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2012年2月16日 (木)

往年の名画、俳優

気温3度、灰色に覆われて天気はあまりよくない。古い図書、雑誌類をまとめて捨てる。こんなのは雨が降ると面倒なので今日位がちょうど良い。
うちの手押し運搬車を片付けていると、9時にはもう収集車が来て持って帰る。ゆっくりしていると駄目なんだ、けっこう気ぜわしい。

昨夜は珍しく夜遅く目覚めると、ゲーリー・クーパーの”誰が為に鐘が鳴る”をやっていた。名優と言われたクーパーだが、演技はなんとなくぎごちなく、どこが名優なのか私にはよく分からなかった。それでも好きな俳優の一人である。
戦前の中学生時分、どうした訳か”ベンガルの槍騎兵”という映画を見ることがあって、いっぺんに好きになった。当時は中学生は映画館に入ることは許されていなかったのだが、若かりしクーパーの颯爽たる活躍ぶりが気に入って、爾来彼の名前に引かれて数多く見ることになった。後年ハイヌーン、ファッシネーションなど音楽に恵まれては居たが、よれよれの主役で、往年の颯爽さはなかったが、渋さで光った。ここら当たりが名優たる所以かも知れない。

テレビが普及し映画の凋落が叫ばれて久しいが、どっこい未だ生きているぞと現代的佳編が続いている映画界だが、時代は争えず私の様な超老人はとてもついてゆけない。
しかしたまに見せてくれる往年の名画はやはり判りやすくて私には丁度いい。
久しぶりに夜半過ぎまで付き合った。


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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その36)

29、後方病院への転勤命令と休暇

6月の後半になると戦争が激しくなったのか、病院の動きも活発になってきた。徴用されている日本人の移動の話題も囁かれ始めた。
前線か、或は後方の病院かという本当らしい話も聞かれた。現在の病院は別に警戒が厳しい訳でもなく、逃げようと思えば何時でも逃げられるが、逃げた後の生活も不安だし、住居届を提供している現在では何かあった場合、例えば引き揚げ等があればこの届に基づいてチェックした上で引き揚げの順が決まるなどの噂は前から聞いていたので、なるだけ安東の街を離れたくないのが大方の期待であった。

案の定、6月終わりになって、勤務者の半分は鴨緑江を上った山奥の病院勤務に映される事になった。行きたくはないが今の境遇ではどうにも出来ない状態で承知する外はなかった。

2日後に安東市の江岸船着場に集まるように指示されて夫々の家に帰った。私も久しぶりに奥田さんの宅に戻った。ジメーさんがびっくりしたように迎えた。2階に上がって小父さん、小母さん、雪子、良子さんに久しぶりに逢い、話に花が咲いた。
小母さんは”あんた、大丈夫だろうね。何かあったらすぐ帰っていらっしゃいよ” と励ましてくれた言葉に、母の愛情的なものを感じた私だった。
久しぶりに白米の食事で、盃一杯の焼酎(90度のチャンチュー)を口に含み水を飲んで口中で薄めながら、家庭の温かさをしみじみ感じたものだった。
雑魚寝の布団の中で、これからのことを考えると眠れなかった。
翌日は間借りしていた小田原さん夫妻を訊ねて、暫く安東市を離れる旨を告げて、別離の挨拶をした。奥さんは例によってやさしく私に力づけてくれた。
”無理しちゃ駄目よ!内地に帰るまでは張りつめていらっしゃい”

漠然と鴨緑江を上った山中といっても皆目分からない、やはり知人のいる安東を離れる事は怖かった。
時間があったので、かって立売りしていた市場に足が向いていた。一巡りしたが昔の仲間も少なくなっていたし、昔のにぎわいもなかった。
徴用で引っ張られたのであろうか、とくに若い連中が少なかった。

顔見知りの連中に話しかけてみた。
”景気はどう?” 返事はすぐ戻って来た。”駄目だよ、もう日本人は金を持っていないので話にならないよ” とため息の声、聞いた私までやるせなくなってきた。

”あんたは今どうしているの?”と聞いて来たので、明日から山奥の病院勤務で明朝出発だと答えると、彼は私を暫く待たせて、2、3軒先の売場にいた40後半の小母さんを連れて来て私に引き合わせた。
この小母さんも大分苦労してきたなあと直感した。額の皺と無造作に結んだ髪で判った。
”あの、貴方は明日の朝、病院勤務で山奥にお出かけと聞きましたが本当ですか?”
真剣な顔で質問されて私もびっくりした。
”そうです、明日9時に江岸通りの船着場に集まるようになって居ります” と答えた。
”実は私の娘も明日の船で山奥に行くようになっています。あなたに是非お願いしたい事があるのですが・・・” このおばさんと顔見知りの彼の話を綜合すれば、この一家も主人とは慣れた疎開者で、3人の娘のうち長女は私と同様に徴用され、幼い二人を抱えて市場で細々と働いている境遇であった。

”貴方がこの間までここで働いていた方だと聞きまして、貴方を見込んで是非お願いしたいのですが、聞き入れてくださいませんか?娘も明朝皆さんと一緒に鴨緑江を上って奥地の病院に勤務すると決まりましたが、一緒に行く人の中に知人が誰もおりません。娘は20歳になったばかりで心配でたまりません。貴方が行かれるのなら是非娘を見守ってやって下さいませんか?相談事があれば乗ってやってくれませんか?
すがる様な小母さんの言葉、子を思う親の愛情が私の心に突き刺さった。
”判りました。ここでお会いしたのも何かの縁でしょう。こういう現況では今後どうなるか予想もつきませんが、出来るだけの事はいたしましょう。相談に乗るようにします。”

こう答えた私にもじーんと込み上げるものを感じていた。初対面の私に、私がかって市場で立売りしていた事を知っている顔見知りの友達の紹介だけで、藁をも掴む母親のすがる様な気持ちに打たれた。
”娘は光子と言います。今晩十分に話しておきますので、なにとぞよろしくお願いします”
私はこの母親の気持ちに対しても、彼女を守ってやらねばならないと思った。と同時に、明日からの奥地勤務に向かうのに何か責任感見たいな気持ちが湧いて来た。又未だ見ぬ娘さんとの対面も期待された。

小母さん達と別れて市場を後にした。暫く安東市と別れる侘しさが込み上げて来た。
明日も天気らしい。ともかく頑張ろう。(つづく)
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