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2012年2月12日 (日)

人間一匹の運命なんか所詮虫けらのそれと一緒か

雲のまるで見えないいい天気だ、気温マイナス1.5度とまずまず。昨日も昼中は暖かくなったが今日も同じらしい。少し春めいて来たかな。

河北君の遺文を連載しながら読み返している毎日だが、八路軍に徴用されながらも、明日を信じて帰国の日を待つ、戦い終わった直後の気持ちは私も同じだった、運悪ければ非命に倒れたかも知れなかった。その点は良く理解出来る。
しかし、新京で脱走する直前の仲間達が、シベリアに送られ数年も酷使されたことなど知る由もなく、決断が間違ってたのではと迷わなかっただろうか。

私の場合も当時国民党軍の呼びかけに応じ、部下6名が参加し中国の内戦に参加した。その前途の険しさ、隊長の私といえども是非を判断する何らの知識も、責任能力も無かった。部隊全部では数十名を下らなかったのだろうが、首尾よく活路を開いて故国の土を踏む事が出来たのだろうか今もって知る由もない。北支の方面では夫々に加担した旧日本兵同志が、対峙交戦したとか聞いた事すらある。

血の気の多い若者の事、敗戦後の鬱憤を晴らす為現地人の闘争に巻き込まれて、一身を捧げた話は沢山聞いた。インドネシア、ビルマなどでは生き残って姿を現した一部の人間もいた。歴史はこの事実をほとんど閉ざしてしまって、単なる風聞としてしか残していないが。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その32)

28、病院勤務

この病院には国民軍との交戦で傷ついた八路軍の兵士が療養して居り、今後増加する事を予想した日本人の徴用であった。その中で何と言っても数十名の女子徴用者が花形であった。

2、3日して仕事の内容も大体のみ込めて来た。
男子は担架要員及び雑役が主であり、男子の倍くらいの女子は看護婦要員でああった。
年齢は男女ともに18歳から40歳位までで、先述の通り安東市在住でなく、戦後各地より流れ着いた人達ばかりであった。

特に女性は、戦争により引き離された旧軍人の奥さん、商家の主婦を始め、OL、店員、開拓団の家族、そして飲食店勤務の女性から娼婦に至るまで広範囲な層であった。
何故、看護婦要員として日本女性を重用したのかの理由も次第に判って来た。
日本女性のやさしさ、親切さは中国人の等しく知るところであり、同じ中国の女性と比べれば、かってどんな職種であろうと中国女性より遥かに女性らしさを認めているらしい。
一方敗戦で失意の彼女等に取っては、どんなことでもして内地に帰りたいという決意があり、更にこの徴用での功績で、或は優先的に帰国出来るのではないかとという期待感があった。
そんな藁をもつかむ気持ちと、働く仕事が少なくなった生活苦を考えて、みんな文句も少なく仕事に励んでいるのであった。(つづく)
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