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2012年2月 5日 (日)

妻のおとぎ話

今朝も昨日と同じ0度の夜明け、雲はすこし濃いようだ。
霞も濃くて宮島の姿はほとんど見えない。

家内が昔話をするとき、いつも出て来るのが万寿姫である。昨日の事のように話をする。私も幼いとき習った覚えがるから知らぬ話では無い。小学校の学芸会で姫の母親唐糸役をやらされたのだそうだが、肝心な開演当日風邪でダウンして出られず、代役が今も仲良しの高木さんだったという。

さてその万寿姫が頼朝の前で舞を舞い、褒賞として牢獄に入れられていた母親唐糸を貰い受けて、郷里の信濃に連れ帰ったという話である。信濃といえば木曾義仲だが、何故と今になって疑問が湧いて来た。
私にも淡い記憶が残っている。この話は国定教科書に確か載っていた。日本武尊の熊襲征伐や源頼光の大江山鬼退治などと同じく、小学校の教科題材であった。
しかし誰に聞いても知らない話に今はなっている。
試みにウイキペディアで調べてみた。
手塚太郎光盛の娘とある。古書にあるおとぎ話が出典らしい。唐糸は義仲の刺客として頼朝を狙い発覚して捕らえられたとある。
なんでこんなのが小学校の教科書に載っていたのであろうか。

今の子供達と話が合わない筈だなあと思い当たる。
考えてみると、戦中戦後生まれの人達と私ら70歳以上の老人はまるで違う教育を受けて来た訳だった。

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河北君のシベリア送り脱出行(手記)(その25)

21、略奪の一夜

或る夜、強盗に襲われた。戦争に負けて、自分で身を守るより外に仕方がなくなった日本人は、夫々自警団を作ったり、戸締まりを厳重にして暴民の略奪を防いでいた。
戦争の場合にはどこの国でも見られる現象として、戦勝軍の不心得な一部の兵士が金欲しさに民家に略奪の目的で押し入る例は聞いていた。
囁かれている事は、彼らが来ていくら戸を叩いても、返事をせずに留守と思わせることが得策との噂であった。

11月中旬、夜の12時頃だった。この夜、日本語のうまい韓国人の案内が、”今晩は”といって連続に戸を叩き始めた。
とたんに”オーイ、誰だ” と小田原さんの返事した声が聞こえた。
玄関の横に寝ていた私達は“しまった” と思ったが既に遅かった。板をぶつけた玄関の戸を叩く音は一段と大きくなった。私達は飛び起きて居間に集まり、直ちに奥さんと洋子ちゃんを裏口より隣家に逃がしてから、渋々玄関の戸を開けた。

自動小銃を持ったソ連軍兵士が2人、通訳の案内人が1人、さっと飛び込んで来て銃を構えた。若い兵士は、おどおどして、怖いのか、己の非行を恥じているのか判らないが、こんな連中が一番物騒である。小田原さんと私ら3人は手を上げて彼らを睨みつけた。
通訳が”金を出せ”と私たちに命じた。小田原さんが財布を渡した。通訳が中身を改めて少ないと言ってるうちに、ソ連兵士の一人が私の胸に自動小銃を突きつけた。仕方なく私はそっと手をズボンのポケットに入れて、バラの10円を出した。ひったくるようにつかみ取ったこの若い兵士の紅潮した顔を、侮蔑の目で睨みつけてやった。
その間に、韓国人の通訳はタンスの開きを開けて奥さんの衣類や小物の中に手を入れて、取り出したハンドバックの中の数百円を見つけると頷いてソ連兵士に合図した。
銃を構えながら後退し、逃げるように退散した。

最小限の被害ではあったが、土足で踏み込まれて金品を強奪された不快な思い出は一生を残る事であろうと考えた。全く悪夢の様な一瞬であった。
私もこれで、胸元に銃を突きつけられる事2回、このような状況下でそう恐ろしいとも感じなかったが、思いの外あっけなく済んでほっとした。僅か20分位の出来事であった。(つづく)
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