守」どの

今朝はとうとう気温16度の夜明けである。夜中でも珍しく暑苦しかった。
午前2時過ぎ、大きなどーんと云う音に起こされる。家鳴りはしたが、揺れらしいものは無い。
地震ではないようだが、なんだと飛び起きる。
電気を付けてあちこち見回る。
家内のところも電気が付いているので、声をかけてみる。今のは何だ!
雷ではないの、家内は冷静である。
いっぺん限りの雷鳴なんてあるだろうか。30分位電気をつけて、外を覗いたりしたが、雨も降らず音もせず、何事も起こらない。あきらめて寝る。

1997年12月私は”老人のつぶやき”と題して、当時の通信フォーラムに顔を出した。
いつだったか戦後すぐ捕虜収容所周辺で虎が出て、身体一面噛まれて瀕死の住民が担ぎ込まれた。治療に当たったは勿論だが、ついでに住民達と力を合わせて、山の巻き狩りをした。結果は空振りだったが、いわゆる”けものみち”の立派さに肝をつぶした。
この話をフォーラムに書いたのだが、途端に”安房守”なる人物にいかにも眉唾な話だと反撃された。
戦後近くの”岳陽”に留学して住んだことがあるが、そんな話は聞いたことが無い。そんなに田舎である筈が無いというのである。

こちらは敗戦後の捕虜の身、動きは取れないが医者も居れば鍛冶屋も運転手もいる。何でも揃っている招集部隊の端くれである。持ち込まれた救急患者にも勿論応対した。
邪魔者ではあったろうが、現地の人たちには喜ばれ大事にされた。
残念ながら虎の姿はこちらが見た訳ではない。患者の首筋からせ中に掛けての、かみ傷、爪傷とその男の証言を信じただけである。私が見た奇異な動物では5,60cmもあるハリネズミには驚いた。これには武漢三鎮の百キロ近くの山里といえども、辺境と隣り合わせを感じざるを得なかった。中国大陸は桁違いに広く大きいのであった。
反論には反論をもってした。

久しぶりに昨日彼のホームページに入ってみた。
ものすごい量の世界各国の写真集である。よほどのお金持ちと見え、留学先もあちこちとあり、時間と余裕を持ち合わせた幸福な御仁とみえる。’安房守”だから千葉にお住みなのだろうが、山口や高杉晋作もお好きらしい。
写真や紀行集ものせてある。関連があるので私も拝借した。
便利な世の中でもある。

一回限りの論争だったが、私より3、40年後輩だろう。私が未だ生きているのだから、彼も勿論健在である。
メール友とは云えないが、不思議な間柄といえる。

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